だれにもおしえない地球のありか

※竜人形態



 は私が竜の姿を取っている際にも、人の姿を取っている際にも、私への接し方と距離感がまるで変わらない。
 ──それはもう、触れられている此方が不安になってくるほどに。

「お兄さま、爪きれいですよね」
「……そうか?」
「ええ、とっても! こんなに大きいのにささくれのひとつもないの、きれいな手ですねえ……」

 私の膝の上に座り甘えるようにもたれかかりながら、にぎにぎとてのひらに触れる、の小さな両手が添えられている私の手が肌色であったのならば、彼女からの賞賛もきっと喜ばしいものだったことだろう。──それは無論、この甘やかなスキンシップの是非を含めての話だ。
 だが、残念ながら現在、私の手は秘色のいろをしており、が華奢な指先で楽しげになぞっている爪は、黒い色をしていた。

 竜でも人でもなく、中間の竜人の姿を久々に見たいとから強請られて、そんな彼女の要望になんだかんだと応えてしまった私も私だが、惚れた弱みに付け込んでくる彼女も彼女だ。……全く、何時からこんなにも悪い子になったものかと思うのは兄心か、それとも、可愛い恋人が心配だからなのだろうか、──と、そのような私の葛藤などは知りもせずに、はいつまでも楽しそうに私の手を触っている。
 ……これが人の姿の時分であったのなら、私もの手を握り返して指を絡め、束の間の睦事に浸っていたことだろう。
 ──しかし、竜の姿であればそうも行かない都合が此方にはあり、にとってそれは、まるで気に留める理由にさえもなってはくれないようだ。

「私も、黒いネイルとか塗ったら、お兄さまとお揃いみたいになるかなあ……?」
には、もっと明るくて華やかな色の方が似合うのではないか……?」
「お兄さまとお揃いが良いんです! それに、お兄さまは黒、好きでしょう?」
「まあ……好きではあるが」
「ね? お兄さまが好きな色が良いんです! 今度、いっしょにポリッシュ、選んでくださいね」
「ポリッシュ?」
「マニキュアです!」

 にこにこと楽しげに目を細めて、微笑みながらデートの誘いを投げ掛けてくる程度にははリラックスしており、こうして私に対して遠慮なく甘えを見せてくれるようになってきたことも含めて、私には浸りたい感慨ならば、幾らでもある。
 ──だが、それでも、竜の姿でに触れられるのは、何時になっても、どうしたって緊張するのだ。
 彼女が「綺麗だ」としきりに褒めているその爪は、──の柔い肌などはいくらでも、簡単に引き裂いてしまえると言うことを、己の身体であるが故に重々理解しているからこそ、私としてはこう言ったスキンシップは人間の姿の際にのみして欲しいところなのだが、にはどうしても、竜の姿でも私と触れ合いたい、……と言うような考えがあるらしかった。

 無論、私の言わんとしていること、──危ないから駄目だと言う主張ならば、とて理解出来てはいるようなのだが、私がやんわりとを窘めるように「危ないので、そういったことのは人の姿のときにしないか?」と、何度そのように言い聞かせてみても、決まって彼女の口から「でも、お兄さまは私に痛いことなんてしないから、危なくないですよね?」と言われてしまえば、──私には言い返す言葉がないことも理解して、はそう言っているのだろうか。

 そんなの振る舞いに対して、彼女は元々ドラゴン族を好んで使用していることもあり、……まさか、私ではなく竜が好きなだけなのか? と、──そのように、に対して不義理な不安を抱いてしまったことも、正直に言えば、まあ、ある。
 何しろ私は彼女に一目惚れして以来、他の女などは全く目に入らない程、彼女に惚れ込んでいるのだから、己がに傾ける愛情は人の子ひとりに捧ぐには到底、大きすぎて重すぎるのだと言うことくらいは、自分でも理解できているのだ。
 故に、からも私に好意が向いているという現状の関係について、私としては非常に有難く思っているものの、──これは、夢か幻の類なのではと、そのように考えてしまうことは未だにあって、──既に私の心のそう言った機微にも勘付いている彼女には、そんなことを漏らしたのなら間違いなく叱られてしまうし、悲しませてしまうということもまた、痛いほどに分かっているからこそ、……私も早急に認識を改めようと、そう試みては、いるのだが。

 ──とはいえ、私にはに対して、あまりにも後ろめたいことが多すぎるのだった。
 私は決して、彼女の心からの信用を受け取っていいような理由を持っていないはずなのに、それでもは私にそれをくれるものだから、──私はそんな彼女に対して贖罪のつもりなのか、これからは真っ当に愛を伝えたいと言う只のそれだけなのか、……どうか、二度とを傷付けずに彼女を大切に守り抜きたいという思いが強いからこそ、己に課したその制約を次はもう破るまいと決めている。
 ──だからこそ、に対し決して“危険の伴う行為”はしたくないとそう思うのに、……目の前の愛しい子は、まるで恐れ知らずに竜の腕に収まりたがるものだから、世話はない。

「──市民の皆さんが今よりも宇宙人を見慣れたら、お兄さまも、今の姿で外を歩いたりできるようになるのかな……?」
「……そうなったとしても、私はこの姿では出歩かんぞ?」
「ふふ、分かってます。総帥としての立場があるからでしょう?」
「……まあ、それもある」
「今度のお買い物も、人の姿で行きますよね?」
「ああ、そうだな」
「それなら今の姿のお兄さまは、まだ当分は私だけのものですね! ……あっでも、人の姿でも、浮気したらだめですよ……?」
「する訳がなかろう。私にはだけだとも、……お前も、それをゆめゆめ忘れずに、心しておくように」
「ふふ……はあい、お兄さま」

 くすくすと小さく笑うこの子は、何も竜の姿の私が好きなのではなく、“私ならば何でも好き”だという、きっとそれだけの話なのだ。
 人の姿で連れ立って共に街に出かけたのならば、そのときはそのときで、はきっと、今と同じように甘えた目で私の手を掴んで、離してはくれなくなるのだろう。
 ──そうだ。ちゃんと、それが分かっているからこそ、無垢なこの子は愛らしく、そして、末恐ろしかった。

 はしきりに「お兄さまは今までも、私に痛いことなんてしなかったから」とそう言うが、……体に痛みが伴わなかったとて、心が痛むことならば幾らでも、私は散々な仕打ちをお前に強いてきただろうに。
 例えそれが、遺跡によって悪意を増幅されていた頃の話だとしても、それらはやはり私の罪で、私の抱えた薄暗い欲求だった。
 あの当時の私のことですら、信じて許してくれているの信頼を裏切りたくはないとそう思うが、……心の闇などと言う不確かなものよりも余程、己の四肢の武骨さのほうが、……今の私にとっては恐ろしいんだよ、
 お前は何の不安もなく、心配も恐怖もなく、私に触れてくれているのだろうが、私にとってには、力加減を誤ったり、甘い空気に唆されて調子に乗ってしてしまえば最後、──簡単に取り返しが付かない事態を招くと知ってるからこそ、本当に恐ろしいのだ。
 ──それでも、人の身であるお前には私の苦悩など分かる筈もなく、私にもの楽観と信頼の根拠などは分からない。我々は違う人間であるどころか、違う星に由来した未知の生き物同士だったから。

 私の爪は、牙は、お前の肉を切り裂きかねない脅威だ。──だが、やはり、それでも。……宇宙ドラゴンの血が流れていることを知られてしまったあの日には、きっとに怖がられると思った、もう二度とお前は私に触れてはくれないだろうと、確かにそう思ったからこそ、……お前の暖かな手で冷たい肌に触れられたそのときにだけ、心の奥から湧き上がる本能にも似た喜びもまた、私には捨てることなどは叶わんのだ。
 なによりも愛しいこの子の身の安全を、己の手で危険に晒しておきながら、口ではどんなに窘めて慎重に振舞ってみたところで、楽しそうに嬉しそうに近寄って来られては結局、まるで悪い気はしなくて、心の臓の奥では満更でも無い気持ちを覚えている。
 ──ああ、私はきっと、実に愚かで高慢な竜なのだろうな。──それでも、か弱さ故のお前のその傲慢さごと、私もお前を愛しく思うよ。 inserted by FC2 system


close
inserted by FC2 system