雨より遠くにいかないで

 は心根の優しい人間なのだと、その暖かさを傾けられている私は、それをよく知っている。
 そう知っていて、その上で私はどうやら、彼女は他者を憎まず無条件に赦すものだとそのように誤認していたらしい。──或いは、その誤解は私自身から生じていたのだろうか。何故ならば私はきっと、誰よりも彼女に赦されていたから。 

、お前はこのまま私やトレモロと共にいてくれると言っていたが……」
「はい! もちろんです!」
「……お前が以前、共に暮らしていた宇宙人たちは既に解放した。……故に、もしも、お前が望むのであれば、私は……」

 ──私が言わんとしているその言葉の続きは、決して私の本意とするところでは無かった。──それでも私には、彼女から“彼ら”を強引に奪い上げて引き離し、そうしてを攫ってしまったのは他でもないこの私なのだという自覚があったからこそ、もしも彼女が元の場所に帰りたいと望むのであれば、……私にそれを引き止める資格はないはずだと、そう考えたに過ぎなかった。

 その頃、私にはまだ、自らがに選ばれたという自覚が薄く、「は優しいから私を拒絶し切れないのではないか」という疑念があり、──されど、その会話を最後に、私の中に燻っていたか細い後悔などは、一瞬で吹き飛んでしまったのだ。
 何故ならば、──恐る恐ると私が彼女の意思を確認しつつも答えを聞くことを忌諱して目を逸らし、ようやくへと視線を戻したその先に、──ひどく青ざめた顔でふるふると首を横に振り、ぎゅう、と私の手を握りしめるが居たものだから。

「……い、いやです……絶対、あのひとたちのところには、帰りたくない……」
「…………」
「どうして……? 私を、お兄さまのお嫁さんにしてくれるのではなかったの……? 私、お兄さまとトレモロくんといっしょに、いられないの……?」

 不安に揺れる深海の瞳はゆらゆらと波に揺蕩い、まるで泣き出してしまいそうだなんて場所さえもとうに過ぎ去って、荒波に攫われた彼女からぽろぽろと落ちる雨粒が黒い制服に染み込んで、より深い闇の色へと彼女の心を染めている。
 ──ああ、私は。なんと愚かなのだろう、……たとえ私があの日、強引にを連れ去っていたとしても、……それで救われたという彼女の心までをも否定していい道理など、私が持ち合わせているはずもなかろうに。……私は最早、お前の前ではそのような思慮さえも浮かばぬほどに、お前に耽溺しているのだな。

「……、すまなかった。お前は何処にも行かなくていい、私が何処にも行かせない」
「……ほんとう……?」
「ああ。……何があっても、私は決してお前を離さん。何者からも、私が守ってやろう……」
「……うれしい……お兄さま、ずっと、いっしょにいてね……お側にいさせてね……」

 震える身体をぎゅうっと抱き締めてやると、幾らか落ち着いた様子で、されどは必死に素振りで私へとしがみついてきて、今度は私の隊服の胸元がしとしと湿っていくのを肌で感じながら、宥めるようにの細い髪を指で梳く。すると氾濫した彼女のかなしみは鎮まり、いつしか海面は下降していた。
 
 私は決して、お前を手放してしまおうなどと殊勝な考えでいたわけではなく、もしも元の場所に帰ると言われたとて、快く送り出してやることなどは叶わなかっただろうし、それでとの縁を切って解放してやることなどは、どうしたって出来ないのだろう。
 ──それでも、私には確かに罪の意識があったのだ。
 だが、……その上で、やはり私の側に居たいのだとが言ってくれるなら。
 ……それ以外の場所は怖くて堪らないのだと言うのなら、私はこの罪を抱えたままでも、この腕でお前を抱き続けようと、そう思う。
 
 私はきっと、この期に及んで彼女を誤解していたのだろう。は何も無償で誰にでも優しいわけではなく、ただ私は彼女にとって優しくしたいと思える相手なのだと言うその事実が、あまりにも幸福だったものだから、そのように思うことが、信じることが出来ずにいたのだ。
 ──だが、私にもようやく分かったよ、。お前には心の傷があり、きっとこの先への不安もある。遺跡を通ってこの時代に流れ着いたお前は、また元の時代に戻されてしまわないとも限らないものな。
 無論、お前が望んでくれるのならば私はお前を決して帰さないつもりでいたが、元の時代には帰らないと明るく微笑みながらも、きっとお前には、もしも自分の意思ではなく戻されてしまったら? という、そのような不安があったのだろう。──何故ならば、お前にとって私から離れることは、この上なく辛いことなのだろうから。
 だが、案ずるな、。もしもそんなことがあったとしても、私がきっとお前を連れ戻してみせるし、何よりこの手は二度と離さないとも。──ああ、そうだ。罪の意識に灼かれる暇があるならば、それよりもするべきことがいくらでもあったな。故に私は、お前の不安を打ち消せるその日まで、お前に伝え続けよう。──たとえ、この宇宙のすべてを敵にしたとしても、私が必ずお前を守ると、今日も明日も明後日も、百年先さえも、私はお前の安寧の為に吼えるさ。 inserted by FC2 system


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