珊瑚が灯る、海界が燃える

※75話時点での執筆。



 クァイドゥール・ベルギャーがと言う名前の少女を見つけたのは、彼が創造主──オーティスへの報復を目論んで画策していた頃の出来事である。
 少女──は、六葉町が栄えているこの時代から見た未来──ゴーハ市に住まう人間で、創造主オーティスが養女として迎え入れた存在だった。

 の存在を知ったとき、クァイドゥールは大層に驚いた。
 何しろ、彼の知るオーティスと言う人物は、カルトゥマータ──疑似生命体を無責任に生み出し、自立駆動式の兵隊、ゲームの駒として徒に弄ぶような人間だったからである。
 クァイドゥールは人ではないが、彼の目に映るオーティスと言う男は、クァイドゥールにとって自分以上に余程、人でなしであるように見えていた。
 そもそも、オーティスはクァイドゥールを作るだけ作っておきながら、親として責任を持ち、彼に寄り添うことなどはまるでしてくれなかった。
 クァイドゥールにとってのオーティスが人間ではないように、オーティスにとってのクァイドゥールもまた、人間ではないのだ。
 しかしながら、そんなオーティスが未来まで生き続けた結果、……一体、何を思ったのか、自らが作り出したカルトゥマータを放棄した上で彼の意志で招き入れられた、創造主の寵児は確かに存在しており、──恐らくはそれこそが、と言う少女であった。

 はオーティスと血の繋がりを持たず、他所から養女として彼の元へと迎え入れられていた。その事実を知ったときにクァイドゥールが覚えたのは、──自らの手で造り出したカルトゥマータを棄てておきながら、何の因果も無い地球人の子供をオーティスは拾ったのか? という、創造主への途方もない怒りと、──という少女への憎しみであった。

 ──きっと、と言う人間は、オーティスにとって、特別な存在なのだろう。
 クァイドゥールのその考えは、被造物ゆえの生命体への過信と期待を孕んではいたが、そのようなことにも彼は気付かない。生命体には愛が宿るというのは、非生命体が抱く命への羨望で理想論に過ぎず、オーティスがを拾った理由など、彼には分かる筈もなかった。
 故に、オーティスがを愛していたのかも、彼女が本当に創造主の寵児足り得たのかも、オーティス本人にしか知る由はなかったが、──それでも、クァイドゥールの妄信により、はオーティスが積み重ねてきた所業の犠牲となったのだ。

 ──かくして、クァイドゥールは、オーティスからを奪うべく、彼女の身柄を誘拐した。
 オーティスが一瞬だけその場を離れた隙に、クァイドゥールは遺跡の扉越しに幼いに向かって語り掛けて、彼は彼女を扉の向こうへと攫い、そのまま何処かへと隠してしまったのだ。
 幼い少女は、扉の向こうから語り掛けてくる何者かに、きっと高揚感を覚えたのだろう。まるで、絵本の中の出来事か何かのようなその現象に、彼女は疑いもなく応え、クァイドゥールの手を取り、──その結果、数年もの間、幼いは人の身体を失い猫としてカードの世界を彷徨いながら暮らしていた。
 我が身の置かれた事態すら理解出来ぬまま、貴重な子供時代──本来ならば、オーティスの保護下で愛を注がれていたかもしれない時分を、は猫としてひとりぼっちで過ごし、クァイドゥールはずっとそれを見ていた。
 物心が付いたかどうかさえもあやふやな子供──それも宿敵の寵児が、儚い自我を長い生活で擦り切れさせていくのは実に見物で、クァイドゥールはを攫ったのは正解であったと、彼女を観察しながらそのように感じていたが、そんな日々も数年も続けてみれば、次第に飽き飽きしてくる。
 幼いはいつしか自分が猫であるものと思い込んだまま猫として成長し、そのように日々を過ごすことにも、以前に比べれば然程の苦痛を覚えなくなっていたからだ。
 それでは、クァイドゥールにとって何の価値もない。彼が望んでいるのは、を徹底的に傷つけて、オーティスへの報復とする行為そのものであり、寵児の悲痛こそを彼は望んだ。

 では、次はどのようにして創造主の寵児を苦しめようかとそう思案し、クァイドゥールは次に、をゴーハ市から見た過去の地球──六葉町へと、たったひとりで放り出すことにしたのだった。

 突如、クァイドゥールの一存で猫から人の姿に戻されて、誰も彼女を知る人のいない見知らぬ町にデッキだけを携えて落ちてきたには、当然ながら、我が身に何が起きたのかなどはまるで理解もできない。
 それどころか、今一度、人としての自我を構築し直すことさえも彼女には困難で、解け切った記憶をまとめ直そうと試みるだけでも手一杯だった。──何しろ、彼女のそれはとうに擦り切れてしまっていたから。
 しかしながら、何が起きているのかを理解できずとも、生きるためには足を動かすしかなかった。右も左も分からずとも、このまま座り込んでいれば野垂れ死んでしまうことや、死ぬのは怖いと言うことくらいは、にも理解できていたからだ。

 そうして、彼女はやがて、MIKにマークされていた宇宙人グループの元に身を置くことになるのだが、──此処でも彼女を待ち受けていたのは、酷く苦しい日々だった。──は其処で、宇宙人たちに虐待されながら生活する羽目になったのである。

 物心が付くはずの時期の貴重な時間を奪って、人であることを忘れた寵児を見ているとき、クァイドゥールは心など収められてはいないはずの胸のおくが安らぐのを感じていた。
 ──彼は、創造主の寵児から人である権利を取り上げたかったのだ。
 創造主に自らが奪われたものを、から奪い返すことで、彼は己の器を満たそうとしていた。
 人であることを忘れていくの姿は大層に愉快だったが、このまま猫としてぬくぬく生かしてやる気などは更々ない。故に、頃合いを見て過去に放り出されたが、──その後、宇宙人という未知の存在の元で虐待を受けていたのも、すべては、クァイドゥールが宇宙人たちを操り、そのように差し向けたが故だった。

 自分が何者かも分からないままで、超常の存在に手を上げられ続けているを見ていると、なんとも胸がすく。
 何もクァイドゥールは、と言う個人への憎しみを抱いていた訳でもなかったが、オーティスの代替品として、は実に優秀だった。只のか弱くて幼い子供であるは苦しいことがあれば簡単に泣いたし、すぐに傷付く。そんなの様を見ていると、彼女は人工物に過ぎない自分と比べても到底無価値な存在に思えて、クァイドゥールは心の底から愉快だった。
 宇宙人たちの元で虐待を受け続けたには次第に恐怖が染み付いていったが、同時に、彼らの“教育”の賜物で、痛みを教え込まれたは何を言われても何をされても彼らに逆らわない、クァイドゥールにとって非常に便利な存在になっていた。
 そんなを見ていたクァイドゥールは、次のプランを思い付く。
 ──宇宙人への恐怖で満ちた小さな器が氾濫を起こしたその頃を見計らい、今度はクァイドゥール自身の手でを回収し、自らの傍に置くとしよう。そうして、今度は自分の奴隷として使役し直接痛め付けてやろうと、そう考えているとその日が訪れるのが非常に楽しみであったが、此処で不測の事態が起きる。──なんと、クァイドゥールの思惑は、予想外の第三者の介入により、御破算となったのだった。

 MIK総帥──竜宮フェイザーが、へとその手を差し伸べたからである。

 突然、の目の前に現れたフェイザーはベルギャーの戦士ではない。その身体には宇宙人の血を引いているものの、無条件でクァイドゥールの傀儡とするには、彼は地球人の側に近すぎて、操るには直接の接触が必要だった。故にクァイドゥールはがフェイザーに救出されるのを、黙って眺めているしかなかったのだ。
 ──さて、では、どうしたものかと、彼はそのように考えた。
 フェイザーの手でが救い出されてから暫くの間、はこれまでの厳しい生活が祟り、病院に入院していた。フェイザーにはMIKの総帥と言う立場があり、今回の事後処理も含めて多忙を極めるのであろう彼は、それでもの元へと足しげく通い、もまた、恩人としてフェイザーを慕い始めていた。
 ──恐らく、あの男はどういう訳か、寵児のことを愛しているのだろう。そして、寵児もまた、その恩情に心惹かれている。
 創造主の寵児には、愛などいらない。カルトゥマータであるクァイドゥールには他者からの愛も、真っ当な子供時代も、何も与えられはしなかった。ならば、寵児にもそのようなものは不要である。オーティスから与える愛を享受などさせてやるものかという一存でを攫ってきたというのに、第三者の手でそれが与えられてしまっては、何とも興覚めであったし、何よりもつまらない。
 ──竜宮フェイザーがを愛した理由が、クァイドゥールには分からなかった。
 フェイザーはその頃、に心を救われたからこそ彼女に己の心を砕き、名字を分け与えて庇護し守り続けることを誓っていたのだが、フェイザーのそのような情緒などは、被造物たるクァイドゥールには理解できる筈もない。

 そうして、クァイドゥールが俄かに困惑を覚えている間に、寵児は竜宮という存在になり、寄る辺の無かったこの時代に、帰る場所を得た。
 義理の間柄で在れども兄と言う無条件で頼りにしてもいい存在が出来たことで、ぼろぼろだったの心は次第に安定して、元より恩人と慕っていたフェイザーに対して、もまた初恋の機微を募らせていく。
 そんなを見ていれば、情緒の乏しいクァイドゥールにも流石に理解できた。──このまま事態を見過ごして放っておけば、遅かれ早かれ、竜宮は竜宮フェイザーと結ばれる。──寵児は、与えられるべきではない幸福を手にしてしまう。

 その結末だけは、クァイドゥールにとって何よりも許せない事態だった。
 故に彼は、──遺跡越しに今度はフェイザーに囁きかけることで彼を操り、──にとって最愛の男の手で、彼女を傷付けることにしたのである。

 クァイドゥールが選んだこの作戦は、の心を砕くと言う意味で、今までに行ってきたどの手段よりも効果的だった。
 優しかった義兄が次第に苛烈を極めていくだけでも、は心臓を握り潰されるような心地を覚えていたし、総帥としての厳しさが自らに向けば泣き出してしまいたい気分になり、また矛先が自分からは避けられたとしても、他の誰かを傷付けるフェイザーの姿に心の何処かで「自分ではなくてよかった」と安堵している自身の醜さに、はあっという間に心を病んだ。
 更には、クァイドゥールに悪意を解放されたフェイザーの側も、精神を徐々にすり減らして疑心暗鬼に陥っていき、──決して普段の彼ならば、そのような手段は選ばなかっただろうに。遂にフェイザーは、積年の想いをに叩きつけて、彼女へと無体を強いたのだった。
 兄と呼ぶことを許されず、恋人としてフェイザーを受け入れることを強いられて、怯えながら過ごす日々で、の心はすぐに擦り切れた。そうして、クァイドゥールの思惑通りに、フェイザーの手で修復されていたはずのそれは、今に完璧に砕け散る、──筈、だった。“一般的に、理論的に考えれば”、はフェイザーの手で再起不能になるまで砕かれるはずだったし、クァイドゥールはその結末を信じて疑っていなかった。
 そんな彼の目論見が外れたのは、はどれだけ傷付けられたところで、フェイザーを愛していたからで、フェイザーもまた、どれほど憎しみを増幅されたところで、彼の根本にあったものは莫大なまでの愛だったからだという、──それは、クァイドゥールには、理解しがたい結末だったのだ。

 故に、クァイドゥールの予想は見事に外れ、事態は思いがけない収束を見せたのだった。これまでのフェイザーのすべてを清濁併せて飲み込んだ上で、はフェイザーの傍に在ることを選び、フェイザーもまた、今度こそを何者からも守り抜くことを誓った。
 そうして、は、──クァイドゥールが彼女から奪ったはずの家族を、自らの手で勝ち取ったのだった。

 ──それが、クァイドゥールによって明かされたこれまでのあらすじであり、此処からが、彼らにとっての反撃だ。

 自らの半生の意味をクァイドゥールの手によって突き付けられたは、ショックのあまりにその場に立っている事すらままならず、今や変わり果てたまでに怯え切って、フェイザーの腕に支えられながらがたがたと震えている。
 ──無理もないと、フェイザーはそう思った。
 彼の伴侶たる竜宮と言う人間が、本当に心根の優しい人物であることを、すべてを許されたがゆえに、フェイザーは誰よりもよく知っていたからだ。
 だが、何もとて痛みを感じていない訳ではない。痛くて、苦しくて、泣き出してしまっても、それでも、──彼女は、人の善性を信じていたという只のそれだけで、それとて、そんな理屈が通用しない生き物もこの世には存在することもまた、はよく知っていた。彼女は決して、理想に溺れてはいないのだ。
 諸悪の根源はそもそも人間ではないどころか、生命体ですらないのだから、知生体の理などが通じる筈もなく。更にはクァイドゥールはを恨んでいる訳ではなくて、彼女を通して他の誰かを標的に見据えていたからこそ、此方の理屈などはまるで通用しない存在だった。行き過ぎたこの凶行は、無辜の寵児への逆恨みでしかないのだ。
 そして今、彼はにとっても誰よりも大切なフェイザーに、彼女への後悔と言う罪の意識を植え付けることまでして、──挙句の果てには、すべての宇宙人をカルトゥマータとして操ることで、再びとフェイザーとの仲を引き裂こうとしている。
 もしも、クァイドゥールの目的──カルティオス計画が成ればそのときには、きっとも、当初の計画通りにクァイドゥールの奴隷として彼の手元に置かれるのだろう。自らの意志などは奪われて、再びクァイドゥールの傀儡と化したフェイザーを助け出したいと思っても、今度こそ指の一本さえも彼に届かなくなるのだ。
 ──最早、自らを取り巻く事情の粗方は済んだものと、彼女は半ばそのように思っていた。未知の敵との決着は迫っていたが、それとて彼女が先導に立つこともなく、フェイザーの補佐こそが秘書官としてのの役目だった。それに、これから何度も苦難があったとしても、フェイザーさえいてくれたのならば時分はきっと乗り越えて行けるはずだと、──よもや、扉の向こうの“誰か”に自分が直接狙われているとは、自身が舞台の上に居るとは思っていなかったからこそ、──今までのは、そんな風に幾らか楽観的に考えていられたのだ。

 そんな希望を打ち砕かれて頽れるを抱き抱えて、──フェイザーは、ようやく彼の本心、彼だけの結論へと辿り着く。
 彼は、自身が誰に操られていたとしても、を傷付けたのは自身の罪であるとそう考えており、それはクァイドゥールの存在を知った今でも変わることはない。──だが、確かに今、分かったこともひとつあるのだった。
 フェイザーは今までずっと、あのときにを強引に攫ってしまったその事実を、心の何処かで悔いていた。正攻法で愛を伝えられなかった己を、卑怯な男だと自嘲する気持ちが、確かに彼にはあった。──しかし、解が導かれた今、フェイザーがあのとき強引にでもを奪い取っていなければ、今でも彼女は運命の囚人のままで、クァイドゥールに弄ばれる末路を辿っていたということが、明らかとなってしまった。
 つまり、彼はずっと前に、──とっくの昔に。
 を救い出すことに、彼女を助け出すことに、成功していたのだと、……それは、そういうことだった。
 フェイザーが行動していなければ、間違いなく今日の彼女はいなかった。ずっとずっと、はひとりぼっちで泣いていたかもしれなくて、今のようにフェイザーの胸に縋り、「たすけて、おにいさま……」とか細い声で泣くことも叶わなかったのだろう。
 つまるところ、に一番してやりたかったこと、──彼女を守り導くというその大望を、とっくの昔に、フェイザーは叶えていたのだ。

「──私はちゃんと、お前を守れていたのだな……」
「おにい、さま……」

 フェイザーが身に纏う黒いコートを握りしめるの華奢な指は震えて、どれだけ赤い目元を拭ってやっても、それはとめどなく催涙雨のように溢れてくる。
 ──フェイザーは、の守護者になりたかった。
 美しい水の星に産まれた可愛いこの子を、何に変えても守ってやりたかった。

 だが、それが正しい行いなのだと胸を張って言えなくなっていた、贖罪に塗れてしまっていたフェイザーは今、──ようやく、迷いのない目でを抱き寄せている。
 竜宮フェイザーは、竜宮を害していたのではない。
 竜宮フェイザーは、竜宮を間一髪で助け出していたのだ。
 彼はずっと、彼女のとっての守護者で、クァイドゥールにとっては目障りな障害だった。

 確かにフェイザーはの心を傷付けたかもしれないが、それでも、クァイドゥールの元に連れて行かれていたのなら、カルトゥマータ以下の存在として彼女を扱いたいクァイドゥールの掌の上では、が真っ当な人間扱いを受けることさえも叶わなかったのだろう。
 確かにフェイザーの取った行動は、最善の手ではなかったかもしれない。それでも、──あのときに、彼が行動を起こさなければ間違いなく、……は今頃、もっと悲惨な目に遭わされていたに違いなく、その事実だけでも、にとってはこんなにも怯えて泣き崩れるほどにつらいのだ。
 ──ならば、私はもう、悔やむのはやめようと、フェイザーはそう想う。大事なのは今までに何をしてきたかではなく、これから彼女に何をしてやれるかであると、──最大の敵を前にして、その日、フェイザーは心に決めたのだった。
 ──これから先は何があろうとも、には自分より相応しい相手が他に居たとしても、それでも。──決して、彼女を誰にも渡すまいと。後悔などをする暇があるならば、傷付き切った愛し子を、……大切に大切に守り愛し続けよう、と。彼はそのように決意して、眼光鋭く目の前の悪魔を射抜いたのだった。 inserted by FC2 system


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