きみの呼び声で縫われる呪文

※77話時点での執筆。



 私がこの時代に迷い込んだ理由も、すべては遺跡の向こう側に潜んでいた黒幕──クァイドゥールの企てた犯行だったことが判明した。
 その事実が露呈してからと言うもの、お兄さまは以前にも増して私に対して過保護になってしまっている。

「……、外出するのか? 何用だ?」
「ズウィージョウさんのところに、カレーパンを買いに行こうかと……」
「ならば私も同行する。……確か、今日から新作が並ぶとズウィージョウが言っていたな」
「そうなんです! キーマカレーのカレーパンなんですって! どんな味なんでしょうね? 楽しみ!」

 ギャラクシーカップ以来、お兄さまとズウィージョウさんは、以前まで敵対していたのも嘘みたいに、ビジネスパートナーとして良好な関係に落ち着いた。
 大会期間中、私やユウナちゃんとアサカちゃんと共にふたりは共同戦線を張っていたけれど、やっぱりその中心に立っていたのはお兄さまとズウィージョウさんだったから、ふたりが関わる場面も多かったし、作戦が無事に成功し、遊飛くんをバックアップする立場にふたりで並び立ったことも大きかったと思う。
 ──それに何より、ひとつのデッキを介して共に戦った彼らには、不思議な連帯感が生まれていたのだった。
 それはもちろん、遊飛くんも含めての話でもあったけれど、中学生の彼からすると大分年上に当たるふたりは、それぞれが総帥と司令官という似通った立場でもあるし、因縁を解いてみれば案外、馬の合う相手だったのかもしれない。……性格的にちょっと似ているところがあるような気も、前々からしていたし。
 安易に友達──と称してしまうのも、何かが違うような気もするけれど、ともかく、近頃のお兄さまとズウィージョウさんは、以前のように顔を合わせてもピリピリと周囲の空気を張り詰めることもなくなったし、私を介さなくても和やかな会話ができるようになった。
 ──現に新作のキーマカレーパンの情報も、私が伝えずともお兄さまは既にズウィージョウさんから聞き及んでいたようだし。

 そんな背景を考慮した上であれば、私がボイルド・ベーグル・レクイエムに向かうところにお兄さまがついてくるというのも、まあ、特に可笑い話ではないのだと思う。
 少し前までは、「常に私が着いてきてはお前も落ち着かないだろう」なんて言って、お兄さまも眉を下げていたけれど、どうやら最近ではそんな遠慮は無くなってくれたらしいことも、素直に嬉しい。
 ──けれど、最近のお兄さまは、本当に、私が何処に行くのにも付いて来ようとするようになってしまった。
 もちろん、お兄さまには総帥の立場があるし、元々忙しい方でもあるので、常に手が空いている訳でも、私に同行できるわけでもなかったけれど、お兄さまが立て込んでいる際には代わりにトレモロくんやアンジュちゃんたちだとか、マナブくんやランランちゃんたちだとか、一般の隊員のみなさんだとか。とにかく“護衛役”が務まる誰かが私に同行する取り決めになっていたし、……それどころか、お兄さまの要請でズウィージョウさんが護衛役として着いてきてくれたことまである。

 二年とちょっと前までは、私はボイルド・ベーグル・レクイエムに出向くことすらも、お兄さまに伝えられなかったし、伝えたところで許されることも無かったことだろう。
 そんな頃もあったことを考えると、お兄さまがわざわざ護衛役をズウィージョウさんに依頼して、ズウィージョウさんがMIKまで出向いてくれるようになった現状は、ふたりの友好関係の面では確かに喜ばしいところでもある、……けれど。

「……あの、お兄さま……」
「どうした? 
「……私、あんまり、外に出ないようにした方が、いいのかな……」

 ちょっとパン屋さんに買い物に行くだけでも、お兄さま自ら私に着いてきてくれるどころか「道中は危ないから、手を繋いで行くか」とそう言って、優しげに差し出された手をぎゅっと握って歩道側をお兄さまに守られながら歩く贅沢な時間は、確かに私にとって大切なものだったし、少し前までのように、意志の尊重を理由に遠慮されるよりも、こうして日がな一日お兄さまに束縛されているくらいが、ずっといい。
 ──けれど、お兄さまが近頃こんなに心配性なのは、トレモロくんたちが私をひとりにしたがらないのは、ズウィージョウさんまでが私を庇護しようとしてくれているのは、──すべて、クァイドゥールの件があったばかりだからだと、幾ら何でも分かり切っているし、考え無しに思い上がれるほど私も幼くはなかった。

 お兄さまを操った遺跡の向こう側に居た黒幕、クァイドゥール・ベルギャー。
 彼を作り出した“創造主”が私の養父・オーティスから分離したアースダマーだったことが判明し、クァイドゥールと私は、恐らく彼にとって似通った立場にあったのだろうと、今ならばそう推測することもできる。
 オーティスは謂わば創造主のオリジナルで、創造主はクァイドゥールにとって、父親も同然の存在だったのだろう。
 しかしながらそんな彼は、創造主と道を違えて、現在の創造主は、彼の内なる宇宙の何処かに揺蕩っているのだと、直接すべてを見てきたユウディアスが言っていた。
 ──きっとクァイドゥールは、オーティスに捨てられなかった私のことが、憎いのだ。
 彼は創造主に捨てられたものだと、……彼自身が、そのように思っているから。
 オーティスの寵児と創造主の寵児、──私たちが“寵児”なんて呼べるような良いものだったのかどうかは、“彼ら”にしか知りようがないけれど、少なくともクァイドゥールにとっては私だけが彼の望む“それ”であり、クァイドゥールにとってそれは許せない事実だったからこそ、──彼は私を、オーティスの傍から引き剥がした上で過去へと送り込み、彼よりも余程“人形”や“駒”という言葉が相応しい人生を、私に与えたかったのだと、──彼自身が語った言葉とユウディアスの証言を整合すれば、そのような背景があったことは、ある程度まで予想できる。

 クァイドゥールが突然私の前に現れて、自分は彼からずっとずっと悪意をぶつけられていたことを知ったとき、──私は、心底彼のことが怖いと、そう思った。
 確かに私はこれまでの人生、決して運のいい方ではなかったと思う。──けれど、結果的に私はお兄さまに出会って、彼の力強い腕で引き上げられて深淵より救われて、今も尚その腕の中に庇護される恩寵を賜ることを、他でもないお兄さま自身に許されている。
 これまでに歩いてきた道を思えば、それは恐ろしく幸運なことなのだろうなと、そう思うからこそ。「色々あったけれど、今は幸せだ」と暢気に考えていたそんな自分を全て否定された上で脳天から叩き割られたようで、──彼による真実の開示は、たまらなく恐ろしかったのだ。

「……クァイドゥールの件で、そう言っているのか?」
「はい。今だって、お兄さまに手間を掛けさせてしまっているし……」
「それは、気にしなくとも良い。私とは家族なのだから助け合うのは当然だ、それに、トレモロも同じことを言うだろう。……だが……」
「……はい」
「確かに、未だ奴を打破したわけでも改心させたわけでもないからな……安全かどうか、と言えば……無責任なことが言えないのは事実だ、不確かな言葉で誤魔化す気もない」
「……そう、ですよね。やっぱり、私……」
「だが、……私がお前を守るとそう誓ったのも、何ら偽りではない。……だから、遠慮はするな。私は何に変えてもお前を守るし、もしもお前が未来に連れ戻されたとしても、必ず奪い返す。……怖いのだろう、。今重要なのは、“周囲への迷惑”などではなく、“お前の不安”の方だ」
「……おにい、さま……」
「……そうだな、不安なままでお前を連れ回すのも忍びない。やはり今日のところは、本部に戻るか。カレーパンは電話で取り置きを頼んで、後で部下に取りに行かせよう」
「……はい、やっぱり危ないですもんね……」
「それもあるが……今のは、何時にも増して庇護欲を駆られる……端的に言えば、可愛すぎるからズウィージョウに見せるのは少し心配でな……」
「やだ、お兄さま。ズウィージョウさんは、そんなの気にしないですよ……?」
「まあ、私もズウィージョウを信じてはいるが……こんなに可愛いと、何者かに攫われてしまいそうだからな」

 飽くまでも冗談を装ってお兄さまはそんな風に笑うけれど、──本当に、その可能性を危惧して心配してくれているのだと、私だってちゃんと分かっている。
 オペレーションMIK──迷惑異星人完全排除が撤回されてからと言うもの、遺跡による呪縛も解けて穏やかになったお兄さまは、遺跡に操られていた頃にご自身が私を傷付けてしまったと考えて、今でもそれを気に病んでいる。
 だからこそお兄さまはその罪悪感が理由で、ずっと私にどこか遠慮をしている節があったし、私がどれだけ“大好き”を伝えても、なんの気兼ねもなくお兄さまにそれを受け取ってもらうのは、些か難しかった。
 ──けれど、近頃のお兄さまは、変わった。
 それは、ギャラクシーカップを通して行われた彼の贖罪が一区切り付いたからなのか、……或いは、クァイドゥールと対峙した私が恐怖のあまりにお兄さまに泣いて縋ったから、だったのかもしれない。
 ……あのとき、お兄さま、本当にびっくりした顔、してた、なあ。
 確かに私も、かつてのお兄さまに多少手荒な真似をされたり、怖い目に遭ったことは、否定はしない。只それが、だいすきなひとだったから耐えられたというのは、少なからずあるのだろう。けれど、お兄さまに対して本気で恐怖を覚えたことは今までなかったし、──クァイドゥールの翡翠の眼光に射貫かれたあの瞬間の恐怖を思い出すたびに、どうしたって体が震えてしまうのだ。

 本当に、自分ではどうしようもないくらいに足が竦んで膝に力が入らず、がくん、とその場に座り込んでしまいかけた私をお兄さまが支えてくれたから、私は目の前の現実を認められずに怖くて怖くて「たすけて、お兄さま」としがみ付いて泣きじゃくって、そんな無力な私を見て、クァイドゥールが嘲り笑っていたという事実もまた、怖かった。
 ……多分お兄さまはあのときに、本気で怯える私の姿を初めて見たのだ。それできっと、お兄さまにも理解できたのだろう。……私が、お兄さまのことを恨んでなんていないし、気に病まないで欲しいと思っていることは、心からの本音なのだと。
 私はお兄さまを恐れている訳ではなくて、これは忖度でも無くて、あなたとおなじ、私だって、あなたのことがだいすきなだけなのだと。
 ──きっと、その事実を痛感したからなのだろうと、そう思う。
 以来、お兄さまは、私への遠慮も困ったような笑みも殆ど見せなくなって、大分積極的に私の“恋人”として振舞ってくれるようになった。彼の中で罪の意識が薄れたらしいことは私にとってとても嬉しく、……大事なのは、今まで何をしてきたかではなく、これから何をするかだと、そう思うから。お兄さまとの関係は今まで以上に明るく輝いて希望に満ちていて、──けれど、そんなきらめく明日に影を落とす存在を、私たちは既に知っている。
 今このときも、これは何気ない会話であるという体裁をお兄さまが保とうとしているのは、私を必要以上に不安にさせない為なのだろう。──だって、そうっと見上げたお兄さまの横顔は、神妙な空気を帯びて、明らかに周囲を警戒して視線を泳がせている。

「本部に戻ったら、少し休憩にしよう。先ほど、トレモロが茶菓子を買ってきてくれてな」

 街路樹の立ち並ぶ表通りを通り抜けて、穏やかな声色でそう語りながら私の手を引くお兄さまはきっと、──今この時にでも、“何か”あれば瞬時に竜の姿に戻って迎撃するだけの、備えがあるのだろうな。それでも、私を安心させようと努めてくれるお兄さまには、──もしかして、手が震えないように頑張ってみたところで、私の心の震えが、伝わってしまっているの、かなあ。

「……はい、紅茶を淹れますね」
「給湯室にも着いていくからな、……やはりどうにも、心配だ。必ず護ってやれる位置にいなくては……」
「ふふ、お兄さまがいつでもいっしょにいてくれるなんて、贅沢者ですね、私」
「それは何よりだ。……お前だけの特権だからな、是非とも丁重に受け取ってくれ、

 まるでおまじないか何かのように、「私が護ってやる」という言葉を何度も何度も重ね掛けて、私を安心させようと試みてくれるあなたの根本にあるものは、きっとこの青い星の守護者たる自負なのでしょう。
 星単位で注がれてきた莫大なあなたの愛を、私がたったひとりで独占してしまうのは、どうしてもたまらなく贅沢をしてしまっているような気がして、……でも、冗談みたいに、私はそれが嬉しいの。「私は攫われたりしないよ」なんて、そんなことを言える立場じゃない程に、私はずっと不安定な場所に立ち続けていたのを知ってしまったから、私はもう、「大丈夫」なんて無責任には言えないし、……今だって、お兄さまが傍に居てくれないと、本当はとっても怖い。
 あなたに束縛されればされるほど、今の私は何よりもその事実に安堵することで、それでようやく呼吸が出来ている。
 そんなのって、きっと可笑しいのだろうなと、そう理解も及ぶけれど、……正しくなくても、もういいよ。そもそも、正しく在ろうと思ったのなら、私が此処に居ること自体がきっと間違っていて、それでも私は、お兄さまの隣に居たいの。
 それに、お兄さまが私を囲い込んで大切にしまっておきたいとそう思っていることだって、今はもう、遺跡に糸を引かれているからだとか、そんな理由じゃないものね。
 お兄さまの意志で、私のことが心配だから誰にも見せたくないし不用意に出歩かせたくないのだとそう言うのなら、私はそれを嬉しいと思えるし、束縛されても平気。……お兄さまが常に側に居てくれると安心するし、……今はとにかく、ひとりでいることが、こわいから。今の私にとっては、何があっても絶対にお兄さまが守ってくれるというあなたへの信頼だけが、安心して呼吸が出来る唯一無二の理由なのだ。私の酸素はこの深海にて、あなただけに守られている。 inserted by FC2 system


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