夕焼けでの息継ぎは声を殺すこと

 以前にデュッディ・モ・デュッディーモ空間の力で強引に竜としての正体を暴かれたそのとき、お兄さまは平時の水色とは違う真っ赤な目をしていた。
 あのときのお兄さまは、目の上から布を掛けられて強制的に視界を閉ざされたことで、どうやら落ち着きを取り戻したらしかったので、恐らくお兄さまは、興奮して竜の血が強く呼び起こされた際に、瞳が赤く染まって我を忘れてしまうことがあるんじゃないかと、──私は、そんな風に思っていた。もちろん、本人への確認は出来なかったけれど。……だってお兄さまにそんなことを聞いたら、自尊心を傷付けてしまうかもしれないもの。

「──私のに二度と近寄るな、殺されたくなければ、今すぐこの星から消えろ」

 夕焼け空に染まる景色の中、ラッシュデュエルで完膚なきまでに叩き潰した宇宙人──どうやら、クァイドゥールが刺客として送り込んだらしいその相手を見下ろしているお兄さまの表情は、何処までも冷たく、その瞳は真っ赤に色付いている。
 ──世界を染め上げる赤い空よりもずっとずっと、お兄さまの瞳の方が、赤く輝いているような、そんな気がした。
 ──それもこれも、私の不注意、だったのだ。
 MIKの隊員を装った刺客に「総帥がお呼びです」とまんまと本部の外へと連れ出されてあっさり捕まってしまった私は、そのまま彼らの手でクァイドゥールの元へと連行されかけて、もうだめかと泣き叫んでいたところに、……なんとお兄さまが、助けに来てくれた。
 現れるや否や、私の腕を掴む彼らを強い力で引き剥がして、そのまま一捻りに放り投げたお兄さまは、近頃では殆ど見せなくなった怖いお顔をしていて、実力行使でもラッシュデュエルでもお兄さまに徹底的に叩き潰された後に、ぎらりと赤い眼で一睨みにされた宇宙人たちは、縺れる足で倒れ込みながらもばたばたと逃げていく。
 ──やがて、その場に私とお兄さまだけが残されてから、ぐるん、と私の方を振り返ったお兄さまは未だ恐ろしい表情をしていて、爛々と輝く赤い瞳がゆらゆら揺れて、夕焼けに照らされた白い牙は、まるで血に濡れているかのようだった。
 浅い呼吸を繰り返しながら、私へと手を伸ばすお兄さまの顔色は悪く、……本当に、苦しそうで。……ああ、私はまた、あなたのことを傷付けてしまった。

「──お兄さま、ごめんなさい!」

 ──本当ならばお兄さまはもう、こんな風に苦しまずに済むはずなのに、私のせいで。──今はもう誰かに洗脳されている訳でも、強引に理性を奪われたわけでもないのに、私が軽率な真似をしたばっかりにお兄さまは焦って動揺して、私を守ろうと必死になってその血に流れる狂暴性に振り回されて、……今のお兄さまを苦しめているのは、他でもない私だった。
 ふらふらとよろめきながら苦しげに呼吸をして、私に歩み寄らんとするお兄さまが倒れてしまわないか心配で、思わず駆け寄ってぎゅうっと長身の背丈を抱きしめると、──お兄さまの強張った身体は明らかにいつもよりも力が強く、そっと手を添えられるだけでも身体を圧迫されているかのようだった。
 下手をすれば、私はこの腕に圧し潰されてしまうのかもしれないけれど、それでも。……それでも、私はそれで良いから。必死で強引にお兄さまのお顔を胸に抱きしめて、ふわふわと跳ねた髪に顔を埋めて、私はすっかりあなたの視界から光を、赤を消してしまおうと、躍起になっていた。

「……お兄さま、ごめんなさい、心配させちゃいましたよね、私、ちゃんと此処に居ます」
「…………?」
「はい、ですよ。……大丈夫です、私、連れて行かれてません。……ごめんね、心配させちゃいましたよね……お兄さま、護ってくれてありがとう……」

 脳が混乱している際に視界から光の刺激が入り込むと、頭に流れ込む情報量が増えることによって、余計にパニックに陥りやすくなる。だから、視界を閉ざしてゆっくりと話しかけることでお兄さまを落ち着けようと試みたそれは、──どうやら、確かに効果があったらしい。
 そのまましばらく、お兄さまの柔らかい髪を撫でていると、やがて、大分落ち着きを取り戻したらしいお兄さまが、もぞもぞと動いて顔を上げる。その瞳はすっかりいつもの綺麗な水色に戻っていて、ほっと安堵の息を漏らす私とは対照的に、お兄さまは何処かバツが悪そうに咳払いをひとつ零しながら、体制を整えて今後は私の身体をお兄さまの腕の中へと抱き込み、優しく抱き返しながら、「取り乱して、すまない……」と、お兄さまは小さな声で、私への謝罪を唱えるのだった。

「お兄さまは悪くありません! ……私、あんなに言われていたのに、簡単に引っかかったりして……お兄さまに、心配をかけてしまって……」
「……ああ、心配したとも。……宇宙人と地球人との和睦を、私の手で台無しにしてしまうところだったな……」
「おにい、さま……」
「……駄目だな、やはり私の本質は何処まで行っても龍のそれらしい……或いはいつか、お前のことも……」
「そんなことにはなりません、……大丈夫です、私、ドラゴン使いですから! 次があってもまた、ぎゅうってして落ち着けて見せますから!」
「……そうか。しかし、次が起こらないようにお前も善処してくれ。……今のように私が取り乱すとすれば、それは、お前かトレモロの身に何かがあったときくらいのものだろうからな……」
「……はい、気を付けます……ごめんなさい……」
「ああ。……帰ろうか、。……怖くなければ、手を繋いでくれるか?」
「全然怖くないので、繋ぎましょう!」
「はは、それは良かった。……、先程は助かった。お前が居なければ、今頃どうなっていたことか……」
「それは、私も同じです。……ふふ、でもお兄さま、お耳真っ赤ですね」
「な、……それはお前が、あのような真似をするからであってだな……」

 平然を装おうとするお兄さまのお耳は、夕焼け空のせいになんて出来ないくらいに赤くて、咳払いをしながら指先同士を絡めて私の手を引くお兄さまはきっと、兄として、恋人として、私に情けない姿を見せてしまっただとか、そんな風に考えていらっしゃるのだろうなあ。
 ──でも、私はお兄さまがそんな風に私の前で完璧じゃなくなってきてくれたことが嬉しくて、お兄さまのこんな表情も可愛いなあって、そんな風にも思ってしまうの。
 でもきっと、今こんなことを伝えたのなら、「……本当に反省しているのか?」って、流石のお兄さまでも私のことを叱ろうとするかもしれないから、私は物分かりの良い妹で愛しい恋人として彼に可愛がられていたいので、黙って口を閉ざす。
 ──お兄さま、私はね。あなたのどんな表情を見ても怖いなんて思わないし、こんなときにだって、格好良いだとか、可愛いだとか、素敵だとか、そんな風にしか思えないの。
 ……でもね、何度も何度も、心配をかけてしまって、ごめんね。それでも、飽きもせずにお兄さまが絶対に私を助けてくれるからこそ、私はあなたに手を引かれているこの時間にこの上ない安堵を覚えるし、鋭い爪を内包するあなたの大きな手が大好きなのだと、……もしも、今、あなたにそう伝えたのなら、やっぱり叱られてしまうのだろうか。 inserted by FC2 system


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