闘魚の尾ひれが暮れ泥む

※79話時点での執筆。クァイドゥール時空の竜宮兄弟を捏造したif。人型に近い竜種として普段から角や尻尾が生えた状態で生活している設定。夢主も同様。普段の設定とは色々と違う。



 MIK本部の最上階、執務室でデスクに向かうフェイザーは、ふと書類へと落していた視線を持ち上げると執務室のドアの方へと目線を滑らせる。フェイザーの持つ特徴的なアイスグリーンの長い耳は、廊下の先の微かな音も的確に拾いぴくりと動いて、水晶のピアスがそれに合わせて揺れていた。

「──お兄さま! 今戻りました!」
「ご苦労だった、
「こちら、お探しの書類です。ええと、まずこれが……」
「すまないな、重かっただろう? 私が持とう」
「いえ、大丈夫ですよ! 私、身体は丈夫なんです! だって、宇宙ドラゴンの血が流れていますから!」
「……それもそうだな、では、其方のデスクに運んでもらえるか?」
「はい!」

 重たい書類の束を抱えて執務室のドアを開けたは、フェイザーの指示に従いてきぱきと書類を運ぶと、紙の束を広げながらひとつひとつ丁寧に説明していく。
 もフェイザーのそれとは形は違えども彼と同様に、薄水色のギザギザと人魚の尾ひれのような形状をした耳を揺らしており、そんなふたりからは長い竜の尾が生えていた。
 フェイザーとは共に宇宙ドラゴンの血を引いており、実の兄妹ではないものの遠方の親戚同士である。
 少々特異な出生を持つふたりは幼少期からの付き合いも長く、兄のようだとフェイザーを慕うを妹として可愛がっているうちに、成長したふたりには男女の情も芽生え、現在はフェイザーの元で番として共に暮らしているのだった。

 ──しかし、フェイザーは近頃、そんな日々に何処か違和感を抱いてもいる。
 これほどの長い時間を──長命種である彼らは、既に何百年と添い遂げている──と共に過ごしたのだから、がフェイザーやトレモロと同様に丈夫な身体と強い力を持ち合わせていることなど、とうにフェイザーも知っているはずなのに、……何故だかフェイザーには、時折がたまらなく儚い存在であるかのように思えてならなかったのである。
 ……さもすれば、簡単に壊れてしまうのではないか、誰かに壊されてしまうのではないかと、何故だか不自然なまでに不安になるその感情の理由を、記憶の所在を、──フェイザーは、未だ知らない。

「──これで、全部です!」
「ありがとう、助かった。……これでようやく、事態に対処できる」
「ああ……報告があった件ですか?」
「ああ、……なんでも、街中で近頃、妙な違和感を訴えている市民が居るだとか……」
「一体、何のことなんでしょうね? ……あ、お兄さま、お疲れですよね? 一度、休憩にしましょう。紅茶を淹れますね」
「ああ。……ありがとう、

 市民から幾つか挙がっている訴えに対する対処法として、過去に起きた類似の事件の報告書を確認しながらも、フェイザーとはまるで腑に落ちないと言った表情で首を傾げている。
 ふたりにとって今日の日常は、普段と何ら変わり映えがしないものに見えていた。窓の外に見える逆さまに地面に突き刺さったかのようなタワーもちぐはぐな街並みも、マジックハンドを持ってパトロールに回る部下達も、アルパカを連れて散歩をしているらしい知人も、それらすべてはよく見慣れた六葉町そのものではないか。
 はフェイザーの隣から立ち上がると、執務室に備え付けられた小さな給湯室でお湯を沸かしてポットとティーカップを温め、茶葉の準備を整える。その間もは、ゆらゆらと無意識にか尻尾を揺らしており、その後姿を眺めていたフェイザーは、思わずふっと口角が緩むのを感じていた。

「──上機嫌だな」
「え?」
「尻尾、揺れていたぞ」
「あ……ほ、ほんとに? お兄さまと休憩してお話しできるの、嬉しくて……昨日、スコーンを焼いたのも、食べてほしかったし……」
「はは、可愛いな。は……」
「も、もう……お兄さまったら、お仕事中ですよ?」
「……今は、休憩中だろう?」
「……もう……」

 暖かい紅茶とスコーンを乗せたトレーを持って戻ってきた、の額から生えた角を指先で悪戯につい、と撫でたかと思えば、隣に座ったの角に今度は軽い口付けを落としてみせるフェイザーに、は照れた素振りではにかんでいるが、そうしている間にも、フェイザーもの指摘など出来ない程にゆらゆらと上機嫌に尻尾を揺らしており、それに合わせて耳もぴょこぴょこと揺れている。
 はその事実に気付きながらも、フェイザー本人にそれを伝えてしまっては恥ずかしがってやめてしまうかもしれないと思い、は愛おしげな眼で、フェイザーの長い耳が揺れるのを静かに見つめているのだった。

 白い湯気が揺れる紅茶をひとくち含んで、スコーンを齧ると心まで解れるようで、「美味いな」と素直にフェイザーが賛辞を零すと、は余程嬉しかったのか、ぱたぱたと大きく尻尾を振って、じゃれるようにフェイザーにもたれかかってくるものだから、「……こら、」と冗談めかして窘めるふりをしながら、フェイザーは自分の尻尾をのそれに搦めて、落ち着かせる素振りで絡め合う。
 引き寄せて、搦めて、揺らして、尻尾同士をくっ付け合うその行為は、フェイザーとにとってふたりが“同類”であることを実感させる、大切なスキンシップのひとつだった。
 地球人であれ宇宙人であれ他の生き物には、竜の尾などが生えている筈もないから、──お互いにそれが生えていること、そして、触れ合うことを許しあった仲であるという事実は、どうしようもなくふたりに安堵を与えるのだ。

「……ねえ、お兄さま。夕飯は、何にしましょう?」
「そうだな……偶には外食にするか? もその方が楽だろう」
「私は、お兄さまとトレモロくんには私のごはんを食べて欲しいから、平気ですよ? ……お兄さま、なんだか心配性ですね?」
「……そうかな?」
「はい。普段は、もっと……あれ?」
「どうした、?」
「……普段はもっと、心配性だったような……? あれ、どうしてでしょう……?」
「……、疲れているんじゃないか? やはり今日は、外食で……」
「ううん、平気ですよ! ……もしも、お兄さまが外食が良いなら、仕方がないけれど……」
「……そうか、それなら、私とトレモロも今夜は調理を手伝おう」
「わあ、三人でお料理? 楽しそうです! ……だったら、初めてでも作りやすいもので、シチューとか……」

 会話の節々に確かに感じている違和感も、こうしてじゃれあっているうちに触れ合った冷たい鱗の下へと押しやられてしまい、ふたりはまだ、夢から覚めることも出来ない。──この微睡が果たして、優しい夢であったのか残酷な夢であったのか、──いずれはきっと、揺れる水面にすべての真実が映し出されて、この夢は終わりを告げるのだろう。 inserted by FC2 system


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