水槽は蕾の海と化して

※79話時点での執筆。クァイドゥール時空の竜宮兄弟を捏造したif。人型に近い竜種として普段から角や尻尾が生えた状態で生活している設定。夢主も同様。普段の設定とは色々と違う。



 フェイザーお兄さまと私は、元々遠方の親戚同士だった。
 竜宮家──宇宙ドラゴンの血を引く我が血族は、大昔にドラゴンバスターによって過半数が殺されてしまい、私たちの一族だけが数少ない生き残りとして地球に身を潜めて暮らしていた。
 そんな事情を抱えていたから、遠方の親戚と言っても関わる機会は多かったし、現に私がお兄さまと初めて出会ったのは、物心も付かない程幼い頃のことだった。
 私よりも幾つか年上のフェイザーお兄さまは、いずれは竜宮家の当主となるお方で、一族を率いる立場になられる存在だったからか、幼い頃から責任感が非常に強く面倒見もよくて、私にもよく構ってくれたし、私はそうして自然と彼のことを“お兄さま”と呼び、彼を実の兄のように慕うようになっていったのだった。

 ──やがて、私たちが成長する過程で、数少なかった一族は皆居なくなってしまい、私とお兄さま、そしてトレモロくんの三人だけが、宇宙ドラゴンの血を引く末裔として、この水の星に生き残った。
 そうして、親を亡くしてひとりぼっちになった私を心配して、お兄さまは六葉町の本邸で共に暮らさないかと、そう言ってくれた。
 ──あのとき、寄る辺をなくしてしまった私に手を差し伸べてくれたお兄さまに、私がどれほど励まされたことか、あなたの恩情がどれほど嬉しかったことか、あなたにどれほど救われたことか、それらは余りにも窮まりない。
 両親を失った後に、次は自分の番なのかもしれないと恐ろしい想像を巡らせては、ドラゴンバスターをはじめとした宇宙人の魔の手に怯えて枕を濡らす日々を終わらせてくれたお兄さまの傍で暮らすうちに、私はこの先の人生で何としてでもこのひとに尽くしたいと、そう思った。
 ──そうして、彼の秘書官として、MIKの隊員として、お兄さまのお役に立てるならば、私はそれだけでも幸せだったというのに、……幸運にも私は現在、お兄さまの番として彼の傍に居ることをも、他でもないお兄さま自身によって許されているのだった。

 お兄さまは綺麗なアイスグリーンの鱗を持ち合わせていて、人型の姿を取っている際にも、きらきらとオパールの色に輝く長い尾とゆらゆら揺れる長い耳を持っている。平時はそうしてゆらめく耳の先端に水晶のピアスが飾られていて、お兄さまの動きに合わせてふわふわと動くそれを眺めるのが私は大層に好きだったけれど、──今のお兄さまは寝台に寝そべっているから、へにょんと耳が垂れて、ピアスも外されている。
 夜、お風呂に入る前にお兄さまがピアスを外すその仕草を見慣れているのは家族だけの特権で、私の他に、お兄さまのその姿を見たことがある女の子は居ないのだと思うと、……どうしようもなく心が満たされた気持ちになるし、それは朝も同じこと。
 朝、広いベッドの上で私が目を覚ますと今日も、すやすやと規則正しい寝息を立てながら、ふかふかのお布団の中で私を後ろから抱えた格好で丸まっているお兄さまの長い耳が、ふにゅっと私の頬に触れて、長い尾は私の尻尾に巻き付いているのだった。

 ──お兄さま、寝相は決して悪くないけれど、寝ている間に私を手繰り寄せたり尻尾を巻き付けてくる癖があるみたいで、本当はそれがちょっとだけ苦しいけれど、無意識のうちのそんな行動からは、普段は努めてスマートなお兄さまの隠された独占欲を感じるので、こうされるのも実は結構、好きだったりする。
 心配性のお兄さまは、「痛くなかったか……?」と眉を下げてときどき私に訊ねてくるけれど、私は宇宙ドラゴンの血を引いていて身体が丈夫なので、このくらいへっちゃらだ。
 ぎゅうっと抱き込まれて拘束されながらも、お兄さまを起こさないように、布ずれの音をあまり立てないようにと、そろりそろり、お布団の中で向きを変えると、お兄さまの寝顔が良く見えるようになる。
 ……MIKの総帥として皆の先頭に立つお兄さまはいつでも厳格で、平時は凛々しい面持ちをしているけれど、今はあどけない表情でぐっすり眠っていて、……こういう姿を見せてもらえるのが自分であったことを、私はいつまでも幸運だったと思っているし、実妹ではなくとも彼にとって“妹”と呼べる存在に自分が生まれてきたことを、幸福に思っている。
 ……もちろん、番として見初めて貰えたことも、それと同じくらいに、嬉しくて幸せなこと。

 ──柔らかな朝陽がカーテンの隙間から差し込む中、こうしてお兄さまの寝顔を見つめていると、いつまでだって、こうしていたくなってしまうけれど、……そろそろ起き出して、朝ごはんの支度をしなきゃ。
 炊事以外の家事は粗方ホッテンマイヤさんに任せきりだけれど、基本的に食事は私の担当だ。お兄さまはパン派だけれどトレモロくんはご飯派なので、出来る限りは早起きして、朝食は両方用意しておいてあげたい。

「……、何処に行くんだ……?」
「……お兄さま、起こしちゃった?」
「うん……」
「あのね、私は朝ごはんを作ってくるから……お兄さまはまだ寝ててね?」
「……嫌だ」
「? お兄さま……?」
「……も、もう少し寝ているといい……」

 絡み付く尻尾と力強い腕をどうにか解いて、そうっとベッドから抜け出そうとしたところで、──どうやら、迂闊にも私は、お兄さまを起こしてしまったみたい。
 隣から私が居なくなったことに気付いたお兄さまは、ぼんやりとした目を擦りながら、黒くて鋭い爪の生えた手で私の腕を優しく掴んで、むにゃむにゃと半覚醒状態で何やら話していたかと思うと、──ぐい、と長い尾が私の胴体に巻き付いて、「きゃ……!?」と、驚いた私が小さく声を漏らしたのも束の間、──ぽすん、と音を立てて私は再びお兄さまの腕の中へと逆戻りさせられてしまった。

「お兄さま、私、朝ごはん作らなきゃ……」
「……それは、後で良い」
「でも……」
「良いから、……もう少し、傍に居てくれ、……」

 ──お兄さまはいつも、私にとっても優しいけれど、……でも、お兄さまって、ときどき、ずるいと思う。
 普通の人間よりもずっと良く音を拾う耳に向かって、寝起きで掠れた声色で甘く甘く、そんな風に囁かれてしまっては、……私が、何も言えなくなるのをきっと知っていて、お兄さまは態とやっているのだと、そう分かってはいても、自分でも分かるくらいに顔が真っ赤になってしまっている私は、お兄さまに抗うことなんて出来ない。
 ……お兄さま、寝ぼけていても、無意識ながら的確に、いつもいつも、そんなことをしてくるものだから、……どうにかお兄さまを起こさないように抜け出そうと、私だって毎朝、頑張っているのになあ……!

「……おにい、さま……」
……あたたかい、な……」

 ──お腹の周りに巻き付いた尻尾から、包み込むように添えられた腕から、ぽかぽかと伝わるお兄さまの体温に釣られて、……どうにも、私も、うとうと瞼が重くなってきて、また、眠くなってしまう。
 ──本当は私だって、朝に強いわけじゃなくて、それでも、お兄さまのお役に立ちたくて頑張ろうとしているのに、──なのに、お兄さまはずるいなあ。──よしよしと宥めるように大きな手で頭を撫でながら抱きしめられてしまっては、……抗うことなど、出来る筈もないのに。

「──おはよう、

 ──そうして、すっかり睡魔に誘われてしまった私がハッと目を覚ます頃には、また今日もお兄さまは優しげに、けれど少しだけとくいげに意地悪く。──白いシャツの襟もとに黒いネクタイを掛けながら、ぼうっと起き上がる私を見下ろして、笑っている。
 ──確かに、寝顔を眺めて幸せに浸っていたのは、私の方だったのに。……また今日も、いつの間にか逆転してしまっていた立場に気付いた私は、揶揄うような笑い声にようやく脳が覚醒し、慌てて飛び起きるのだった。

「お兄さま、ずるいですよ……!」
「はは、すまなかったな。しかし、が可愛いものだから……」
「早起きして、パンを焼くつもりだったんですよ! 生地は昨日のうちから仕込んでいたのに!」
「……そうだったのか?」
「そうですよ! お兄さまの為に、せっかくパンの焼き方を習って……あれ?」
「……?」
「……パンの作り方、誰に習ったんでしょうか、わたし……」
「……まだ寝ぼけているのか? もう少し寝ていてもいいぞ?」
「いえ、でも……あ!」
「どうした?」
「──お兄さまのネクタイ! 結ぶのは私の仕事ですよ! 取っちゃダメです!」
「ああ、……そうだな、結んでくれるか?」
「はい! 任せてください!」

 ──そうして、どうにか勝ち取った大切なお仕事に、にこにこと頬を緩ませながらも、お兄さまにネクタイを結んであげて、私も身支度を整えてからリビングに向かうと、──結局その日は、私の寝坊を察したトレモロくんがベーカリーでパンを買ってきてくれていて、お店のパンで朝ごはんを済ませることになった。
 炊飯器は昨夜の内から仕掛けてあったので、トレモロくんにはお味噌汁と卵焼きと焼き魚を手早く作って、お兄さまと私の分はサラダと珈琲にして、それからはちみつとヨーグルトを掛けたフルーツを三人分用意して、一家揃っての朝ごはん。
 普段は私がパンを生地から作ることの方が多いから、お店で買ってきたパンを食べるのは何処か新鮮な気持ちがして、バターを落としたトーストをさくり、と頬張るとふわふわのもちもちで、小麦の風味が香ばしくて生地はほんのりと良い塩梅に甘くて──それに、どうしてか、このパンは懐かしい味がするような気がした。

「……トレモロくん、これって何処のパン屋さん?」
「ああ、これはね、……あれ? 可笑しいな、何処の店だったかな……可笑しいな、思い出せない、何故思い出せないんだろう……?」
「……トレモロも、まだ寝ぼけているのか?」
「最近、お仕事忙しいからですかねえ……? トレモロくん、今日は早めに休んでね」
「うん……ありがとう、姉さん。ありがとう」

 食べたことのない筈の知らないお店のパンを、どうしてか“懐かしい”と感じてしまった理由も、何故かこのパン屋さんのカレーパンを食べてみたいと思った理由も、──それらすべては、今日も知らないうちに、朝の微睡の中に消えてしまっていたのだ。 inserted by FC2 system


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