指一本ぶんの束縛をあげる

 その日、は蒼月マナブの属する部隊と共に、六葉町内の巡回に出向いていた。
 本来ならば、私の秘書役である彼女はそのような雑務とは無関係なのだが、部下達のしている仕事と六葉町の市民についてよく見知っておきたいという彼女からの希望があり、数日の間だけ、彼らの業務に同行させる運びとなっていたのだ。
 正直なところ私としては、が私の傍を離れて雑事に出向くことへのつまらなさだとか心配だとか、そう言ったものを少なからずに感じていたものの、それでも、の希望を私の独断で手折ってはならないと、そう心を入れ替えたが故の判断だったのだ。
 ──しかしながら、その見解は非常に甘かったと気付いたのは、……その日の夕方の出来事、だった。

「……が、行方不明になっただと?」
「申し訳ありません! 六葉山の付近を巡回していた際に、姿を見失ってしまい……!」
「きみたちは一体何をしている、何をしていたんだ!? サスマタ部隊が何人も付いていたはずだろう!? 付いていたんじゃないのか!?」
「もちろん、全員傍に居たわ。最後に彼女を見かけた隊員は、ほんの一瞬目を離した隙に姿が見えなくなっていたと証言しているのよ……」
「つまり、姉さんは急に姿を消したと? 急に消えたって言うのかい?」
「はい……まるで、急に様が……」
「……宇宙人にでも攫われたかのようだと、そう言いたいのだろう? 蒼月マナブ」
「……はい。確証は、ありませんが……」

 蒼月マナブはつい最近にサスマタ部隊へと降格されたばかりで、私とトレモロに土下座をしてまでMIKへの残留を望んだ彼が、よもや職務への怠慢を晒すはずもなく、恐らくはしっかりとの身の安全に注意を払っていたはずだ。
 ……何しろ、MIKの隊員であればに傷ひとつ付こうものなら、まず間違いなく私の逆鱗に触れることをよく分かっている筈だからな。
 が同行していた以上、監督責任を任せていた彼が、常に緊張感を持って任務に当たっていたことは、想像に容易い。
 それに、蒼月マナブは蒼月流という武道流派の出身であるとも聞く。彼は地球人にあるまじき身体能力を持ち、任務中、向けられた殺気に気付かないほど愚鈍であるとは考えにくい。……ともなれば、を連れ去ったのは、相当の手練れということになるだろう。
 つまりは、他の部下たちにも気付かれずに、ニャンデスターの目をも掻い潜った何者かによって、巡回中、が攫われた。
 ……状況を鑑みても、正直に報告へと駆け込んできた蒼月マナブの言葉から察するに、そのように考えるべきだろう。

「早急にを救出する、……トレモロ」
「分かっているよ、兄さん。サスマタ部隊総出で六葉町全域を捜索させよう、姉さんを助け出すよ、必ず助け出そう」
「蒼月マナブ、お前たちの部隊は六葉山で痕跡を探すように。私も其方に出向く。……今回の件、処分は追って伝える」
「は、はい! 直ちに出動いたします!」

 ──こうして始まった奪還作戦は、犯人が手練れの宇宙人である可能性も高く、ズウィージョウやユウディアス──UTSの協力も仰ぎ、六葉町を挙げての大規模な騒動に発展した。
 犯人が宇宙人であった場合、MIK総帥の妻を誘拐するという大胆な犯行に及んだ犯人をMIKは今まで見落としていたか、或いは、犯人は私やMIKへの恨みを抱えた人間である可能性が高く、そのように凶悪な宇宙人の対処に関しては、まず間違いなく星間戦争を経験してきた手練れであるベルギャー星人の彼らの捜査協力を得るべきだという判断であった。……ましてや、犯人はを人質に取っているのだから、尚のこと慎重に打って出るべきである。
 元よりズウィージョウは私とビジネスパートナーにも近しい関係であり、とは友人同士でもあるため、彼は積極的に調査に協力してくれた。
 ──更には、直近でクァイドゥールの件もあったばかりだ、もしも、を誘拐したのがクァイドゥールであったのなら、……彼女は今、どんな危機に晒されているか分かったものではなかったし、犯人がクァイドゥールという推測は大いに有り得る話でもあった。何しろ奴は、に並々ならぬ激情を抱えているらしい。
 
 そんな私の焦燥を、近しい情緒を彼女へと向けるが故に、ズウィージョウは感じ取っていたのだろう。
 深刻に事態を推し進める私とズウィージョウに当てられたのか、皆真剣にの捜索に当たり、遺跡調査チームは推理や解析の面からの行方を追い、気付けば奪還作戦には六葉町で見知った面々のほぼ全員が参加していた。
 以前のMIK──否、異星人完全排除を唱えていた頃の私であれば、これほどの規模で、六葉町の皆からの協力を得るのは到底難しかった。
 これはひとえに、かつて対立した私に協力する形であっても、が窮地に在るのであれば助けたいと、そのように思わせる魅力が彼女に備わっているからだ。
 確かに、彼女は皆に愛されている。
 ──だが、それでも。
 私こそが、誰よりもを愛している。
 を攫った犯人──恐らくはクァイドゥールの企てとは、或いはを元の時代に帰してしまうことなのかもしれない。……それは、もしかすれば正しい行為なのかもしれない、──例え、そうなのだとしても。
 ……それでも私は、彼女を手放したくはないのだ。贖罪だ何だといったところで結局は、からの愛を得てしまった今、私は悠久の時をと共に歩く腹積もりで今日を生きており、……私にとって彼女を奪われることは、こうも耐え難いのだった。

「──!」 「──お兄さま! ど、どうしたんですか? こんなところで……」
、無事か!? 怪我はないか……? ……ああ、、ようやく見つけた……本当に良かった……」
「お、お兄さま? ええと……迎えに来てくれたんですか……?」
「当然だろう、お前が何処に行こうと必ず迎えに行く、私が助け出す。……しかし、こんなにも傷だらけで……助けに来るのが遅かったな、すまない……」
「いえ、これはちょっと、転んでしまっただけで……」
「転んだ? ……強く腕を引かれでもしたのか? 見せてみろ、……一体、奴に何をされた?」
「? やつ……?」
「……私には、言いたくないようなことをされたのか? おのれ、クァイドゥールめ……只では済まさんぞ……」
「あの、もしかして六葉山にクァイドゥールが出たのですか? だから部下を連れているの?」
「……? お前がクァイドゥールに攫われたから、私はお前を救出に来たのだが……?」
「わ、私が? 私、ずっとひとりでしたよ……?」
「……何……?」

 ──そうして、数時間にも渡る必死の捜索の末に、遂に私が六葉山の奥深くにてを見つけたとき、夜遅くの暗い獣道でその場に蹲っていた彼女はブラウスや頬に泥を付けて、ストッキングは破れて幾つも穴が空いた酷い有様で、ようやくを見つけたことで感極まった私は、彼女の輪郭をなぞって存在をしっかりと確かめるように強く抱きしめながらも、頬に付いた土埃を払い、の傷や汚れを確認するのだった。
 ……しかしながら、当のはというとまるで緊張感のない表情で小首を傾げており、……平時であれば酷く愛らしく思えるその仕草も、今の私にとっては困惑を増す材料でしかない。

「……でもよかった、お兄さまが来てくれて……流石に道が暗くて、どうやって帰ったらいいか困っていたところだったんです。電話も、重いからと言ってマナブくんが持ってくれていたし……」
「……ともかく、一度山を下りよう。……歩けるか?」
「はい、大丈夫です」
「……いや、やはり私が運ぼう。これ以上何かあっては、心配だからな……」
「だ、大丈夫ですよ? 本当に……あっ、でも」
「? どうした、?」
「これ、持ってもらえませんか? 結構な量になっちゃって、重くて……」
「……これは?」
「むかご、です!」
「……むかご……?」

 そう言ってから、ずい、と手渡されたのは彼女の黒い上着、……に包まれた、薄茶色の大量の木の実の山、だった。
 現在のは隊服の上着を身に付けておらず、ブラウス一枚の寒々しい恰好だったから私は余計に心配して、攫われた際に私と揃いの上着も失くしてきたのだろうと、誘拐犯に対して腸の煮えくり返る想いだったが、……どうやら、上着はの足元に丸めて置かれていたようで、彼女が上着を身に着けられなかったのは、失くしてしまったからではなく、風呂敷代わりにこの木の実を包んでいたから、ということらしかった。
 
 ──むかご、とが言ったそれは、山芋の芽の部分であり、主に山間部にて見られる植物で、……そういえば、以前に家族三人で食事に、──トレモロの為、和食を食べに出かけた際、店でむかごの炊き込みご飯を食べたトレモロが、目を輝かせていたな……、と。
 ──そんなことを思い出したところで、ある推論に私は辿り着いたのだった。……まさかとは思うが、……いや、は本当に私とトレモロのことを大切にしてくれているから、……残念ながら、彼女なら十分に有り得る。

「……、まさかとは思うが……これを採るために山に入ったのか……?」
「はい! 巡回中に、偶然むかごの蔦を見つけて! 前にトレモロくんが美味しいって言ってたから、食べさせてあげたいなって」
「……他の隊員にその旨は?」
「あ……えっと、すぐに戻るつもりで、誰にも……」
「……すぐに戻らなかった理由は?」
「奥に行けば行くほど、たくさん生っていて……せっかくだから、山芋も掘りたくなってしまって……」
「……ああ」
「でも、道具がないから、サスマタを借りようと思って探したら、みんないなくて……逸れちゃったことに、気付いて……」
「それで、途方に暮れていた訳か」

 こくり、と私の言葉に頷いたは肩を落として、「お兄さま、心配かけてしまってごめんなさい……」と、半ば泣きそうな顔で私への謝罪を唱えている。
 冷え込む夜にこうも薄着でずっと外に居た彼女は私の腕の中に居ても尚もずっと肌が冷え切っており、ともかく屋敷に戻って休ませてやりたいし、私も今夜はもうずっとの傍に居てやりたいところだが、──流石に、こうも大事にしてしまった以上、張本人である私が皆に謝罪もせずに家に帰るわけには、行かないだろうな……。
 冷えた肩を抱きながら、に手渡され包みを抱える私は、恐らくは酷く難しい顔をしていたのだろう。……それを見たは、どうやら私が怒っているものと考えたようで、彼女は不安げな表情で私を見上げて、恐る恐ると呟くのだった。
 
「……あの、お兄さま……怒ってる……?」
「怒ってはいないが……早合点をしてしまった」
「早合点……?」
「ああ。……お前が何者かに攫われたものとばかり思い、MIKだけではなく、皆の協力を仰いでしまったのだ」
「え。……あ、あれ、もしかして、さっきから、空に色々飛んでいるのが見えたのって……」
「ズウィージョウとその部下、それにジャージ星人たちも上空から探してくれていたからだろうな……」
「ズウィージョウさんたちまで、探してくれていたんですか!?」
「そうだ。他にも、UTSとムツバ重工、ゴーハ堂に遺跡対策特別班……宇宙人も地球人も、皆の心配をして協力してくれていた」
「……お、お兄さま……どうしよう……」
「……仕方ない、共に謝りに行こうか、
「……はい……本当にごめんなさい、お兄さま……」
「私には謝るな、……お前が無事で、本当に良かった」

 ──山を下りる帰り道、私は取り急ぎトレモロに連絡を入れて、六葉山にてが無事で見つかったから至急、その旨を各位にも伝えるようにと、トレモロに指示を伝えた。
 無論、にもそれらを伝えたし、「今日は疲れているだろうから、皆の謝罪には明日向かおう」と私はそのようにも提案したが、は首を横に振って、すぐに皆へと謝りに行かないと気が済まないとそう言うものだから、……私は追ってトレモロに連絡し、一度MIKへと皆を集めておくようにと、には気付かれないよう、そう指示を出しておいた。
 こうも自分のことは二の次で、皆を気に掛けるが誰かに害されたわけでもなく、独断で部隊からはぐれる可能性など、人柄を知っていればそれだけに、彼女は決してそのような真似をする人間ではないとそう思えるからこそ、私は事件性を真っ先に考えたし、皆もそうだったのだろうが、……は確かに自分のことは二の次だが、私とトレモロのことは何よりも優先しすぎてしまうきらいがあるのは、……全く、少しずつでも直してもらう必要があるのかもしれないな……。
 しかしながら、獣道は足場が悪いからとの手を引いてゆっくりと山を下りる間も、気にするなと言ったのには何度も私に謝って、「トレモロくんに喜んで欲しかったの」「お店ではとろろは出なかったけれど、むかごご飯にとろろをかけて食べたら、きっとおいしいって思って……」「お兄さまとトレモロくんに、食べさせてあげたいと思ってしまって……」──と、なんとも人が良く、愛に溢れた言い訳を唱えるものだから、私はすっかり脱力してしまった。

「……山芋を、手配しなければ」
「! ……あの、たくさんむかごが採れたから、お礼とお詫びに、ズウィージョウさんたちの分も……!」
「……流石に足りないだろう? 四十人はいるぞ?」
「……あ、う……それは、そうかもしれません……」
「……ふ、他の方法で詫びればいいだろう。これは私とトレモロの為に採ったのだろう? 残念だが、彼らには渡せないな」

 皆に申し訳ない気持ちはあると言うのに、詫びなければならないと思っていると言うのに、……それでも、から注がれるこの暖かな真心だけは、彼らには分け与えてやれないとそう思ってしまうのは、……きっと大人げなく、周囲から見れば、反省の色が無いようにも見えてしまうのかもしれない。
 それでも、が集めてきてくれた宝物を胸に抱きしめれば、やはり渡せないなという独善ばかりがこみ上げてくる。……まあ、宇宙人にも地球人にも、例え山の神や先祖の霊が相手だとしても、だけは誰にも渡すまいとそう思うからこそ、今後はこんな真似は控えて欲しいものだが。
 
 翌日、ほかほかと湯気を立てるむかごの炊き込みご飯に出汁で伸ばした自然薯を掛けて家族三人で舌鼓を打っていると、「今度は三人で、栗拾いに行きたいです」と事前に相談してくれたので、トレモロからもこんな真似は二度としないでほしいと釘を刺されたこともあり、流石にも大分懲りたらしい。
 ……しかしながら、やはりそれでも、私たちに心を砕こうとしてくれる、お前のそんな柔らかさこそが愛おしいとそう思ってしまう私も、大概なものだがな。


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