掌が夜を模す

※85話時点での執筆。



 ギャラクシーカップの決勝にて、遊飛くんのデッキにお兄さまが採用していないカードが入っていたことから、クァイドゥールに勝利したと思い込んでいた私たちは、既にクァイドゥールの手の内に身柄を置かれていたこ──という真相に気付いたお兄さまは、クァイドゥール時空へと取り込まれた後に、すぐさま私とトレモロくんにも事の次第を説明してくれた。
 その後、私たちはクァイドゥールへの対抗策を秘密裏に計画しており、同じく違和感に気付いたズウィージョウさんがお兄さまを訪ねてきたこともあって、此処からはいよいよ反撃に転じられるかとさえ思っていた矢先、──此処が、現実空間ではなくクァイドゥール時空であることに気付けるのは四十人までに定められているということ、──そして、選ばれた四十人は、なんとクァイドゥールが操るデッキのカードにされてしまったらしい、という衝撃の真実が発覚したのだった。

 そうして、私たちは四十人が持つそれぞれのデッキから一枚ずつ選ばれたカードへとこの身を変えられて、身体の自由も利かないままカードとしてクァイドゥールに使役されるあの感覚は、──かつて、猫にされてカードの世界を彷徨ったあのときに似ているようで、同時に、それ以上の苦痛さえも伴っていた。
 だってあの頃は、猫の姿になってしまったとは言えども、四肢を自由に動かすことくらいは出来ていたし、何よりもラッシュデュエルにて実際のダメージまで負うようなことも無かったのだ。
 ──そう、そのようなことは、……決して、なかったのに。

「……まさか、トレモロがこのような目に遭って、ようやく本当の意味で、私の罪を実感することになるとはな……」
「お兄さま! ……それは違います、あのときと今回とでは、カードにされる定義もその意味も、前提から違うのに……!」
「……うん、分かっている。……すまないな、。……弱音を吐いて、お前を不安にさせてしまった……」
「……そんなこと、気にしないで……それに、お兄さまはあの頃、クァイドゥールに行動を操られていたんです、……それでも、お兄さまが責任を感じているのは、私だってちゃんと分かっているけれど……」
「……ああ」
「……あまり、ご自分を責めないで……? きっとトレモロくんだって、そんなことは望んでいませんよ……」
「……そうだな、お前の言う通りだ。……すまなかった、……」
 
 クァイドゥールがユウディアスとのラッシュデュエルを行い、この世界の異常に気付いた四十人がクァイドゥールのデッキとして徴集された本日、罠カードとしてデッキに組み込まれていたトレモロくんは、ユウディアスによる攻撃へのカウンターとなり、実際の肉体にまでも大怪我を負わされてしまった。
 ユウディアスにだって、決してそんなつもりはなかったし、彼に非は無いのだ。
 ましてや、トレモロくんやお兄さまも悪くない、──この時空における諸悪の根源は、すべてクァイドゥールだ。
 ……それでも、お兄さまはかつての御自分の所業に深い責任を感じているからこそ、カードにされたトレモロくんが怪我を負った事実に酷く心を痛めていたし、それと同じくらいに、自分のしてきたことへの心苦しさも覚えているのだろうと、そう思う。
 ──自分だって、家族をカードにされて傷付けられたなら、こんなに悲しいのに。
 ──かつての自分は、他者に対する思いやりに欠けるばかりに、皆にそれらを強いてしまった、──と。
 ……恐らくお兄さまが考えているのは、大体そう言ったことだろうと推測できるからこそ、かつてクァイドゥールによってカードにされて、過去の六葉町へと迷い込んだから私だからこそ、お兄さまに言えることがある。──お兄さまのしたことは、トレモロくんがされたこととは、全然違うんですよ、と。……私が私であるからこそ、それは世辞でも慰めでも何でもない真実であると、誰よりも知っているのだ。

「……しかし、。お前も顔色が悪い、……きっと、お前は誰よりも、今日のことが堪えたのだろう……?」
「……そん、な、ことは……」
「お前は猫として過ごした時間も、誰よりも長い。……当時の記憶を思い出したとしても無理はない、……ましてや、相手はクァイドゥールだ……守ってやれなくて、すまなかった、……」
「そんな、お兄さまの、せいじゃ……」
 
 ──だって、私はあの頃の苦痛も、今日の鬼胎も、どちらも知っていて、──後者がより恐ろしい感覚を伴っていたことを、数年分の苦しみよりも、たった一戦のラッシュデュエルの方が遥かに怖かったことにも、ちゃんと気付いていて、──だからこそ、本当は、トレモロくんの看病に付いている今だって、彼の額に乗せられた濡れタオルを変えている手が震えていることにも、これから先はあの頃以上の恐怖に脅かされて過ごすことへの恐れにも、……目敏いお兄さまは、ちゃんと気付いているのだろう。

 今日のクァイドゥールとユウディアスとのラッシュデュエルには、もちろん、私もカードとして召集されていた。
 己のエースカードの一枚、青眼の煌龍として徴集された私やリヴァイアナイトの役割を与えられたお兄さま以外にも、四十人の中には高レベルモンスターとして呼ばれたものが多く、只でさえデッキを回すのが難しいハイランダー構築で、ましてやこうも尖ったデッキ構築だったと言うのに、……クァイドゥールは、ユウディアスに勝ってしまったのだ。──それはもうあっさりと、反撃の余地もなく、ユウディアスは負けてしまった。
 リヴァイアナイト、そして、ズウィージョウさんと遊飛くんと共に融合モンスターとしても召喚されたお兄さまや、罠カードとして発動されて怪我を負ったトレモロくんとは違い、私は今回、早々に手札から墓地に送られたのみだったけれど、──それでも、ラッシュデュエルの最中はどうしようもなく怖かった。
 クァイドゥールは私のことを特別に目の敵にしているらしいことも、既に知っているからこそ、……もしかすれば、私はクァイドゥールから態と攻撃を受けるような使い方をされるかもしれないし、──もしも、彼の手の中でカードとして破かれたのなら、……私はそのまま、彼に殺されてしまうのだろうかと、……命を握られているという実感が伴うにつれて、そのような最悪の想像を重ねてしまうことを、私は、どうしたってやめられなかったのだ。

「……怖かったな、
「……は、い……ほんとはね、とっても怖かったの……お兄さま、わたし……っ」
「言わずとも分かっている。……私の前では、我慢はするな」
「あのね……もしも、あのまま破かれちゃったら、……私、死んじゃうのかなって……お兄さまにもトレモロくんにも、もう会えないのかなって……でも……」
「……ああ」
「それよりも、お兄様やトレモロくんが傷付けられる方が、ずっとこわいよ、お兄さま……」
「……そうだな、私もだ」
「お兄さまも……?」
「ああ。……私は、お前とトレモロを失うことが何よりも恐ろしいのだ……だから、
「……はい、お兄さま」
「トレモロが目を覚ましたら、よく話し合おう。……四十人皆で話し合って、必ず、この暗がりの外に出るぞ、
「……ええ。もちろんです、お兄さま……」

 クァイドゥールのデッキケースという箱庭の中、カードに閉じ込められた私たちは、まるで標本のようだった。
 自分の意志で行動することなど決して許されずに、私たちは只のカードとして、駒として、クァイドゥールの先兵としてのみ扱われる。
 ──そんなのは二度とごめんだったけれど、それでも、解決策を見つけ出さない限りは、私たちは三人とも、またすぐにクァイドゥールの玩具として呼び出されることとなるのだろう。──彼の玩具になる、その為だけに、だ。
 
 お兄さまが以前、無意識のうちに竜の姿になっては屋敷で倒れていた頃、私とトレモロくんとでお兄さまの看病をしたことがあった。
 それから、私が熱中症で倒れてしまったときにも、お兄さまとトレモロくんが私の看病をしてくれたなあ。
 ──そんな風に、既に懐かしくも思えるそれらの日々で、いつもトレモロくんは私とお兄さまの力になろうとしてくれて、心を砕いてくれていた。
 ……だから、今度は私とお兄さまの番だね、トレモロくん。
 トレモロくんはいつも元気で、滅多に風邪だって引かない子だし、お屋敷にはホッテンマイヤさんだって居るから、私やお兄さまが彼の看病に当たるのはそもそも珍しいことで、けれど現在、クァイドゥール時空に閉じ込められたトレモロくんには、私とお兄さましか居ないのだ。

「──お粥ね、お兄さまが作ってくれたら、きっとトレモロくんは喜ぶから」
「しかし……私に、のように上手く出来るだろうか……?」
「こういうのは、気持ちが一番大事なんですよ、お兄さま?」
「……そうだな、確かにそうかもしれない」

 だからこそ、ふたりでしっかりと看病をしてあげよう、早く元気になってもらおうと、そんな風に話しながらふたりでキッチンに立ち、お醤油をぽちりと落して梅干しを添えた卵粥を拵えている間も、お兄さまは慣れない調理に苦戦している様子だったけれど、きっと目を覚ましたトレモロくんは、ほかほかと湯気を立てるお粥をお兄さまが作ったと知ったなら、ぱあっと目を輝かせて喜ぶことだろう、元気になってくれることだろう。
 私はそんな風に、これからもずっと、お兄さまとトレモロくんと私とで、三人で、仲良く暮らしていきたい。ふたりといっしょに何気ない日々をずっとずっと、噛み締めていたいと思い願うからこそ、……どんなに怖くとも、私たちは此処で挫けるわけにはいかなかった。──勝算の見込みがないと言うその事実は、されど決して立ち止まる理由にはならないのだ。


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