花で継ぐ約束

※87話時点での執筆。



 一向にクァイドゥール時空の真実を理解出来ずにいるユウディアスの深層心理下には、どうやら、かなり強固なロックが掛かっていたらしい。
 懐深いユウディアスは、皆の説明に理解した旨の返事を返してはいるものの、本当の意味では現状を理解できておらず、故にクァイドゥールのデッキには四十枚目という一つの穴が空いたままになっているからこそ、トランザム・プライム・アーマーノヴァ──クァイドゥールのエースカードが滑り込めたのだと、そのような推測が出来る。
 ──とはいえ、ユウディアスの他の誰かがクァイドゥール時空の真実に気付く様子も無いので、やはり既に定員自体には到達しているはずで、彼以外に四十人目は居ないらしいのだ。
 ……つまり、現状で最もクァイドゥール時空の真実に近く、されど核心には至れずにいる彼が──クァイドゥールとの因縁も浅からぬユウディアスが、もしもそのロックを突破して、クァイドゥールの虚を突くことが出来たのなら、──それこそが、反撃の一手に繋がる筈だと、ズウィージョウさんはそう考えたらしい。
 
 クァイドゥール時空の異変に気付いた私たちは、まるで網膜にネガのフィルムを焼き付けられたかのような、色褪せた世界を見つめては気が可笑しくなりそうな日々を過ごしていたけれど、ユウディアスをはじめとした異常事態に気付かない皆には、きっと今でも色鮮やかな世界が見えているのだろうと、そう思う。
 ──それはきっと、アンジュちゃんたちも同じなのだ。
 真実に気付いた私たちの独断で、今日も当たり障りのない日々を過ごしている彼らから色彩を奪うことと、このまま彼らや私たちの未来を潰されるのを容認することと、……今現在の問題として考えれば、前者のほうが、より残酷なのかもしれないけれど。
 ──それでも、このまま見過ごしてしまう訳には行かない。
 どうにかしてこの時空から逃れなければ、──私たちは、クァイドゥールの掌の上で命を弄ばれ続けることになるのだ。

「──ううむ……演技というものは、なかなか難しいのだな……」
「演技が出来ないのもお兄さまのいいところ、だと思いますよ?」
「そうかな……?」

 ──そうして、どうにか“ユウディアスわからせ作戦”が成功したことにより、ユウディアスが現状を正しく理解してくれたので、次の一手を話し合う前に一旦各自で休憩を取ることになったものの、──作戦の会場として皆で集まっていた公園にて、皆の輪から少し離れた場所にレジャーシートを敷いて私の隣に腰を下ろし、難しい顔をしているお兄さまは、私が水筒に作ってきた紅茶を飲みながらも、先程の演劇で使った台本をぼんやりと眺めている。
 “ユウディアスわからせ作戦”の一環で、現況におけるクァイドゥールの脅威についてをユウディアスに理解させるため、女優で演技の心得もあるマニャちゃんの提案で、私たちはクァイドゥールを題材にした演劇を行った。
 その際に、クァイドゥール役を演じたのは、まさかのお兄さまで、──ある意味では、ラスボス役という大抜擢のキャスティングだったのかもしれないけれど、……その、残念なことに、お兄さまの演技に対する皆の評判は散々で……、特にマニャちゃんからは酷くダメ出しを受けてしまったお兄さまは、日頃、基本的になんだってそつなくこなせてしまう天才肌だからこそ、……どうにもその評価に納得がいかないのか、終演後もこうしてぱらぱらと台本を捲っているのだった。

 ──私から見たお兄さまの演技の腕前はなんというか、個性的……というか、嘘が吐けない、まっすぐな人柄がよく出ているというか……実直で素敵で、可愛らしいというか……私も少し驚いた反面、なんだか、普段とのギャップと、至って真剣なお兄さまの表情とで妙にときめいてしまい、……今もこうして、お兄さまに向かって偉そうなコメントをしているものの、私の方だってお兄さまと大差はなく、演技はめちゃくちゃで、マニャちゃんからもしっかりとお叱りを受けてしまった。
 ……けれど、お兄さまの方は「フェイザーの演技が下手すぎるせいで、が演技に集中できていない」とまで言われてしまっていたから、お兄さまにとっては、どちらかというとその指摘の方が堪えたのだと思う。
 家族思いのお兄さまは、どんな事態で在れども、自分が家族の負担になることなど、到底望むはずもないからだ。
 ──現に今だって、お兄さまは早々にクァイドゥールの衣裳からは着替えて普段の服装に戻っている。……落とし方が分からなかったのか、フェイスペイントはそのままになっているけれど。
 芝居を終えて休憩に入った今も、ズウィージョウさんは未だに甲冑を身に着けたままだし、私も衣裳のままなので、どうしてお兄さまは慌てて着替えただろうのかと疑問に思って本人に聞いたら、なんと彼は、「クァイドゥールの格好のままでは、が私を怖がったり不安に思ったりするだろう……それは嫌だからな……」なんて言い分を、大真面目に言って退けるのだもの。
 
 ……そのときの周囲の反応と言ったら、お兄さまの演技を見たときよりも余程冷ややかだったし、私はその返答に思わず真っ赤になってしまって、……お陰で、金髪のウィッグを外して、いつもよりもくるくるぴょこぴょこと跳ねたりへたったりと忙しいお兄さまの乱れた髪型さえも、やけに格好良くて愛おしく見えてしまうのだから、本当にたまったものではなかった。
 ──私としては、本当は、そのシンボルがクァイドゥールに由来したものであると言う事実よりも、普段は黒い服をお召しになることの多いお兄さまが、見慣れない白い衣裳を身に纏っていることだとか、前髪を落ろしていることだとか、金色の髪に白い服で恭しくお辞儀をする様が、王子様みたいで様になっていることだとか……それらの方が余程、刺激的だったのだけれど、……お兄さまって本当に心配性だから、「白い服ならば幾らでも着てやるから、ともかくあの服は駄目だ」と言って譲ってはくれなかったのが、少し残念に思えるほどで。
 ──さすがに、この状況下でそんな風に不謹慎なことを何度も言う気にはなれなかったから、私も引き下がったけれど。
 ──でも、王子様みたい、という私からの賞賛は満更でもなかったようで、……お兄さまったら、幾らか得意げな顔をしているんだもの、……やっぱりそういうところは、可愛かったなあ……。
 クァイドゥール時空では通常よりも彩度が落とされている都合上、すぐに着替えてしまったことを差し置いても、いつもと違うお兄さまをしっかりと堪能することは叶わなかったから、元の世界に戻れた際には、絶対に白い服を着ているところを見せてもらおうと、私はこっそと決意したのだった。

「私も、台本は読み込んで望んだつもりだったが、……まさか、ズウィージョウ以下とまで言われるとは……」
「ズウィージョウさんも特別に上手くはなかったかもしれませんが……いつも通りではありましたね」
「……私は、いつも通りですらなかったのか?」
「ええと……あの、お兄さまは子供の頃、トレモロくんとごっこ遊びとかはしなかったの? ヒーローごっことか……」
「ごっこ遊びか……した覚えはあるな」
「あ、それはあるんですね……」
「? ああ。トレモロからの評判も良かったから、演技には自信があったのだが……トレモロも成長して、もうずっと、そのような遊びもしていないからな……下手になったのかもしれぬな……」

 ──それはきっと、御無沙汰だから演技が上手に出来なかったわけじゃなくて、当時のトレモロくんが気を使って、お兄さまを誉めそやしてくれていただけなのだと思うの……。
 ──と、そのような事情は私にもすぐに察せたけれど、とは言えトレモロくんの気遣いを台無しにするほど不作法ではないし、困った顔でピクニック用のコップを傾けるお兄さまを見ていると、このひとのこんな風に真面目で常に全力で、けれどちょっぴり抜けているところが、可愛くって大好きなのだよなあ……と、そんな風にも改めて噛み締めてしまうし、きっとトレモロくんも同じ気持ちなのだろうなあと、……彼とは考え方が似ているからか、同じ相手を慕っているからなのか、なんとなくそれが分かるのだ。
 だからこそ、私が今すべきことは、正論でお兄さまの演技力を正すことよりも、話題をなんとなく逸らしてしまうことの方だとそう思うのだけれど、──お兄さまは常に何事にも全力だからこそ、どうにも腑に落ちない気持ちを拭いきれずにいるのだろう、なあ……。
 
「……しかし、そうなってくると、自らの弱点として受け入れるべきか……潜入任務などは、私は当たらない方が良いかもしれぬな……」
「お兄さまが自ら潜入すること、あるんですか?」
「可能性は高くはないが……他にも、支障の出る面はあるかもしれぬな……」
「でも、お兄さまって交渉は上手ですよ? 話術も、とっても巧みだと思うし……」
「……そう言われてみると、確かに今まで、そうも困った場面はなかったな……」
「そうでしょう? お兄さまは確かに、嘘が吐けないのかもしれないけれど……その分、必ず有言実行するひとだから、凄みや説得力は十分にあると思いますよ?」
「……は、本当にそう思うか?」
「思います! ……それに、お兄さまがお芝居下手なの、私はちょっと嬉しいな……」
「? 嬉しいとは……?」
「だって、……今までお兄さまが私に言ってくれたこと、全部本気だったってことですよね? いえ、決して疑っていた訳じゃないんですよ? でも……あれもこれも、ぜーんぶ、お兄さまの本意だったんだと思うと……愛されてるんだなあって、嬉しいです……」
「…………」

 私の返答にお兄さまはふっと柔らかく笑って、「無論、お前に嘘などは言わないよ」……と、そう言って、優しく私の肩を抱き寄せ、そっと髪を撫でてくれる。
 ──以前の私は、お兄さまの言葉を何処まで信じていいのか、彼に傾けられた激情は何処までが本当なのかがずっと分からなくて、ひとりで悩んで、苦しんで、泣いてばかりいた頃だって、確かにあったから、……今、こうして、……ああ、あなたが私にくれたものは、ぜんぶがぜんぶ、ほんとうのきもちでしかなくって、……きっと私は、宇宙で一番あなたに愛されているし、あなたを愛していていいんだなあとそう思える、たったそれだけのことを、……こんなにも、愛おしく感じられるから。
 確かに、MIKの総帥という立場を持つことを考えれば、嘘のひとつやふたつはさらっと放ててしまえた方が都合も良いのかもしれないと、お兄さまの気持ちだってちゃんと理解出来るけれど、……そういうのは、私とトレモロくんで補えるならそれでもいいとそう思うし、常に本気──脅迫が決してブラフにならないところも、お兄さまの強みなのだと思う。
 それになにより、……やっぱり私は、お兄さまにはずっとずーっと、今のままで居て、ほしいなあ。
 私にとって無条件で信じてもいいひと、他の誰よりも正しいひとはフェイザーさんだけなのだと、……そう思って居られたなら、それだけで私は幸福なのだと、そう胸を張って言えるもの。

「──でも、いいなあ……私、ごっこ遊びってしたことないんです」
「……その、嫌な質問になるかもしれないが……養父とは、そういった遊びはしなかったのか……?」
「なかったですねえ、いつも遊んでもらうのも、デュエルばっかりだったし……」
「……そうか……それは、つらかったな……」
「気にしたことはありませんでしたが……でも、おままごととか、一回くらいしてみたかったかも! ……もしも、その頃からお兄さまとトレモロくんと過ごしていたら、おままごと、してくれましたか?」
「もちろんだとも。私は何の役をすればいい?」
「それはやっぱり、旦那さんですよ! 私、お兄さまのお嫁さんの役が良いです!」
「……役も何も、今のは私の妻だろう?」
「それはそうなんですけどね……? それはそれ、これはこれ! ですから!」

 ──もしもね、私が本当にその頃からあなたの傍で過ごしていたのなら、……私が本当に、あなたと血を分けた妹だったのなら、きっと私は、あなたにその役を求めたのだろうとそう思うの。
 フェイザーさんが実の兄だとしても、私はあなたを好きになる気持ちを抑えることは出来なかったのだろうなと、あなたに恋をしたのだろうと、そう思うの。
 ──だからきっと、そんな思い出が存在していないことは、ある意味では幸せなことでもあるのでしょうと、そんな風にだって思うけれど、──そうは言っても、願ってしまうのは、やめられない。
 ごっこ遊びの誓いの言葉でさえもきっと、あなたの言葉なら全部真実なのだと思えばこそ、私にとってそれは、現実世界に戻るため希望にさえもなるのだ。


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