あなたとならパンとたまねぎ

※93話時点での執筆。



 ザイオンによりトレモロくんが炬燵にされてしまっていた間、お兄さまはトレモロくんを元気付ける為に竜宮邸へと和室を増築したりと、炬燵を囲んだ一家団欒の機会を取れるよう、何かと家族の為に気を配ってくれていた。
 その一環で、我が家ではここ暫くの間、炬燵を囲んで三人でお鍋をするのがちょっとしたブームになっていて、基本的にそれはお兄さまのリクエストで毎回行われていたものの、トレモロくんが元に戻ったことでこの習慣も落ち着くかな? と思いきや、──どうしてか、お鍋ブームは未だに竜宮家へと残っているのだった。

「お兄さま、今夜は晩御飯、何が食べたいですか?」
「そうだな……鍋はどうだ?」
「またお鍋……? 一昨日もお鍋をしたばっかりですよ? 先週だって、三回もお鍋だったし……」
「鍋料理、は嫌か? ……もしや、手間になっているのか?」
「手間ではないですよ? 下準備だけして、あとは調理も全部、炬燵の上ですし……楽ではあるんですけど……ちょっと、毎回手抜きみたいなのはいやだなあ、って……」
「そうかな……? 偏に鍋と言えども、前回はキムチ鍋だったがその前は胡麻豆乳鍋で、その前は白菜と豚肉の……」
「ミルフィーユ鍋?」
「そう、それだ。お前は毎回、色々とバリエーションを考えてくれているだろう? 十分に凝っているし、手抜きとは感じないが……そうも気になるものか?」
「だって、お兄さまにもトレモロくんにも、美味しいものを食べて欲しいから……」
「お前の作る料理は毎回美味しいとも。もちろん、鍋もそうだ。私だけではなく、トレモロも鍋料理が気に入っているようだしな」

 MIK六葉支部──デスクに向かって書類仕事をしているお兄さまに向かって、今夜の夕飯のリクエストを聞いてみると、お兄さまは少し考えてからお鍋が良いと答えてくれたけれど、やっぱり私としては、出汁を取り食材を切って下ごしらえをするだけの鍋料理は、どうにも手抜きをしてしまっているようで、頻繁に食卓に並べるのは、あまり好ましく思えなかった。
 もちろん、お兄さまが私ばかりに家事の負担を掛けるのを避けたいと考えていることも分かっているし、実際、私は専ら料理が担当で、他の家事は私たちがMIKの方へと出向いている間に、ホッテンマイヤさんが片付けてくれていることが多い。
 私が他の家事を担当するのは、ホッテンマイヤさんがお休みだったり、偶々私が先に気付いて片付けたときくらいのことだ。それにしたって、熟練の家政婦であるホッテンマイヤさんよりも先に私の気が回ることは、決して多いわけでもないし。
 竜宮家の家政婦として雇われているのはホッテンマイヤさんで、私は決して彼女と同じ立場にあるわけではなかったし、お兄さまは私を家政婦扱いしたくないのだということも、私にだってよく分かっている。
 寧ろ、家事の類はすべてホッテンマイヤさんに委ねることで、私には一切負担を掛けないで済むようにしたい、と言うのがお兄さまの本意でもあるのだろうに、私が料理好きで凝り性だからこそ、大切な家族には私の作ったものを食べて欲しい、というその意向をお兄さまやホッテンマイヤさんに汲んでもらっているのは、寧ろ私の方なのだった。
 それに、──私も、以前、お兄さまとの関係が円滑に行っていなかった頃は確かに、彼の傍に居てもいい理由が欲しくて、私も少しはお兄さまのお役に立つということを彼に示そうと考えて、それを理由に食事の支度を頑張ったり、お弁当を作ってみては尻込みをして渡せなかったり、……なんてことも、かつてはあったけれど。
 現在ではそんなことも一切なくて、──私は秘書として、妹として、妻として、自分がちゃんとお兄さまを支えられているのだとよく分かっているし、何か彼に対する負い目があるわけでもなく、料理をその言い訳にしているわけでもない。

「──あのね、お兄さま……好きなひとに……大切なひとに、私の作ったご飯を食べてもらえて、美味しいって言ってもらえることが、私はとっても嬉しくて……」
「……ああ。だからこそ、お前が手の込んだ料理をいつも作ってくれていることは、私とて分かっているとも」
「うん……だからね、どうしても、気になっちゃうの……」
「そうか……しかしな、。私は、手が込んでいるか否かではなく、鍋料理だとお前と共に居られる時間が多いところも好きなのだ」
「……私と? いっしょに?」
「ああ。……情けない話だが、私は家事全般が不得手だ……両親が居なくなった後も、使用人に任せていたからな。今でも料理はお前に任せきりで、トレモロのように調理を手伝ってやることも儘ならない」
「そんな、お兄さまは出来上がりを待っていてくださればいいんですよ、そんなことは気になさらなくても……」
「しかしだな、……料理中、とトレモロが楽しげに話しているのが聞こえてくると、少し羨ましくもあるのだ……」
「……羨ましい? 私が? それとも、トレモロくんが?」
「どちらもだ。……故に、炬燵を囲んでの鍋料理ならば、三人で食事の支度が出来るというのが私は好きでな……具材を入れるくらいなら、私でも出来るだろう?」
「ふ、……ふふ、お兄さまったら、そんなことを考えていたの?」
「そんなに可笑しいか……? それに、冬場は台所も冷えるだろう。が身体を冷やすのは良くないからな……」

 うんうん、と納得したように顎に手を添えて頷くお兄さまは、どうやら真剣にそんなことを考えてくれていたらしい。
 ──そんな風に言われてしまっては、……ああ、やっぱり私はこのひとのこんな風に家族想いで優しいところだとか、ちょっぴりほんわかしたところだとか、そういうところ、だいすきなんだなあ、とそんな風に噛み締めてしまって、……すっかり言い返すような気も、起きなくなってしまうのだった。
 ……お兄さまがトレモロくんの為を思って、炬燵を囲んでのひとときを楽しく過ごせる鍋料理を好んでいることや、下準備が少ないと私の負担が減ると考えているのだろうということだって分かっていたけれど、支度の段階──私と離れて過ごすほんの少しの時間や、冬場のキッチンは寒いから私のことが心配だとか、そんな理由も込められているとは流石に思わなかった、なあ。
 我が家のキッチンは、心配性なお兄さまによって既に床暖房に改装されているから、料理中は特別に寒いなんてことも無かったけれど、それでも、家族想いの彼にとっては気にかかるところであったらしい。
 そんな風に言われてしまうと、なんだか私も次第にお兄さまに感化されてきてしまったのか、……冬の間は、もう少しお鍋が続いても良いのかも? なんて思いはじめていたけれど、……それとは別に、私にはもうひとつだけ、気がかりなことがあるのだった。

「お兄さまのご意向は分かりました、でも……」
「どうした? 
「……トレモロくん、もう元に戻れたでしょう? だから、その……炬燵でごはんというのは、嫌なことを想い出してしまったりしないのかなあ、って……」
「ああ……その件ならば、私もトレモロに確認した」
「トレモロくんは、なんて言ってました?」
「どうやら、それでトラウマが刺激されるということはないらしい。気を遣っているのかとも思ったが……今では自分が炬燵に入れるようになったからか、その喜びの方が勝るようだ。元に戻ってから、炬燵の購入を希望したのもトレモロだからな」
「……ふふ、それはちょっと、トレモロくんにしか分からない感覚ですね……?」
「ああ。……故に、トレモロの言葉を深追いするのも、我々の邪推にしかならないだろう」
「そっか、……それなら、トレモロくんが嫌じゃないなら、今日もお鍋にしましょうか?」
「そうだな。トレモロも三人で支度が出来るのは楽しいようだし……、締めが雑炊になることが多いからか、それもあって鍋料理は好きなようだ」
「あ! 確かに、最後に雑炊するよって言うと、嬉しそうにしてましたもんね、ふふ、可愛いなあ……」
「……ああ、そうだな、……」

 我が家はお兄さまが洋食派で、トレモロくんは和食派なので、なるべく均等に献立を決めたり、パンとご飯の好きな方を選べるようにしたりと、日頃から工夫を凝らしてはいたものの、鍋料理というものは、やはりどうしても和食に偏りがちになる。
 トマト鍋にして締めをリゾットにしたり、胡麻豆乳鍋の締めをスープパスタにしてみたりだとか、色々と試行錯誤も試みてはいたけれど、やっぱり締めは雑炊になりがちで。
 私にとってはそれも少し気がかりな要素だったけれど、──なるほど、そう言われてみると、鍋料理へのトレモロくんの評判がいい理由には確かに納得できる。
 それに、お兄さまもその点をあまり気にしてはいないみたいだし、……寧ろ家族団欒の時間をゆっくりと過ごせて、その上で弟が嬉しそうにご飯を頬張っているのが見られるから、きっとお兄さまにとっては其方の喜びの方が勝っているのだろう。
 只でさえトレモロくんは、最近まで大変な目に遭い続けていたのだし、彼が穏やかにしていることはお兄さまにとって、本当に嬉しいことなのだろうと、私もトレモロくんのお姉ちゃんとして彼のことが大好きだから、よく分かる。
 雑炊を頬張っていたトレモロくんの様子を思い出して、つい頬が緩んでしまう私を見つめるお兄さまは、デスクに頬杖を付きながらゆっくりと目を細めて、この上なく穏やかに微笑む。……そんな風にじいっと見つめられると照れ臭いけれど幸せで、私も益々頬が緩んでしまうのだ。
 ──そんな理由を聞かされて、こうして熱く見つめられた後では、確かに。……お兄さまにそれほどの安らぎを与えているのが家族団欒で鍋を囲むあの時間だと言うのならば、……それなら、今夜はお鍋が良いかなあ、なんて。すっかり私もその気になってしまっていた。

「──では、お兄さま、今夜は海鮮の寄せ鍋なんてどうでしょう?」
「ああ、良いな……私もトレモロも、魚は好きだ」
「ふふ、知ってます! 海老とか、ホタテとかも入れましょう! それで、締めにね……」
「雑炊にするのか?」
「正解です! 魚介の出汁が出て、美味しいですよ!」
「……そうか、それはトレモロも喜ぶな」
「ええ、きっと!」
「私も楽しみだ。……では、帰りに買い物を済ませていくか」
「はい! ……あと、炬燵で三人で食べるなら、お鍋以外にもホットプレート料理とかもいいかもしれませんねえ」
「ホットプレートというと……焼肉だとか、そういったものか?」
「そうですね、あとはパンケーキとか餃子とかお好み焼きとか……あ、チーズタッカルビとかも出来ますよ!」
「チーズ、タッ……? 何だ……?」
「あれ、この時代には無い料理なんでしたっけ……? あのね、鶏肉をコチュジャンベースのタレで和えてね、野菜はさつまいもとかキャベツとか、それで蒸し焼きにしたら真ん中に溝を作って、其処にチーズを……」
「ほう……それは、聞いているだけで旨そうだ。トレモロも間違いなく好きだろうな」
「ですよね! ホットプレート、あんまり使っていなかったからこれからは活用していきましょう!」
「……ああ、そうだな。どれも楽しみだ」

 ──今夜こそは、どうにかお兄さまにお鍋は撤回してもらって、ちゃんと手の込んだ料理を作ろう。
 それで、私がキッチンに立っている間、お兄さまとトレモロくんにはゆっくりしていて貰おう、ふたりで過ごす時間を大切にして貰おう、──なんて、つい先ほどまで私がそんな風に考えていたことをお兄さまに伝えたら、きっと困った顔で、窘められてしまうのだろうな。
 けれど、ひとりであれこれと思い悩んでいたそれらのことも、何度冬が訪れたところで、私が思い悩む機会はもう無くなるのだろう。
 気付けばすっかりその気にさせられてしまっていた私は、終業後、三人で買い物に行く時間が今から楽しみで仕方なくなっていて、幾らかの憂いなどは既に何処かへと消え失せてしまっていた。
 ──少し前までは、トレモロくんと三人でお買い物に行くことさえも、色々と下準備が必要で、補助役としてお兄さまの部下たちに着いてきてもらう必要だってあったから。そう思うと尚のこと、こんな風に何気ない時間が大切に思えるのだ。
 ……もちろん、今は自分たちの幸福ばかりに浸っていられるような時でもなかったけれど。──自分達のこの日常を得難く思うからこそ、六葉町の皆が今日も明日も明後日も、大切なひとと食卓を囲んで笑い合える日々がずうっと続いて欲しいと、──その晩、幸福な食卓で三人、お鍋を囲んで笑い合いながら、私はそう思ったのだった。


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