月は硝子より小さな粒子

※102話時点での執筆。


 王道遊我が元の時代へと帰還し──長らく騒動続きだった六葉町も幾らか落ち着いて、最近では皆がそれぞれに新たな日常を送っている。
 あの戦いの最中、偶然にも開かれた未来に帰る為の経路だったが──はこの時代へと残ることを選び、王道遊我の供をすることは、無かった。
 目下、渦中の人物であるオーティス──ラッシュデュエル創造に携わったその者は、未来におけるの養父でもあったそうだが、──幼い頃に元の時代を離れたが、オーティスの庇護下で過ごした時間などはほんの一瞬で、彼女は養父についての殆どを既に記憶には留めていない。
 故に、UTSとベルギャー人たちが中心となった先の騒動で、は彼らに助力を──オーティスの正体に纏わる証言をしてやれなかったことを、気に病んでいるらしかった。
 ──そんなものは何も彼女の責任ではなく、寧ろは、オーティスによって銀河の渦へと巻き込まれた側なのだろうに。
 もしも、──もしも本当に、王道遊我こそが未来のオーティスであるのならば、──或いは、は。──近い未来、己が過去に渡る事実を知っていたオーティスによって配置された、……彼の協力者、だったのかもしれないが、それも今となっては知る由もないこと、だった。

「──、シューバッハから伝言だ、今日も完売したそうだぞ」
「わ! 良かったです! ……あの、ユウディアスたちには?」
「ああ、……無事に届けたと言っていた。……ユウディアスは、今回もカレーパンを選んでいた、と……」
「そうですか……ふふ、私のカレーパン、ズウィージョウさん直伝ですからね! ……ユウディアス、懐かしいと思ってくれていたら、良いなあ……」
「……思っているさ、きっと……」
「……はい……」

 ベルギャー人たちが再び姿を消した近頃の六葉町は、騒動続きだったこの数年間がまるで嘘のように静かで、我々MIKも以前のように宇宙人を取り締まったり、六葉町の自治に務める必要性が薄まったことにより、近頃ではシューバッハとの業務提携の上で配送業にも力を入れている。
 そして、は、──近頃、MIK本部に増設された厨房でパンを焼いて、私の秘書業の傍らでの小規模ながらも、パンの販売を行っており、彼女の焼いた品は主にシューバッハによる移動販売、宅配便で売り買いが成されているのだった。
 定期的な届け先の中には、──宇宙の彼方で、王道遊歩を探して旅を続けるユウディアス達──宇宙船・バリベルギャーも含まれており、支援物資として此方から配送しているパンを選ぶ際にユウディアスはいつも、慣れ親しんだカレーパンを選ぶのだと言う。
 ──の作ったカレーパンを頬張る度に、「まるで、ズウィージョウの作ったものにそっくりだ」と、……そう、嬉しそうに、哀しそうにして、ユウディアスは笑っていると、……シューバッハからはそのように聞き及んでいる。
 
 ベルギャー人たちの寿命が尽きるというその命題を、結局、私たちの中の誰一人として、解決してやることは出来なかった。
 死者蘇生のカードでは彼らを蘇らせることも叶わずに、──しかし、唯一ユウディアスだけが延命に成功し、そうして彼は現在、同胞が誰一人いなくなったこの宇宙で、地球人の為に旅を続けている。
 現在のユウディアスが晒されている絶望など、我々には計り知れないが、──それでも、居なくなってしまった彼らとの交友関係もまた、我々は皆が少なからず持っていたからこそ、それぞれにユウディアス達の身を案じており、──そして、は、──きっと、この六葉町に住まう地球人の中では最もズウィージョウに近しい存在だったのだろうと、──彼が去った後でそう想う私は、些か卑怯なのだろうか。
 
 以前からは三年前のあの頃に、ズウィージョウからパンの焼き方を習っていたのだとそう話していたが、──料理上手で勤勉な彼女の作るそれは、確かにズウィージョウの作ったものにそっくりで、一連の騒動の後、厨房に籠って何かしていると思っていたらカレーパンを手に出てきた彼女に味見を頼まれて、私が躊躇がちに思ったままを伝えると、無事に再現できたことを大いに喜んだ後では「……良かった、これでユウディアスに少しだけ、何かしてあげられます」と、──そう、はにかみながら涙ぐんでいたあの日のの横顔を、私はどうしても忘れられずに居る。
 当初、本人としては、時々シューバッハに頼んでユウディアスの元にカレーパンを届けられたのならばそれで満足だと、そう考えていたらしいのだが、──ボイルド・ベーグル・レクイエムがかつて店を構えていた空き地の前を通る度に寂しそうな顔をする彼女を見かねて、私がへと本格的な開業を勧めたのだった。
 の作るパンならば、十分に商品として売り出せるレベルだから、店を持ってみてはどうだろうか、──と。
 私の提案には大層驚いてから、滅相も無いとそう言っていたが、──しかし、人気店であったボイルド・ベーグル・レクイエムが無くなったことを悲しむ市民が多いこともまた、彼女は知っていた。
 故に、しばらく考え込んだ後で彼女は、MIKの建物の中での小規模経営で、という条件付きで、まだ店名も無い小さなパン屋の経営を始めたのだった。
 本格的に店を持つ気になったならば、私は助力を惜しむつもりは無いから、相談すると良い、と。──彼女には、既に私の意向を伝えてはあるのだが、……現状のは、ユウディアス、そして幾らかのボイルド・ベーグル・レクイエム閉店を惜しむ市民にのみ、彼女の作るパンが行き渡ればそれでいいと、そのように考えているらしい。

「──、何度も言うようだが、お前が責任を感じるようなことは、何も……」
「……分かっています、後悔もしてないんですよ? でも……」
「……ああ」
「ユウディアスのことを考えると……私、もう少しくらい、何かできなかったのかな、って……」

 オーティスと言う人物と義親子だったことに加えて、──は、ズウィージョウが消えるよりも少し前に、彼自身から事情を打ち明けられていたのだと、そう話していた。
 ……つまり、種としての寿命をこのまま閉じることを自ら望んだズウィージョウとの約束を反故にして、ロボットの解析に勤しんでいた私たちに彼の考えを密告していたのならば、──ズウィージョウからラッシュデュエルを取り上げて、彼を強引に生き永らえさせることも、には可能だったのかもしれないということである。
 だが、それは彼の権利を侵す行為だと考えて、──耐え難くとも、はズウィージョウの意志を汲む選択を取り、──そうして、彼らは寿命を終えて消え去った。
 こうして、日常らしきものが戻ってきた現在でも、……不意にそれらの責務は、を苛むのだろう。
 ──そんなもの、彼女の責任などではないということは誰の目にも分かり切っていたが、それでも、──きっと誰よりもが、己の無力を感じているのだ。

「──、お前にとってズウィージョウは、良き友人だったか?」
「……はい。お兄さまは? お兄さまも、ズウィージョウさんとはお友達だったでしょう?」
「私? ……私は友人と言うよりは、ビジネスパートナー、とでも言ったところか……?」
「でも、お兄さまとズウィージョウさんって似てるもの、気が合うことだって多かったでしょう? お仕事以外でも、よくお話していましたし……それって、お友達とは違うんですか?」
「……私が? ズウィージョウと似ている……? そうかな……?」
「似てますよ? ……だって、私が最初に“店長さん”に親しみやすさを覚えたのは、彼がお兄さまに似ているからだもの」
「……ああ、そうか……。それならば、確かに……」
「……ええ」
「……私も、ズウィージョウの友人だったのかも知れぬな……」
「……きっと、そうですよ」
「……そうだな」

 ──ズウィージョウは、最後にと会った際に、彼女に向かって「フェイザーと幸せに」と、──そのような言葉を掛けたのだと、彼が消えた後で、は涙ながらにそう話していた。
 その言葉の意味するところが、只の友人としての情だったのか否かについてを、ズウィージョウ本人から聞き出すことが叶わない以上は、私には真の意味で其処に籠められていた理由を理解することも叶わないのだろうが、──しかし、もしも本当に私たちが似ているのだとすれば、……きっと、その感情の形も似ていたのだろうと、今になって私は思うのだ。
 ……全く、以前の私であればその可能性に気付いた瞬間、ズウィージョウを警戒していたのかもしれないが、……今となっては、咎める訳にも行かないな。……狡い男だ、結果として彼がに確かな傷を遺して往った事実だけは、最早揺るぎようがないと言うのに。


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