眠れるように星は丸いの

「私も、お兄さまみたいにピアスを開けようかな……?」

 ──その日、がそのようなことを言い始めたのは本当に唐突で、前々から開けてみたいなどと言う話を彼女から聞いていた訳でもなかったし、脈絡のないその言葉に、──正直なところ、私はかなり動揺していた。
 もちろん、ピアスホールを開けるのは何もそう痛みが伴うようなことではないのだと、経験則から私にはそれがよく分かっていたものの、……分かってはいたものの、我ながら過保護が過ぎると言う自覚があったとしても、──どうしても、の言葉に快く賛同してやることが私には出来なかったのだ。

「……あまり勧められないな、の身体に穴を開けるなどと……」
「でも、お兄さまは開けてますよね?」
「確かに、私はそうだが……」
「私も開けたら、お揃いでピアスを付けられるようになるんですよ?」
「……は、イヤリングでも良いんじゃないか?」
「……そうかもしれないけれど、そういうことじゃないのに……」

 ならば、どういうことなのかと説明する気もないらしいは、──なんだか、今日は妙に頑なで、私の部屋でソファに並んで腰かけながらも、私の返答がお気に召さなかったのか、少し頬を膨らませている。
 ……これは、私に何かアクセサリーを買って欲しかったのだと、そういった意味、だったのだろうか?
 ──しかしながら、私がそうして首を傾げている間にも、の関心は他に移ってしまったようで、彼女は徐にファッション雑誌を広げたかと思いきや、お目当てのページを指して私の前へと雑誌を開くのだった。

「ね、お兄さま、このスカート可愛いと思いませんか?」
「うん……? が着るのか?」
「……似合わないかな?」
「そうだな……少し、スカートの丈が短いように思うが……」
「……短いと、何か駄目なの?」
「心配になるだろう? お前が他人から、良からぬ目で見られはしないかと……」
「……だから、そういうことじゃなくて……じゃあ、こっちのパンプスは?」
「……踵が高すぎるのでは? これでは危ないだろう」
「でも、お兄さまは背が高いし……隣を歩くには、このくらいはヒールがあったほうが、見劣りしないでしょう?」
「そんなことを気にせずとも……転んだらどうするんだ? お勧めできないな」
「…………」
「……?」
「……もー! お兄さまのわからずや! もう、良いです! トレモロくんかアンジュちゃんたちに相談しますから!」

 ──そう言って、部屋を飛び出していってしまったを私も慌てて追いかけるものの、そのままトレモロの元へと向かうのかと思いきやは「今日はひとりで寝ます!」と、そう言って自室へと籠り、私はと言えばの部屋の前で締め出されてしまった。
 普段からは、いつも私の部屋の寝台にて私と共寝をしているため、よもや先程の私は、……今日はいっしょに寝たくないと言われるほどに、そこまでを怒らせるようなことを、彼女に言ってしまったのだろうか……?
 鍵のかかった部屋の前で、私がそのまま呆然と立ち尽くしていると、「──あれ、兄さん? 姉さんの部屋の前でどうしたんだい? 兄さん」──と、そう言いながらちょうどトレモロが自分の部屋から出てきて、不思議そうな顔で私を見つめてくるので、……まあ、兄としての情けなさらしきものは、正直に言えば幾らかあったが、……とはいえども、そうも言っていられない状況だったこともあり、私は素直にトレモロへと相談を持ち掛けたのだった。

「──と、そういう訳なんだが……一体、は何を怒っているのだろうか……?」
「……兄さん、それは……」
「? なんだ? トレモロ」
「姉さんはさ、兄さんに可愛いと思ってほしいんだよ、兄さん……兄さんに可愛いと思われたいのさ……」
「何……?」
「そう思うよ、状況からすればどう考えても、そうだと思うよ?」
「……そう、なのか……?」
「そう、そうさ。ピアスもヒールの高い靴も、短いスカートも……姉さんはそれが欲しかったわけじゃなくて、兄さんが好きかどうか気になったから、兄さんに聞いたんだろう? 聞いたんだと思うよ? 姉さんは、兄さんの好みになりたい、兄さんからもっと好きになって貰いたいのさ……」

 トレモロは大人びている子で、秘書たちを従えている関係もあり、恐らくは私よりも女性の心の機微にも目敏いのだろうと、そう思う。
 ──であれば、これは恐らくトレモロの見解が正しい筈だ。
 ……確かには、元々私に対して物を強請ったりする子ではないとは言えども、先程の会話では特に「これが欲しい」と言うような言葉を彼女は一度も唱えておらずに、「これはどうだろう」といった風な言い回しで、私に問いかけてばかりだった。
 ──だと言うのに私は、の真意を汲んでやることも出来ずに、足を出し過ぎだの危ないだの身体に傷を付けるのは良くないだのと、──それは当然、如何に温厚なでも面白くはなかったはずだ。
 それでは、まるで、……のことを妹として大切にするばかりに、女性として恋人としては幾らか軽んじていると、そう思われてもおかしくはない。──これは、どう考えたとて、すぐにでもへと謝りに戻るべきだろう。

「──トレモロ、助かった。やはり、に謝ってこようと思う……大丈夫だろうか?」
「大丈夫、大丈夫さ、兄さん。……姉さんは、兄さんのことが大好きなんだから。兄さんの気持ちを素直に伝えるべきだよ、伝えるのが良いんじゃないかな」
「うむ……そうしてみよう」

 ──流石にの部屋の前で話し込むわけにも行かずに、トレモロを連れてリビングへと移動していたのだったが、トレモロが相談に乗ってくれたことで私はトレモロと別れて再びの部屋の前まで引き返し、「──、私だ」と、ドアを叩き声を掛けて見るものの、……やはり、部屋の中からは特に返事が無かった。
 ……もしや、もう寝てしまったのだろうか? とそう思いつつも、「……、まだ起きているようなら此処を開けてくれないか、謝らせてくれ」と、──もう一度声を掛けてみたところ、部屋の中から小さく物音が聞こえたかと思えば、──やがて、かちゃり、と鍵の開く音と同時に、部屋の内側へと向かって扉が開かれる。

「…………」
「……お兄さま、……あの、わたし、……子供みたいな、我儘を言ったりして……ごめんなさい……」
「何故お前が謝るんだ……? 謝らなければならないのは、私の方だろう……」
「で、でも……お兄さまは何も悪くないのに……私、ひとりで躍起になって……」
「いや、私が悪かった、……部屋に入っても構わないか?」
「……はい……」

 ──日頃から、彼女の寝室として使われてはいないものの、それでも、の部屋は掃除が行き届いており清潔で、紅茶を淹れに行こうと席を立つを引き留めソファに座らせてから私も隣に腰を下ろし、──そうして、トレモロに言われた言葉を反芻して考えた提案を、私はに向かって唱えるのだった。

、先程の話だが……」
「……はい」
「私は、膝丈くらいのワンピースが良いと思うな……心配だからと言う訳ではなく、淑やかな方が私は好きだし、に似合うと思う」
「! ……ほんとう?」
「ああ。だが、そうも都合のいいものが売っているとは限らないからな……私の反物から仕立てたいと思うが、どうだろうか?」
「え、……わ、私、何もそこまでして貰おうと思った訳じゃ……!」
「分かっている、私の好みが知りたかったのだろう? ……トレモロから、そのように叱られてしまったからな」
「……そう、そうなの……只、お兄さまの好みになりたくて……」
「……私が好ましく思った女性は、後にも先にもお前だけだよ、

 ──本当に、私にはお前だけだから。私の好みも何も、“それがに似合っているのならば、それが何よりも好みだ”という理屈に尽きるのだが、──しかし、そんな言葉ではきっとは納得できないのだろうな。……お前は案外、見かけによらず強かな子だから。
 案の定、はどうせならばと、“もっと”を強請るつもりでいるようで、「お前の好みに合わせたい」という用意していた提案のひとつは、……この分では、唱えたところで大した意味もなさそうだった。

「お兄さまの鱗で……何色の反物を織るの?」
「そうだな、に似合う色は……」
「……私に似合う色じゃなくて、お兄さまが私に着せたい色はないの……?」
「……引かないか?」
「引いたりしませんよ……?」
「……私の鱗そのままの色が、良いな……それだと、まるで、お前が……」
「……お兄さまの所有物みたいに、見える?」
「……ああ。酷い独占欲だろう? ……これ以上、私の好みにならない方が身の為かもしれないぞ?」

 私の鱗で織った反物を纏って欲しいなどと、それだけで酷い執心もあったものだろうに、──本当の私はそれ以上を望んでいるのだとそう告げても、はまるで気に留めていない様子で、……それどころか、何処か嬉しそうに頬を緩めて、隣に座る私の方へと頭を預け小さく微笑むのだった。
 ──それは、本当ならば、怖くなって逃げ出しても何ら可笑しくないような執念で、……実際に私はかつて、に嫌われても仕方が無いようなことを彼女に強いてしまった。
 如何に洗脳されていたという事情があったとて、それでもあれらの凶行は、紛れもなく私がに情を砕いていたからこそ独断に至ってしまっただけのことなのだと、──そのような事実は彼女とて理解していて、二度同じことが繰り返されぬ保証もないと言うのに、……それでもは、私にならば幾らでも好かれたいのだと、……おまえが、そう言って私へと笑いかけるものだから。

「ペールグリーンのワンピースに似合う靴とイヤリング……それも、お兄さまが選んでくれる?」
「……イヤリングで良いのか?」
「良いの。……でも、お兄さまが私にピアスを開けてくれる気になったなら、そのときは教えてね?」
「……残念だが、そんな日は来ないと思うぞ……?」
「ふふ、お兄さまったら心配性なんだから……」
「……靴も、やはり踵の低いもので……いや、しかし、が履きたいのなら……転ばないように、私が腕を貸そうか……?」
「それが良いです! ……ふふ、ヒールの高いパンプスなら、お兄さまと腕が組みやすくなるものね!」
「……少しでも足が痛くなったら、すぐに言うんだぞ?」
「はあい、……あのね、ワンピースなら、こういうのが可愛いなって思ってね……」
「どれ……ああ、確かにこれならば、にもよく似合いそうだな……」
 
 ──そうして、再び雑誌を広げてと共に覗き込む時間は、先程とは打って変わって穏やかで、「にはこれが似合いそうだ」「お兄さまはこういうのが好きなの?」「こっちも良いな、きっとが着たら可愛いと思うぞ」と、思わず話し込んでいるうちに、何時の間にやらすっかりと遅い時間になってしまった。
 そろそろ寝支度をしなければならないという空気の中、私が、「──やはり今夜は、ひとりで寝るか?」と恐る恐るに訊ねてみるとは少し寂しそうな顔をして、「お兄さまが嫌じゃないのなら、いっしょに寝たいな……」──などと、私がの頼みを嫌だと突っぱねることなどある筈もないと言うのに、それでもそんなことを言うこの子は、一体、どれだけ愛したのならば、私がこうも恋い慕うのはお前だけなのだと自覚してくれるのだろうかと、私としてはそうも思ってしまのだが、──それでも、私たちには時間ならば幾らでもあるから、きっといつかは分かってくれるはずだ。
 ……まあ、私としては謙虚すぎるこの子に、少しは私を見習って図々しくなって欲しいものだが、──それでも、今のが一番可愛いと思ってしまう私は、きっと、百年後とてどうしようもなく彼女に甘いのだろう。


close
inserted by FC2 system