愛と正義の反対の反対

※60話時点での執筆。トレモロ視点。カード化に関する個人的な見解があります。


「──トレモロ、お前に紹介したい相手が居る」

 兄さんからそのように打ち明けられたあの日よりもずっと前から、“”という女の子のことは僕も知っていた。
 何でも、兄さんが見つけたお気に入りのかわいこちゃんなのだというものだから、僕は、兄さんも人並みに女の子に興味があったんだな、と少し驚いて、けれど、それをとても嬉しく思ったのをよく覚えている。
 だって、MIKの総帥として忙しい日々を送る兄さんの心を癒す存在が居てくれるというのなら、それは僕にとってもこの上なく嬉しい事実で、願ってもないことだ。──それに、兄さんには“秘密”のこともある。もしも、その“”という女の子が、今後は兄さんの恋人として傍に居てくれるようになるのなら、──その女の子は、或いは、僕と共に兄さんの秘密を守ってくれる、心強い味方になるかもしれないのだからね。
 僕は兄さんを心から敬愛しているけれど、彼女の存在もまた歓迎していた事実の理由付けとして、これほど説得力の伴うものもないと思うよ、我ながらね。

「──つまり、兄さんはこう言っているんだね? “さん”のことを、家族として迎え入れると、そう言うんだね? 兄さん」
「……ああ。彼女は未だ家族を失った悲しみから立ち直れていない、それに年齢のこともある。急に婚姻というのも時期尚早だろう」
「なるほど、なるほどね。……家族として、十分に愛して、彼女が兄さんから離れられなくなってから……ということだね? 兄さん」
「……人聞きの悪い。私は合理的に判断を下しているだけだろう? トレモロ」
「……ああ、そうだね、兄さん。正しいさ、兄さんは正しいよ、絶対にね」

 兄さんにとっての“”は、僕にとってのかわいこちゃんたちも同然の存在だ。──そう、つまり、兄さんが彼女を見つけ出したのは奇跡であり運命。出会うべくして出会った、兄さんの妻になるべきひと。──それこそが、“”だった。

 兄さんが、彼女を手元に置く為に、“”が今まで暮らしていた偽りの家族──害悪たる異星人と切り離すべく、ほんの少しだけ“強硬手段”を取ったことだって、無論、僕は知っていたけれど、何としてでも彼女を手に入れたいと僕に話してくれた兄さんに対して、僕が提案した行為よりも余程、兄さんが下した決断の方が優しかったことだろう。
 ──僕はさ、提案したんだ、僕はね、兄さんにこう言った。──「その女の子を手に入れたいのなら、手っ取り早くカードにしちゃえばいいんじゃない?」って。僕が今までそうしてきたのと同じように、欲しいなら自由を奪って、手の内に捕らえてしまえばいいんだとそう言ったけれど、兄さんはどうやら、“”と対話が望めなくなるのは嫌なようだった。

 だからこそ兄さんは、僕の出過ぎた進言を却下して、彼女のことをヒトの形のままで手に入れるため、彼女を封じ込める代わりに、兄さんの“障害になるもの”を全てカードに封じ込めてしまったわけなのだけれど、……まあ、“姉さん”は今でもそんな真相は知らないし、この先だって絶対に知ることはない。
 彼女が“竜宮”として、僕の“姉さん”になったその日から、僕は。兄さんが大切に思う姉さんのことを、何に代えても守ろうと決めたのだ。彼女は僕にも親切で、優しくて、穏やかな陽だまりのようなあのひとの微笑みはいつも深海まで届いて、彼女の傍に居ると不思議と寒くなかった。きっと兄さんも、姉さんのそんなところに惹かれたのだと思う。
 だから僕は、姉さんを護るよ。兄さんと共に、姉さんを絶対に守る。そして、僕はこれからも、兄さんのことだって必ず護る。……これからは、姉さんといっしょにね。

 姉さんは、とても綺麗なひとだ。それはまあ、兄さんが目を奪われたほどの相手なんだからね、僕も兄さんの弟だし、姉さんと初めて出会った日には思わず高揚したし、──欲しい、と。思わず彼女に対して、喉奥を仄暗い欲望が駆け上がったことを、否定はしないさ。……でもね、兄さんは僕がそんな風にかわいこちゃんのことが大好きなことを知っていて、その上で僕を信頼して、彼女のことを僕と兄さんが住まう屋敷に招き入れたんだよ。……僕が彼女に危害を加えることは決してないと信じて、兄さんは僕を姉さんと引き合わせたんだ。
 ──その事実に、僕が如何ほど兄さんからの信頼を感じたことか! ……僕がどれだけ、兄さんと姉さんの世界への介入を許されたその其実に歓喜していたことか、凡人には決して分からないことだろうね。
 僕は何も、誰に理解されなくとも良いんだ。兄さんさえ僕を理解してくれているのなら、MIKの隊員として、弟として、兄さんの為に尽くせたのなら、僕はそれだけでよかった。……けれど、竜宮家に姉さん──兄さんの愛するひとが増えたあの日に、僕が想うよりもずっと兄さんは、僕を信じてくれているのだとそう思えたし、兄さんの為に奔走する僕のその行為を、姉さんはいつでも肯定して、賞賛してくれたから。

「──私は、お兄さまのために何も出来ないから……トレモロくんはすごいし、かっこいいし、私、尊敬してるの」

 ──ああ、違うよ、違うよ姉さん。姉さんが兄さんの為になるようなことを何も出来ていないだなんて、そんなことは絶対に在り得ない。
 だって、姉さんがそこに居てくれるだけで、兄さんは目的に邁進し忙しい日々の中でも、幾許かの安らぎを忘れずに過ごせているんだ。それって、他の誰にも出来ないことだよ。僕だって、どんなに頑張っても兄さんにそんなことはしてあげられないんだ。
 ──それに、それは、僕も同じなんだよ、姉さん。僕たち兄弟にとって、姉さんは絶対に必要な存在なんだ。どんな手を使ってでも、僕はあなたを守らなければならない、──例え、あなたに不自由を強いることになったとしても。僕たちは、あなたを守るのだ、絶対に。

 中央エリア・MIKの本部で、或いは、竜宮家の屋敷で、はたまた、MIK──ムツバ・イイ町・協同組合の最上階にて。……姉さんの自由を奪って半ば彼女を拘束、軟禁している僕たちは、傍目から見れば悪なのだろうね。姉さんの退路を奪って、僕達だけのあなたにしてしまおうという僕と兄さんは、きっと共犯関係なのだろう。
 ──僕は本当に、その事実が嬉しいよ、兄さん。だって、共犯者というそれ以上に強固な関係など、この世にあるのだろうか? 身体に流れる血を分けた間柄である兄弟と言うそれに迫るほどの価値が、……地面に流した血と秘密を共有するこの間柄には、きっと伴っていると、僕はそう思うんだよ、兄さん。
 ──だからこそ、それはあなたにも同じことが言えたんだ、姉さん。……僕は未だ、兄さんの秘密を姉さんに打ち明けてはいなかったけれど、……きっと姉さんなら、兄さんのすべてを受け入れてくれるはずだと、そう信じているから。僕と共に兄さんを護ってくれる存在が居るのならば、それは竜宮を置いて他に居ないと、──あなたを紹介された日に願っていた、その想いの答えこそを僕にくれたのは、他でもないあなただったんだ、姉さん。

 ──あの晩。いつものように苦しみながら倒れていた兄さんを自室へと運んで休ませようとしていた、あのとき。
 血相を変えて駆け寄りながら、泣きそうな顔で、兄さんの表情を覗き込んだ、あのときには、既に。……姉さんは兄さんから、ふたりの婚儀について聞かされていたんだよね? そんな最中で、きっと困惑だってあったのだろうに姉さんは、兄さんに寄り添って、寝ずの看病で付き添って、兄さんの汗を拭い、水枕を用意し、室温に気を配って、着替えをクローゼットから出してきて、水差しの用意をして、……ずっとずっと、隣に座って兄さんのことを見つめていてくれた。
 ……あの日の姉さんの献身が、愛ではないというのなら、一体他の何だと言うのだろう? ……そうだよ、姉さんは兄さんを愛しているんだ、それはつまり、すべてが滞りなく進んでいると言うことじゃないか。
 ただ、急に婚姻の話を持ち出されたから、姉さんは少しだけ動揺していただけで、姉さんだって本当は兄さんのものになりたいに決まっているのだ。事実、あの夜を境に姉さんも自分の気持ちに気付いたのか、兄さんが触れたところで拒まなくなったようだったし、……ああ、よかった。すべては計画通りに事が運んでいると、あの夜にそう思えたのだ、僕は。

 こうして、僕と兄さんの共犯は、確かに此処に実を結んだのだ。兄さんのために、姉さんを僕の義姉として迎え入れる計画は、やはり正しかったし、成功した。……だから、これからは。本格的に姉さんに協力してもらって、僕と姉さんとで兄さんの秘密を必ず守り抜こうと、そう思っていたんだよ。……すべてを打ち明けたなら、姉さんを驚かせてしまうだろうかと言う杞憂も、確かにあったけれど、海原のように広い心を持つ彼女ならば、きっと兄さんのすべてを受け入れてくれるに違いない。……それと、そのときには、出来ることならば。……或いは、僕の隠し事さえも、あなたに受け入れてもらえたのなら、……僕はきっと、心の底から満たされた気持ちになれるのだろうなと、そんな風に僕は夢を抱いていた。

「……なんて、僕が二人の元に戻れないんじゃ、意味はないよね、兄さん、姉さん……」

 ──兄さんの秘密を守り抜くため、MIKの規律違反を犯した僕は、地下宇宙人居住区へと踏み入った。──そして、愚かにもユウディアス・ベルギャーとのラッシュデュエルに敗れた僕は、されど、確かに自分の使命を遂行して、そうしてMIKに捕縛されることとなったのだった。
 兄さんは、例え違反を犯したのが身内であったとしても、組織としての規律を遵守するだろうということは分かり切っていたし、僕だけに恩赦を与えるなんてこと、兄さんなら絶対にしないとそう思っていた。僕が兄さんを尊敬する理由のひとつには、厳格なその性格が含まれているからね。だから、この処遇にも不満はないけれど、……確かに、杞憂なら幾らでもあるさ。

 ──懲罰房にて、格子の向こう側を眺めながら、僕は思案する。
 ……色々と、小難しい理屈を並べ立てたりもするけれどさ、結局のところ、僕は兄さんと姉さんといっしょにいられたなら、きっとそれだけでよかったんだ。六葉町に構えた竜宮家の屋敷に戻って、兄さんと姉さんと仲良く暮らしていられたこの日々は、僕にとってこの上なく幸福なものだったんだよ。だから僕は、この日常を護るためならば、……何だって出来た、修羅にだってなれた。

 ──姉さん、僕はあなたと出会ったあの日、今日からこのひとと姉弟になるのだと、兄さんに下されたその決定事項を前にしても、まるで疑問も困惑も抱かなかったんだ、ひとつもね。
 あなたは美しくて可愛らしく可憐で、女性として非常に魅力的だなあと、そう思ったけれど。……けれど、あなたのことは兄さんが先に見つけたからね。だから僕は、どうと言うことはないんだ。
 僕は、只、──僕に対して、姉として接してくれる彼女が好きだった。兄さんの隣にいるときが一番、あなたはかわいらしかった。彼女が居てくれると兄さんは幸せだし、兄さんとの関係を受け入れ始めてから、彼女はますます可愛くなったようにも思う。……兄さんが大切にしている彼女が、僕と同じくらいに、兄さんのことを大切にしてくれたら良いなあと、僕はそう願い続けて、現にあなたは僕の願いにに応えてくれた。
 だから、僕は三人で過ごせる今を守りたかったんだ。……お願いだよ、姉さん。僕はあなたこそが、共に兄さんを守ってくれるひとだと、そう信じているから。僕と姉さんだって、とっくに共犯者だったんだから。……どうか、僕の居ぬ間は。兄さんのことをよろしくね、姉さん。──ああ、それにしても。……あなたと兄さんが居ないこの水槽の中は、酷く、寒いな。 inserted by FC2 system


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