天国における不純物

 地球方では異常、そして、グラディスの目から見ても、連中の中では異質に見えたという地球人、は、そうはいっても俺と比べれば余程“真っ当”な人間であった。真人間ではないが、かと言って俺のように、この世の破滅や魔神の駆逐を望んでいる訳でもなく、自分のことだけを考えているわけでもない。寧ろ、自分のことだけを蔑ろにし続けた結果が、恐らくはあの様なのであり、その本質はいまだに変わらず、あれは何かに尽くすことしか出来んらしい。そして、今ではその奉仕の対象が俺となり、されど、その奉仕こそは本人の意志である、とは言い切り、俺も、その言葉を疑う必要もなかろうと判断したまでのこと。それだけの、結局は利害の一致による共犯であった。

『信じるかどうかは、あなたが決めて、レボルト。……でも、私は絶対にあなたを裏切らない。……二度も誰かを裏切れるほど、私、よく出来ていないから』

 ……だと、言うのに、だ。あの日、地球から戻った俺に、あいつはそう言って。あろうことか俺は、そしてあいつは、利害関係という枠組みから既に外れてしまっていると、最早、互いに理解していた。そして、その事実は、俺の心をこの上なく晴らしてしまっているのである。いつだって怒りと憎しみに支配されるばかりであったこの雲模様を、の言葉だけが時折、吹き飛ばさんとするのだ。
 それは、……あっては、ならぬことだった。

「レボルトよ、……に、元同胞、シャークボーンの適合者を……幼馴染の友を殺せ、と。そう、迫ったそうではないか?」
「……だったら、どうだと?」
「……流石に、酷なのではないか? 覚悟を確認するためとは言え……誰も、そんなことは望まないだろう。仮にも、共に育った間柄なのだろうに……」
「……そんなもの、どうでもいいことだろう? 現には受け入れている。文句があるならば、俺に直接唱えていることだろう。それとも、ソキウス。がお前に言ったのか? 俺に進言しろと?」
「……いや、は何も言っていない。これは、俺がを案じているだけの話だ」
「……なるほど。ま、一考はしてやろう」
「……頼むぞ、レボルトよ。俺ならば、そのような真似は、とても……もそれは、同じはずだからな……」

 ……誰かに、何かに、情を抱いたことなど、俺には一度もない。幼馴染であるソキウスのことですら、善良なあいつには俺を理解できないと分かっているから、とうの昔に諦めてしまった。まあ、この計画に少なからず加担したあいつには、最後くらいは、静かに退場させてやってもいい、真相など何も知らぬままに終わらせてやってもいい、と。その程度の“何か”は、あるかもしれないが。どうにも、この宇宙ではそんな幾許かの微かなものを、情とは呼ばぬようだからな。……だから、本当に。これが、初めてだった。終わらせてしまうには、消してしまうには、幾らか惜しい、と。そう、思ってしまったのは、だけだった。俺はきっと、他人に期待してしまっている自分を、手放し難く思いはじめてしまった自身を、他でもない当人、……の手によって、否定させようとしたのだろう。もしも、が。俺が命じた通りに、地球のボーンファイター共を殺すことなど、出来なかったのなら。やはり無理だと、泣いて縋ったのならば。結局はその程度のことだと、この執着さえも、無かったことに出来てしまっただろうから。……そうして、この執着がこれ以上拗れないようにするために、を連れ立った先の地球で、あいつにとっての“幾許か”だったのであろう、シャークボーンの適合者を見たときに俺が抱いたのは、どうしようもない憎しみだった。真っ当な貴様が、真っ当には成り得ない俺が唯一得んとしようとしているそれを、欲するなどと、そんなものが許されるはずはない。……許されていいはずがないのだ、もしも、それが許されてしまっては、この世の終わりに俺が得た、たったひとつでさえも、結局は偽りに過ぎぬと、それだけの話になってしまう。……だが、まあ。その通りなのだとすれば、俺は。諦めも付くのかもしれん、やはり帰る場所は他にある、俺の地獄では死ねぬとお前が決めたのなら、所詮それまでのこと。……放り投げ、捨て置けば済むだけの、話だったというのに。

『……聞こえていたでしょう? 私、地球を見限ったの、これからはレボルトに着いていく』
『……まさか、そんな……奴に脅されているのか? 何かあったなら、話してくれれば、きっと解決の道が……!』
『……脅されてる? 違う、これは私の意志だよ、ルーク。魔神の意志でも研究所の命令でもない……私は私の意志で、地球を見限って! レボルトを護ると決めた! あの日だって、私の意志でネポスに残ったのよ、私は……そもそも、私はレボルトに会いたくて、ネポスに出向いたに過ぎなかった。私はずっと……あなたと同じ道なんて歩いてない!』
『そんな、馬鹿な……、私と話を……!』
『……今更、何を話すの。私達、一度だって話し合ったことなんてあった……?』
『…………?』
『……さよなら、ルーク。あなたのことは、私、……嫌いじゃなかった、好き、だったと思う……でも、それでも……私はもう、戻らない! レボルトの夢のためなら……あなたであろうと、斬る!』

 ……嗚呼、だというのに、何故お前は。そうも俺を、喜ばせる。何処まで俺に、期待させるというのだ。これ以上期待して、欲して、望んで、繋ぎ止めて、それで、何になる。どうせ最後には全てが消えてしまうのだ、俺の創る新世界にお前の居場所など無い。終焉の結びが成れば、当事者である俺とケルベロス以外の全ては、消えて無くなるのだ。唯一の希望であったその夢を、今更手放すことなど出来るはずもなく、ケルベロスとの盟約を違えることなど許されない。それは、俺の全てだ。それだけが、俺の全てだった。それなのに、俺は、今。……どうにか、あいつだけは生かして残すことは出来まいかと、そう、考え始めてしまっている。
 悩んだ頃もあったし、吹っ切れてからも自分なりに現実と、世界と向き合う努力くらいはしてきたさ。他の奴らと同じ程には、他人にも世界にも執着できない。それでも、なんとも思ってなかった訳じゃない。何も感じていなかった訳じゃない。だが俺にとっての精一杯は、他人にとっての無関心なのだと気付いたからこそ、この世界は生きづらかった。俺にとっての情けは世界にとっての無慈悲で、希望は絶望、夢は悪夢、何処まで行っても俺がこの世界と噛み合うことはなく、ならば俺が王道に成る為に、宇宙ごと壊して作り直してしまえと胸に秘め、只の一度も理解されず、只の一度も共有できず、そうして三十何年、生きてきてしまった。俺が世界を理解できぬように、世界にも俺を理解できんのだと諦めて、世界を、見限ることでしか、俺は生きられなかった。只植物のように、静かに生きて死んでゆくなど、……到底、俺には無理だったのだ。大概のものは嫌いだったが、嫌いではないものも確かに存在していたさ、愛着のある相手も、物も、数えられる程度は持っていたさ。……それでも、釣り合わんのだ。俺が向ける想いと、他人のそれが釣り合うことは決して無く、そうであるならば、それらも全て俺とは別の生き物だ。奴らにとって俺が人間以下であるように、俺にとっても奴らは俺以下の知性で、俺以上にこの世界に適合した人だった。……そうして、この世界を諦めたまま大人になってしまったのだ、俺は。ならばきっとこの先、俺にとって同じ生き物は現れることがないのだろうと、そう思っていた。心の内に秘めたこの咆哮を、分かち合える二足歩行の生き物などは、この世の何処にも、と。

『……だったらきっと、私もあなたも、半分しか人じゃなかったんだろうね』
『……半分、だと?』
『そう。まあ、あなたの半分はきっと、神様とかそういうものだと私は思っているから……私とレボルトも、きっと違う生きもの、だろうけれど……』
『……ほう? ではお前の半分は、何だというのだ、
『……なんだろうね、分からない。最初から、私には半分しかなかったのかも。全部、覚えていないから……私には、分からないや』

 そう言って、何処か悲しげに笑うそいつは、という女は、俺と同じ目をしていた。この世界を精一杯に愛しても、世界と同じように世界を愛することができないという目をしていた。この世界の正を十年一日とするならば、俺たちの正は紫電一閃であり、それらは相反するものだ、俺もも、世界に忌み嫌われたモノだ、生まれる場所を、形を、違えてしまった何か、だった。
 世界に、世間に向き合った全力を。俺の本気に世界が応えないと言うならば、俺とて、この世と向き合う道理などなかろう。人畜無害でいてやっても良かったのに、……そんな努力を、かつてはしていたというのに、先に危害を加えたのは、俺を認めなかったのは、俺に応えなかったのは、この世の中の、方なのだ。ならば、それらに価値はない。俺が必死に見出した価値を、無価値と裁いた世界など、それこそ価値は、微塵もない。
 俺には半分、この世界には要らぬ何かが混ざっている。
 お前は半分、この世界に必要な何かが足りていない。
 それらはきっと、異なるものなのだろう。俺が持て余す半分では、の足りぬ部分を埋めることは出来ぬし、の足りない部分では、俺が持て余すどす黒い何かを、すべて引き受けることは出来ない。他よりは幾らか近く、それでも、結局は違う生きもので。それとて、先の地球での一件で、改めて痛感したばかりだ。は決して、破滅を望んではいない。何も好んで、地球の連中に剣を向けた訳ではない。只、それが、俺のためになるから、と。それだけのこと。……それだけのこと、だからこそ、俺はこうも、どうしようもなく。

「……何? お前があの地球人の兄弟に同行すると?」
「そう。……グレゴリーとヴィクトール、レボルトに従っているわけじゃないと思うから。監視役がいたほうがいいでしょ?」
「それは、お前である必要があるのか、。連中が、お前を利用しないとも限らんのだぞ」
「分かってる。立場が危うくなったら、私を研究所との取引材料として差し出すかもしれない……でしょ?」
「その通りだ。それだけではない、連中がお前に危害を加えん保証など……」

 地球人の兄弟が、地球に出向きレアメタルの情報を持ち帰る、と……そう、俺に申し出てきたそのすぐ後に、話を聞いていたが、俺にそのような事を言い出したときも。……正直に言おう、俺は、気が進まなかった。連中は信用が置けん、戻ってくるとも知れぬ連中の指揮官として、を同行させることには躊躇いがあった。そもそも、が同行する意味などない。奴等が勝手に言いだしたことなのだから、好きにさせておけばいいだけのこと。……まあ、確かに、が同行すれば、ドラゴンボーンを回収し、シャークボーンを仕留めてくることも可能かもしれん。……それでも、俺が躊躇ったのは。引き留めようとしてしまったのは、……そのとき、咄嗟にの身の安全を案じてしまって、いたのは。

「……? そのときはそのときで、応戦する。私も今は、コクーンの外でも動けるようになってきてるし、どうしても不味い状況になったら、ソキウス……ウロボロスに転移してもらえばいいし……そうでしょう? レボルト」
「……ああ。それは、確かにそうだな……」

 合理的ではない、異議であった。その自覚とて俺にはあり、……俺は、その時、思ってしまっていた。……地球のボーン研究所で、こいつは育ったのだと言う。ならば、長年を過ごしたその場所に出向き、連れ合いと再会を果たしたならば、シャークボーンの適合者と、俺の居ぬ場所で語らうことが出来たのならば、こいつは俺の元には帰らぬのではないか? 若しくは、あの地球人の兄弟が、二人がかりでに危害を加えたのなら、いくらこいつでも無事では済まぬのではないか? と、……情を抱いてはならん、こいつが俺の夢に希望を抱く以上、俺は立ち止まるわけにいかない、言われずとも元よりそのつもりで、……だから、俺は、……お前に、希望を抱いてはいけない。よ、俺はお前に、必要以上に執着するわけにはいかんのだ。これ以上、入れ込むわけには行かぬと言うのに、……俺は、まさか。

「……じゃあ、二人と打ち合わせしてくるね。すぐに出ることになると思う。頑張るね、レボルトの役に立ちたいから……成果、持ち帰るよ」
「……ああ、それは、結構なことだな……期待しておいてやる、
「うん、……ありがとう」

 ……俺の中の何者かは、どうやら、お前を失うことを、拒み始めているらしい。 inserted by FC2 system


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