底なし夜の遠泳

 実際、魔神に楯突いた私の傷は、相当なものだったのだけれど、流石というべきか、技術の先進化が進んだネポスの医療により、私は2週間もすると、問題なく動ける状態まで回復していた。ボーンの石化も解けて、お陰で、私が直接ボーンを着装した状態での解析も、開始出来ていたし、……地球の技術ではこうはいかなかっただろうなあ、と言うか、寧ろ、ネポスの技術でも二週間も掛かった、と取るべきなのか、……それは正直、判断しづらい部分ではあったけれど。

「……念の為に言っておくが、“ネポスの医療を受けられるから無茶や無謀も率先して行える”などとは、思ってくれるなよ、
「……え?」
「そういう顔をしていたぞ、お前は存外、顔に出やすいからな」
「そ、……う、かな……」
「ああ。あまり心配を掛けないでくれ」

 レボルトの屋敷、その一室に備え付けられたカウンターの席に座る私の正面で、ソキウスはそう語る。……何よりも“一番重要な秘密”を打ち明けていない彼にそう言われると、少し、首を傾げたくもなるけれど、……でも、ソキウスの言うことも、確かに真実かもしれないとも思う。ネポスに来て以来というもの、私は感情を隠さなくなった、……というよりも、こちらに来てようやく、感情の発露が出来るようになったのだ、私は。とは言え、元々がそんなに感情豊かなわけでもなかったから、そこまで露骨に表情に出る、ということでもないと思う、けれど。……只、一緒に過ごした時間が長ければ、今考えていること、くらいは読み取れるのだろうなあ、と。……眼の前に立つ、友人の顔を見上げながら私は、……嗚呼、もう、彼とも。それだけ長い付き合いになってきたのだな、と思った。実際に過ごした時間は未だ短くとも、その期間以上の交友を、私はソキウスと、一派の皆と重ねている。地球に居た頃は、翔悟を始めとする竜神家の人々や、リーベルト達に自然と順応していくルーク達に、些かついていけていないきらいがあったものだけれど、……存外、私にも出来たのだ、同じことが。只、あの時のあの場所が、私には合わなかった、というだけの話で。私はソキウスと、例えばルークと翔悟のように、家族にも親しいだけの友人関係と信頼を自然と築けていた。

「……ソキウスは、私が帰ってきたとき、心配した?」
「当然だろう。自分がどんな状態だったと思っている? もっと早くに俺の判断で撤収させるべきだった、と。そう、後悔したさ」
「……そ、っか……」
「カーバリオ様とラケルト様も大層心配していた、あのお二方は、お前がお気に入りのようだからな。ある種、保護者のような気持ちなのだろう、あまり心配させないでやってくれ」
「……うん、ごめん。先週、二人に会ったときに直接言われた。無理を通すときはせめて同行させてくれ、って……」
「そうだろう?」

 ……カーバリオさんとラケルトさん、それぞれユニコーン、バジリスクの適合者であるお二人は、雲行きに従ってレボルトの側に付いた、……謂わば長いものには巻かれろ主義のひとたちで、レボルトは彼等を一切信用していないし、表向きは友好的にしておいて損はないが、別に気にかける必要もない、……と、そう言われているひとたち、だけれど、地球から単身、レボルトの側に付いた私を、どうやらあの二人は、心配、しているのか、或いは、度胸を買ってくれているのか、そこまでは正直、よく分からないけれど、……とにかく、彼等は存外、私のことを気に入ってくれている、らしい。私にとっては、だからどうと言うほどのことでもなかったけれど、かと言って彼等を邪険にする程の理由もなくて、グラディスやセミリアたちの姿が見えなくなった最近では、彼等と話すことも度々あって。……正直、精神的に幾らか助かっている部分もある。……そうは言っても、最後には、どのみち彼等からも私は恨まれることになるだろうから。深入りは避けよう、と思っているものの。どうにも、私を放っておいてはくれないのだ、あのひとたちは。……とは言え、そこまで心配をかけるほど肩入れされていた、というのは、正直驚いているけれど。

「何より、レボルトに心配をかけるのはお前も本意ではないだろう?」
「……え?」
「え、ではないだろう。あまりあいつに心配させないでやってくれ、
「ま……待って、レボルトが、……私の心配? してた? の?」
「当然だろう? 帰還した際、倒れ込むお前を抱き留めて医療室まで運んだのは誰だと思っているんだ」
「……レボルト、なの……?」
「そうだとも。その場では、取り乱しこそしなかったが……後からグレゴリーとヴィクトールを散々怒鳴りつけてな、諌めるのに苦労したとも」
「それは、任務に失敗したからじゃ……」
「それならば、お前も叱りつけているだろう。あの兄弟が何を言われたのかは、まあ、苛烈に過ぎてあまり俺の口からは語りたくはないのだが……、要は、何故、彼等が同行してがこの重症なんだ、一体お前たちはなにをしていたんだ、と。……そんな所だ」
「……そ、うだった、の……」
「ああ。……此処まで言えば、さすがのお前も理解するだろう?」
「……なんだか、言葉に棘があるようだけれど?」
「はは。お前はレボルトに盲目すぎるからな、俺が噛み砕いて説明してやらねば、あの男の本意は分からぬこともあるだろう。……まあ、それは、俺にも同じことが言えるかもしれないが」
「……?」
「……俺にも、時たまレボルトの考えが読めないことがある。あの男は、人と目を合わせたがらないからな。今、あいつが何処を見ているのか、はっきりとは分からない時がある」
「……そう」
「ああ。……だが、俺に分からぬことでも、きっと、お前には分かってやれるのだろう。……どうか、息災でレボルトの側にいてやってくれ、。あいつを、支えてくれ。……俺も、お前たち二人と共に在ることを望んでいるんだ」

 ……もしも私が、ソキウスにすべてを打ち明けたのなら、彼のそんな些細な夢は、叶うのだろうか。きっと、そんなことにはならないのだろう。終局の審判は既に下りた、……あとはもう、終わりに向かって走り続けることしか出来ないのだ、私も、彼も、……この世界も。

「……そうね、私も、二人と過ごす時間が好きよ、ソキウス」

 その言葉にだけは、偽りはなかった。……けれど、それ以上に、私には、神を愛するように愛してしまった男がいる。この世の何よりも優先すると決めた、貴い希望がある。……もしも、ソキウスの言う通りに、レボルトが私の身を幾許かでも案じてくれていたのなら、それは本当に嬉しいこと、光栄なこと。ほんの少しでも、彼が私を大切に思ってくれたのならば、それは、私にとってこの上なく名誉で、……同時に、度し難いことだった。……だって、そんなの、欲してはいけない。もしも、私が、レボルトに大切にされることを望んでしまったなら最後、きっとこの足は、動かなくなる。だから、そんなものは望まないし、……これは、見なかったことに、しなければ。この気持ちには、蓋をして、しまっておくのだ。地獄の底の、誰にも見えない場所に、“これ”はしまっておかないと。……だって、許されていいはずがない、……ルーク、ソキウス、グラディス、セミリア、ベントーザ、東尾所長、地球のみんなに、ネポスの人々、その全員を、最終的には踏みつけにしてまで、果てを手に入れようとしている私が、破滅の道をひた走らんと決めた、私が、……レボルトの恩情なんて欲してはいけない、魔王であることを決めた男に、他愛など強いてはいけない。ヒーローを辞めて、ヒールになると決めた私が、許されるなど、……万にひとつも、あってはいけないのだ。


 ……その晩、いつも通りに、レボルトの私室で話すものとばかり思って彼の元を訪れた私は、レボルトに連れ出されて、屋敷から少し離れた丘に来ていた。小高い丘の上、ネポス・アンゲリスの都市の夜景と雄大な自然、それから、遠い夜空に瞬く星々を見上げながら、隣に立つレボルトは、静かに眼下のその景色を見つめている。

「……よ」
「なあに、レボルト?」
「お前は、この景色を美しいと思うか?」

 真っ直ぐと前を見つめ、静かにそう呟くレボルトの目元は何処か険しく、苦々しげに口元を歪め、吐き捨てるように、彼は続けるのだ。

「……俺は、生涯で一度たりとも、この景色を美しいと感じることが出来なかった」

 たったそれだけのこと、と、世間は言うかもしれない。けれど、その破綻が、レボルトにとって、どれだけ大きなことだったのか、などと、語られずとも私には分かる。……人々の営みが生み出す街明かりや、古い時代から受け継がれてきた、自然に住まう神獣達、そして、遠くの空に瞬く星と、其処に生きているのであろう、顔も名前も知らぬ誰か、其処にあるすべての日常。そんな、誰も彼もが当然のように美しいと思う風景も、レボルトには愛せない。当たり前のことを、当たり前にそつなくはこなせない。……だから、世界に適合できず、彼には全てを壊すことしか出来なかった。

「……、お前はどうだ。この風景を、美しいと思えるか」

 ……であるからこそ、その言葉には悲痛が詰まっていて。痛いくらいに、その気持ちが私には分かる。

「……私は、地球に居た頃、景色を美しいと思ったことなんて無かった。……でも、ここから見る景色は、……少しだけ、綺麗だと思う」
「……ほう? お前にとって心動かされるものがある、と?」
「ううん。只、もっと単純で、……あなたといっしょに見てるからだと思うの、レボルト」
「…………」
「私はあなたといっしょだと、世界も少しはマシに思える。……でも、それよりも、あなたの創る景色が、いちばん綺麗、なんだろうな……って、そう思うから……」
「……そう、か」
「うん、……私の意志は変わらないよ、レボルト」
「……ああ。……試すような真似をしたな、だが……」
「最後の審判、ってところでしょ?」
「ま、そんなところだ。……何しろ、もうじき終わりも近いのでな……俺も少しは、感傷に浸りたくもなるのだ」

 レボルトにとってはらしくない言葉、なのかもしれない。けれど、その声色は決して、嘲ったり戯けたりなんてしていなくて、きっとそれは、偽りのないレボルトの本音、だったように私には思えて、仕方がなかったのだ。本当のところなど、結局は私にはわからないし、もしかすれば、それは、私がそう思いたかっただけ、なのかもしれないけれど。

「お前と過ごしたこの数ヶ月、……悪くはなかった。まあ、生涯で最もマシな時間だったと言えるであろうな」
「……そっか」
「ああ。……お前を拾ったこと、間違いではなかったのだろう。……ならばこそ」
「……うん」
「……お前には、特別に立ち会いを許そう、よ。……往くぞ、これより先は、俺とお前が望んだ世界だ」

 遠く、終末の鐘の音を聴いた気がした。終わりの音を聞きながら、レボルトと眺めた景色が、……目が眩むほどにきれい、だったのは。只、となりにあなたがいたからという、ただのそれだけ、だったはず。……だったはず、なのだ。 inserted by FC2 system


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