薄明かりに春のにおいを連れて

 爆発に四肢を引き裂かれ、私のこの身はコクーンから弾き出されて、揺らいだ視界のままで、思い切り水面に叩きつけられる。ごぼ、と酸素を見失って意識も失いかけたけれど、そんなことは許さない。……今此処で、私が負けたとしても、死んだとしても、それでも。私には失ってはいけないひとがいる、護らなければならないひとがいる、……彼の無事を確かめるまでは、私は、死んだって死にきれない。喉を伝い器官に入り込む海水にげほげほと噎せながら、必死で辺りを見渡して、……すぐに、傍にあなたが揺蕩うのを見た。砂浜で呆然とこちらを見つめているひとたちが、助けてくれるとなんて思ってない。だって、私は彼等を助けなかった、殺そうとした。……これは、当然の報い。でも、その報いを受けるのは、……私だけで、良いよ。

「……レボ、ルト……ッ!」

 流されてしまわぬように、沈んでしまわぬように、彼が、連れて行かれてしまわぬように。もう力もまともに入らない指先で、しっかりと、必死に縋るように、レボルトの衣服を掴み、彼の顔を覗き込む。……呼吸は、ある。脈拍も、微かに残ってる。……生き、てる。レボルトは、私の世界の全部は、まだ、此処に在る。綺麗な金色の髪は、すっかり白くなってしまって、負傷も疲労も、見て取れるほどに酷いけれど、それでも。……レボルトは、生きている。ボーンカードも石化はしているものの、しっかりと手に握られているし、ケルベロスの方も、無事だ。……よかった、大丈夫だ、命さえ、希望さえあるのなら、大丈夫だ。だってこのひとは、私が信じた希望は、こんなところで、挫けるようなひとじゃないから。そうして、水面を手繰り寄せるように、砂浜までどうにかその大柄の身体を運んで、ともかく、その場にレボルトを寝かせて、今一度、脈拍を確認して、

「……あなたは疲れてるのに、こんな場所で、ごめんね」

 ……そう、彼に向かって小さく語りかけた、その一連の動作を、皆が見ていた。じっ、と此方を見ているだけで、それ以上は何も言わないし、邪魔もしてこないけれど、……まず間違いなく、クルードが皆を牽制しているだけなのだろう。

「………、きみは、」

 そうして、暫しの沈黙を破ったのは、ルークの一声だった。クルードの制止を振り切って、一歩、前へと歩み出たルークは、静かな瞳に少しの動揺を讃えながら、私を真っ直ぐに見つめている。その手には当然、ボーンカードが握られているし、そもそも、私は彼とつい先程まで、コクーン内部にて死闘を繰り広げていたわけ、なのだけれど。ボーンカードを握るルークの手は、緊張からか、迷いからか、或いは、その両方なのか、……静かに、震えていたのだ。私のボーン……ホワイトドラゴンは先程、コクーン内での戦闘で、彼にコアを砕かれた。最早、私には抵抗など出来ないと思っているのだろう。……けれど、同時に。私なら、意識のある限りは抵抗しようとする、ということにも、彼は恐らく、勘付いている。だから、ルークは考えあぐねているのだと思う。……どうすれば、このまま、私を穏便に無力化出来るのかを、彼は考えているのだ。……そんなことに、私が気付けるようになったのも、背に庇うこのひとと、出会ったからだった。ネポスに私が渡ったことで、ルークと対立し、限界まで凌ぎあい、そして、ようやく、……私は、ルークの考えていることが、分かるようになった気がする。そしてきっと、それは彼も同じなのだろう。だからこそ、私の行動に真っ先に思い至った彼が、前に出たのだろうから。
 きみはどうして、とは、彼に問われ続けてきたことである。……だが、その答えなら、先程、コクーンの中で渡してしまった。そして多分、彼も私の言い分に、納得……はできずとも、私の本心は、信じてくれたのだと、……そう、思う。だからルークは、困っているのだ、きっと。今、私に対して、どうすることが正解なのか、……何が正しいのかが、もう、彼にも分からないから。

 地球という星に、ボーンファイターとして、共に戦ってきた彼等に、共に育ったルークに、……何も、感じていなかった訳じゃない。私は少なからず、彼等に情を抱いていたし、私は私なりに、彼らのことが好きだった。……けれども、結局は、私では彼等に同調しきれなかったのだ。きっと、私が抱いていた情などでは、彼等にとって、世界にとっては、酷く薄っぺらいもので、それでも、私にとってそれは、全力だった。……だから、結局私は変化できなかったのだ。変化していく彼等に、私はついていけなかった。彼等の日常は私の非日常で、その日常に私の安らぎはなかった。どうしてだろう、私は皆と同じように笑えない。どうしてだろう、私は苦しみの為にボーンファイターになったのだろうか、生まれてきたのだろうかと。……人の真似事をして生きていくことは、あまり楽ではなかった。けれど、正義のヒーローを託されたのは、きっと名誉なことなのだと思ったから、そう思わなければいけないのだと思ったから、私なりに頑張ったのだ。頑張って、頑張って、頑張って、頑張って、私はヒーローとしての務めを果たしていた、つもりだった。私にあったのは、それだけだ。苦痛の中で溺死しながらも、逝き続けた。本当に私には、それだけだったのだ。……本当は、ヒーロー役に自分が不要なことくらい、知っていた。だって、一度はもういらない、と。そう、見限られたのだから。だから、必死だったのだろう。そう在らねばならないと、そうでなければ、私が生きていることなど誰にも許されない、己の過去も知らない私など、気味が悪いだけで、……帰る場所だって、他にはないのだから、と。

『……よかろう。……上出来だ、。貴様に、俺の伴を許してやる』

 私は、自分の昨日を知らない。明日、行くべき場所も分からない。自分を知らない、他人を知らない、仲間を知らない、どうして自分は、ずっと、こんなに苦しいのかも分からなければ、帰る場所もないから、此処じゃない何処かへと逃げれば、自分は楽になれるのか、を、試すことも出来なかった。……そんな、私の憂いを、全部、全部、雷鳴雷光にて焼き払ってしまったひと。その遠雷の名を聞いたとき、私は初めて、誰かとの対話を望んだ、彼に導かれることを望んだのだ。
 ……私が何を持っていて、何を持っていなかったとしても、……そんなもの、最早どうでもいい、と。レボルトの傍に居る限り、私はそう感じられたのだ。彼の隣にいれば、呼吸が軽かった、自然と笑うことが出来た、日々を得難く感じられた。

 決して、彼以外の全てに消えて欲しかったわけではないけれど。それでも、彼が望むなら、それが私のすべてだった。私にとってそれは、どんな結末が待っていたとしても、正しい選択だったのだ。

 もしも、私がボーンファイターに、選ばれなければ。或いは、……星の核として、地球を、私の生きやすい星に変えてしまえるほどの力があったなら、私は地球でも、呼吸が出来たのかもしれない。きっと私は、何もかもが中途半端だから、こんなに苦しいのだ。打破する程の智恵も、諦める程の虚しさも、適応するだけの強さも、何もなかったから、溺れながら生きていくだけなのだと、そう思っていた。ヒーローであることに縋り付く、それだけが、私の存在していい理由だった。……けれど、初めて、まともに呼吸ができたそのとき、その理由さえ、私の呼吸さえをも差し出してもいいと思えたのだ。……私のすべてを、あなたにあげるから。あなたに、幸せになってほしい。私が唯一信じられた、その在り方を後押ししたかった。そのひとに、生き続けて欲しかった。私の代わりに、笑って欲しかった。こんなにも、誰かの安らぎを願えたのは、生まれて初めてで。……レボルトはきっと、私の神様で、紛れもなく、私の唯一の希望だったのだ。

 私の世界に、音を、色を、付けてくれたひと。それは、雷鳴のような轟音と、目も眩むほどの光だった。他の誰かからすれば、歓迎される類いの色彩ではないのかもしれない。それに、ひたすらに徨い続けて、溺れ死ぬだけだった私を、彼が引き上げてくれたその行為は、別に、彼が望んで行ったことではなかったのだろう。……只、それは偶然だったのだ。世界にとっては、実に間が悪く、私にとっては、幸運な出来事だったという、それだけの、誰もが予期せぬ出来事。私がそこに駆け付けて、彼がそこに居合わせたから、結果としてそうなっただけ。だけど、それっぽっちの事実が、私にとっては革命だった。だから、全力で恩を返したかったのだ。私の全身全霊で、あのひとを護りたかった、幸せにしたかった。

『……そう、か』
『……うん』
『私の希望は……きみにとっては、絶望、だったんだな……』
『……そう。そして、私の希望が、ルークにとって絶望だってことも、分かってる』
『……ああ。ならば、』
『……ええ』
『決着をつけようか、
『……ええ。さよならよ、ルーク』

 私の真意を、答えを、聞いたからこそ。……きっと、ルークは今どうするべきなのかを、悩んでいるのだ。全てが終わったなら、話がしたいと彼は言って、私もその言葉に承諾した。……けれど、まだ何も終わってはいない。私は、あの瞬間、確かに彼を殺すつもりだった。失敗した、敗北した、確かに彼とは、ようやく分かり合えたと思う。……正確には、分かり合うことは出来なかったけれど、私とルークは、お互いがもう二度と相容れないということを、互いに認め、自分たちは同じ未来も希望も見ていないということをも、認めあったのだろう。けれど、私が彼に殺意を向けて、研究所を破壊し、地球を消滅させようとした事実は、決して覆りなどはしないし、私とて、なかったことにしようだとか、許してもらおうだなんて思ってはいない。そして、それは、今だって何も変わらないのだ。私は人になれない、慣れない、成ることはできない。……だから、きっとこれでいい。

「……、どうか投降しては、貰えないだろうか……」
「……私がその言葉に従わないって、もうあなたは分かっているはずでしょう、ルーク」
「……ああ、その通りだ。……だが、これ以上きみと戦うのは私の本意ではない」
「……もう、私には何も出来ない、って。そう、思ってる?」
「……正直に言おう、その通りだ。これ以上の抵抗は無駄だと、そう進言する。今此処で、我々が争っている場合でもない、事態は刻一刻を争うんだ、それに……」
「…………」
「……レボルトに意識はない、きみのボーンは見たところ石化しているらしい。……分かるだろう? もう、終わったのだと……」

 ……そうね、確かに此処が、引き際なのかもしれない。世界が終わっても、私が終わっても、希望は先に続くと、そう、信じてきた。これが、私が見つけた唯一の道、だったから。……間違っていると、諦めろと、何度言われたって、立ち止まってやる道理は、何処にもないのだ。戦うための剣を、腕を失くしても、誰を敵に回しても、裏切り者と謗られても、私は私の神様を護る。そうして地獄に落ちたなら、……きっと、ずっと、私はレボルトのことを、覚えていられるだろうから。
 ……とはいえ、これは窮地だった。絶体絶命、と言っていいほどの、だ。この事態を私一人で、果たして切り抜けられるというのだろうか。ボーンは石化し、剣をふるい続けた両腕は、最早まともに動かせるかどうかでさえも怪しかった。最後の余力も、気絶したレボルトを砂浜まで運ぶのに使い果たしてしまっているし、……さて、どうしよう。こんなとき、レボルトが居てくれたなら、きっと道を示してくれるのに。そう思っても、彼は今意識もなく、私が、彼を護らなければならないこの状況で、……それは、時間稼ぎのつもりだったのか、何気なく触れたスカートのポケットに、……薄い板の手触りがあるのに気付いて、思い出した。……そうだ、私は、あのとき。……何かあったなら、これを使えと。私はそのカードを、友人からのメッセージだと勝手に受け取って、……或いは、お守りのつもりだったのかも、しれないけれど。ともかく、私はそのカードを持ち続けていたのだ。……今、縋れるとしたら、これしかない。レボルトのために、私は今から、……見殺しにしたくせに、こんなときに助けを求めてしまいたくなる、あの親友の尊厳を、彼の死さえもを踏みにじるのだ。……けれど、あなたにだって、私たちの行く道が、地獄だとは知らなかったなんて、決して言えないはず。ネポスの民のためならば、地球を滅ぼそうとしたあなたも、立派な同罪だ。……もうじき、私もそこにいくから。……だから、もう少しだけ、一緒に。……どうか、力を貸してほしい。……背中を、押して、……ソキウス。

「……誰が、もう戦えない、なんて言ったの?」
「! それは、ウロボロスのボーンカード……! よせ、やめるんだ! そんなことをすれば、きみも無事では済まされない!」
「そんなものはどうでもいい……! 私は、もう誰にも、このひとを傷つけさせない!」

 必死に背に庇った、その身から離れることは不安だった。だけど私が、立ち上らなければいけない。戦わなければいけないと知っていて、立ち上がった足から、ウロボロスを構えた指先から、力が抜ける。……うそ、こんなの、うそだ。……倒れるな、立ちなさい、前に出なさい、それさえ出来れば。絶対に私は、ウロボロスボーンを御すことが出来るはず。空間の力は絶大なアドバンテージだ、勝つことは難しくとも、レボルトを連れて、今この場から逃げ切ることくらいなら、出来るはず。リーベルトのパンサーボーンは石化しているし、逃げ切ってしまえば、誰も追ってくることは出来ない。そうして、レボルトが意識を取り戻した後で、体制を立て直して、……もう一度、やり直せばいい。何度も、レボルトがボーンを呑むのを、隣で見ていた。魔神を従えることなら、私にも出来た、その感覚なら分かっているのだ、だから、一歩前に出さえすれば、絶対に、出来るはずなのに! ……なのにどうして、体が動かない、の。……ああ、そ、っか。私は所詮、星の核でもなんでもなくて、ヒーローにもヴィランにも徹しきれない、中途半端の、出来損ない、だったのだっけ。……なんて、役立たず。目の奥がちかちかして、精神力だけで保っていた意識が、遠のいていく。もう真っ暗で、何も見えなかったけれど、砂浜に崩折れる瞬間、誰かの腕が、私へと伸びたのを感じたような気が、した。



「……気が付いたか? 

 真っ暗だった視界が開けたとき、真っ白な天井が目に飛び込んできて、私の身体は、ふかふかのベッドの上に横たわっていた。よく聞き覚えのある、けれど、もう聞くことはないと思っていた、友人の声が聞こえた気がして、顔を横へと向けると、ベッドサイドの椅子に腰掛けたソキウスが、手に持った端末から顔を上げて、私を見つめている。……ああ、そうか。此処は地獄、か。それにしては、この部屋は綺麗すぎるけれど。

「……そき、」
「起き上がれるか? ほら、手を貸そう。ああそれと、手足は動くか? 先にそれを確認してだな……」
「…………」
、俺の話を聞いているのか? それとも、まだ意識がしっかりしていないのか?」
「……ソキ、ウス……?」
「いかにも、俺はウロボロスのソキウスだが」
「……私、死んだの……?」
「何を言う、生きているぞ。お前も、それに、俺もな」
「……どう、して……」
「……おかしなことを言う、俺を助けてくれたのは、お前だったんだよ、
「……わ、たしが? あなたを?」
「……ああ、そうだ」

 それから、ソキウスは、私に順を追って状況の説明をしてくれた。……まず、あの後、私は気を失って、全てが収束した後に、レボルト共々ネポスの医療機関へと、運び込まれたのだそうだ。そのまま私は一ヶ月ほど眠り続けていたけれど、このまま一生、意識が戻らなくても、戻ったとしても、手足が動かなくなっていても、何ら可笑しくはないほどに、内も外も酷い状態だったのだ、ということも、ソキウスに聞かされて、……現実味のないその言葉に惚ける私を、ソキウスは呆れたように見つめていた。
 ……そして、ソキウス自身の身に起きたことも、彼は説明してくれた。あのとき、レボルトに始末されたと思われていた、ソキウスだったけれど、……彼を見殺しにすることに、心の奥底で拭いきれない罪悪感を抱えていた、私の感情に呼応して、あの瞬間、一瞬だけ、ホワイトドラゴンが、時を止めていたらしい。そして、その隙を突いて、というよりも、ホワイトドラゴンとウロボロスが結託する形で、ソキウスは、レボルトが存在を感知できないほど遠くへと転送されて、……間一髪、命を拾ったのだという。

「……すまなかったな、お前の窮地に、俺は援軍のひとつも送ってやれなかった」
「……そんなの、あなたが謝ることじゃ、ない……! わたし、ソキウスのこと、ずっと、ずっと騙してて……!」
「まあ、それはそうなのだろうな。……だが、お前が本当に俺を友と思っていなかったのなら、あのとき、お前のボーンは俺を救出したりしていないさ」
「……そき、うす……」
「……ありがとう、。俺を助けてくれて、……そして、お前がウロボロスを使わないでいてくれたこと、本当に良かったと思う」
「!」
「……もしも、ウロボロスが、お前の命を奪ってしまっていたのならば。俺には、後悔しか残らなかった……お前たちが生きていてくれたことが、俺の救いだよ、
「……おまえ、たち……?」
「……ああ」

 魔神騒動はひとまず終結し、ネポスと地球は、永久的な平和条約を結んだのだということも。……終焉の結びなんてものは、はじめから存在していなかったのだということも、私はソキウスから、全てを聞かされて。

「……レボルト、は? レボルトは、どこ……!?」
「ピンピンしている。お前が庇ったお陰だろうな」

 ……そして、レボルトは、罪人として裁かれなかった、とも、ソキウスが教えてくれた。ソキウスの言い分は、よく分からなかったけれど。どうやら釈放されたことには、私の存在と、地球のボーンファイターの存在とが、大きく影響して、の結果だったのだと言う。私との間に彼が築いたものを考慮し、そして、地球の皆との対話の中に、レボルトには変化するだけの余地がある、と。そう、上は見たのだ、とソキウスは言った。その結果、レボルトは評議会へと戻り、反してソキウスは、評議会をきっぱりと辞したらしい。レボルトへの裁きこそ無かったものの、当面は評議会を降りたクルードが、レボルトの屋敷で監視役を務める……という形になったそうで、謂わばこれは、執行猶予のような処分らしかった。……そして、今、私が目を覚ました場所は、ソキウスの屋敷で。ソキウスは、ずっと、私が目を覚ますのを待っていてくれたのだ、ということも、全て、彼は私に話してくれて。

「……そんなわけだ、ちなみに、お前が目覚めた後に、お前の処遇を決める段取りになっている」
「……私、地球に、強制送還されるんでしょ……? それから、きっと裁かれて……」
「何を言う、そういった話ではなく、要はお前がこれから何処に行くか、だ。……地球のボーン研究所では、是非お前を、職員として再度迎えたいと言っている。無論、賛同するものばかりではないかもしれないが……今後の待遇は保証するそうだ。……だが、何よりも、お前の意志だ、
「わたしの……?」
「……ああ。肝心なのはお前が何処に行きたいかで、お前が誰と生きたいか、ではないか?」
「……私が、誰と……」
「ーーソキウス!! が目覚めたとは、本当であろうな!?」

 私とソキウスが、ぽつりぽつりと会話を繰り返していた、静かな空間をぶち破るように、ばん、と大きな音がして、部屋のドアが開く。……その方向に顔を向けるまでもなく、来訪者の正体など分かりきっていたけれど、……その声を聞いたら、無性に彼の顔が見たくなった。らしくもなく、肩を上下させて息を乱すその男は、どうやら、相当慌てて此処まで走ってきたらしい。……そうして彼は、ベッドから起き上がった私を見ると、大股でこちらに歩み寄ってきて、……それから、包帯の巻かれた私の腕を、乱暴に掴む。

「……れ、ぼ、」
「……ッこの、馬鹿が! いつまで寝ているつもりだ!? 本当に……勝手な奴だな、お前は……! ……ソキウス、お前もお前だ! 報告だけではなく、ウロボロスを使い俺を此処に呼べばよかろう!?」
「はは、しかし俺は評議会を辞めてしまったからな。堂々とボーンを使って良いものかと」
「よくも、ぬけぬけと……!」

 ……レボルトから、冷たい言葉を掛けられたことなら、幾らでもあったと思う。それは当たり前のことだったし、今更、動じるようなことでもなかった。……だけど、こんな風に。まるで、身を案じていたことを包み隠しもせずに、彼から怒鳴られて、その上、思い切り抱きしめられたのは、……初めて、だったのだ。だから一瞬、思考がフリーズして、私は、何も考えられなくなって、しまっていた。

「このまま死んだのなら、どうしてくれようかと思ったぞ……」
「……あ、の、まさか……、心配、してくれたの?」
「……当たり前であろうが……!」
「だ、だって……どうして……」
「……お前にあそこまでされて、お前にあそこまで言わせて……、それでも、心のひとつも動かされないような男だと思うのか、俺が……」
「え!? いや、それは、確かに、あなたが感受性豊かなひとだって知ってるし、ほんとうは、繊細なひとだってことも、知……」
「……もう黙れ! 空気くらい読めんのか、お前は!?」

 ……多分、私には空気が読めないから、地球のみんなと分かり合えなくて、裏切り者にまでなってしまったのだろうなあ、と。そう、ぼんやりと思いながら、そんなことを口にしては、更にレボルトの機嫌を損ねそうで、私はそれきり、押し黙る。……まさか、このひとの腕に、こんな風に。力強く、抱き寄せられる日が来るなどとは、思っていなかった。……応えても、良いのかな、……なんて、少しだけ思ったけれど、そんなことをして良いのかも分からずに、私には彼の為すがままになることしか出来ない。……だって、私とレボルトは、そんな甘ったるい関係なんかじゃなかったのだ。只の共犯者で、利用され、利用するだけの関係だった筈だ。……只、私が一方的に彼を好きだっただけで。その恋を叶えようとも思っていなかったから、告げようとも思わなかっただけで。……嫌いではなかったと、そう言ってくれただけでも、私には十分すぎるほど、身に余るまでの光栄、だったというのに。

「……とうに知っていた、お前が、誰を想っていたのかなどな……」
「……そう……なの……」
「ソキウスにベラベラと話すからだ。あいつが俺に告げ口しないほどお人好しだと思ったか?」
「何を言う、お人好しだからこそお前に教えてやったのだろう。お前がいつまで経っても……」
「口を挟むな。お前の告げ口などなくとも、俺は気付いておったわ、阿呆が」
「はは、すまないな」
「……で? 、お前はこれからどうする。どうせ、既にソキウスから事情は聞き及んでいるのだろう……? 地球に、戻るつもりか」
「え……、いや、その……、まだ、決めていない、けれど……、わたし、は……、」

 ……私には、今更行けるところなんて、ない。地球を捨てて、ネポスに亡命したその日から。私の居場所なんて、本当に何処にもなくなったのだ。……元よりこれは、還る場所などを必要としない旅だった。私は終わりへと、滅びへと、向かうつもりだったのだから、それ相応の覚悟は出来ていた。……今更、何処へ行くかなんて、問われたって。そんなの、私には決められない。……地球の皆が受け入れてくれるとはいっても、そんなの、彼等の総意じゃないのは、ソキウスに言われなくたって分かっている。人間は、そんなに単純じゃない、そう簡単には、割り切れない。法の裁きを逃れたとして、地球に戻ったとして、どの道、私を待っているのは地獄だ。……だって、レボルトの傍に居られないのなら、彼の未来の礎になれないのなら、……私は、今更、何処に行ったって。

「……許されるはずが、ないから。許されて良いはずも、ない……」
「……それは、俺もか」
「!? ……違う! あなたは何も間違えてない、私はあなたの全てを肩代わりすると決めていたから……! ……だから、何の報いも受けずに地球に帰るなんて、そんなの、到底、受け入れられないだけで……、もしも、それが罰だとしても、私は、やっぱり……」
「ほう? ……ならば、此処に残れば良かろう」
「……え?」
「此処にいろ、と言ったのだ。元より、お前は俺の屋敷を拠点にしていたのだ。当然の帰結であろう? ネポスへと残留すればいいだけの話ではないか。ある意味では、帰ってきたも同然であろうよ」
「……でも、私、エクェスじゃないし、あなたの部下でもないのに……」
「何も、エクェスが全員、純然たるネポス人という訳でもない。どうとでもなろう。……それに、」
「な、なに……?」
「俺は、部下や戦士として、此処に留まれと言っているわけでない。……分からんのか」
「……分からない、よ……」
「……お前はもう少し、身勝手になってもいい、と。俺は、そう言っているのだが、なァ……」

 ……レボルトがなにを言わんとしているのかが、私には、さっぱり分からなかった。……だって、このひとと出会ってから、私はいつだって、自分の都合だけで歩いてきたのに。身勝手だったから、仲間を裏切れたのだ。身勝手だったから、誰だって殺そうと、悪にだって染まろうと思えた。身勝手だったからこそ、レボルトだけの正義の味方になろうなんて、思えたのだ。……そう、私はいつだって、自分のことばかりだったのに。……けれど、レボルトは、そうではない、それは違う、と。そう、言った。

「お前はいつもいつも、俺の都合ばかりだ。……ならば、俺の言わんとしていることくらい、分かってもよかろう……本当に、訳の分からん奴だな、お前は……」
「……?」
「……良いか、よ。……俺は、俺の都合で、お前に残れと言っている。此処に居ろと、そう言っているのだ。……分からんのか、今更お前と離れて、それで、呼吸なぞが出来るものかと言っているのだ、俺は。……それともお前は、俺がいなくとも生きていけるのか? どうなのだ、。……お前は、何処に行きたいと望む?」

 紫電が宿るその瞳は、私の答えなど聞かずとも、私の気持ちくらいは手に取るように分かると、そう、語っていた。私の答えなど端から聞くつもりがない、とも。常日頃、誰とも視線を合わせたがらないからこそ、彼の瞳は言葉よりも雄弁に真実を語る。……それでも、彼は問い掛けてくれたのだ。私がレボルトに何かを伝えることを、意見することを、彼は許してくれた。……私が、彼と同じステージに立つことを、このひとは許してくれていたのだ。……なんだかもう、私にとっては、それだけで十分だった。共犯者という肩書を得ても、私は無意識のうちに、彼の一歩後ろを歩こうとしていたし、レボルトもそれを自然と受け入れていたように思うのに、これからは、堂々とレボルトの隣を歩けと、彼はそう言っているのだ。……それだけで、私は十分に幸せなのに、その先を与えてやると、彼は言う。

「……レボルト、私はあなたと、いっしょに、いたい。あの青い星では、あなたの隣でなくては、私は溺れてしまう……」

 ……命なんて、今更、惜しくはないと思っていた。これから先の未来なんて、明日なんて、いらないと思っていた。私はもう、出来る限り彼の役に立つよう、命を燃やして、後は墜ちていけば、それだけでいいのだと、そう思っていた。……自分は、人でなしなのだと、そう、思っていた。……けれど、このひとと並べば私は案外、只の俗人だったのかもしれないと思う。自分を平凡だと思える、平凡な幸福を享受してみるのも、悪くないと思える。……あなたも、私と同じことを思っていてくれたなら、何より幸せだと、今の私は、そう感じられた。

「……この先、また機会が訪れるかどうかは分からん。だが、俺は立ち止まらぬし、何者にも屈しはしない。……お前が語った希望とやらを、俺自身も信じてみようではないか、よ」
「レボルト……」
「……それに、もしも、この先には何もなく、空虚に生きていくだけなのだとしても。お前とならば、俺は息が出来る。……きっと、苦しいことは、もうないのだ。俺は俺でいて良いのだと、そう信じて歩いていける。……だから、よ。お前だけは、俺から離れるな。お前が俺から離れて行ったのならば……、この俺の手で、地獄の底まで追い掛けて、八つ裂きにして殺してくれるわ」
「……私を殺して、その後は、どうするの?」
「そうさなァ……、そのときは、俺も死ぬのであろうな」
「……それじゃあ、絶対に離れられないなあ。あなたが死んだら、私は生きていけないもの……」

 ああ、もう、本当に、私もあなたも、今、滅茶苦茶なことを言っている、なあ。お互いに、そんなことは分かっていたから、おかしくなって、思わず、笑ってしまった。……そんな、自分のくだらない言葉で笑ってくれる相手がいることが、きっと、……私も、レボルトも。何よりも、嬉しかったのだろう。

「……さて、親友たちよ、式の日取りはいつにする?」
「ハァ……? それよりも先にボーン研究所に対する牽制と、エクェスにおける手続きと、やるべきことがいくらでもあるだろうが……」
「やれやれ、相変わらず真面目な男だ。お前の家族とやらに挨拶がしたいらしいぞ、
「言っておらぬわ!」
「……ふむ、しかし、まだ時間がかかるのなら……、そうだな、俺はそれまでに聖職者でも志してみるとするか。地球では確か、神前式、という形式を取るのだろう? お前の故郷の文化に則り、俺にお前達を繋ぐ役割が出来たのならば、それほど嬉しいことはない」
「聖職者って……ソキウス、あなた今何歳? 今からそんなもの、なれるの?」
「無理だ無理、エクェスから聖職者だと? 全く、聞いて呆れる……んなもん、聞いたこともないぞ……」
「何、レボルト、お前がと手を取り合って生きている。……こんな奇跡が起きてくれたのだ。その程度のこと奇跡でもなんでもないだろう。きっと、出来るさ。……そんな、人間の持つ可能性を提示してくれたのは、……、お前なのだからな」

 終焉は、訪れなかった。けれど、あの夜は、……きっと、世界の始まりだったのだろう。 inserted by FC2 system


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