ネモフィラの咲く場所へ

「……地球を訪れるのも、久々だな……」
「そうね……」
「どうした? 
「……なんだか、変かもしれないけれど。……ちょっと、懐かしいの、かも」
「……そうか、それは何よりだ」

 リーベルトの空間の力によって、久々に地球、……の、日本の地を踏んで、思わず、感慨に浸ってしまったことに苦笑する私を見て、隣に立つリーベルトは、ふ、っと。何か得難いものを見たかのように、ちいさく笑っていた。

 ……気付けば、あれからもう、二年になる。
 二年の間に、色々なことがあった、ネポスへの残留を希望した折には、きっと、簡単には認めてもらえないだろうと思っていたけれど、……意外にも、私のネポス残留を真っ先に後押ししたのは、ルークだった。結果、私はレナードと共に、ネポス側に地球のボーン研究所からの親善大使、という名目で残れることになり、今は、研究所のネポス支部と地球の本部に、再建されたメルボルン支部、そして、エクェスとの間を取り持つ役目を担っている。「……すぐには難しくとも、少しずつ、皆との溝を埋めていこう」……ルークはそう言って、地球には戻らない、という私の意向を呑んだ上で、だからといって、地球と完全に交流を断つ必要もないだろう? と。……まるで、私の未練を見透かしたかのように、私にとっての最適解を、共に見つけ出してくれた。……彼の日常を奪ったのは、私なのに。それでも、ルークは私の今の日常を、護ってくれたのだ。……地球の核、という役割を外れてからも、なんとなく、ルークが、私を護ろうとしてくれているんじゃないかと思ったことなら、度々あって、……でも、私には、彼に守ってもらうような理由がない、と思っていたから、……少し、彼の背に庇われるのは、苦手で。……だって、立場が逆だと、思っていたのだ。地球の核でもない、家族もいない、必要とされてもいなくて、自分自身、何かを必要としていない私と、……地球一人目のボーンファイターで、司令官で、研究所のトップの息子で、……あの日、私に声を掛けてくれた、ルークを比べたのなら。……護られるべき、生きるべき存在は、当然ルークだと、そう思っていたから、意図の知れない彼の行動が、私には少し、理解できなくて。……でも、自分が命がけで、誰かを護ろうとした今ならば、以前よりは、私にも彼の気持ちが分かる。……多分、きっと、ルークは。地球の核だからだとか、ボーンファイターだからとか、敵だとか味方だとか、そういうことではなくて、只、単純に、……私を、大切に思ってくれていたから、かつての私を護ろうとしてくれたし、今の私を護ってくれたのだろう。

「……!」
「リーベルトさん!」
「……ルーク、……翔悟……」
「久しいな、元気にしていたか?」
「ああ、……二人も、元気そうで何よりだ」

 約束の時間、ネポスから降り立った私とリーベルトを迎えに、待ち合わせ場所である氷川神社の境内まで、ルークと翔悟が来てくれていた。軽く挨拶を済ませて、ネポス式のワンピース風の装束に身を包む私の姿を見ると、ルークは、少しだけ眉を下げて笑う。

「……なかなか、見慣れないな。きみがネポスの装束を身に着けているのは……」
「地球に来るときくらい、地球の服、着てくればよかったのに。リーベルトさんは、最近いつ会っても地球の服、着てるよな?」
「ああ……私は此方のほうが気に入ってしまってな、動きやすいし、最近はネポスでも、普段から地球の装束を身に着けている」
「そうなんだ? じゃあ、服装に規定とかはないんだろ? だったら、どうしては……」
「私も、似たようなものかな。……気に入っているの、この服」
「それは、ネポスで購入を?」
「ううん、……これね、この間、レボルトが仕立ててくれたの。職人の人たちが何人も来てね、びっくりしたなあ……」
「……あ、あのレボルトが……?」
「こら、翔悟」
「ご、ごめん。……そっか、あのレボルトが、かあ……」
「……ええ、レボルトが」
「……きみに、よく、似合っていると思う。生地だとかも、彼が?」
「そうなの、目星を付けておいた、って言って……」
「そうか……よく、見ているんだな、のことを」
「……うん。そうだと、いいなって思ってるよ」
「……って、立ち話もなんだしさ、皆待ってるから、早く行こう!」
「それもそうだな、……、手を貸すか?」
「? ルーク、手を貸すって……」
「ううん、平気。まだ、そこまでの支障はないから……ありがとう、ルーク」
「そうか……では、行こうか。タイロン達が待っているからな」

 ……そうして、私とルーク、翔悟、リーベルトが向かったのは、喫茶エデンだった。……懐かしいこの店を、訪れるのは一体、いつぶりだったことだろう。あれからも、何度も地球の彼等とは顔を合わせているけれど、……それでも、竜神家の人たちや、早穂とその家族には、……どうにも、顔を合わせづらくて、……わざわざ足を運ぼうという気にも、なれなかったのだ。

「……さん!? ずっと顔も出さずに何してたのよ!?」
「あ……その、えっと……」
「まあ、ルークさんから、粗方の事情は聞いてるけど……」
「……え?」
「海外に移住したんでしょ? 急に来なくなったと思ったら、メルボルンに帰ったって言うし、そのままリーベルトさんの祖国に移住したって聞いたけど、それっきり顔も出さないんだもの……元気にやってるなら、連絡くらいよこしなさいよ? 友達じゃない」
「! ……ご、ごめんなさい、智子さん……」
「まあ、座って座って! ご馳走冷めちゃうでしょ、みんな、さんとリーベルトさんが来るの、待ってたんだからね!」

 エデンに到着するなり、智子さんの叱咤と歓迎の言葉で出迎えられて、……私は思わず、呆気に取られる。……友達、か。確かに、彼女とは年齢も近いし、同性で、……友人、という間柄も、或いは築けたのかもしれない。というよりも、……智子さんの方はずっと、私を友人だと、思っていてくれたらしかった。私は、彼女の気持ちにも、全然気づけてはいなかったけれど、それでも、不思議と彼女の言葉に胸があたたかくて、「……はじめて、同性の友達が出来たかも」「……なんだ、。私はお前の友人ではないのか?」思わず、ぽつり、と漏れた言葉に、隣を歩いていたリーベルトが、小さく微笑んでそんなことを言うものだから、……なんだか、世界に許された、肯定されたような気分にも、なってしまう。……まだ、そんなにも恵まれてしまうまでは、私は許されてはいけないと、そう、思っているのだけれど。……それでも、なんだか。彼女達の言葉を、私は、嬉しく思ってしまったのだ。

「……お久しぶりです、さん、リーベルトさん」
「元気そうで安心したぜ、セニョリータ!」
「……どの面下げて、と言いたいところでもありますが……ま、僕は大統領になる男ですからね、器量は大きく持たなければ。今日のところは、あなたの参加も許してあげますよ! さん」
「おいおい、さっきまで、がネポスで肩身の狭い思いをしてないか、なんて心配してたのは坊やだろ?」
「な……! どうしてそれを言ってしまうんですか! あなたは!?」
「……相変わらず、賑やかなのね、あなたたちは」
「騒がしい?」
「ううん、……今は少し、懐かしいし、嫌いじゃない」
「そっか! じゃあ、始めようぜ!」

 地球の研究所、ボーンファイターと、ネポスの評議会、エクェスとの橋渡し役を務める以上、地球を訪れる機会は、度々ある。けれど、それとは別件で、仕事絡みじゃない私的な訪問というのは、……あれから、互いに色々と落ち着いた後、一年ほど過ぎた頃のこと、だっただろうか。突然ルークから連絡があって、久々に、地球の皆とリーベルトさんと私とで集まって、食事でもしないか、という話を持ちかけられて。……私は当初、無論、その申し出を断った。私が参加しては、皆の気が休まらないし、せっかくの席を台無しにしてしまうだろう、と言って。けれど、決してそんなことはないから、と、ルークに説得されている旨を相談したら、ソキウスから、気にせずに行ってくればいいじゃないか、と背を押されて、恐る恐る参加したその席は、……結果的に、大いに盛り上がって。ほら、だから言っただろう? と。ルークもソキウスも、まるで同じことを言うものだから、ネポスに帰ってから私は、なんだか可笑しくなってしまって、その後も不定期で続いているこの集まりに、私は今でも、参加させてもらっているのだった。
 そして、今日もまた、彼等との食事会のために、地球を訪れた、という訳で。……実際、私が親善大使に就任してしばらくは、評議会の議員から、厳しい目で見られることもあったし、新任のエクェスたちからも、“件のクーデター”の主犯格、として怯えられることもあって、レナードやアンナさんとだって、そうもすぐに、昔のように話せるようになったわけじゃない。……けれど、ルークの言った通りに。少しずつ、その溝は埋められている。今ではレナードと二人で研究の話をすることもあるし、私が彼に対して申し訳ない顔をすると、よしてください、なんて、困り顔で笑うのだ、レナードは。最近では、議会の方々とも、普通に話せるようになってきて、寧ろ、なにか困りごとはないか? なんて、あちらから訊ねてもらうことも、多々あるくらいだった。……そんな風に、少しずつ。私と世界との間にあった溝は、埋められていて。だから、私が世界から離反した理由は、結局遂げられずにいるけれど、あの時の選択は、私にとっては正解だったのだ、と。今でも、そう思っているのだ、私は。その考えこそが、或いは、最も、度し難いのかもしれないけれど。……それでも、私には。すべてを捨てたからこそ手に入れられた今が、大切だった。

「……おや。もう、こんな時間か」
「あ、そうだ。今日はみんな、うちに泊まっていくんだけどさ、とリーベルトさんも泊まっていくだろ? もうこんな時間だしさ、まだ、話したいことも、いくらでもあるし……父さんたちも、会いたがってるしさ」

 昼食会、として集まったはずが、気付けば日暮れも近く、すっかり話し込んでしまっていたらしい。……地球の彼等は、今では別々の道を歩んでいて、ルークは海洋学の研究に、タイロンは引き続き、大学で祖国のための勉学に励み、アントニオは、パフォーマーという夢を追いかけて、ギルバートに至っては、大統領になる、なんて言って、忙しい生活を送っているし、……翔悟も、進学して、充実した日々を送っているらしい。私のネポスでの新生活も、彼等の興味を引くところではあるようだし、……かつて、彼等と対話をしようとしてこなかった分を、これから、埋め合わせていくという意味でも、全然、話し足りなくて。確かに、話したいことなら、まだまだ、いくらでもあった。だからこそ、竜神家でゆっくりと、夜通し話の続きを、というのは、……私にとっても、魅力的な誘いでは、あるのだけれど。

「私はお言葉に甘えよう。だが、は……」
「うん、私は帰るね。ごめんなさい」
「なんだよ、もう帰っちまうのか!?」
「せっかく、久々に会えたっていうのに……」
「私も、まだ名残惜しいところでは、あるのだけれど……でも、約束してるから」
「約束……?」
「うん、夜までには帰ってこいって。それを条件に、今日も外出許可貰ってるの」
「……え、外出許可って、誰に……? 、別に監視されるような立場でもないだろ? それとも、エクェスって許可とかいるの?」
「いや? 今はそんなこともなくなったな」
「……じゃあ、それって、外泊はレボルトの許可が降りないから、もう帰るってこと……?」
「……オイオイオイ、どうにも穏やかじゃないねー、それ……」
「……さん、僕が言うのもなんですが。あなた、少しは言い返したほうが……あの、まさか、暴力を受けていたりしませんよね……!?」
「え!? 違う違う! いや、確かにレボルトの許可が出てないから帰るのだけれど、そういうことじゃなくて……!」

 しん、と静まり返るその場の空気に、レボルトへの疑念が大きく滲んでいることに気付けるくらいには、私も少しは、場の空気、というものが読めるようになったのだろうか、……なんてことを、言っている余裕もないほどに張り詰めた、その場の空気に、些か慌てる私を見て、両隣に座ったルーク、リーベルトが、一斉に私の顔を見る。事情を知っている二人は、……早く言っておくべきだったんじゃないのか? と言いたげな表情で私を見てくるけれど、……なんだか、改めて報告するのも気恥ずかしくて、結局、私は帰り際まで、言い出せずに来てしまったのだ。

「……、私が代わりに言おう」
「……ルーク……」
「皆、その、だな……は今、おめでた、というやつなんだ」
「……は?」
「めでたいって、何が……」
「……つまり、その……、彼女は今、お腹に新しい命がだな……」
「……え、」
「だから、あんまり出歩くなって、レボルトから言われてて……って言っても、まだ全然、支障ないくらいなんだけれどね? ほら、わざわざこんな服装してはいるけれど、見た目もあんまり変わらないでしょ?」
「……え!? お腹に子供が、いるってこと!?」
「それって……」
「……レボルトの、ですよね……?」
「……うん、そう」
「……こいつは、びっくりだよねー……」
「……あ! だからルーク、がうちの神社の階段降りるとき、手を貸そうとしてたんだ!?」
「は!? じゃあルークさんは前々から知ってたんですか!?」
「まあな」
「まあな、じゃないですよ……!」

 私が告げた言葉に、皆が動揺しているのは分かったし、だからこそ、なかなか言い出せなかった、というのもある。……ネポスに移住した後、私はレボルトの家族になる、という形で、あちらに戸籍を移した。……だからつまりは、そういうこと。私がネポスに残った理由が、レボルトの存在に他ならないということなど、みんな知っているだろうけれど、レボルトに対しては、今でも、彼等の中では、恐ろしい敵、という印象が強いことだろう。実際、その認識は間違っていなくて、私だって、レボルトが傍に私を置いてくれる、と言ってくれたからと言って、……こんなにも近くに、彼の伴侶として、傍に置いてもらえるとは、……正直、思っても見なかった。けれど、レボルトの中ではその選択しかなかったらしく、「戸籍で縛り付けておけば、簡単には逃げられぬであろう?」……なんて、あのひとは言っていたけれど。特に私の同意を得るまでもなく、推し進められたその契約に、私が異を唱える理由もなかったので、そのまま、その間柄に落ち着いて、……ありがたいことに、レボルトとの間に、この度、新しい家族を授かった、というわけで。……最初は、子供なんて、レボルトは欲しくないだろうなあ、と思っていたし、出産自体を否定される可能性も、考えていたけれど、実際、そんなことにはならなくて。子供のことも、私を繋ぎ止めておく道具くらいに思っているのかな、なんて風にも思ったけれど、……案外、そうでもなかったらしい。今日着ているワンピースも、専用の衣服が必要だと言ったレボルトが、気が早すぎるくらいに早く仕立ててくれたものだったし、何かあってからでは遅いから、と言って、出歩きを控えるように何度も言って、それから、「地球の連中には、俺の束縛が激しいとでも言い訳しておけ」なんてことも、本人は言っていたけれど、……残念ながら、既に皆には、真相を話してしまった。レボルト本人がどう思うかはともかく、……私は、私の好きなひとを、誤解してほしくはないから。

「……やさしいひとなの、案外ね。少なくとも、私のことは、大切にしてやってもいい、っていう気が、あるみたい」
「……なんか、不思議だよな。あのひと、宇宙を壊そうとしたのに……今は、のこと、護ろうとするんだ」
「……そうね、そこを突かれると、返す言葉もないけれど……」
「あ……いや、悪い意味じゃなくて! なんか、ほら、あの後もあんまり、レボルトと話したわけじゃないしさ、俺達……何度かは会ったけど、やっぱり睨まれたし……でも、なんか、そういう、さ? ……大切な日常、と、……ふたりの間の子供、とを……護ろうとするくらいには、……あのひとも、人間だったんだな、って……」
「……そうね、レボルトも私も、只のひとよ。……今は、そう思ってるの」
「……そっか」

 彼等は、レボルトのことを知らないし、私だって、彼の全てを理解できているか、といえば、そんなことはないと思う。けれど、私は少なくとも、他の誰かよりは、レボルトのことを知っているし、彼は他の誰よりも、私のことを知ってくれている。……だからこそ、私がこうして少しずつ、世界との溝を埋めていくように、私の手で、レボルトと世界との溝も、埋めていけたら良い、と思うのだ。その中には、彼を理解できるのは私だけでいい、というちょっぴりの独占欲もあって、だけど、やっぱり、……皆に、誤解はしてほしくない、少しでも、知っていてほしいと思う。あのひとは、只ちょっぴり、ううん、すごく、かもしれないけれど、……不器用なだけで、素直じゃないだけで、感情表現が下手なだけ、真面目すぎるだけで、……私にとっては、本当に大切なひとだし、皆が心配するような“酷いこと”だって、絶対にするようなひとじゃないのだ、ということを。

「……あら? 店の前に、誰かいるわね……お客さんかしら。……ねえ! 誰か、待ち合わせしてる?」

 そう、なんだか不思議で現実味がない、と言った顔をしている翔悟たちに、事情を説明していると、……智子さんが、カウンターの方からふと、そんな声を上げる。店の奥の広いテーブル席で話していた私達は、その声で弾かれたように、ふと店の入口、窓から見えるドアの向こうに目を向けて、

「……え、……うそ……」

 そうして、其処に立っていたのは。……目立つのを避けてか、地球の装束……黒いトレンチコートと、臙脂色のスーツに身を包んではいるけれど、……背格好が高いから、却って目立ってしまっていて、すっかり元の金髪に戻ったきれいな髪も、ここ日本では、酷く物珍しいから、余計に浮いた印象を与えてしまっていて、……そんな姿を、私が見間違えるわけがない。まさか、とは思いながらも、慌てて小走りで店外に出ると、……やっぱり、そこには、あなたがいて。

「……レボルト……!? なんで、どうして……」
「……おい! 走るな、と再三言ったであろうが! 転んで何かあったらどうする!?」
「ご、ごめん、びっくりして……」
「チッ……だから俺は反対だったのだ! 地球に出向くなど……」
「……でもさ、結局は見送って、それで、心配だからって迎えにまで来たんだろ?」
「! ドラゴン……」
「久しぶり、レボルト……さん」
「変わりないようで何よりだ、レボルト」
「フン……貴様にとっては、俺は目障りな存在であろう? シャークよ……取って付けたような挨拶などいらぬわ」
「まさか。……あなたには息災でいてもらわないと困るんだ、……何しろ、私の幼馴染があなたを必要としているからな」
「ルーク……」
「……ッハ、くだらん。俺はそいつを連れ戻しに来ただけだ。……帰るぞ、
「え、で、でも、あの……」
「……どうしたというのだ」
「みんなに、挨拶しないと……」
「……チッ、行って来い」
「! ありがとう、レボルト……」

 今度は走るな、と念を押されて、一度店内に戻って、リーベルトやタイロン達に、レボルトが迎えに来たから、と。先に帰る旨を伝えて軽く頭を下げる。外まで様子を見に来た、ルークと翔悟だけではなく、彼等にとっても、レボルトの登場は予想外だったようで、酷く驚いた顔で、少しの緊張感を讃えながらも呆然とする彼等と、また今度、と挨拶を交わして、

「……なあに? 外にいる人、もしかして、さんの旦那さんなの?」
「え! ……あ、あの、……はい。そうなんです……、迎えに、来てくれたみたいで……」
「やだ! すごい美形じゃない! 隅に置けないわねー! あ、私も挨拶したほうがいいかしら」
「あの、えっと、……彼は、日本語がまだ得意じゃないので、気持ちだけ……」
「あら、そーお? ……それより、さっき聞こえちゃったんだけど、さん、お母さんになるのね」
「……はい、そうなんです……」
「そっか……なんだか、安心したわー! ずっと、どうしてるか心配してたの……あ、なにか困ったことがあったら、いつでも頼ってよね。あと、赤ちゃんが生まれたら、ちゃんと顔見せに来ること! 旦那さんにも、それまでに日本語教えとくのよ? いい?」
「……うん。分かった、伝えておくね。……ありがとう、智子さん」
「ん? なにが?」
「……あなたに、会えて良かった。また、会いに来るね」
「当たり前でしょ! 翔悟も私も、皆もね。待ってるわ。またね、さん!」

 念の為、というか、……彼のしたこと自体は、覆るわけじゃないから。今でもレボルトは、ネポスの外、地球の一般人との接触が、評議会より許されていない。……それを律儀に守って、外で待っていてくれたのであろう彼を、……智子さんに、紹介できる日が来ればいいな、と。そのとき、そんな風に考えていたことが、自分でも少しだけ意外で、……ちょっと、らしくないかもなあ、なんて思いながら、もう一度、店内の彼等に向かって、また今度、と挨拶をしてから、店外へと出る。外に戻ると、ルークと翔悟となにか話していたらしいレボルトが、少し顔を顰めて、「とっとと帰るぞ」と、私に向かって手を差し出しながら其処に立っていて。ルークと翔悟が、呆然とその光景を眺めていることに、なんだか照れくさくなりながらも、私は、彼の手を取るのだった。

「……それじゃあ、ルーク、翔悟、また今度」
「ああ。身体には気をつけて」
「多分、生まれる前にまた、集まると思うけど……」
「貴様は馬鹿か? ドラゴンよ。来させる筈がなかろう、何かあったときに貴様が責任を取れるのか? 貴様の命では到底、償いきれんぞ……」
「はは、だよな。……じゃあ、次は俺達がネポスに行くよ」
「ああ、そうだな。レボルトの屋敷を訪ねるのは初めてだったな」
「来なくていい。……行くぞ、
「う、うん。……じゃあ、またね! ルーク、翔悟も!」
「ああ、またな!」
「また連絡するよ」
「するな!」
「あはは……」

 すっかり暗くなった帰り道、エデンを出たこの大通りも、見慣れたものだけれど、……レボルトに手を引かれながら、この道を歩いている今は、なんだか、まぼろしみたいで、夢みたいで、不思議なきもちだった。星灯りが照らす道を歩きながら、ふと、私は、繋がれた手がひどく冷たいことに気付いて、彼に訊ねてみる。まだ夜は冷える春先、……一体、このひとは、いつから、外で、私を待っていてくれたのだろう。

「……レボルト、ずっと外に居たの?」
「そんなわけがあるか。先程来たところだ」
「そう……迎えに、来てくれたんだね」
「……待ち合わせ場所に、早めに着いただけの話だ。ソキウスと共に立ち尽くしていても仕方がなかろう、想定よりも、日が落ちるのも早かったからな……」
「……そっか、ありがとね」
「……フン、好きに言っているが良い。……それよりも、だ」
「なあに?」
「この俺がわざわざ、地球の装束に身を包んでいるというのに……当のお前がその格好では、目立って仕方がないではないか?」
「ふふ、ごめんね? みんなに、見せたかったの。レボルトが選んでくれた服だったから……」
「……馬鹿なことを……」

 このひとは、ちょっぴり、……ううん、かなり、素直じゃなくて、というか、人に本心を伝え慣れていないから、こんな言い方をしてしまうだけで、……実際には、今だって、暗い場所でよく見えないと思って油断しているのか、ひどく満ち足りた顔で笑っているし、そもそも、レボルトが今着ている服だって、以前に私が地球に降りた際に、レボルトに似合いそうだから、と。そう言って、見繕って帰った品だった。その当時は、こんなもん誰が着るか、なんて言われたけれど、結局、大事に保管して、着てきてくれたんだなあ、なんて思うと、……やっぱり私は、このひとがだいすきだな、と思うし、……このひとに私を選んでもらえて、幸せだったな、と。そう、思う。

「……ねえ、レボルト、やっぱりその服似合ってる。今度、地球に遊びに来よう? もっとちゃんと、その服着てるところ、見たいから……」
「……今度、でいいのか?」
「え?」
「……今から、でも俺は構わんぞ」
「で、でも、夜には帰れって……」
「それは、俺が付いていない場合の話だ。……で? どうする、俺と何処に行きたいというのだ、よ」
「……あなたとなら、何処へでも」
「……ッハハ、全く、酔狂な奴だ……では、行くか」
「……え、でも、待って、ソキウスは? 待ち合わせ場所に居るんでしょ?」
「ハァ……? んなもん、放っておけ。俺達が戻らなければ、あいつも勝手にするであろう」
「だめだよ! それなら、三人でいこう、ソキウスも一緒に!」
「……別に、放っておけばいいだろうが……」
「だめ! ほら、ソキウス迎えに行こう!」
「ッ、だから、走るなと言っておろうが!? おい、! 止まれ!」

 別に、走る、なんていうほど、足を速めたわけじゃない。ほんのすこしだけ、繋がれた手を引いて、早足で歩いてみただけ。でも、そんなことでも、あなたは私のことを、私との間に築かれていくものを、心配してくれるんだね。……確かに、言葉では、分かりづらいかも知れないけれど。……確かに、この関係は、この先も、世界からの完全な理解を受けることは、出来ないのかも知れないけれど。もし、そうだとしても、……私は、もう、それでもいいな、と思ってしまった。だって、私のことは、あなたが誰より分かってくれている。……あなたのことは、私が誰よりも分かっている。

「……ね、行こうよ、レボルト! あなたとなら、何処でも楽しいから!」
「……仕方のない奴だ……」

 そして、今は。……その旅路に、これからもソキウスが、ルークが居ればいいと思う。翔悟が、グラディスが、タイロンが、リーベルトが、アントニオが、ベントーザが、ギルバートが、セミリアが、……みんなが、見守ってくれていたなら嬉しいな、と。そう、思う。それは勿論、無償で受けていい施しではないし、私は、自分が罪人であることを、生涯忘れないことだろう。……でも、それでも、星灯りが照らすこの夜は、もう、暗いだけの路じゃない。……遠雷は、既に誰よりも傍に在り、私には、雷光の導きが、付いているのだ。

「行こう、レボルト! ……あなたの望む世界を、探しに行こう!」

 春雷は、此処に帰結する。冥府の門は閉じた、私にも彼にも、……まだ、幾らでも明日があるんだよ。 inserted by FC2 system


close
inserted by FC2 system