遣る瀬なくまたたく透明

「……レボルト様、毎晩、あの地球人を部屋に呼んでいるらしいな」

 誰が最初にその噂を唱え始めたのかは知らないし、私にはその真偽を問いただす理由もなければ、否定する理由もなかった。そもそも、実際その噂は事実だったのだ。私がネポスに身を寄せてからというもの、レボルトは毎晩彼の自室に私を呼びつける。私は特に断る必要も無かったので、その呼び出しに応じていたし、呼ばれなくとも、私は勝手に、彼の部屋に行く。それは、私自身、その呼び出しを楽しんでいたから、だった。夜な夜な行われるその逢瀬が、皆の想像しているものとは、かけ離れていることだけは、誰も知らなかったし、真相を伝えたところで、誰も信じないのだろう、と。そう、分かっていたからこそ、私は否定する気もなかったし、それはレボルトも同じだったのだろう。寧ろ、下手な否定は詮索を招く。……これが、秘密裏に行われる計画である以上、周囲の思い込みは寧ろ、私とレボルトにとって、都合のいいものだった。

「……さて、今夜は何の話を持ってきたのだ?」

 挑発的なその口調と裏腹に、彼の紫電の瞳は、普段の不敵で不遜、ギラついた眼光とはかけ離れた、少年の目の色をしていて、私に向かって彼には物珍しい地球の話を強請る。それは、別に地球の話では無くとも構わなくて、私の見たこと、感じたこと、想うこと、願うこと、そんな様々に耳を傾け、ときに議論し、レボルト自身も、彼の内側にある色々を語るだけのこの時間を、この男もまた、酷く楽しんでいるように、私には思えていた。
 ネポスに身を寄せてから暫く、少しずつ彼を知るうちに、私は想ったのだ、……きっとレボルトは、こんな風に、誰かに。自分のありのままを、今考えていることを、自分の中身を、語り聞かせたことなど無かったのだろう、と。自分が異常で他人が正常、他人が異常で自分が正常、その境界線を見極め、欺いてきたレボルトはきっと、誰かと語り明かすことなんて出来なかった。……実際、レボルトは基本的に相手の目を、相手の顔を見ては、会話をしたがらない。部下の報告もウロボロス、……ソキウスの言葉も、全て、そっぽを向いて聞こうとする。それは、きっと、相手に関心がないからではなくて、自分の真意を暴かれることを、恐れてきたからこその自然な行動、なんじゃないかと、思うのだ。……その彼が、好き好んで、私と朝まで話がしたいと言うのなら、私は、これ以上に嬉しく、名誉なことはないと思った。だってそれは私も同じで、この時間が只々楽しいと、そう思ってしまう。……考えも、しなかった。苦悩さえ、放棄していた、私には。地球で呼吸をすること、与えられた使命を只々全うすること、それだけしか私の中には存在していないのだと、そう思っていたから。得ようと思わなかった、前に進もうとしなかった、何かを欲しようともせずに、死んだように生きてきた私には、……今、欲しいものがある。

「……それで、だ。俺はその時思ったのだ、このネポスの体勢は、魔神に抗わぬ我々は、実に異常であると。だからこそ、俺は……」

 ……この男の描く夢の結末が、私は欲しい。至るべき終焉が、私は、どうしても欲しくなってしまった。誰を、何処を、何を、犠牲にしたとしても、構わない。それが許されないなら、……私の目を真っ直ぐに見つめて放たれる、彼の言葉を聞いていると、私が全ての咎を背負っても良い、地獄に落ちてもいいとさえ、思ってしまう。私の世界に、瞳に色彩を与えてくれた人。レボルトの為なら、何だって、……と。そう、想うようになった、私は。あなたが笑っている明日を、私は欲しい。それが手に入るなら、他にはもう何も望まない。……そう、望まないの。

「……早く、見たいな」
「見たい?」
「レボルトの夢が叶う瞬間、私も楽しみなんだ。一瞬でもいいから、見られたらいいなって」
「……おかしなことを言うものだな、お前は」

 ……ああ、本当に、おかしなことを言ったものだと思う、私も。自分はその日、きっとそこには居ないのに、ね。そんなことも承知で、それでも私は、レボルトがまっすぐに目を合わせて話してくれる相手が、私だけ、だったから。……それだけの事実で、……もう、十分。きっといい人生だったと、最後に思える、と。……そう、思うのだ。

 そんな具合で、ネポスに身を寄せてからは、レボルトとの対話が私の何よりの楽しみではあったけれど、流石にレボルトも、日がな一日、私の相手をしていられるほどに暇ではない。けれど、一方の私は、……正直、毎日心底に暇だった。レボルトの一派内では、食客としてそれなりの権限を与えてもらってはいるものの、議会には捕虜、として報告してあるそうで、私は、屋敷の外には、基本的に外出が出来なかった。そもそも、土地勘もないのだから、外で何かが出来るわけでもないけれど。それで、あまりにも暇だったからと、レボルトが貸してくれた本を読むにも、言語が理解できないから、それならば、と、ネポスの言語を勉強して、少し読み書きや会話が出来るようになったのだけれど、……私に、ネポスの文化や風習、土地柄の事情だとか言語、……そういった、ネポスで生きていくための幾許かを、教えてくれたのが、……ソキウス、だった。
 何も、することも出来ることもない、……とは言っても、本当に、ぼんやりと過ごしているだけでは、私の目的である、レボルトの悲願への貢献……には程遠く、それに、……何より、ひとりきりで過ごしていると、嫌でも地球の皆のことを、考えてしまう。私の気持ちは、元から彼等の元にはなくて、私が彼等に、地球に抱けた最大限では、やはり彼等の普通には満たなかった、私ではダメだったのだと、もう、自分の中で整理が付いてしまった。今は、戦場で相対することもないけれど、……多分、レボルトは、必要になれば彼等への揺さぶりの材料として、私を投下する事態も検討、想定していると思うし、レボルトに指示されたのなら、私は、……彼等とでも、戦える。もう、戻らないと決めたのだ。戻れないと、決めた。……でも、彼等に、ルークたちに、……何も感じていないわけでは、無かったから。罪の意識を覚えない、という選択を掴み取れるほど、私の精神は強靭でも、完全でもなくて、だからこそ、私はレボルトに憧れたのだと思う。私よりもずっと、苦悩の人生を送ってきた彼が、それでも力強い歩みで、惑わずに光射す方を目指そうとしていたから。……私は、彼の力になりたい、その結末を見届けたいと、そう思うのだ。

「……ねえ、ソキウス。此処の表現、なんだけれど……」
「ん? ……此処か?」
「そう。この表現って、なにかの比喩?」
「ああ、此処か。これはだな……」

 現地の書物を読解しながら、時折行き詰まると、隣で書類を片付けているソキウスに訊ねて、少しずつでも理解を深めて、現地特有の言い回しや比喩表現なんかも、多少は覚えてきて、以前よりはスムーズに内容を理解できるように、なってきた。
 こんな風に、ソキウスはよく、私が暇を持て余しがちな日中、私の相手を率先して引き受けてくれている。
 本人曰く、レボルトほど多忙ではないから、……とは、ソキウスの言い分だけれど、一応彼も評議会の一員なわけで、流石に毎日、という訳にもいかないけれど。……レボルトが、ソキウスが私に構うのを放置しているのは、ソキウスが私の傍にいることで、レボルトへの目を撹乱する目的もあるのかもな、……と、私は思っていて、……でも、それは勿論、……ソキウスには伝えていない。

『……ソキウスには、真相を決して話すな』

 ……そう、レボルトに、言われたのだ。私がレボルトの計画の全貌を聞かされた後に、その真実はソキウスにさえ告げられていない事実なのだと知らされた。ソキウスは協力者ではあるが、あいつは穏健派だ、真相を伝えれば面倒なことになる、と。……そう、冷静に断言したレボルトに、ならば何故、私なんかに、とは、思わなくも無かったが、本来なら私はとっくに、彼に殺されていたかもしれない、地球人なのだし。きっと、話しても問題が無かったのだろう、と思う。気紛れだったのかもしれないし、私を試したのかもしれない、その結果、今後も利用価値がある、計画に支障を来さない駒だ、と。レボルトが決定したから、私は延命させられている、という面も実際、大いにあるのだろう。実際問題、私はこうしてぼんやりと過ごしながらも、大分レボルトの役に立っていると思う。地球の情報を私から聞き出すことも出来るし、私の裏切り、……というより、現状ではネポスでの捕縛、だけれど。優しい彼等のことだから、……少しは、私の置かれた実情に、何かを思ってくれたのかもしれない。そして、その私がいずれ最前線に出れば、優しい彼等だ、迷いもする、隙も生じる。……本当に、私は、最低の裏切り者だ。それを理解していながら、レボルトに加担しているのだもの、私。
 レボルトが置いてくれた待遇は、食客……とはいえ、地球人とはネポス人にとって、当面のターゲットであり、滅びの運命にある種族であり、文明の面から見ても、私は彼等からすれば下等生物だ。その私が、その他大勢のエクェスから、厚遇される筈がない。上官の決定だから、目を瞑られているだけで。……当然、一派内でも悪浮きしていた私に、最初に声を掛けてくれたのが、ソキウスだった。彼自身、地球人のことは嫌っていると聞いたが、それでも、一応はレボルトの協力者として招かれた私に、ソキウスは関心と配慮を持って接しようと考えてくれたらしい。それは些細な興味だったのかもしれないが、紛れもなく、親切心があった。……レボルトとは、違って。ソキウスには、その他大勢への善意と言うものが確かに、備わっていたのだ。
 ……だから、すぐに分かってしまった。
 この人は、私と違って優しいから、……レボルトの相方にはなれなかったのだ、と。

「……ときに、よ」
「なに? ソキウス」
「お前、レボルトとは上手くやれているか?」
「……? そうね……? 特に、問題はない、と思うけれど……」
「そうか、ならばいい。あいつは不器用なところがある、何かあれば俺に相談するといい。幾らか助力はしよう」
「……? それ、どういうこと?」
「うん? 何、お前はレボルトの愛人だろう? だからだな……」
「……え、ちょっと、今なんて言ったの……?」
「……なんだ? お前はレボルトの愛人ではなかったのか?」
「……え?」

 ……このひとは、善良だったから、本当に、善人だったから。だから、そんな思い違いをしているのだ、と。その時私は、真っ先にそう思った。他にも、似たような勘違いをしている人はいたけれど、それらはどれも、冷やかしや憐憫の眼差しを向けるばかり、だったのに。あろうことか、ソキウスは言うのだ。レボルトの態度で気に障る点があれば、俺から進言して改めるように言っておくから、思い悩む前に俺に相談するのだぞ、と。……あり得ないほどの親切心で、彼は、そう言ったのだ。

「違うのか? 俺はてっきりそういう間柄かとばかり……」
「え、……え? ま、待って、愛人って……いうことは……レ、レボルト、もしかしてそういう相手……お、お嫁さんとかが、いるの!?」
「いや? 俺の知る限りでは居なかったはず……ああ、そうか。愛人という表現は不適切だな、お前が、本命の恋人なのか」
「ち、ちが……違うよ、そういうのじゃ、ない……」
「ん? そうなのか?」
「……いや、だって……レボルトには私じゃ、だめだと思う……」
「……はて。あの色男、ああ見えて、そう言ったことに関心が薄くてな……」
「……?」
「珍しいものだと思っていたのだ、あのレボルトが、お前には随分と熱心に見える」
「……それは、ないよ……」
「そうか? 部下達も噂しているぞ、あのレボルトが地球から凄い美人を連れ帰ってきた、とな。……まあ、そう悲観する必要もないだろう。敵がいるわけでもないのだからな」
「……? 悲観? 敵……?」
「ん? お前はレボルトのことが好きなのだろう?」

 周囲がそういう“勘違い”をする理由も全て、私が彼を追ってネポスに来て、その後、毎晩の密会を重ねているから、……という、それだけでしかなかったのに。ソキウスが私に告げたのは、到底、それらとは別次元の問いだった。ソキウスには、……私が、レボルトに恋をしているように見えたから、そう思っていたのだと彼は言う。

「……そんな、こと、ないよ……」
「まさか。違わないだろう? 俺の見立てが間違っているとは思えないが」
「……好き、……うん、そうね、レボルトのことは好き……私の、恩人だから……でも、それ以上の理由、とかは……」
「ははは。……よ、お前はそれだけの理由で、母星を捨てられるのか? 違うだろう?」
「…………」
「惚れた男を追って、……単身、敵陣の中央まで押し掛けてくるとは。なんとも度胸が座っている、……レボルトが、気に入るわけだ」

 違う、そんなのじゃない、とは言ったものの、ソキウスは「お前は嘘が下手だな、」……なんて言って、意にも介さない。……そんなこと、急に言われても分からない。……そう言えば私、そもそも、恋を知らないのだ。こんなにも強烈に、誰かを大切に思ったことが、このひとのためにならなんだってしてあげたい、と思ったことが、只の一度だって、私の生涯には、なかったから。

「……それを、恋というのだぞ、よ」

 他人事だからって、楽しそうに、って。避難を込めた目で私はソキウスを睨んだけれど、ソキウスは、……何故か、とても嬉しそうに笑っていて、……気付けば、気が削がれたからか、私もなんだか、否定する気力を失ってしまっていた。 inserted by FC2 system


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