セブンスヘブンは裳抜の殻

 最初に好きになったのは、その名前だった。だって、レボルト、という彼の名前を知った日から私の世界には希望が差し込んだのだもの。つまり、私にとって彼の名前は福音だったのだ。レボルト、れぼると。きれいな音の響きに、一筋の雷鳴のような力強さの宿る、うつくしい名前。その名前のひとに一目会ってみたくて、どうか彼と話がしたいと願っていた私が次に好きになったのは、彼の人柄。初対面の私に会話の機会を与えてくれた彼を、どうあれ私は優しいひとだと思ったのだ。彼の思惑が何処にあったのだとしても、私にとってそれは、揺るぎのない真実でしかなかった。それから、間近でレボルトが戦うのを初めて見て、その強さに憧れて、戦士としての彼を好きになって。その次は、彼の理想を好きだと思った。自分の夢を語り聞かせてくれた晩、レボルトは少年みたいに目を爛々と輝やかせていて、ギラついたその光に眼が釘付けになって。……それで、その次は人となりを好きになったのだった、なあ。人となりって、人柄と同じように聞こえるかもしれないけれど、決してそんなことはなくて、実はぜんぜん違う。彼の人柄を勝手に決めつけていた頃から、私はレボルトを好きだったけれど、私は、彼の本当の人となりを知って、前よりもずっと、レボルトを好きになった。……それから、その次はきっと、性格、だったかな。自尊心が高い癖に、自分の目的の為なら人当たりが柔らかい素振りを演じてみたり、レボルトは心底嫌そうに愛想を振りまいていたに過ぎないのだけれど、どんなに嫌でも“そういうこと”が出来る、彼の覚悟の強さに憧れて、……それでもやっぱり、嫌なものは嫌だと不満を漏らしていた姿は、ちょっとだけ可愛らしいと思った。……その次は、背格好だった、なあ。鍛え上げられた長身の身体は、戦士と呼ぶに相応しくて、同じボーンファイターとして尊敬したし、どれだけ厳しい鍛錬を積んできたのだろうと思って憧れたものだ。それから、綺麗な髪の色だなあと彼の金色が好きになって、宇宙よりも深くてうつくしい星の海のようないろだと、その紫電のひとみを好きになった。……と、私がこういうと、決まってお前はおかしい、と言われる。

「どう考えても逆だろう、普通は顔からではないのか?」
「なんでよ……! 人を面食いみたいに言わないでくれる!?」
「そうは言っていないが、……一目惚れだとか、そういった類なのだと思っていたのでな」
「それは、レボルトは勿論、格好良いけれど……そう思ったのは、出会って暫く経ってから、かなあ……」
「ほう?」
「レボルトのこと、すっごく好きになってから、きれいな顔立ちなんだ、って気付いて……多分、あの頃は私の視野が狭かったからだろうけれど」
「なるほどな?」
「……だから、逆に今更、ね? ……レボルトを見てると、格好良すぎて緊張する……」
「……すまんが、俺には理解できないな……」
「……なんでよ!?」
「俺がこう言ってはあれだが……顔が唯一の取り柄のような男だろう、あいつは」
「……ソキウス、喧嘩売ってる?」
「まさか。それに、名前……というのはよく分からんがまあ譲歩するとして。人柄からレボルトを好きになった? 騙されていたわけでもないというのに? ……どうかしているのではないか? よ……」

 ゾッ、とした顔で私を見つめてくるソキウスには、あんまりそんなこと言われる覚えもないと思うのだけれど、……というか、ソキウスなら納得してくれるんじゃないか、なんて思ってもいたのだけれど。……残念ながら、そうでもなかったらしい。……事の発端は少し前、地球の研究所で定期連絡を兼ねた会議の後、久々に顔を合わせたアントニオから、ふと何気なく訊ねられたのだ。「そういやは、なんでレボルトを好きになったんだ?」と。それはちょっとした雑談で、けれど、地球の彼らが、ネポスで暮らす私の身を案じてくれているのも知っているから、私は正直にレボルトの好きなところを見付けた順番を、彼らへと説明したのだけれど。

「……アントニオも同じこと……は言わなかったけれど、驚いてた……」
「それはそうだ」
「ルークには、なんか、心配されたし……研究所の人たちにも……」
「ふむ、人を見る目を養えなかったのは自分たちの責任、とでも思われたか?」
「……ソキウス、あなた本当に意地が悪いのね」
「……冗談だ。……まあ、そうだな、彼らが不安に思うのはもっともだ。それは、お前も分かっているのだろう? 
「……うん、分かりたく、ないけれど」

 ───分かりたくはないけれど、ちゃんと、分かっている。レボルトは彼らにとって未だ驚異で、得体の知れない存在で、……そんな彼のことを正しく理解して欲しいから、私も無意味に包み隠したり言葉を濁したりはせずに、ほんとうのことを、伝えたのだけれど。

「……むずかしい、な」

 なかなかどうして、……深い溝というものは、埋まらないものだ。私とルークの間にあったそれが、修復までに十二年を要したくらいだし、……それはもちろん、すぐに理解を得られるなんて思っていないけれど。

「……残念だが、俺もまだレボルトを正しく理解できているとは言えない。あいつへの理解は、現状、お前だけのものだ」
「……うん」
「急がずとも、いいのではないか? お前にすべてを許されて受け入れられているだけでも、あいつにとっては幸福なことだろう」
「……そうだと、いいなあ……」

 ───それでも、今の私は、レボルトありきの存在だと自認しているから。……知ってほしいのだ、彼のことを、少しでも。私が好ましく思う部分を、彼が持つ本当のこころのいろを。……そうすればきっと、彼らもレボルトを恐ろしく思ったりなんて、しなくなるだろうから。


「……と、いう話題を昨日、お前の嫁と話したぞ、レボルト」
「……それは、俺に報告する許可を得ているのか?」
「まさか。俺の一存だが……レボルト、お前もやはり丸くなったな」
「ハァ? 何の話をしている、ソキウス……」
「そうだろう? 今、お前が俺に異を唱えたのは、の権利を俺に侵害されたからだ。……そうか、お前もだけは対等に扱っているのだな、……俺は嬉しく思うぞ、レボルトよ」
「くだらん……勝手に言っていろ、俺にそのようなつもりは更々無いわ」
「はは、そうかそうか」

 ───気楽な奴だ、と。そう、思う。……先の一件を経て今も尚、俺の視界の端をチョロチョロと動き回っているソキウスを見る度に、俺はそう思い、この男に対する薄気味の悪さすら覚えている。未だに友人気分か? ……と、そう、本人に問いかけたこともある。だが、突き放すつもりで投げかけた俺の嘲笑に対して、この男はいけしゃあしゃあと宣うだけだった。「いや? お前にとって俺は友人ではないと思い知ったが、のお陰で少しはお前にも、理解が及ぶようになったと思っている。俺はそれに感謝しているし、俺にとって友であるの言葉を信じている。だからお前のことも信じているだけだよ、レボルト」……と。それが至極真っ当な理論だとで言いたげな表情で、穏やかに。対して、俺はそれを、実に気味の悪い理屈だと、そう思った。……俺は元より、他者の理解など求めていなければ、ソキウスとの和解なども今更に望むはずもない。だけは、その例外で、あいつだけは俺を正しく理解していると、そう思ってはいるが。に俺の心を代弁させるつもりなどないし、ソキウスに語り聞かせろと言った覚えもない。……ならば、余計な世話だと払いのければ良いだけのことだろうに。俺がそうしないのは、悪意とお節介で俺への密告を繰り返すソキウスに、咎めるような眼を向けるようになったのは、……まさか、俺が幾らか変わったからとでも言うのだろうか。

 ───ソキウス曰く、あいつは、俺の名を真っ先に好きになったのだと言うが、俺はその逆だ。相互理解を伴いながらも、他よりは幾らか似ているようで、まるで正反対な俺とあいつの在り方は、その好意の形もが明確に真逆だったのだろう。

 ……俺が最初に目を惹かれたのは、の持つ、そのひとみのいろだった。

 銀河の海のような深い色は暗く沈み、それでも星の河の眩さが、意志の強さが、あの女の瞳には、確かに宿っていた。その瞳こそを好ましく思ったからこそ、俺はが視界に入れば、その目を見つめていたのだろうと思うし、……俺にとっては、他者の眼を見て言葉を紡ぐなど、前代未聞の有り得ん行動だった。瞳は言葉などよりも遥かに雄弁に、人の真意を語る。だからこそ、俺は他人の目を見ることを嫌悪したし、瞳を覗き込まれることも嫌いだった。俺の考えの一片も理解出来ぬ愚か者共に、俺の悪意だけを看破されることを避けようと、誰とも目を合わせずに生きてきたというのに。……あの女の星の眼だけが、はじめからずっと、俺をまっすぐに射抜いていたのだ。そうして、あいつの瞳を見つめているうちに、が存外悪くない顔立ち、容姿をしていることに気付いたように思う。他人の見てくれなど、それこそ、まるで興味も惹かれないのが常だったが、地球の研究所の制服だという簡素な衣装ばかりを身に着けていることを、少しばかり勿体なく思い、ネポスの装束を見立ててやろうかと魔が差したことも何度かある。……まあ、それを実行に移したのは、すべてが終わった後のこと、だったがな。絹のような髪は癖毛の俺とは正反対で美しく、性根の曲がった俺とは大違いだと思った。瞳も、髪も、顔立ちも、凛とした立ち姿も、そのすべてが、あいつの人柄を表しているようだと思い始めた頃から、の人となりに、人柄に、信を置くようになり、その中身もまあ、悪くはないし嫌いでもないと感じていたように思う。そんな風に、あんなにも純で清らかな心を持ち合わせながら、任務の際には一切の迷いを振り切って剣を抜く姿を見て、その繊細さをますます好ましく感じたのだ、俺は。……あれは、硝子細工のように、水のように、透き通っているのに。力を加えて叩き付けたのならば、簡単に砕けてしまう癖に、それでも。は己が身が砕けるのも厭わずに、俺のためだけに心を砕く。その在り方に目を惹かれて、失い難いと微かに思い始め、……いいや、俺にこの執着の自覚が伴い始めた頃、というのが正しいのだろう。……その、頃から、、という馴染みの薄い異星の名の響きを、俺は何よりも耳障り良い音だと感じるようになっていた。……嗚呼、この者の声だけが、俺にとっての福音であるのかもしれぬ、と。

「……ところで、お前はどうなのだ?」
「……何の話だ、ソキウス」
「お前は、の何処を好ましいと思っているんだ?」
「は、俺が貴様にそれを話すとでも?」
「思ってはいないが。聞かせてくれたのなら、そうだな……にいい報告が出来るだろう?」
「……へと情報が漏れると分かっていて、俺が貴様に教えると思うか?」
「はは、そうか。……いや、だが安心したぞ、レボルトよ」
「……何が言いたい?」
「いや、なに……お前はを好ましく思っている自覚があるのだな、と思ってな」
「は、……それは、貴様の勝手な幻想だろうよ、ソキウス」
「構わんさ。……だが、本人くらいには伝えてやっても罰は当たらんだろう。……まあ、もっとも、お前にそんな言葉を囁かれた日には、驚天動地の大事件かもしれないがな、あいつにとっては」
「……フン、勝手に言っていろ」
「ああ、俺も勝手にしよう、……お前のようにな、レボルト」

 ……あながちそれが悪い冗談でもないのだから、手に負えんのだ、あいつは。がネポスに残り、俺とはとっくに恋仲、それどころか籍を入れた間柄であるというのに、……どうにも、いまいちあいつは自覚が薄い。それも、好かれすぎている証拠だとは言えども、度が過ぎれば腹立たしいこともあるだろうが。……まあ、だからこそ、それも一興でもあるか。ソキウスの甘言などに乗せられるのは相当に癪だが、……少しくらいなら、言ってやってもいい。狼狽して、慌てて、あの瞳の中に流星群を降らせながら、か細い声で愛を乞う姿を思い浮かべて気を良くする程度には、俺もとっくに可笑しくなっているのだ。……ならばこそ、やはり。お前が何を思おうが、俺の真意を知る者など、お前だけでいいのだろうに。……ああ、そうだとも、俺はお前さえ手元に残れば、最早それだけでいい。他に隣人など要らぬと、心からそう思っていて、……だからこれは、きっと友情などではない。……只、お前が柱の陰で俺とソキウスに淹れたのであろう茶を持って、俺達の会話を盗み聞いていることに気付いたからこそ、お前の反応見たさに言葉が滑り落ちただけのことで。

「……気が変わった」
「……何?」
「興が乗った。……よかろう、ソキウス。たまには話してやっても構わん、……そうだなァ、俺がを好ましく思っている理由は……」

 俺の中に眠る理由を、語り聞かせてやろうと思うようになったのは、……確かに、あの白い龍との出会いに他ならなかったのだとしても。……俺は、自分が善良になりつつあるなどと誤認するほどには、傲慢な人間ではないのだ、よ。 inserted by FC2 system


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