君の地獄に泥を塗らない

 毎晩、就寝する際にレボルトは決まって髪を解く。長くてきれいな髪なのだし、寝ている間に絡んじゃうよ、普段みたいに三つ編みにしておいたほうがいいよ、と。……最初の頃は本当に、彼を気遣ってそう言っていたのだけれど。

「……おい、そろそろ俺は寝るぞ。お前も支度をしろ」
「…………」

 ……そう、最初はね、本当に心配していただけなの。私のほうは地球にいた頃からずっと、夜は髪が絡まないように三つ編みにして眠っていたから、こうしたほうがいいよ、面倒だったら私がレボルトの髪も結ぶよ、って。そう、言ったのだけれど。レボルトは頑なな態度で、別にこのままでいい、と言って私の意見を聞き入れてはくれなくて。……彼のふわふわの癖っ毛も私は可愛くて好きだけれど、レボルト本人はあまり自分の髪質が好きじゃないみたいで、普段三つ編みに束ねているのも髪が跳ねるから、という理由のようだし。束ねて眠ったところで翌朝にはどの道、癖になってしまうから、それが腹立たしくて夜は髪を下ろしている、というのが頑なな態度の大きな理由のようだったし。……それは、まあ。私はこの通り、ほんとうにどうしようもないくらいにレボルトにベタ惚れなので、彼がそう考えているのなら、勿体ないな、という気持ちはあってもレボルトの意向を汲みたいと、ちゃんとそう思っているのだ。……そう、思っているのだけれどね、本当に。

「おい、何を呆けている……さっさと支度を」
「……あの、レボルト?」
「……なんだ、
「やっぱり、髪結ばない……?」
「ハァ? ……以前にも言ったであろうが、俺はお前とは違い、束ねたところで……」
「あの、そういう問題じゃなくて……」
「……何だと言うのだ、一体……」
「……る、から……」
「……何?」
「……ちょっとかっこよすぎる、から……結んでいてほしいのですが……!」
「……ハァ……?」

 何を言っているんだ、と言いたげなその表情に、私は必死な弁解を重ねる。……何も、普段の髪型が似合っていないだとか、そういうことではないの。緩く三つ編みに束ねた普段の髪型も、可愛らしいし、レボルトによく似合っているし、私はとっても好きだ。……でも、そうして髪を束ねている姿ばかりを平時から見慣れているから、……レボルトがそのきれいな髪を解いている姿は、どうしようもないほどに、私の心臓に悪い。リラックスしているのが見ていて分かるから、気を許されているような気分に、なってしまうし、……なんだか、変な気持ちになって、そわそわして、落ち着かない、のだ。───屋敷の寝室、広い寝台の上で彼の腕に抱きかかえられて眠るときにも、ふわふわの髪が私のほうへと落ちてくる度に、頬も首筋も肩も心の奥底も、そのすべてがくすぐったくてたまらない気持ちになってしまう。……そもそも、ちょっと格好良すぎる、でしょう。彼の整った顔立ちと、深い紫電のいろをしたひとみには、只でさえそのきれいな金髪が映えるというのに、着ているものはラフな寝間着だというのに、どうしてそんなに格好良くなっちゃうの!? ……と、いうようなことを、私はどうにか冷静に、……冷静になれていたかは知らないけれど、包み隠さずに私の思っていることをすべて、正直に彼に話した。元々、共犯関係から始まって、お互いの奥底を共有していた延長線上にあるこの関係の中で、レボルトはどんなに些細な物事でも私が彼に隠し事をすることを嫌っていたし、私の方もレボルトに何かを隠そうなんてこれっぽっちも思っていないので、平時からそのようにしているのだった。……もっとも、お陰で私がレボルトに向ける感情など、何もかもが彼に筒抜けになってしまっているわけなのだけれど、まあ、それも隠そうとしていた頃、隠さなきゃいけない、なかったことにしなきゃいけないと思っていた時期があったことを考えれば、別にいいかな、と思っている。───だから今日も、私は促されるままにすべてを正直に打ち明けた訳なのだけれど、私の言い分を理解した途端、レボルトは薄い唇に弧を描いて、心底意地悪く笑うのだった。それはもう、この上なく悪辣に。

「……なるほど、お前の言い分は分かった。だが、その上で交渉は決裂だ。残念であったなァ……?」
「な、なんで……どうして……!?」
「愉快だからに決まっているであろうが。……ふ、なかなかどうして、気分が良いものだ」
「な、……なんでそんなこと言うの……! 私は真剣なのに……!」
「そんなことは理解している。だが、俺の知ったことではないと言っているのだ。……大体、いい加減に見慣れてはどうだ? ……何も、同衾が初めてなわけでもあるまい。毎晩共に眠っているだろうが」
「そ、……れは、そう、だけれど……」
「それを何だ? お前はいつまでも、そうも生娘のような反応をしおって……」
「な、……なんでそういうこと言うの……!?」

 ……まあ、確かにレボルトの言い分は、正しい。それこそ、只の共犯者、お互いに利用しあっているだけの間柄だった頃から、私は度々レボルトと一緒に眠らせてもらっていたし、彼の隣に寝転んで抱きかかえられていると、宇宙の何処にいるよりも私は安心するのだ。……だから確かに、それはそうなのだけれど、これはこれで。先の騒動が収束して、私がネポス、───レボルトの隣に何の負い目もなく腰を落ち着けて、色々と冷静に物事を見つめたり、気を緩められるようになった今だからこそ、気になってしまうことがいくつもあるわけで。……それこそ、以前の私は、まさか私がレボルトにとっての共犯者以上の何かになれるなんて夢にも思っていなかったし、年の功だとか、余裕ならレボルトのほうがずっとたくさん持ち合わせているのかも知れないし、……もしも、レボルトからめんどうくさいと思われたとしても、そう簡単に、なんでもないことになんて、出来ないよ。

「……レボルト、自分が格好良いこと、もっと自覚してほしい……」
「……俺は、自身の容姿に自覚を持てる程度の視野は持っているつもりだが? その自覚もないお前が、よくも俺にそのような言葉を言えたものだなァ、……」
「……?」
「で、言いたいことはそれだけか? ……明日も議会の仕事がある。お前も研究所に出向くのであろう、喚いていないでさっさと寝るぞ」
「……うん、分かった……」
「……ほら、早く此方に来い」
「……ん」

 ……そう、レボルトから言われたその晩は、彼の言いたいことがよく分からなくて、結局はいつも通りに私が折れてレボルトに従い、明日に備えて眠ることにした、……の、だけれど。早々に寝入ってしまったレボルトの鍛え抜かれた腕に抱えられて、彼の静かな寝息を聞きながら、……さっきレボルトが言ってたのって、どういうこと? と、……急に冷静になった私は、その言葉の真意が気になって仕方がなくて、頭がぐるぐるして、すっかり眠れなくなってしまって。首筋にかかるふわふわの金髪に頭がどうにかなりそうなほど気恥ずかしくなりながら、だから言ったのに! ……と、内心の講義を脳内で訴えることしか、出来なかった。


「……あの、レボルト……?」
「なんだ、
「……昨夜のこと、なのだけれど……」
「ハァ……また話を蒸し返すつもりか?」
「あの、そうじゃなくて……あれ、どういう意味?」
「あれ、だと……?」
「あの、ええと……私が自分の容姿に無自覚って、いうのは……?」
「……さあ? 俺はそんなことを言ったのだったか?」
「え!? い、言ったよ!」
「はて……、俺にはてんで、記憶にないのだがなァ……?」

 互いに仕事を終えて屋敷に戻った、その日の夜。おずおずと控えめにが切り出してきたその話題に対して、───記憶にない、というのは大嘘で、本当は覚えているし、実際のところ、昨夜俺が放ったその言葉には、相応の含みがあった。どうせこいつには分からんのだろう、意地の悪い言葉を掛けられているとしか思わんのだろうと思いながら放ったその言葉は、言葉通りの意味でしかない。

『……レボルト、お仕事忙しいの? 手伝おうか?』
『……ああ、もう区切りは付いたが……』
『そっか。……それじゃあ、明日に響いちゃったら困るし、今日はもうそろそろ寝よう?』
『……ああ、よかろう』

 平時、髪を下ろしているは、毎晩眠りに就く際にだけ髪を束ねる。それは只の習慣で、本人には特別な意味も他意もないのだと知っていても、まるで俺の髪型を真似ているかのようなその姿は、何処かいじらしく、その上に、着慣れなかったはずのネポスの装束を、まるでそれが当然と言った表情で、が身に纏っているものだから、妙に心を揺さぶられるものがあった。……だから昨夜の言葉は、そのままの意味だったのだ。俺の気など知りもしないで、自分ばかりの意見を押し付けてくるこいつに、幾らかの腹立たしさを覚えて、同時に、どうしようもない充足感を覚えた、という、これはそれだけの話。……案の定、に俺の意図は伝わらなかったようだが、俺の心の機微に人一倍敏感なくせに、何故こいつはこうも自分に向けられる情動には疎いのかと、いつものように呆れて、それで昨夜も終わりだったのだが。……どうにも、時間差で俺の言葉の含みに気付いたらしいは、不慣れで下手な言葉でどうにか俺に強請って、真意を引き出そうとしているのだった。

「……さて、お前は俺に何を期待している?」
「え……」
「もう一度、言って欲しいのであろう? 俺の機嫌を取り、その気にさせてみろ。……ま、運が良ければ言ってやらんこともない」
「ほ、ほんと……?」
「ああ、よかろう。……言ってみろ、

 ───そもそも、意図に気付かれかねん表現を選び、伝えなくともいい言葉を掛けた時点で、本当にどうかしている。嫌味を織り交ぜ意地の悪い言葉を投げかけたところで、どうせこいつは俺の言葉を曲解などしない。それが分かっているからこそ、いつもいつも強い言葉ばかりが口を吐くことを、……俺が一切気に留めていないわけでもない。今更、自分を善人などと取り繕う気もないが、おまえだけは、と。傍に置くことを決めたそのたったひとりを傷付けることにだけは、何も思わないほどの人でなしと言う訳でもないのだ、俺は。

「……あの、私、あなたのことが、だいすきで……」
「……ああ」
「格好良いと思っているし、ちょっと可愛いところもあるって、レボルトは怒るかもしれないけれど、そう思っていて……そういうところも、やっぱり好きで……」
「……知っている」
「……だから、あなたも……」
「……なんだ、
「……あなたもそうだったらいいなって、おもう……」

 その控えめな主張こそが精一杯だというのだから、本当に愚かなものだ。好きだ好きだと平時から億面も無く言い放つ癖に、見返りくらい求めてみろ、と言われた途端に、お前の言葉は尻すぼみになる。……全く、俺にそうも心を砕いて、何になるというのか。見返りなど大して与えているわけでもなく、かと言って、手放してやる気にはまるでなれない。もしも、が俺の元から逃げ出したのであれば、俺はこいつを地獄の果てまで追い回す自信があったし、それどころかその障害となるものは、すべて殺し尽くしてしまうことだろう。……俺は、何処まで行ってもそういう人間で、しかし、は俺の傍から逃げたりはしないと、だから、そのような結末は永遠に来ないのだと真剣なまなざしで言う。……何時になっても、何故こうもこいつが寛容に、俺だけを受け入れられるのかに理解が及ばず、宇宙に拒絶され続けてきた俺は、この感情の意味に理解が追いついた今でも、なかなかどうして、適切な言葉というものを見つけられずに、思い至ったところで、今更面と向かって言葉にすることには、躊躇いばかりを覚えている。やさしいことば、などと言うものの引き出しが俺には備わっておらずに、自分を取り繕うためだけに身に付けた語彙では、には届かないのだと既に知っているからだ。

「……
「は、はい」
「……此方に来い」
「……うん」
「……二度は言わんぞ」
「……はい」
「俺は、……お前を好ましく思っている。……ま、嫌いではない」

 もっと気の利いた言葉が、適切な言葉が、きっと他に幾らでもあるのだろう。……嫌いではない、だと? あまりにもその表現は不適切だ、この激情に付けるには、そんなにも生ぬるい言葉は相応しくない。……だが、俺よりもずっと小柄な身体を引き寄せて、指通りの良い髪が絡む頭を抱きかかえて、……今、俺がどんな表情をしているのか、に見られる心配がないとしても、それでも。……俺には、こんな言葉しか選べない。……興が乗っただとか、機嫌が良いだとか、それらしい言い訳さえあれば少し話は変わってはくるが、……こんな空気の中で正直に物を語れるほどに、俺はよく出来てはおらぬのだ。行動理由をお前に押し付けられるのであれば良かったが、そもそも俺の言葉がきっかけなのだから、どうしようもなく。真っ赤な顔で俺を見上げたに、今だけはどうにも自分の顔を見られたくはなくて、「目を閉じろ」とだけ命じて、俺は後頭部を抑え込んだまま乱暴に唇を奪った。……いつも、そうだ。結局はこうして、即物的な行動でしか、俺は何も語れない。物欲しそうにしていたからだとか、取って付けた言葉を嘯いてやらねば、達者なものだと自負していた口は、お前の前でばかりはうまく回らなくなるのだ。……何も命じずとも唇をうすく開くように、俺がお前を仕込んだ。俺の都合の良いように、俺の都合ばかりに振り回されて、手心もない口吻に蹂躙されて、おまえの内側にあるもののすべてを荒らされても、お前は縋るように俺の衣服をぎゅっと握って、───やがて俺の顔色など気にする余裕も奪われた後で、苦しげに荒い呼吸を整えながら俺にしなだれかかるのだった。

「……は、はなしが、ちがう……!」
「は。……俺の言葉などを鵜呑みにするからであろう? はは、……そんなにも、俺に何か囁かれたかったのか?」
「…………」
「……おい、何とか言え、
「……ううん、いいよ」
「……ハァ?」
「あなたがしたくないことは、しなくていいよ。……私は、レボルトには自分のしたいことだけしていてほしいと、おもってるから……」
「……そうではない」
「……? レボルト……?」
「……誰も、嫌だなどとは言っておらぬわ、馬鹿者が……」

 何故分からぬのだ、という言葉で済ませてはいけないのだと、既に気付いている。……すべてを理解されているからこそ、言葉にせねばならぬときもあるのだと、俺はもう知っている。

「……次は、もう少し上手く強請ってみろ。……そうすれば、言ってやらんこともない」
「……あの、さっきのでも、私は十分、嬉しかったよ……?」
「……本当に、笑えるほど無欲な奴だ。……もう少し欲を持てと、俺は何度も言っているであろうが」
「だ、だって……」
「良いから、次までに言葉を探しておけ。……ま、俺も用意しておいてやっても……おい、何だその顔は?」
「あ、ごめんね……」
「……言いたいことがあるのならさっさと言え」
「……怒らない?」
「……何も、お前に本気で怒ったことなどない」
「そっか。……あのね、レボルトが照れ屋さんでちょっと可愛いなって、そう思っちゃった」
「……馬鹿が。それこそ、俺の台詞であろうが……」

 流石にこう言えばお前にも俺の意図くらい伝わるだろう? と見下ろした表情は、先程以上に動揺して、目が泳いで、耳まで赤くて。……ああ、全く持って気分が良い。お前が俺のために一喜一憂する様を見ていると、お前には俺しか見えていないのだと強く実感できると、……そう言えば、お前は怒るのだろうか、笑うのか、それとも泣くのか。そのどれもかもを見てみたいようであり、泣き顔を見ることに微かな抵抗感を覚える程度には、俺はとっくに毒されているのだろう。 inserted by FC2 system


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