誰も見ていないならどんなこともできる

 ──一連の騒動が収束した後に、紆余曲折を経てネポスに残留した私は、今日もレボルトと共に日々を重ねている。その後、私は幸運にも彼の妻にして貰えて、その実感が伴うまでにまた時間を要したものの最近では少しずつその自覚も芽生えてきて、レボルトの方も孤独ではなくなった反動か以前に比べると大分穏やかになって、彼自身が取り繕う理由を失くしたこともあってか大分生きやすくなったようで、私はその事実を心底嬉しく思っているの、だけれど。

「……とはいえ、近頃はぬるま湯の平和に慣れ過ぎているとは思わぬか……?」
「そうかなあ……?」
「そうであろう? 俺は本来、真人間などとは程遠い冷血漢であろうが。このように腑抜けていては、俺らしくもない……」

 そう言って、ソファの上で足を組み替えながら書類に目を通しているレボルトは、夜も遅いこの時間帯に勤務時間外の仕事をこなしている辺りからもにじみ出ているけれど、本当に、根が真面目なひとで。──終焉の結びを成すという彼の待望が叶わなくなった今でも、善良に生きることにはどうにも拒絶感を覚えているらしい。レボルト本人はそれを「俺は悪辣な人間だからな、今更真人間のようになど生きられぬわ」なんて嘯くものの、彼の真意の示すところではその言葉は半分ほんとうで、多分残りの半分は、“己がかくあることこそがケルベロスボーンとの制約”という自責が彼の中で大きいからなのだろう、と。私はそう、勝手に思っている。……とは言えども、実際のところ、レボルトが善人ではないというのはまあ私も知っている事実でもあり、私は先のクーデターにおける彼の唯一の共犯者である。──であればこそ、私は彼と共に邪悪であらねばならなくて、安息に飽いた彼の渇きを満たすのは私でなければならない。……だって、責任以上に。私自身が、そうでなければ嫌なのだ。

「……ねえ、レボルト……?」
「どうした、よ」
「あのね、……私と、悪いコト、してみない……?」
「……は?」

 そう言って私が誘い出したのは、深夜の厨房。屋敷を再建した折に私の要望を聞いて導入してくれた、地球式のアイランドキッチンは、使用人が居るとはいえ食の文化が薄いこの星において立ち入るものなど他におらずに、実質的に私の庭も同然になっている。──そんな訳で、半ば私の私室も同然のキッチンで私が取り出したのはラーメンの袋麺。塩味のそれを丼に入れて、牛乳とお水とチーズを入れて、電子レンジで温めてから、卵黄を割り入れて胡椒を轢いて、粉チーズを振りかけたそれを、キッチンカウンターに座らせたレボルトの前に差し出すと、──レボルトは何処か呆けた表情で、首を傾げている。

「……、これはなんだ」
「え、ラーメンだよ? レボルト、食べたことあるでしょ?」
「それはそうだが……お前、悪事がどうとか言っておったであろうが?」
「うん……? これ、悪いことにならない?」
「ハァ……?」
「深夜に夜食で、こんなにカロリー高い物食べるの……悪いことじゃない、かな……?」
「…………」
「……だめ、だった……?」
「ハァ……お前に悪辣などを期待した俺も……深い意味を考えた俺も、愚かであった……」
「え!? な、なんで? レボルトは愚かじゃないよ? あなたは今日も、とっても聡明よ?」
「分かった、もう好きにしろ……で? これは、食って構わんのか」
「あ、うん……でもまって、最後にもう一枚、スライスチーズを乗せて……」

 そう言って追いチーズをトッピングしたカルボナーラ風の塩ラーメンに箸を付けるレボルトは、いつの間にか箸の扱い方も麺を啜る行為にも慣れた様子で、特に違和感もなく夜食にと差し出したそれを頬張っている。長い前髪が汚れるといけないからと、カウンターの向こう側から身を乗り出して、クリップで髪を横に留めてあげている間もレボルトは触れられることをさして気に留める様子もなく、ずるずると麺を啜っていたので、……これは、結構気に入ってくれたのかな? なんて何処かホッとした心地で、……私はしばらく、冷たいお茶をグラスに注いだりしながら、レボルトの食事風景を見守ることにしたのだった。

「……ま、悪くない味であったな」
「ほんとう? よかった、……少しでもレボルトの役に立てたかな?」

 ──そんな風に捻くれた俺の言葉を正面から受け取ってにこにこと笑いながら丼を流しへと下げるは、本当に、──ほんとうに、邪悪などとは本来無縁な人間なのだろうと、何度でもそう思う。かと言って、根っからの善人という訳でもなく、にとって、本心から適合できる相手は宇宙には俺しかいなかったからこそこのような場所で笑っているという、こいつはなんとも不憫な人間でもあるのだが。かと言って俺はを手放してやる気などなく、の方も徐々にそれを理解し始めている昨今、こいつの退路などとっくに断ち切られているわけで、……それでも、俺が一声「悪事を成したい」と唱えれば、即座に提案を講じてくるという存在には、俺とて流石に絆されているようで、「いっしょに悪いことをしない?」という提案を真っ先に“そう言った類の誘い”であると解釈してしまったりだとか、そうではない、と分かった後でも強く詰ったり無理矢理に縺れ込んでやろうとは思えなかったのも、……何を言ったところで結局は、こいつへの慕情でしかないのだろう。──しかし、そうは言えども、その事実が直接的に俺の邪悪を打ち消しているかと言えばまた別問題で、俺という人間はという日向を傍に置いたところで、性根が元に戻るわけでは、決して無いのだ。

「レボルト、悪いこと、どう? 楽しかった?」
「ま、お前がこういったことを提案してくるという点で意外性はあったな……俗事には縁遠いものと思っていたが、よくもまあ、からこのような発想が出てきたものだ」
「ああ……これはね、地球に居た頃に、研究所で教わったの」
「何?」
「研究員の人達がね、深夜勤務のときによくカップラーメンとかを食べていて」
「……おい、地球の労働環境はどうなっている?」
「うーん……? そうね、あんまりよくはないと思うなあ、私もね、子供の頃は無菌室とかに入れられてたし……」

 ──真実を知らないは、明るく勤めてそう笑うが、……それは、が亡星の核であることを地球のボーン研究所の連中はとっくに突き止めていたからだと、俺は知っている。要は、初めて見る未確認生命体──異星人の末裔であるは警戒されていたからこそ、そうも不当な扱いを受けていた、ということに他ならないというのに。何も知らずに今日も劣等星人どもを信用しているは、自身の身に降りかかった火の粉のことすらも気に留めずに、自身を人間扱いしなかった連中から授かった智慧を俺に披露して、嬉しそうに笑っている。
 ……結局のところ、如何にと寄り添おうとも、俺はいつまでも悪人で、が俺に応えようと提案してくる些細な悪事など、多少の毒気を抜く程度の効力にしかならない。……ケルベロスの唾液からは、トリカブトなる猛毒が精製されるという俗説が地球にはあるそうだが。あれは、何もかもが嘘という訳でもないのであろうな。

「……それよりも、ソキウスには夜食にラーメン食べたの内緒ね? バレるとどうして声かけなかった、って明日うるさいから……」
「ん? ああ……分かっている」
「勝手に居座ってるのに、態度大きいんだから……まったく、ソキウスはいつもいつも……」
「そうも些末な問題よりも……片付けは使用人を呼ぶ、……、お前はとっとと部屋に戻れ」
「え、でも……」
「腹の子に障るであろうが。……それとも、俺の命令が聞けぬのか?」
「そ、……んなこと、ない……」
「よし、……いい子だなァ? よ」
「ん……早く、寝室に来てね?」
「ああ……お前が眠りに落ちるまでには戻ろう、安心しろ」

 ──お前の肉親が、ネポスに亡命したことも。その肉親がその後、何者かによって殺害されたことも、空間のボーンは、隠蔽に適していることも。ソキウスが俺の屋敷に留まることを、俺が許している理由も。己の血を引く子など欲しておらぬというのに、お前を孕ませた意味も。……やがて生まれてくる我が子は、順当に行けば常に屋敷に留まっているソキウスが世話を焼くことになるであろうことも、……そうなれば、お前が妬いて屋敷に留まりたがるのであろうということも、……さすれば、研究所の職を辞する必要が生じてくることも。お前は何も知らなくて、俺だけがその思惑を知っていて。それでも、全てが露呈したところで、俺はお前には許されるのであろうと、そんな信頼の上に俺は今日も胡坐をかいている。──さて、来たるその日にお前が俺から逃れられるものかは、なかなかに見物ではあるが。俺という悪鬼がこうも個人への愛に固執している時点で、結果など御察しであろうよ。お前はもう、逃げることなど叶わぬさ。──それこそ、宇宙が滅ぶ日でも来なければな。 inserted by FC2 system


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