夜のまぶたを閉じても君がいる

 がネポスの地を踏んで、此方に永住を決めてからはや数年。当初こそは、彼女のことを「レボルトに囲われているのだろう」だとか「洗脳されている」「無理矢理に恐怖で支配されているのだ」などと揶揄する輩が多く、彼女がレボルトと婚姻関係を結んでも尚、は脅されてるものだと思い込んでいる人間が後を絶たなかった。──まあ、人の噂も七十五日とはよく言ったもので、数年も経てばとっくに皆そのような噂話には飽きていたし、この数年間のレボルトとを見ていた者ほど、最早そのような嫌疑は掛けられなくなってしまったのだろうな。──そうして、一番近くでそんな友人たちを見ていた俺だからこそ、最近、思うことがある。

、実際のところ、手綱を握っているのはお前の方だろう」
「……? え、っと?」
「レボルトの手綱を握っているのはお前だろう? ……と言ったのだが、聞こえなかったか?」
「え、は……ど、どこが……? ソキウスって目、悪かったっけ……? 頭、沸いてるの?」
「散々な言われようだが、先日シャークに会った際に同じ話をしたところ、彼も同じ感想だったぞ」
「ルーちゃんまでなにを……? ええ、熱でもあったのかな、念のために病院、行ったほうがいいんじゃ……」
「待て、俺との扱いの差が酷くないか?」

 こんな風に乱暴なじゃれ合いがまた出来る程度には、一度袂を分かつた俺との仲もこの数年で修復されて、以前以上に友人をやれている。……俺とのレボルトの方は、なかなかそうも一筋縄ではいかないが、とレボルトは上手くやれているどころか、この数年間、目立った喧嘩の一度もなく、今やレボルトにとってが無くてはならない存在になってしまったことは俺の目にも明らかで、……確かにあの頃は、そんなこともなかったのかもしれない、相手を必要としていたのはの方だけだったのかもしれないが、人というものは、どれほど性根が腐ろうとも不変というわけでもないらしい。何かは着実に変わって、けれど何も変わらなくて、そんな日々の中で、親友が辛うじて前を向いて息をしているのは、きっと、の存在あってのものだ、彼女のお陰だ。ならばそれは、最早、……レボルトの命運を握っているのは今やお前なのでは? と言うことになるのではあるまいか? という言葉の輪郭をやんわりとぼかす俺の“手綱を握る”という表現に、は未だ、訝しげな顔をしているが。……近頃、評議会ではが「猛獣使い」などとも揶揄されているらしいので、俺の目にばかりそう見えているのではないと思うのだが、なあ。まあ、それを聞いたレボルトは、「猛獣使いは俺の方だろうが」なんて言っていたが。確かにもレボルトのこととなると見境がなく狂犬じみているきらいはあるのものの、俺からすれば、それもお互い様に見えるものだ。

「──おい、。確認したい件が……ソキウス、貴様また俺の屋敷に居座りおって……」
「まあ、いいだろう。隠居して暇なものでな、お前の嫁に話し相手を頼んでいたところだ」
「勝手に頼むな、許可を取れ。ま、許可など与えてやらぬがなァ……」
「レボルト、確認って……?」
「ああ……前回の議事録に一ヶ所、気に掛かる点があってな、お前の意見を聞きたい」
「どれ? 見せて?」
「このページだ、……此処の記述だな」

 この男は本当に真面目なもので、何だかんだと文句を言いつつも結局は今でも評議会の一員として、ネポスのエクェスとして務めている。確かにその処遇自体が処罰を兼ねている側面もあったものの、レボルトにとってその待遇はこの上なく屈辱であったのだろうに、死を選ぶこともなく嘆くこともなくこの男がかつてのように光の先を見据えられたのは、きっと、傍らの存在があってこそのもの、だったのだろうな。──俺自身、レボルトに問われるまで気付けなかったことだが。長年に渡って魔神支配下にあることに慣れ切って、思考放棄しているという事実に対してすら感性が麻痺してしまっていたネポスの民は、基本的に自分の力では物を考えられない。一連の事件に関わった我々のようなエクェスならまだしも、一般市民などはレボルトの想いの欠片も知らないのだし、魔神によって思考を停止させられていることにだって未だ気付きはしないし、数年が過ぎ去った今でも、彼らが変わるのは、レボルトの望む世界が、あいつが楽に呼吸のできる世界が訪れるのはきっとずっと先のことになるのだろうとは、俺ですらもそう思う。ネポスの民は、レボルトが何をしたのかを聞かされたところで、彼が恩赦を受けたことも聞かされたところで、残念ながら理解できるほどの自我を持たないのだから、事の重大を未だ分かってはいないのだ。無知とは、レボルトの最も嫌うところであるらしいと知った今、恐らくは嫌悪対象である彼らがレボルトに対して畏怖や嫌悪を抱かないことすらも、この男にとっては苛立たしい事実なのだろうとは思うが、それ故にレボルトはネポスで肩身が狭くなることもなく、評議会の一席に残留することをも許されている。──尤も、本人は肩身や世間体などに興味はなく、気にも留めてはいないのだろうが。何事もなかったかのような態度に、恐らくこの男は腹を立て、ネポス人の嫌いな部分がレボルトの中で更に明確化されて浮き彫りになっているのだろうな、と。がレボルトの言葉を噛み砕いて俺達に何度も説明してくれたからこそなのだろう、お陰でその程度は、この男の思考に理解が及ぶようになったものだな、俺も。

「んー……ちょっとおかしいね、ネポスの民に聞かせたときに、彼らが理解できるように表現を噛み砕いた結果、回りくどくなりすぎてるのかな……」
「であろう? ったく、劣等種どもに合わせてやる義理などあるものか……」
「まあ、レボルトにとっては都合がいいじゃない?」
「ハァ?」
「? ネポスの民が読解力に欠けると、なにかとあなたが動きやすくていいと思うけれど、そんなことない?」
「…………」
「……レボルト?」
「……お前も、なかなか良い性格になってきたものだな、よ……」
「?」

 目の前で行われるそんな些細なやり取りに、俺は思わず笑ってしまって。思わず俺が、悪辣とは伝播するものだな、などと言ってみたら親友は獰猛な獣のような眼をして。……それもそうだ、と。そう言って悪い顔で笑う男の表情は、あの頃よりずっとずっと、晴れやかで楽しげで、俺はと言えばそれはもう、その光景が可笑しくて嬉しくて可笑しくて、ますます笑いが止まらなくなってしまって。──ああ、こんなにも何もなく穏やかな夜が、この先ずっと続けばいいものだと。学ばない俺は、何度でも願ってしまったのだ、友よ。 inserted by FC2 system


close
inserted by FC2 system