標本として生まれていたらきっとうつくしくなれたと思う

 は地球の出身である。件のクーデターでレボルトの共犯者となった彼女は、その後の紆余曲折を経て、現在はネポスにてレボルトの傍で日々を重ねているが、彼女の所属は現在も変わらずに地球のボーン研究所であり、ネポスには地球からの親善大使の名目を背負って残留していた。──そんな彼女は、ボーン適合時の事故により10歳以前の記憶を持たず、自身の出生を知らないのだそうだ。は、自分の家族を知らない。彼女にとってそう言ったものは、ネポスにて所帯を持つに至ったレボルトの存在のみである。──そう、には血を分けた身内が存在しない。しかし、自身の生い立ちも家族の行方も知らない彼女は事実を知らずとも、かつては確かににも家族というものが存在していた。──故に、“既に居なくなった”というだけの話なのだ、文字通りに。

「──、先ほどから見ていれば……お前、何を熱心に見ているのだ」
「えっ」
「手元の端末の話だ、……研究所の仕事か? 見せてみろ」
「ちが、そうじゃなくて……」
「…………
「は、はい」
「……これは?」
「レボルトの、写真……」
「……本物が隣にいるであろうが? 何故、写真などを……」
「よく撮れたから、……かっこよくて、つい……」
「……ハァ……」

 俺からは少し離れた場所に置かれたソファーへと、隣同時に並んで座るレボルトとを横目で見ていると、普段は放っておいてもレボルトを気に掛けたり見つめてみたりと忙しないが、珍しくレボルトには目もくれずに手元の端末を覗き込んでいたことが、どうやらレボルトは気に食わなかったようで。……“先程から見ていれば”と、本人が供述している辺り、自分だけが見つめているのは腹立たしいと、そう言外にこの男は告げている訳なのだが、……どうにも本人たちはその点を指摘する様子が無いので、完全に無自覚でやっているのだろうな、あれは。そして、苛立つレボルトに詰め寄られたはと言えば、「レボルトの写真を熱心に見ていた」というのが言い分らしく、……それで毒気を抜かれたのか何なのか、レボルトは腹立たしさと高揚感とが綯い交ぜになった口元を片手で覆い隠しながら、平然を装おうと取り繕っているようだが、瞳には喜色が滲んでいるものの、それすらも前髪を払って隠してしまうので、角度の問題でそれに気付かないだけが隣で恥ずかしそうに縮こまっているものだから、……悪い男に捕まったものだと、なんとも哀れになるやら、微笑ましいやらだった。
 ──さて、このような光景がすっかり日常の一頁になった昨今、はというと、恐らく長年のしこりであったはずの自身の生い立ちについて、以前ほど気に留めることもなくなっているようである。……そもそも、以前は自身の境遇を哀れまれたところで、それに対して何かを想うだけの心の機微がには備わっていなかったわけだが、それらの情緒が次第に追い付いてきても、その点について苦悩していないのはレボルトの存在ありきなのだと、傍で見ているからこそ俺には分かる。──いや、この表現は少し適切ではないか。俺は知っているのだ、……これに関しては間違いなく、俺はレボルトの共謀だったからこそ、真相を知っているわけだった。

「……消したほうがいい?」
「消さなくともよい。……だが、それを見るのは俺が居ないときにしろ」
「わかった。……あなたがいてくれるときは、あなたを見ていてもいい?」
「好きにしろ」
「! じゃあ、好きにするね……ありがとう」
「…………」

 は、純然たる地球人ではなく、──燃え落ちた亡星をルーツに持つ彼女の血族は、……ひとりを除いて、レボルトに殺されてしまったのだと、俺は知っている。
 ──無論、無邪気に笑ってレボルトを見上げ、頬を染めている彼女当人は、そのような事実があったことなど、全く知らない。はこの件には一切関与していないどころか、彼女は今でも自身を地球人だと信じているのだ。

 ──ボーン研究所にて、幼少期のすべてを実験の日々に費やした彼女は、保護された時点で研究所側に、異星の血を持つ存在だと知られてしまっていた。つまるところボーン研究所は、はじめからを地球の戦士として扱ってはいなかったのである。──幼少期、彼女は何も分からないまま、研究所の地下深くの無菌室に隔離されて育てられたのだと聞き及んでいる。得体の知れない“宇宙人”の子供として保護の名目で捕獲された彼女は、家族に売られて研究所へと連れて来られて、その白い部屋で、──彼女は。血液や皮膚と言った生体サンプルの採集や解析、──見知らぬ生命体を紐解くための実験の中心に居たのだと、本人がそう語っていた。「でも、ときどき、ルークが面会に来てくれたから平気だったよ」と誤魔化すように笑って語る彼女の言葉通りに、当時のの心境を解釈することなど、到底出来ないだろうに。

 彼女は地球人にとって、異星をルーツに持つ、未確認生命体であったから。自身は地球で生まれ育ったにも関わらず、その記憶さえ持たない幼い子供には何かを反論する手立てもなく、観察対象として隔離されて、息を潜めるように過ごしていた。何も知らぬ幼子、──ましてや、自身が地球人ではないかもしれないなどと、大人であっても考えも付かないことだろう。だからは、自身が脅威対象として隔離されてるなどとは夢にも思わずに、それどころか、隔離されているという実情を理解すら出来ずに、数年経って解析が進んだ頃、ようやく外を出歩くことを許されたかと思いきや、研究所職員として実験の日々を強要されて、それが終わったら今度は、戦闘に駆り出されて、エクェスと戦わされていたというのが事のあらましだった。

 ……無論、本人はそれが何を目的として行われていた検査であったのかを知る由もないのだが、……俺とレボルトの方では彼女のボーン、“ホワイトドラゴン”について調査を進めるうちに、のルーツを突き止めることに成功していたため、──異星との交流を断絶した愚かな地球人が、何を目的として彼女の肉体を刻んでいたのかなど、すぐに察しが付いていたし、──真相が発覚したあのとき、レボルトが心底不快そうな顔をしていたのは、……あの男の人間嫌いを思えば、まあ、無理もなかったのだろう。たったひとりだけ、レボルトの内側に収まることを許された存在が、レボルトのこの上なく嫌っている存在に害されていたという事実を、あの男は容認できなかったのだろうからな。

『ソキウス、──の血族が、ネポスに落ち延びていると突き止めた』
『……どうするつもりだ、レボルト?』
『決まっているであろう。……始末する。……自身を追い詰めた境遇の真相など、あいつも知る必要などあるまい』

 ──現在も、犯行の当時も、俺とレボルトの意見は「には親類の存在など知らせる必要はない」という意向で一致している。
 俺達が出した結論は、他者から見れば到底、真っ当な判断とは言えないのだろう。──だが、考えてもみて欲しい。は、“自身は地球のボーンファイターである”、“故に地球の戦士として地球人を護ることは、正しい行いなのだ”と、そればかりを自分に言い聞かせて生きてきた女であり、同時に、“もしも、自分が地球の核だったなら、こんなにも苦しまずに済んだのかもしれない”という葛藤をも抱えていたというのに。──だと、言うのに。“本当は、は地球の戦士どころか、地球人ですらなかった”、“ホワイトドラゴンは地球に準ずる存在ではなく、彼女が地球を守る理由など存在していなかった”、“地球を裏切ったも何も、そもそも先に欺いていたのは研究所側だった”、──などと。そのすべてを何ひとつ知らずに生きてきて、今更それを知ったところで、はいそうですか、で受け止められるものではないのだ、人間という生き物は、そうも単純に出来ていない。──それに、この広大な宇宙に、彼女と同じルーツを血に持つ存在は、もう何処にも存在しない。……には、レボルトしかいないのだ、本当に。彼女が想っているよりもずっと、ずっと、……既に、そのような事実に作り替えられてしまっていたから。

 ──彼女とて、幼い頃には恐怖や不安くらいは覚えていたのだろう。それに、成熟した今自身の幼少期を振り返り、それが異質なものであることにも、現在の彼女は理解が及んでいる。しかし、その自覚を得るほどに自我が育っていなかった頃とは事情が違う現在でも、そんな十二年間の出来事を、──きっと無駄ではなかったのだと、あの日々は正しいことだったのだと、そう信じているのだ、彼女は。地球を見限り、レボルトの傍に居ることを選んだ現在でも、彼女は。研究所の人間を、決して嫌ってはいない。だからこそ、──かつての彼らから敵意が向いていたことなど、は知らずとも良いではないかと、俺もそう思う。それに、……家族なら分かり合えるというのは、結局のところ理想論に過ぎないのだと、子を売り飛ばした彼女の一族を前にした際には、俺とてそう感じたとも。
 ──だから、には。ドラゴンの語る日常や家族の得難さを、全く理解できなかったのだろうな。それは、彼女の知らないもので、実感などが伴う筈もなかったから。「どうして私だけが」という根本的な疑問には、誰も答えをくれなかったから。──彼女にそれを与えられたのは、この広い銀河系の中でただひとり、レボルトだけだったから。

『……私は、星の核ではなかったし……信用されていなかったから、それで、みんなに監視されていただけだよ』

 ──それは、至極当然のことだと、当然の処遇なのだと自分に言い聞かせて生きてきた彼女に、他人が何をとやかく言えるというのだろう?

 何も知らぬ彼女に先んじて、我々だけが真相を知った現在、レボルトは何が何でもにはその真実を伏せて通そうと考えているらしい。──この点に関してレボルトの過保護っぷりは、俺から見ても些か常軌を逸しており、当初こそはそうもが大切なのかと微笑ましさすら覚えたものだが、今となっては、そんなものは俺にとって都合のいい幻想だったのだとよく分かる。
 以前に、議会の後でがシュトルツとクルードから、「大変な生い立ちだったのだな」と、声を掛けられていたことがある。お二方からすれば、ネポスで不便があれば自分達を保護者変わりだと思って頼ると良い、という善意からの発言だったのだろうが、それを聞いていたレボルトが手の付けられないほどに激昂して、何の話だとも分からずにきょとんと呆けるを他所に、「考えて物を言え」とお二方に向かって吐き捨てたレボルトに、このままでは些かレボルトの立場が悪くなると判断して、その場は俺が二人を強制的に離席させ、……は自身の生い立ちを知らないということも、本人にとって耐えがたい事実であるだろうからこそ、伏せているのだという事情を俺の方からお二方に説明して、……それで、どうにか納得していただいている。

『……レボルト、あの、シュトルツさんたち……何の話だったの……?』
『……お前は、知る必要のない話だ』
『……聞かせたくない話、なの……?』
『……何も隠し立てるつもりはない、……もしも必要なときがくれば、俺がお前に話すが……聞いたところで、お前にためにはならん』
『……わかった。レボルトがそう言うなら、信じるね』
『……ああ』

 只、レボルトは、──宇宙に同胞が誰一人存在しない、という孤独の苦しみを知っている。
 あの男も、──かつては、そうだったのだ。
 故に、──その苦悩を知っているからこそ、という人間と同じルーツを持つ血族は既に世界の何処にもおらず、彼女は宇宙にたったひとりなのだということは、知らせなくてもいいと奴は考えている。……まあ、問題は、その血族を殺したのがレボルト自身である、という一点に尽きるのだが。

 我々ネポスの民にとって、異星人という存在は非常に身近なもので、地球人にとっての外国人と大差がない程度の存在の、只の隣人だった。だからこそ、我々には尚のこと、彼らの行いは悍ましく映る。が気にしていないとしても、俺達はそうも行かないのだ。
 ──もしも、が彼女の出生と、研究所での待遇の理由との真相を、知ってしまったなら。──彼女は、“最初から自分を地球外生命体のサンプルとして扱っていた人々のために、母星でもない地球で、当然、星の核などであるはずもないというのに戦わされていた”、と、──彼女が、それを知ったのなら。……当然ながら、は耐えきれないだろう。レボルトが彼女の傍に居て、それでどうにか心が砕けずに済むかどうか、……そうでなければ、精神が崩壊してしまったとしても何ら可笑しくはないのだ。だから、レボルトはにはこの事実を伏せ続けると決めて、──彼女の明日に影を落としかねない存在を、先んじて手を打ち排除することに決めたのだった。

 きっと、レボルトにとって何よりも耐え難いことは、他者の手でを害されることに他ならないのだろうと、そう思う。
 かつて、魔神の思惑に転がされて、レボルトの為に死にかける彼女を何度も見たからこそ、──もう、次はない、と。……恐らくレボルトは、そのように考えているのだ。──そして、それは俺も同じだった。何故なら、もしもがレボルトの手を離れるようなことがあれば、──あの男が人の道に戻れることはもう二度とないだろうと、そう確信しているからである。レボルトに人の形を留めたままで生きていて貰うためには、が必要だ。だから、彼女を害される前に、──ボーンごとを研究所へと売り渡したという彼女の血族を、草の根分けて探し出し、レボルトは、その手で、──殺して、しまったのだ。一族が彼女を不幸にすることはあっても、幸福にすることはあり得ないと、それが既に証明されていたからこそ。あいつとにとって障害であるという理由で、の血縁者を、あいつは殺し、──俺も、その犯行に共謀してしまった。
 そして、一連の事件が明るみになった今でも、レボルトがの肉親を手に掛けたことが世間一般に露呈していないのは、俺が隠蔽に一枚噛んでいるからだった。……何しろ、ずっと以前に人知れず空間の力で隠してしまったものなど、手掛かりも無しに探せるはずがないだろうからな。

「──少し休憩にしよう。レボルト、、何か飲むか?」
「あ?」
「ソキウス、私も手伝うよ」
「いや、気にせずとも良い。お前はレボルトの傍に居てやってくれ」
「……チッ、余計なことを……」
「……じゃあ、戸棚のところに、お茶とお菓子が入ってるから、お願いしていい?」
「ああ、任されよう」

 ──永らく天命に見放されていた女は、神などとは比較できるはずもないほどに、恐ろしいまでの執着を向けている男の隣へと、好き好んで収まった。きっと、この先も、の身の振り方次第で、決断次第で、第三者の介入次第では、──目の前に広がっている現在の平穏など、一瞬で瓦解するのだろう。それを壊すのは他でもない、彼女の愛してやまないレボルトである。──だが、不思議と彼女は、自らの人生は不運で塗り固められているくせに、不穏な縁にばかり引き寄せられてはバッドエンドへと直行する癖に。レボルトのことになると、信じられないほどに悪運が強いのだった。
 レボルトがどんなに歪んだ執着を彼女へと向けようと、にとってはレボルトが自身へと傾ける感情など、全て歓迎される類のものにしかなり得なずに、どんなに悍ましいそれもそのように変換され、還元されてしまう。だからこそ、奇跡的に彼女はレボルトの隣で、ハッピーエンドへと向かっているというのだから、……本当に、こんなにも愉快なことは他にないだろうと、そう思うとも。愛の奇跡だとでも呼べれば美しい話だが、残念ながらこれは、そんなにも綺麗な話などではない。の白が覆い隠しているだけで、レボルトの執着が如何にドス黒いものなのかなどは分かり切っていたし、を手元に置く為ならば、平然と彼女の身内を殺せるレボルトを見ている以上、それが不健康な感情であることも重々承知している。
 ──つまるところ、ネポスでレボルトの傍に居ては果たして幸福に居られるのかという、シャーク達の杞憂は決して間違いではないということにもなる。彼らが案じている最悪の結末も、決して起こり得ないことでは無いのだろうが、……まあ、恐らくだが、そうはならないのだろう。この平穏な日々がたとえ見せかけであったとしても、其処に伴う愛さえ本物なのであれば、どんな形でも、まあ、構わないのではないか? レボルトのそれは、健康でも健全でもなく、の知らない場所では常に彼女を巡って背筋が冷たくなるような凶行も起きている訳だが、……きっと、はそれを知ったところで満更ではない顔をするのだろうから。

 は根っから善良な人間だが、肝心な部分で頭のネジが飛んでいる。彼女はレボルトのことになると見境が無くなり、レボルトはというと、元より分別が付かないきらいがあるところに、のことになると最早手が付けられない。
 だが、それらを知るものは、幸運にも俺だけなのだ。──俺とあいつの完全なる共犯は、今思えばあの一度きりだが。あの完全犯罪を、俺はこの先も決して誰にも打ち明けることはないのだろう。これは、俺が。彼らと自身のためだけに地獄まで持っていくと決めた、俺だけの罪業である。 inserted by FC2 system


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