昼のない世界でもよければ

「……あの、レボルト」
「どうした?」
「……キス、してもいい?」

 ──そう言ってが頬を赤く染めながら俺の袖を引いて、躊躇いがちにでも自分からその申し出を言い出すようになった点に関しては、成長したとそう評価してやるべきなのだろう。
 以前のはどうにも、自分だけが俺に好意を抱いているものだとそう考えて、反射的に身を引く癖があったものの、最近ではそういったことも大分少なくなった。
 ──尤も、根深い理由として、周囲を欺き続けて生きてきた俺には、どうにも咄嗟に本音を語れない、という俺の性質があった訳で、……それはつまり、要はには非が無かったという話なのではないか? という話にもなるのだが、……まあ、共犯者であるからには、連帯責任でよかろう。には、俺を妙に神格化して一歩引いた場所に立とうとする節があったのは、事実だからな。

 ──さて、そのような互いの悪癖も、長らく連れ添ううちに大分目立たなくなってきた。俺の方は未だに、馬鹿正直に何もかもを語れる訳でもないが、……まあ、その分は行動で示しており、の側も俺の意図を正確に汲み取れるようになったのか、近頃こいつは妙に俺の前で態度が大きい。ある意味では、良い性格になった、とでも言えるのかもしれない。──「近頃はレボルトに似てきたのではないか?」と、議会に出席したが老害どもにそう訊ねられていたのも、余計な世話ではあるが記憶に新しかった。

 そうして、以前よりも俺の隣に立つことに対して自信でも付いたのか、近頃のは自分から進んで俺に近寄ってきたり、身を寄せたりするようになってきているのだった。
 未だに恥じらい半分ではあるものの、以前のように俺に振り解かれるのでは、不快にさせるのでは、等と言った心配はまるでなくなったようで、ゆるゆると締まりのない顔で笑って俺の手に触れてくるは、……どうやら、それでも。──俺に何かを乞うことには、未だ慣れんらしい、と言う事実については、……キスを乞うにも自分からしても構わないかと俺に尋ねてきた辺りからも、明白である。
 俺に対して自身が行動を起こす分には、何をしても構わないと考えるようにはなったが、とはいえ、俺に頼んで何かをさせると言うのは恐らく、……奉仕体質が過ぎるこいつにとっては、言葉に出しづらい願いなのであろう。

 ──と、まあ。「キスをしても良いか」というその一言で、瞬時に其処までの思考に思い至る程度に長くなった、こいつとの付き合いでは、が俺へと向ける多少の遠慮であれども俺の癪に触るところでもあり、……同時に、自分から口付けるなどと、不慣れな癖に本当に出来るのか? どうするつもりだ? という、……底意地の悪い興味が俺の脳裏を掠めて行ったのもまた、事実であった。

「……よかろう、
「! ほ、ほんと?」
「ああ、好きにするがよい」
「ありがとう……! あれ、あの……」
「どうした? 早くしろ」
「……あの、このままするの?」
「すればよかろう? 俺は拒まんぞ」
「……え、っと……」

 ──このままでするのか、と困惑した素振りで眉を下げると俺は現在、互いに席からは立ち上がり、隣に並び立った状態にある。ボーン研究所ネポス支部の所属として、現在ネポスで暮らしているは、研究所から俺の屋敷へと仕事を持ち込んで、俺の隣に座って共に執務をすることも多く、今日もそんな日だった。
 そうして、その空き時間に、がネポスの民俗学について知りたいことがある、と。そのように俺へと訊ねてきたため、それならば、書庫に丁度良さそうな資料があった筈だと、俺はを連れて屋敷内の書庫へと出向いて。──それで、いくつか資料の吟味を終えて、そろそろ元の部屋に戻るかというそのときに、が選んだ本を抱えて書庫を出ようとした俺の袖をくい、と引き留めて、──そうして誘いを口にして、お前が俺に媚びたのだから、それは当然。……このまま此処で、というのが筋であろうとも。

 ──だが、立ったままで睦み合いに興じるには、俺とには些か身長差が開きすぎている。俺はエクェスの中でも体格に恵まれた部類であり、対するは戦士とは思えんような体躯をしている。よって、俺がこの場に屈まなければ、到底では俺の顔になど届くはずもないが、……普段ならばは俺にされるがままであるため、俺が屈まないことにはキスなんぞは出来んという事実に、今になってようやく思い至ったらしい。

 とはいえども、俺にはまるで屈む気配がなく、好きにしろ、とそう答えるのみであるために、はどうしたものかと困り果てている。……いい気味だ、とっとと俺に、キスをして欲しいのだ、と。そのように乞うていれば、こうもならんものを、……さて、果たしてはどうするのであろうか。屈んで欲しいと俺に懇願するか、それとも、──と、そう、俺が思案に浸りながらも悠々とを見下ろしていたそのとき、──するり、と。左手を持ち上げたの白い指先が、編んで横に流した俺の毛先に触れて、──そうして、背伸びをしながら俺のマントを掴む右手に少し力を込めたかと思うと、……小さな音を立てて、は俺の髪へと口付けを落とすのだった。

「……あ、ありがとう。満足しました……」
「…………」
「……あの、レボルト……?」
「……おい、其処ではなかろう?」
「れぼ……? わっ、んぅ……っ」

 ──屈んで欲しい、と。そう、乞うてきたのならば。最初から素直に強請っておけばいいのだと釘を刺してから、不慣れな口付けを下手だと言って笑って、揶揄ってやろうとでも思っていた。……だが、それを望まずに、は。自らの手で丁寧に編み上げられた俺の髪に触れて、まるで、これで十分だとでも言わんばかりに控えめに、毛先へと唇を落とすものだから、──流石に俺も、そのような仕草が腹立たしく思えてきてしまった。
 ……ああ、そうだ。とっとと観念して、俺の寵愛を望まんからこのようなことになるのだ、と。お前が悪いのだと苛立ちと欲をぶつけるように、乱暴に腰を抱き寄せて、頭を押さえつけられたが事態を理解するより先に、──俺によって強引に重ねられた唇に、は固まって身動きが取れなくなる。硬くなる細い身体を、強引に抉じ開けるように唇を開かせて、後頭部を掴んで後ろ髪を軽く下へと引き、強引に上を、俺の方を向かせて、──深く深く、酸素を奪い切って、真空にでもしてしまうかのように、ねっとりと埋め尽くして呼吸を止める。──お前の命は今、この俺が握っているのだとこの分からず屋に理解させるために、舌の付け根を執拗に舐めては舌を吸い、歯列をなぞって上顎をじっくりと舐め回してやると、身を固くしていた身体からは、がくん、と一気に力が抜けていく。──そうして、弛緩した身体を好き勝手に蹂躙するように、舌をぐりぐりと甘噛みしてやってから再度、舌を強く吸って、──仕上げに唾液を流し込んでやると、成す術もなくは従順に、こくん、と喉を鳴らして、俺から注がれたものを飲み下すのだった。

「……はは、唾液なんぞを飲まされて、それで興奮しているのか……?」

 ぐるぐると目を回しながら、頬を赤らめて俺へとしなだれかかるは、まるで何が起きたか分からないと言った様子で、しかしながら、俺から投げかけられた言葉に、ぼっとますます顔を真っ赤にして、──それから、こくり、と。……おまえが、素直にも首を縦に振ったりなどするものだから、……俺はというと、一体、己が何に対して腹を立てていたのかというそれが、急にどうでもよくなってしまった。
 俺が何に対して苛立っていたのかと言えば、当然ながら、の態度にである。ようやく俺への甘えを覚えたのかと思えば、結局はあと一歩俺を求めないその態度に、俺は腹を立てていた訳であったが、……そうも健気な反応をされては、苛立ちの行き場も失うというもの。

 ──曰く、地球では、ケルベロスの唾液には猛毒が含まれているという俗説があるそうだ。全く、何を根拠に言っているのやらと言いたくはなるが、そのような俗説がある風土で育ちながらも、お前はと言えば、そのような言い伝えよりも俺を信じるとでも言うのか、……或いは、俺にならば殺されても本望だとでも言うのか、……恐らくお前は、その双方なのであろうな。
 その双方であるからこそ、お前が俺を求めるには、再度の勇気が必要であることなどはとっくに俺とて理解しており、──それでも、に強請られたいと思うのは。……俺がお前を、自身と対等な存在であると見初めたからで、隣に置くことを決めたからで、お前がもっと俺に依存して、他の何も見えなくなればいいと、……そう、思っているからだった。

 ──俺がお前に抱くこの劣情は、真っ当な愛情や性欲などで片付けられるほどに可愛らしいものではなく、とうに悍ましい感情へと成り果てているのだ、よ。
 この欲求は恐らく、劣等種どもに異常と呼ばれる部類のそれであると俺は自覚している。何故ならば、お前を捕食して我が物としたいという、そのような衝動が俺には常に付き纏っていたからだ。──もしも、お前の舌に噛み付いて、そのまま食い千切って、貪って、それで満たされたのならば、それはそれで話が早かったかもしれないが、……どうやら、既にそんなもので満たせるほどに、生易しい感情ではなくなっているようなのだ、これは。

 このように、──手心もなく俺に蹂躙されて、理性がぐずぐずに融けてようやくは、理性で取り繕った建前だとか、俺への配慮と言ったものを手放せる。俺に求められていることを言葉よりも体で実感しなくては、お前には分からんのだ。
 ──そんなお前をこの腕に抱いているその瞬間に、この上なく仄暗い喜びを覚えるのだというこの感情が、が俺へと向ける日向のような熱とは、まるで正反対である自覚があるからこそ。……俺は、がお得意の理詰めの思考や建前などを、さっさと棄ててしまえばいいと、そう思っている。考え悩み歩むからこそお前を好ましくは思うが、……俺の前でだけは、論理の武装も必要なかろう、と。
 故に、お前に遠慮をされるのは気に入らん。俺の前で、理性がある素振りをされるのは不愉快だ。──お前も俺と同じように、理性のない獣の目をしていればよかろう。何故ならば、──そうして、何もかもを取り繕えなくなった剥き出しのが俺しか見えなくなっているその瞬間に、俺は歓喜を抱いているからである。お互いの存在しか目に入らない、互いのことしか考えられない、お互いが与える感覚しか感じ取れなくなったその閉ざされた場所は、──まるで、他の何もかもが廃されてしまったかのような、二人だけの世界のように思えてならないから、俺とお前が辿り着きたかった場所であるように思えてならなかったから、……俺は、お前に、情動を抱いているのだろう。

「……さて、今度はお前から、……出来るな?」
「ん……このまま、屈んでいてね……?」
「ああ、……よかろう。その程度であれば、融通してやる」
「へ、へたくそでも笑わないでね……」
「はは、……お前は俺に嘲られるのも好きなのであろう? ならば、良かったではないか?」

 唾液に濡れてつやつやとした唇は仄かに色づいて、たった今自身を蹂躙した相手が誰であったのかをもう忘れたのか、は俺の首へと腕を回して、ぽっと頬を染めながらも、砂糖菓子のように甘い声で俺の鼻先で囁く。──お前は、俺に嘲られるのも、愛でられるのも、舌を噛まれるのも、唾液を飲まされるのも好きなのだと、繰り返し何度も教え込めば、お前の理性の最後の一枚も、そろそろ焼き切れる頃合いであろうか。
 精神論で言えば、俺とお前は対等な共犯者ではあるが。それでも、常に勝つのは俺なのだと、その可愛らしい矜持なぞは何度でもへし折って、勝ち負けを分からせてやろう。そうして、何度も何度もお前が毒を飲み干せば、……やがて、本人の自覚もない内に、お前のすべてが俺に合わせて作り替えられるのだと、……きっと、お前が知ることなどはないさ。……俺とお前に都合の悪い話などは、可愛いお前の耳に入れてやる道理はないからな。 inserted by FC2 system


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