王国のおわりは真鍮のフォークより

 日頃から、ふと気が付くと。は常に、レボルトの右側に立っている。
 それは、何も道を歩く際だけではなく、屋敷などでレボルトの隣に座る際にもそうしているようなので、恐らくはレボルトから見て道路側を歩くように心掛けているだとか、或いは、レボルトがを庇って道路側を歩いているだとか、あの行動はそういった理由ではないのだろう。……まあ、幾ら相手がとは言えども、そもそもあの男の方にはそのような情緒があるかどうかについては、甚だ疑問ではあるが。

「──というわけで、以前から気になっていたのだ。何故お前はレボルトの右側に立ちたがる?」
「? そんなの、レボルトの死角を庇えるように、ってだけだよ? ……何かおかしい? ソキウス」

 きょとん、と。──それはもう、まるで俺の方が、何か妙な問いかけでもしてしまったのだろうかと、そう思いたくなるほどに。から平然と放られたその言葉を受けて、……確かに俺も、なるほどな、と。そうは思ったとも。
 ──レボルトは、平時より三つ編みに束ねた髪を右側に流し、前髪も些かそちら側の方が長いので、時折、右側があいつの死角になる場合がある。……まあ、レボルトにとってはその程度のこと、特筆するほどの弱点にはならないし、恐らくその風体は自身の顔色や瞳に映る真意を相手から隠し、欺く目的も兼ねているのだろうが、──は、それにより生じるレボルトの死角には、彼女を置いて他の誰も入らせないように、常にレボルトの右側を陣取るように心掛けているのだと、そう得意げに言うのだった。

「だって、私は死角に入ったところで、絶対レボルトに攻撃したりしないもの! ね? 効率的でしょ?」

 ──にこにこと微笑みながら語る彼女のその行動を、……他でもないレボルトがに許している事の重大さなど、……は、知る由もなく笑っていて、……俺はと言えば、なかなかどうして、人とは変わるものだなと。そのように、微笑ましく思ってしまったことがあの男に知られたのなら、……まあ、俺は只では済まないだろうな。



 ──は今日も、俺の右側へと佇み、歩き、座り、寝転ぶ。
 ……そして俺は、のその行動を許容している。

 ──これは全くもって度し難いことだと、そう思う。何しろこいつが俺の右側を選ぶ理由など、俺とて当の昔に気付いているのだ。──そう、その場所こそが、俺にとっての最大の死角になり得るからと言う只それだけの理由で、こいつは健気にも、俺の弱点を補完、守護する目的で、──俺が害される前に敵を排除するためだけに、その場所に立つことを選んでいるのだった。

 まあ、考え方としては効率的ではある。──最も、俺と言う人間が他者を自身の陰に招いたその事実に関しては、まるで効率などは度外視した話ではあったが。
 不測の事態が起きる前に、そのように備えておくことで、何があっても俺の死角側はに守られることとなる。だからこそ、にとっては既に、俺の右側を陣取ることは、無意識のうちに癖となって身に付いているようではあったが、……そうは言ったところで、俺がのそれを好きにさせておく道理などは、本来存在し得ないのだろう。例え、どのように言葉を取り繕ったとしても、……この現状は、俺が自身の死角に他人の侵入を許しているという事実に他ならず、……まあ、多少は己に対する動揺も、俺にはある。

「……レボルト、チョコ好きだよね? これあげるね」
「……ああ、貰ってやってもよい」

 地球の研究所に用事があるだとかで、地球へと降りて戻ってきたその帰り道に、気になっていた洋菓子店で俺への土産に菓子を買ってきたのだと、そうは言って、取り出したそれらを皿に並べると、どちらが良いかと俺に訊ねた。
 ──こうは言っているが、どうせ、こいつが気になっていた店と言うのは、自身が足を運びたがっていた等という意味合いではなく、俺が好みそうなものが売っていたから行きたかった、という意味合いに決まっているのだと、俺もそのようなことは既に知っていて、故にが選んできたものであれば、どちらも俺が好む品なのだろうとそう思い、提示された二択には、特に悩まなかった。
 ちょうどその際に、思考の一部を占めていたからと言う理由で、“右”を選んだ俺が皿を受け取り、に気付かれない程度に横目で、紅茶を淹れるこいつをしばらく観察していると、やがて、俺が選ばなかった方の洋菓子に手を付けるは、「こっちもきっとレボルトが好きな味だよ、ひとくちあげるね」といいながら、フォークに刺した菓子の欠片を二口も三口も俺に差し出して、トッピングとして上に飾られていたチョコレート細工も俺に寄越してしまうものだから、……それでは、お前の取り分が残らんのではないか? と、……俺は、そう思って。

「……、お前にこれをやろう」
「えっ」

 俺が選んだ方の洋菓子の上に乗せられていた、赤い果実をフォークに刺して、俺はそれをへと差し出す。ネポスでは見慣れぬ品種だが、がよく好んでこれを食べていることを俺は何度も隣で見ていて知っており、……そのように、日頃からこいつが思う以上に俺はを注視しているからこそ、お前の好物についても俺は把握している。
 ──そうだ、お前を見つめているからこそ、こうも侵入を許したお前相手に、俺はこれを差し出している。──俺の死角に入り込み、金属で出来た鋭い凶器を手に握るお前に、俺は。……同じように手に握った獲物を突き付けて、施しなどを与えてやろうとしているのである。
 それを受けてはと言えば、俺のらしくもない行動に些か動揺しているようで、……自分が俺に対して、同じことをする分にはこいつも何も気にしないと言うのに、急に気恥ずかしくなりでもしたのか、幾らか頬を紅潮させながら躊躇いがちに、「あ、ありがとう……」と。──それでも、従順に。そっと果実を口に咥えて、かしゅり、と噛み砕き赤いそれを咀嚼する。

 ──今、この瞬間にでも。やろうと思えば俺はこのまま、この小さな金属でその細い喉を破いてやることとて、可能なのだろう。それはきっと、小さな唇を割って滑り込ませた金属で内側から貫くだけで、すぐに終わる。……ほんの一瞬、星を滅ぼすことよりも余程容易く、俺はお前を殺してしまえるのだ。
 それほどまでに、は俺を警戒していない。如何様にでも、俺はこの娘を手に掛けてしまえるのだ。──そう、本来はそうであるはずなのだが、……既に俺の方も、お前を警戒していないという事実こそが、問題なのである。

「! おいしい」
「……一口、食うか?」
「いいの?」
「構わん、……ほら、口を開けるがよい」

 片手で口元を抑えながら、どうあれ俺の前では可愛らしい所作で振舞いたいのか、もごもごと控えめに口を動かして果実を飲み込むその仕草はいじらしく、俺が命じれば躊躇いもなく、小さく唇を開くお前に対して、……今更、何を警戒することなどあろうか。

 結局のところ、既に俺は、お前が俺を害するなどという可能性は、まるで想定しておらずに。──こうして、その事実に気付いたとて、やはり俺からはそのような発想が全く出て来なかった。──そして、それはお前も同様であるからこそ、俺はお前のその行動を、今日も容認して好きにさせている。──かつて、俺が夢に破れたあの頃は、自暴自棄にさえもなりかけたものだが、結局はこうして。お前が俺の生きやすいようにと日々を整えて、ほんの些細な日常さえも、俺が何事もなく過ごせるようにと仔細に取り計らわれていたこの日々は、……こうして振り返ってみれば、存外。以前よりもずっと生きやすく、悪くない日々だったのだろうと、……そのように俺が自分の変化を実感し、甘くなったものだと自嘲していることなど知ってか知らずか、俺が突き付けた金属の先に、は幸せそうに笑って、穏やかに口付けるのだった。 inserted by FC2 system


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