あなたはひからない星みたいなもの

 ふと気が付くと、俺は砂浜に立っていた。──ああ、この場所は。あの日、俺がすべてを失った場所だと、そう自らが立つ場所の意味を思い出した途端に、ゆらり、と揺らいだ視界は、意識が遠退いたからか、或いは、目の前の現実をよほど受け入れがたかったが為か。
 ──あの日、俺はこの場所で。ドラゴンに敗れて、終焉の結びなどは存在しなかったのだと知らされて、──ああ、最早、俺に生きる意味など、理由などあるのだろうかとさえ思ったあのときに、──俺はこの浜辺に伏していたのだった。

 そんな、苦い思い出だけが詰まったこの浜辺に、それも夜遅くに、俺は何故自らの足で出向いてしまったのかと考えて、ぐるぐると晴れない思考を疑問に思いながらも、気付けば自然と足を動かしていたらしい。どうあれ、この場に立ち止まっているだけでは俺らしくもないと、そうとでも思ったのか、──一歩、二歩と踏み出した足は何故だが、途中から妙に重くて思うように動かなくて、まるで、重力に足を取られているかのような心地だった。──それに、何故だか嫌に肌寒いような気がして、暗い暗い夜空を見上げながら俺は、身体が芯まで急激に冷えるのを感じて、ぼんやりと、ただ呆然と、ゆるり、ゆるりと足を動かしていた。

「──レボルト!」

 ──深い深い霧の中に、いつの間にやら沈んでいた思考が引き上げられたのは、突然背後から声を張り上げて俺の名を呼ぶ、──の声が、聞こえたからだった。
 ──そうだ、俺は。先ほどまでと共に居たのではなかったか。それが何故、気付けばが傍におらずに、俺はひとりでこんな場所まで出向いたものかと、そう疑問を抱くよりも先に、──ばしゃり、ばしゃりと。暗闇の中に響いた水音と、縋り付くように俺の胴回りへと伸ばされて、しがみ付くの細腕を、妙に思って。──一体、何事か、と。そう問いかけながらもの方へと振り返ろうと俺が身を揺らすと、ばしゃん、とまたしても水音が響いて、──目の前には、腰よりも上まで水中に浸かりながら、水面に長い髪を投げ出して震えているお前の姿が、「レボルト、いや……行かないで……」──泣きながら、そう言葉を漏らすが、其処に立っていたのだった。

「お願い、レボルト……いっしょに帰ろうよ……」

 ──ぞっ、と。背筋が凍り付いたのが、自分でもよく分かった。──俺は、今。一体、何をしていた? ──まさかとは思うが、己がそうも愚かであるとは思いたくなかったが、……まさか、俺は。夢破れた現実を結局は受け止めきれずに、ならば一思いにという想いもまた捨てきれずに、……地獄にでも還ろうと、していたのか。──何の感傷か、それもこの浜辺などを黄泉への旅路に選んで、──俺はお前を置いて、死のうとしたのか。
 がたがたと震える腕は、指先は、──こうして引き留めたところで、果たして、俺が頷くものかという、その自信が無いのだ。──俺が居ないことに気付いたが屋敷を飛び出し、此処まで探しに来て、ようやく見つけたかと思えば当の俺はと言うと、を置いて消えようとしていたものだから。……どうすれば俺が思い留まるものかと、気が動転して碌に回らない頭でも必死に考えて、……けれど、目の前のその現実こそが余りにも苦しかったから、……最早どうしようもなくなって、耐え切れずに泣き出してしまっているのだ、は。──そうだ、俺と言う度し難い生が失われるかもしれんと言う事実に、こいつは其処まで動揺して、弱々しい力で、必死になって俺へとしがみ付いている。

 ──さて、どうしたものかと、俺は考えた。
 が俺を見つけていなければ、或いはと、そう思ったが。俺はこの娘に、一度や二度では飽き足らずにまたしても救われたのだ、──よりにもよって、お前が俺を護って死にかけたこの場所で、……俺はまたしても、お前を道連れにしようとしている。そのように理解ならば及んでいたが、それでも。──このような凶行に及んでおいて何の説得力もなかろうが、俺は、これでも。……屈辱に塗れながらでも、お前と共に生きる道を選んでみたいと、そう思っている筈なのだ。
 ──只、そうだとしても。俺はこの野心に、生涯のすべてを費やし過ぎてしまった。終焉の結びというケルベロスとの盟約は、最早俺にとって生きる理由そのものになってしまっていたのだ。──それでも、我が盟友ケルベロスは、俺に生きろとそう言った。と共に歩む道があるのならば、これからは俺とケルベロスの旅路に、と言う連れ合いがもう一人くらい増えても良いのではないかと、……俺とてそう思っているはずだと言うのに、──ああ、それでも。……俺と言う畜生には、どうにもまだ足りんのか。から注がれる穏やかな熱では、……未だ、すべて吹き飛ばすには、足りんのだな。

 ──ああ、そうだ。……きっと、未だ幾らでも時間が要る。──夢破れた後にでも、生きていた意味は確かにあったのだと。俺がそれを実感できるようになるまでには、未だ時間が掛かるのだろう、きっと。と歩んで生きていけば、或いは、何時かは。──これはこれで、悪くない人生だったと、そう思える日が来るかもしれん。……だがしかし、その日に辿り着く為には、ともかく今日を生きるしか無いのだろう。どれほど苦痛であったとて、──何度、お前を泣かせたとて、俺は。これから先の日々を生きていくためには、俺にはお前の悲痛が必要なのだ。

「……ああ、分かった。帰るぞ、

 縋り付く身体は、此処に来るまでの間に俺を探してあちこち走り周りでもしたのか、動悸が激しく、海に浸かっていたお陰で酷く冷たい。……このまま放っておけば、俺よりも先にの方が死にそうだと、そう思いながらも細い身体を抱き返して、腕を引き、俺はを連れて砂浜へと戻る。──ちゃぷん、ちゃぷんと二人分の移動で揺れる真っ暗な水面は、近隣の星々と市街地で緑色に光る街頭とで揺らめき、白むようにきらめいて、──ばちゃん、ばちゃん、と寄せては返す水の音よりも余程、──が泣く声の方が、その暗闇と光の中によく響いていた。

「……よく、俺が此処に居ると分かったな」
「……ネポスは、地球よりも、星が近いから……夜でも、あかるくて、それで……あなたの髪が、とおくに光って見えたから……」
「……そうか」
「……うん」

 嗚咽で途切れ途切れにそう語りながらも、あまりにもお前が泣き止まないものだから。揃ってずぶ濡れになりながら歩いた帰り道、どうにかお前を宥めようと試みたものの、──所詮は取って付けただけの言葉では、に届くどころか悲しませるだけで、お前を不安にさせるだけなのだと思い出して、俺は結局、お前に何も言えなかった。
 ──ネポスは、地球よりも星が近いのだと。だから、暗闇の中でも空が明るくて、美しくて、俺と見るこの景色のことが。その中で輝く俺の髪を見上げるのが好きなのだと、──かつてお前が好きだと言っていた金色などはとうに失われて、真っ白に色素が抜けた俺の髪を見ても、お前はそう言うのだった。
 ──もしも、お前がそう語ったこの夜空を、いつか、俺にも、──美しいと感じられる日が来るとすれば。それは、お前の傍でしか有り得んのだろう。……ならば、お前を何度泣かせたとしても、俺は。──お前と同じ景色を見ていたいと、重い身体を引きずりながらにでも、確かにそう思ったのだ。 inserted by FC2 system


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