征服欲はベルベットの手ざわり

 その日、はボーン研究所のネポス支部へと出向いており、平時よりも彼女の帰りは遅かった。
 普段ならば、とっくに諸事を終えてレボルトの屋敷に戻っている時間を過ぎてもは戻らず、夕飯の支度をする時間どころか夕飯の時間を過ぎてもやはり帰ってこなくて、レボルトも明らかに苛立っている様子で何度かに連絡を入れていたが、返事が来ないどころかそもそも端末が圏外にあるようで、俺とて気がかりになってきたところで、──グラディスがレボルトの元へと駆け込んできて来たかと思うと、その一報を伝えたのだった。

「──レボルト様! このような文書が、屋敷に届けられております」
「──貸せ。……ハァ……懲りん連中だ……」

 グラディスから渡された書状を一瞥するとレボルトは露骨に嫌そうな顔で眉を潜めて、「なんと書いてあるのだ?」と問いかけた俺へと乱雑に文を投げ寄越す。どれ、と目を落としてみると其処には、“お前の妻は預かっている、返して欲しければ此方の条件に従え”と、──要約すればそのような内容の、なんとも陳腐な脅迫が認められていたのであった。

「……レボルトよ、お前は本当に敵の多い男だな……」
「やかましい」

 内容を改めた後にレボルトへと手紙を返そうとするものの、レボルトは不快そうに手紙を手で払うと露骨に苛立った態度で、乱暴に足を組み直す。
 ……レボルトと言う男に敵が多いのは、何も今に始まったことではない。それこそ、奴の野望の全容が知れなかった、要は完璧な好青年に擬態していた頃でさえも、この男は何かとやっかまれることが多かった。
 そんなレボルトが先のクーデターを起こして以来と言うもの、レボルトを攻撃する行為に正当性を得た気になっている連中が度々現れては、──奴らは標的を専らレボルト本人ではなく、伴侶であるへと絞っているのだから、所詮は連中に大義など何も無いのだろう。何しろ、それらは“か弱い女”に手を上げる理由にはならないからな。
 という地球人がレボルトの妻に収まった事実は最早ネポスでも周知とするところであり、その事実を心配するものも祝福するものとて幾らでも居たが、──それと同時に、彼女の存在を“好機”と捉えるものもまた、後を絶たなかった。
 何しろ、レボルトはエクェスでも屈指の戦士である。理想を遂げるための鍛錬を決して怠らなかった奴は並大抵の人間では御せる筈もなく、──であれば、本人よりもを狙った方が効率も良いのではないかと、……どうやら、連中はそのように考えているようだったが。

「──ソキウス」
「ああ。……を呼び戻すだけで構わんのか?」
「構わん。……それとも、あいつが遅れをとるとでも思うのか? ソキウスよ」
「思わないな。……下手をすれば、犯人を殺しかねんのではないか?」
「……それ自体は構わんが、隠蔽も面倒だ、とっとと探せ」
「……まあ、彼女が危害を加えられる可能性も、或いは……」
「……んなもん、あるか?」
「一応、無いことも無いのではないか? ……念のために聞くが、そうなっていたらどうするのだ、レボルトよ」
「殺す」
「そうか、ならば急いで探そう」
「ま、とっくに手遅れであろう? 犯人の方がな。……其方は後程“然るべき処置”をさせる」
「承知した」

 口ではそう言っているものの、苛立っている様子から察するに、レボルトとての身を案じてはいるのだろう。彼女が敵に後れを取るものとは思わなくとも、……それでもレボルトは、を何度も目の前で喪いかけているからな。
 連中の詰めの甘さと言ったら“レボルトの陣営には空間属性が居る”という事実をすっかり見落としている、という事実にも表れている。……まあ、其方に関しては「既に手を切った」と判断されているのかもしれないが。
 レボルトの指示でウロボロスが持つ空間属性の力を用いてのホワイトドラゴンの存在を探知したところ、──当然ながら、あっさりと彼女は見つかった。
 屋敷から然程離れてもいない廃墟にと、──周囲に他数人の気配もあったが一旦はそれを無視してだけを空間転移で呼び戻す。──ひゅん、と風を切ってその場に着地したはホワイトドラゴンの白銀の装甲に身を包んでおり、──その切っ先に返り血がべっとりと付着しているのを確認した瞬間、──レボルトの口角がにいっと吊り上がるのを、俺は確かに見たのだった。

「──レボルト!」
「大事は無かったか、
「へいき! ごめんね、晩御飯の時間までに戻ってこられなくて……」
「んなもんは気にせずともよい、……で? 敵の数は?」
「なな、はち……だったかな、全員気絶してるよ」
「そうか。……グラディス、部下を連れて後始末をしてこい」
「は、承知いたしました」
 
 すぐさま空間転移に気付いたは着装を解き、レボルトの元へと駆け寄って嬉々として報告を唱えている。その言葉に耳を傾けながら部下に指示を出すレボルトの手筈通りに、先ほどまでが居た座標へと今度はグラディスたちを空間転移で送り込み、──ああ、今回もどうやら大事は無かったようだと、目の前の友人たちを見つめながら、俺はそっと胸を撫でおろすのだった。
 ──が誘拐されたと聞くたびに、俺は心底、肝が冷える。何故ならばそれは、レボルトはこの先を失っては二度と人の理の中に戻れないのだろうと俺がそう確信しているからであり、──そして何より、二度と友人たちの手を汚させたくはないと、そう思っているから、である。
 はレボルトや俺と比べれば極めて理性的で、善良な人間であると言える。……だがそれも、“レボルトが絡まなければ”の話であり、兎にも角にもという人間は、レボルト絡みになると急激に歯止めが効かなくなる。
 ──そんな彼女が、“レボルトに恨みを持ち、報復のためにを誘拐するような人間”を許すと思うか? ……どう考えても答えは否であり、恐らくは今日とてボーンも持たぬ犯人たちを前にしてはホワイトドラゴンの外殻を着装した上で徹底的に叩きのめして帰ってきた様子であり、──このような事態が既に何度も起きているからこそ、俺は気が気ではないのだ。
 
 確かに、レボルトと言う男は強い。そんなレボルトの隣に立つは、地球──日本をルーツに持つからか、我々と比べると童顔で小柄で、そんな彼女がレボルトの隣に居れば、尚更に彼女は儚く見える。
 ……そう、客観的には確かに、そのような印象をは見る者に与えるのだった。
 その上、はレボルトに非常に弱く普段は大人しげであり、奴の隣ではふにゃふにゃと照れ臭そうにはにかんでは、何かと尽くそうとしている様子が目立つ為に、──そんなふたりを遠目から見たことがある人間は、を「弱そう」だとか「レボルトの弱点」だと誤認して、彼女に対してそのような印象を抱くのだろう。
 故にこうして、を狙った犯行が度々起きるのだが、……実際の彼女は、そのように可愛らしい存在ではないし、弱点どころかレボルトの切り札とも言える存在なのだった。……何しろ彼女だけは、真にレボルトの共犯者であることを許されているくらいだからな。……俺とは、違って。

 只でさえ、時間属性という厄介な力を持つ上に、時間の魔神を実力行使で御すことでレアメタルへと変貌まで遂げた実績のある彼女は、非常に優れた戦士である。メインの武装である複数本の剣は近接から遠隔操作まで可能なオールレンジ攻撃に対応しており、その上、当然ながら彼女は時間を止めて死角に潜り込んでくる。
 一見すれば、は弱そうで、儚げに見えると言うのは、飽くまでもレボルトの隣に並んでいるから、というそれだけでしかなく、は普通に強いどころか、並大抵の人間よりも余程強い。
 そうでなくては、このように何年もレボルトの“共犯者”として奴に肩を並べることなど、許されてはいないのだろう。故に彼女が“弱そうに見える”というのは、彼らの何も知らない外野が抱いた幻想に過ぎない上、はレボルトのことが絡んだときこそが、一番強い。
 はレボルトの弱点である、等と言う連中の予想はとんだ見当違いであり、優れた戦士である彼女は恐ろしいことに、レボルトの敵に対しては徹底的なまでに容赦がないため、そのような連中には絶対に負けない。
 故に、俺はが捕まる度に心底、気が気ではないのだった。……はレボルトの為ならば、有象無象の輩などは殺してしまえるのだろうと、そんな確信があったから。──そうだ、俺は彼女に、人の理を踏み外して欲しくは無かったのだ。例え、レボルトがそれを欲していると気付いていても、……俺にはその歪んだ独占欲を肯定してやることは、出来なかった。
 
「──それでね、さっきの人たちは異星から武器を仕入れていたみたい」
「ああ……ネポス人は表向きには穏健派だ、エクェス以外は武力など持ち得んからな」
「ね。……でも、ちょっと怖かった、かも……」
「怖かった、だと……? ……お前が? そのような賊を相手に……?」
「……あの、ごめんね……ちょっと、レボルトに心配とか、褒めてもらったりとか、して欲しくて……言ってみた、だけ……」
「ハァ……ならば、素直にそう言え。……ま、褒めてやってもよかろう」
「! ほんと?」
「そうさなァ……お前には赤が良く似合う、褒美に装飾品でも見繕ってやるか」
「赤?」
「ああ。明日にでも職人を呼ぶ、要望を考えておけ」
「ありがとう! でも、レボルトが選んでくれたのが、一番うれしいな……」
「……構わん、好きにしろ」
「やった!」
 
 そのような不安を内心で抱えている俺とはレボルトはやはり大違いであるようで、の足元に剣先から零れた赤い液体がぱしゃん、と跳ねるその様に、──レボルトは形容しがたい悪鬼のような笑みを浮かべて、極めて穏やかな素振りでの髪を撫でている。
 は文字通りにレボルトの為ならば、何でもする。レボルトとて何もが望まぬ真似を彼女に強いる気は最早ないようだが、……それでも、“はレボルトの為ならば返り血を浴びることも厭わないのだ”と、誰かをその手で断罪したというその事実よりも”レボルトから褒めてもらうこと”の方が彼女にとっては余程大事なのだと、それらを実感するたびにこの男の空の器はきっと満たされているのだろうなと、……俺も多少は、お前へのそのような理解が深まってきたのは、良いことなのか、悪いことなのか、一体どちらなのだろうな。
 
 レボルトは、に何かあれば犯人を殺すどころか、きっと星を堕とすのだろう。
 ──例えそれが、ネポスという我らが母星であったとしても、その事実は変わらない。
 は、レボルトの為ならば望まなくとも苦しかろうと、きっと敵を殺せるのだろう。
 ──例えそれが、地球という彼女の母星の同胞であっても、断腸の思いでは凶行に踏み切るのだと、俺はもう知っている。
 そして、そのときこそがきっと、──彼らが今度こそ、人の営みから消えてしまう最後の審判なのだ。

 どうかその日だけは、きっと訪れてはくれるなとそう願うからこそ、まるで穏やかな恋人同士の戯れのように目の前で行われている、共犯者同士の血生臭い会話に、俺の心臓はどうしようもなく跳ねている。
 俺はの細腕が振るわれる度にこの有様だと言うのに、──お前はきっと、無傷で他者を叩き潰して帰ってきたに対して、俺とは違う安堵と信頼を得ているのだろう。お前にとって何よりも自分に近しい存在であると、そのように感じて心から満たされているのだろう。
 ……いつだったかレボルトは、「には赤色が似合う」と、そのように話していた。俺はその言葉を、自らが好んで身に纏う色で愛するものを着飾りたいのだと言う、真っ当な男としての独占欲なのだとばかり思っていたが、──爪先に跳ねる赤を前にして口元に歪な弧を描いていたお前は、……きっと、それだけの話で語っていた訳ではないのだろうな。……まあ、俺とてその気持ちも多少は分かるが、認めたくはない。
  確かに彼女の白銀には、赤が何より映えるのだ。──願わくばどうか、そのような欲望はこの先も、宝石の赤だけに籠めて欲しいものだと、俺は切に願う。
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