ミルク座とくるみ座に跨るアルデバラン

 私が露伴さんと知り合ったのは、今から数ヶ月前のこと。仕事の関係、知人の編集者から、彼の漫画のために、私の仕事に関する取材をさせてあげて欲しい……と紹介されたのがきっかけだった。
 露伴さんとの初対面の折、矢継ぎ早に、私へと質問を浴びせてくる彼に、私は呆気に取られてしまって。けれど、自分の仕事に興味を持ってもらえたことが嬉しくて、つい熱が入って話し込んでしまった記憶がある。そうして、彼と話をしているうちに、私は露伴さんの人柄自体を好ましく感じたし、彼もそれは同じだったらしい。そのまま意気投合して、お酒を飲んで、楽しく話して、連絡先を交換して、……それ以降も、私と露伴さんは途切れることなく連絡を取り合ったり、食事をしたりと友人付き合いをさせてもらっている。
 その旨を、後日、知人に伝えたら、あの岸辺露伴があなたと!? と、まるで信じられないというような反応をされてしまったので、私も当時は、どうしてそんな反応をされるのだろう……、なんて。大層驚いたものだけれど。……だって、その時点では、私の中での露伴さんへの印象は、変わった人だけれど、気さくで楽しくて、いいひとだなあ、というものだったから。

『なあ……今更だが、ぼくたち恋人同士になってもいいんじゃあないか?』
『……え?』
『だから、きみとなら付き合ってやっても良いって言ってるんだよ、この露伴がね……』

 ……だから、正直なところ、露伴さんとの友人関係を続けるにつれて、……露伴さん、こんなに面倒くさい人だとは思わなかった! ……と、いう気持ちが、確かに私の中に芽吹いていたことは、否定できない。寧ろ、初対面のあのときはどうしてあんなに爽やかだったんだろう? と、今でも不思議に思うほど、なのだ。はっきり言って、私の知る限り、岸辺露伴という男は、幼い子供じゃあないんだから、と呆れたくなるくらいワガママで、エゴイスティックで、自分本意で、人の気持ちが分からなくって、気難しくって、本当に面倒なひと。……それこそ、私に愛の告白? なのか……よくわからないけれど……まあ……ともかく、交際を迫ってきたときも、下手に出たり私の顔色を伺ったり、なんてことはなく、いつもの調子だったものだから、正直あのときは、彼の真意を計りかねたくらいだったのだ。
 確かに彼は偏屈で、面倒くさいひとだったけれど。……それでも、私は、岸辺露伴を友人として尊敬していたから。……まさかだけれど、手頃な丁度いい女だと思われているのかなとか、後腐れがないと思われているのかな、だとか、これも作品作りの為のリアリティ探求の一環なのかな? だとか。たまたまあのときは、そういう気分だったのかなあ? ……だとか。そんな風に、良くない想像を浮かべて、岸辺露伴がそんなひとだとは思いたくないし、……そういう側面は、見たくないな、と。なんて、思って、そんな風に様々な葛藤があったからこそ、彼の告白に応えかねた……というところも、大いにあった。……まあ、それを全て正直に話してしまうのもどうかと思ったから、必要最低限の意向しか露伴さんには伝えていない。何もかも正直に答えて、彼の方から今度の友人付き合いを敬遠されてはいやだな、と思ったのもある。我ながら打算的で、ちょっと自分が嫌になるけれど。そんな風に必死になるくらいに、私は岸辺露伴を好ましく思っているのだった。

「あ、もしもし? 露伴さんですか? どうしました?」
「ああ……きみ、今夜は空いているかい?」
「え? まあ、特に予定はないですよ。明日はお休みだし……」
「そうかい、だったら食事にでも行かないか? ぼくも仕事が終わったところなんだ」
「そうなんですか? いいですよ、行きましょうか」
「! そうかい……なあ、きみ、何が食べたい?」
「え?」
「何が食べたいかって聞いているんだよ、店を予約しておいてやるからさ、早く答えなよ、
「えっと……露伴さんの行きたいところでいいですよ? いつも、いいお店連れてってくれますし……好きなところで……」
「……オイオイオイオイ、きみさあ、ぼくに性格を治せって言ったのはきみじゃあないのか?」
「え……ああ、まあ、はい……」
「ワガママなのを治せって言ったんだよきみはさァ〜〜それにエゴイストだとまで言ってくれやがったんだぜ……だからきみに合わせてやろうとしてるんだろ? それをきみが譲歩してどうするんだ」
「あ……そ、そうでした」
「全く頼むよ……ぼくがワガママなんじゃあなくて、きみがぼくを許容しすぎているだけなんじゃあないのか?」
「……そう、なんですかね……? いや……それは違う気がしますけど……」
「まあいいや。で、何が食べたい?」
「えっと……あの、たまには和食とか、どうでしょう……?」
「オーケー。懐石の店を予約しておくよ、エスコートしてやるから精々めかし込んでくることだね。じゃ、夜迎えに行くから」
「え、ちょ、露伴さ……」

 ……ワガママでエゴイストで自分本意でめんどくさくて身勝手なのが、岸辺露伴だ。ちょっと非常識なところもあって、周りの都合を一切考えないし、時々、彼と話していると彼の感性というか、モラル的な部分が些か心配になることもある。……けれど、仕事への熱意は本物で、漫画を描いているときや取材の最中に、見聞きしたことを必死に書き留めたり、カメラを構えたりしているときの露伴さんの横顔は、真剣そのもので、私は彼のそういう部分に、誠実性だとか人間性を感じているのである。
 信用できる人柄ではないかもしれないけれど、信頼できる人間だと感じていて、同時に、私の思う彼が本当の彼なのだと思いたい。私は、岸辺露伴という男が人間として好きだから、彼の人となりを信じたいのだ……と、思う。彼を、悪人だとは思いたくないから、もしかすればきっと、彼の中にも在るのであろう黒い部分を、多分私は、見るのが怖いのだ。……今ならまだ、ちょっぴりワガママで口の悪い友人、のままで居られるから。
 私は露伴さんを、人と尊敬しているし、私も彼ほどまでは行かずとも、信念ある人間でありたい、と。彼の姿を見るたびに、そう思っている。そして、その彼の、ちょっとだけ難儀な性格を知った後でも、変わらずに友人付き合いを続けてきて、けれども見たくなかった部分を見ることで、露伴さんを嫌いになるのはいやだなあ、と思っている程度には、私は彼のことが好きである。下手な関係に発展して、全部台無しになるのが嫌だったから、友人であっても彼の恋愛観については知らなかったから、……だから、彼の意図が読めずに告白は断ったに過ぎなかった。

 ……そう、交際の申込みは、はっきりと断ったのだ。けれど、今夜の約束は多分、友達と飲みに行く。なんて気軽さじゃなくて、彼なりのデートのお誘い、だったのだと思う。
 ……どういうわけか、露伴さんは私の言葉を間に受けて、私に指摘された部分を治そうと躍起になっているらしい。まあ、こんな風に強引に約束を取り付ける辺り、全く改善されては居ないのだけれど。彼なりに、努力してくれていることは、私にもわかる。

 一体全体、どうしてこうなったのかはわからないけれど、……どうやら岸辺露伴は、本気で私のことが好きらしい。

「……困ったなあ……」

 友人として時々会うだけでも、やっぱり面倒くさいひとだなあ、と思うことが多すぎて、これが四六時中いっしょにいる恋人になったときに、彼を許容できる自信がなかった。友人同士だった頃は楽しかったのに、恋愛関係に発展した途端に、上手くいかなくなる、なんていうのも、よくある話だ。だから、友達のままで居て欲しい、と。あのときは、たしかにそう思ったのに。
 なのに、近頃の私は、どうしてか。
 友人の岸辺露伴のこんな面倒くさいところを、……なんだか可愛いかもしれない、なんて、思い始めてしまっているのだ。

 もしも、露伴さんが恋人に対して、ぞんざいな扱いをする人だったなら、多かれ少なかれ、私は彼に失望してしまうと思う。あの性格だし、十分あり得る! ……と、そう、思ったのになあ。口調はいつもどおり、ツンケンしていたけれど。電話越しでも分かるくらいに柔らかい声で、楽しげにデートの約束を取り付ける、なんて。そんなひとだと、思わなかった。……もしかして、そもそも、露伴さんって。私の前では、まだワガママもエゴイズムも控えめな方だったり、したの、かなあ……? inserted by FC2 system


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