窓辺の宝石

 ──グエルがダリルバルデを召し上げられたことは知っていた。我が社の新型モビルスーツであるダリルバルデを父がグエルへと与えたのは、何も息子のパイロットとしての腕を信頼してのことだとか、親子の愛情故にだとか、そんなにもきれいな理由なんかじゃない。……残念ながら、私達の父がそういったひとではないのだということは、私もとっくの昔に知っていたから、今更特に驚きはなく、……けれど、父の決定に憤りを覚えなかったと言えば、嘘になる。MD-0064──ダリルバルデは、意志拡張AIを搭載した新型のモビルスーツで、シェルユニットを展開しAIでドローン操作を行うのが特徴で、機体の操縦とAIの制御とを並列処理する必要のある、エース向きの癖の強い機体──だというのに、父は。グエルならば御しきれたはずの機体の操縦権すらも、息子に与えてはくれなくて、──そうして、今度はその役が私へと回ってくるであろうことも、言われなくとも分かっていた。……きっと父は、ずっと昔からそういうひとだったのだ。

「──だからって、グエルをジェターク寮から追放しただなんて、私は聞いていません!」
「……お前に報告する義務が私にあるのか? 嫁にも行かずに、フラフラと遊びまわっておきながら、よくも……」
「……っ、私は、ドミニコス隊のパイロットです! それに、ドミニコス隊はカテドラルの直轄部隊です、結果的にジェターク家の為にもなっているはずでしょう、私は何も、遊んでいるわけでは」
「遊んでいるだろう、女の分際で、お前が本当に部隊に重宝されているとでも思っているのか? 俺の娘だからと言って、上官から過保護にされているだけだろうに……お飾りに過ぎないお前が、分かったような口を利くな」

 ──あなたこそ、どの口でそんなことを言っているんですか、父さん。……もしも私が此処で、父に向ってそんな呪いを吐き捨てたところで、決してグエルの待遇が改善されるわけじゃない。……私は、グエルとラウダ、大切な弟たちに火の粉が降りかからないようにと、必死にパイロットになったのに、……結局、宇宙の片隅に居る私は、こんなときに駆け付けることすらもできないのか。ジェターク寮を追放されたというグエルのことも心配だけれど、……ラウダは、精神的に脆いところがあるから、グエルや父さんを止められなかったことを、あの子が気に病んでいないかだって、とても不安だ。シャディクやエラン──決闘委員会に名を連ねる他の御三家と渡り合うのだって骨が折れるだろうに、……あの子は、大丈夫かな。うちの弟たちは無理しすぎるところがあるから、心配だった。ダリルバルデを下げ渡された私と同じように、ラウダがジェターク寮の寮長を引き継いだと言うし、……本当は、今すぐにでもアスティカシアに飛んでいくべきなのだと、……そう、思ったところで、結局のところ私は、いつだって不自由なのだ。

「──今日、お前を本社に呼んだのは、くだらん話をするためではない。ダリルバルデの意志拡張AIはまだ不十分だ、お前に合わせて再調整を行う必要がある。お飾りだろうとドミニコス隊で戦争を生業とするお前が、AIに全てを委ねてはレンブランの主義に反するからな……あの老人が死ぬまでは、多少はお前が操縦する必要がある。分かったならば、早く格納庫へ行け。……良いな、
「……はい、父さん……」

 ──ドミニコス隊所属、・ジェタークは部隊のエースパイロット、──等と言うことは全くあり得なくて。父の酷い言い草もすべて否定できるほどに、私は自分を過信してはいなかった。
 パイロットとしての技量に関して言えば、私も決してお粗末なものでは無い筈だと、そう思っているし、上官から一定の評価は受けている。──けれど、大前提として私は御三家の娘、ジェターク家の一人娘だった。……もしも私が、民間の出身であったのならば、話は違ったかもしれないけれど、ドミニコス隊としてはどうしても私を、“ヴィム・ジェタークから預かっている令嬢”として、扱わざるを得ないのだと、ちゃんと分かっている、弁えているし、諦めてもいる。……この手は決して、清らかなままではなかったけれど。それでも、危険さ故に私が出動を許されない場面というものは、どうしてもあって。……それも、当然だろうと思う。・ジェタークには決して、ミオリネ・レンブランほどの価値はないけれど、それでも。アスティカシアという箱庭の外に生きる人間にとっては、十分に。私などでも、価値があるのだ。私と通してジェターク家に取り入りたいものなど幾らでもいて、私ではなくその向こう側にある地位や名声だけを見つめている同僚も、少なくはない。……ドミニコス隊で過ごす日々は、実家にいるよりは少しだけ自由で、けれどやはり、不自由を思い知ることが多い。忙しく飛び回っていた訳でもない癖に、本部で待機を命じられているだけのくせに、……弟の助けにすら迎えなかった不甲斐なさを悔いることも、──宙を知らなければ無かったのかもしれない、なあ。

「……あなたはどう思う? ダリルバルデ……」

 ──ロールアウトされたばかりのダリルバルデのテストパイロットを務めたのは、私だった。この機体が作られた時点では、……まだ、意志拡張AIによる完全制御のシステムは私に明かされていなくて、グエルがパイロットとして搭乗することだって、私は知らなくて。──だから一瞬、ほんの一瞬だけ、……私、新型にして高性能なこの機体は父が私の為に用意したものなのかと、そう思い上がってしまったの。テストパイロットに指名されたからって、単純に思い込んで、──もしかして、本当は父だってドミニコス隊での働きを見ていてくれたんじゃないか、って、……私ですら、そんな風に考えてしまったのだから。……グエルとラウダは私よりもずっと、父の視線が自分に向くことを望んで、期待してしまうのだろうと、そう思う。──だからこそ、弟たちがどんなに欲しても与えられないその愛を、私が代わりに注ごうと努めてきたつもりでも、……結局のところ、その私がこんなにも精神的に幼いのだから、本当に世話がない。
 赤い機体のコクピットには、小さな宇宙が広がっている。──モビルスーツの胎内で、ぎゅっと膝を抱えるこの時間が、私は好きだった。この時間だけは私でも、何かの役割に縛られることはなかったから。……ねえ、ダリルバルデ。あなたを一目見たときに、わたし、なんてきれいなモビルスーツなんだろうと思ったの。あなたは父から与えられた私への素敵な贈り物だと、そう思ってしまったの。……だったら、この行き場のない苦しさは、あなたを手に入れたことによる高揚感、だったのかな。それとも、私があなたを手に入れたのは、弟が父に捨てられてしまったからだというその事実に、ひとりで罪悪感を感じているから、なのかな。

「……このまま、あなたとひとつになれてしまえたなら、いいのにね……」

 ──ダリルバルデ、もしもあなたの中に私が融けられたのなら、AIが補助している役目を私の脳髄が担うことになるのかな。もしも、そうだとしたら、……私とあなたでなら、きっとグエルのことを護れたかもしれないのにね、って。……わたし、つらいときにもこんなことばかりを考えてしまうから、ジェターク家の世間知らずなお姫様だって、皆からそう呼ばれてしまうのだろうな。……ああ、いやだなあ、あなたを連れてドミニコス隊に戻ったのなら、エースでもない癖にエース機を下げて帰ってきた、だとか。弟から強奪した機体、だとか。……そんな風に笑うひとも、きっといることだろう。……姉と言う役目がないと、私は気丈になんていられないのに、グエルは家を追われてしまって、私はその助けにも迎えない。……ああ、なんだかもう、疲れた。……ずっと、此処に居たい、なあ……。

「──いっそこのまま、ふたりで何処かに逃げてしまえたなら、私達だけは楽だったかもしれないのにね……ダリルバルデ……」 inserted by FC2 system


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