母の匂いは永遠の呪い

※6話時点。ラウダが妾の子、というヘッドキャノン要素が前提。



 兄さんと僕とは腹違いの兄弟で、更に兄さんの上には二つ年上の姉が居た。僕とは違う母親から、──兄さんとは同じ母親から先に生まれた姉は、僕がジェターク家の敷居を跨いだ日、嫌な顔ひとつせずに僕を家族として歓迎してくれて、僕はそんな姉さん、──ぺルラ姉さんのことを、心の底から敬愛していた。姉と兄が出来たことは、幼心に素直に嬉しかった。僕にも頼っても許される相手が出来たのだと、そう感じられたのだ。
 ジェタークの家に身を置いてからは、どうにかして父に少しでも気に入られようと、……それが、いずれは母の為にもなると思って奔走する僕は、いつしか自然と、兄さんと意見が食い違うようになっていったけれど。……なにも、父さんのやり口を肯定できなかったのは、兄さんだけじゃないんだ。本当は、僕だってそうだった。僕にとってジェタークの家で僕を歓迎してくれたのなんて、姉さんと兄さんだけだったのに、……本当は、兄さんと道を違えることなんてしたくなかったのに、……それでも僕は、結局、いつだって両者に対して強く出られなかったし、その選択は正しかったのだろうと言うことも、分かってしまった。……だって、後継者として手塩に掛けて育てたはずの兄さんすらも、あっさりと捨ててしまえた父は、きっと僕のことは、もっと簡単に見限ってしまえたのだろうから。
 ジェターク社の跡取り息子として扱われる兄さんと僕とでは、何もかもが違うのだと、理解できていたから。息を潜めることが、僕にとって生きるための術だった。父に抗わずに兄を盛り立てることは、……いつしか難しくなってしまって、そうして、ついに、……兄さんが、僕を敵として批難したときに、……僕は、その事実が恐ろしくて堪らなかった。……なにも、それが兄さんの本心のすべてだとは思わないし、兄さんはちゃんと僕を弟だと、家族だと思ってくれている、はずだ。……けれど、長年のぼくの立ち振る舞いが兄さんの不信を招いていたのは事実で、だからこそ、……これからは、兄さんの為を想っての行動は、父さんの目など気にせずに、迷わずに踏み切ろうと、……僕は、そう、思っていたはずなんだ。

「……ぺルラ姉さん、僕はどうしたらよかったんだろう……」
「……ラウダ、顔を上げて?」
「……姉さん、僕は……」
「よく聞いて、ラウダ。……グエルのことは、あなたの責任じゃないわ」
「でも、姉さん……」
「ううん、……これは私の責任なの、私がもっと早くに、私が……」

 ──違うよ、姉さん。──兄さんがジェターク寮を追放されたときも、父さんの言い付けを破って決闘を行なったことも、水星の彼女に敗北したことも、父さんを怒鳴りつけて、意志拡張AIを叩き壊して独断行動に踏み切ったことも、全部、ぜんぶ。……姉さんに責任など、ある筈もないじゃないか。それは、一番身近にいたはずの僕が、止めなきゃいけなかったんだよ。
 ──姉さんは二年前まで、アスティカシアに在学する学生だった。卒業後にドミニコス隊へと配属された姉は、在学中はジェターク寮の寮長で、決闘委員会の筆頭で、当時のホルダーで、──兄さんには、そんな姉さんの背を追って、すべてを叶えてしまえるだけの才能があって。……ふたりは、ずっと僕にとって手の届かない存在、だったんだよ。でも、それでも姉さんは、「私が卒業したら、これからは兄弟で手を取り合って助け合うのよ」と、……決して、僕と兄さんのどちらかを贔屓しているわけじゃないって、ちゃんと分かっていたよ、本当はちゃんと分かっていたんだ。姉さんは後から急に出てきた僕のことも、生まれてからずっといっしょだった兄さんと同じように大切にしてくれていることを、僕だってちゃんと知っていたよ。……でも、それならば、どうして僕は。──久々に、ひとりきりで帰ったジェタークの家、突然、跡取り息子として皆に出迎えられる薄ら寒さに身を震わせながらも、「ラウダ、おかえりなさい」と、──僕だけの名を呼んで微笑みかけてくれた姉の姿に、どうして、こんなにも穏やかな気持ちで、胸を撫で下ろしてしまったのだろうか。

「……ラウダ、寮長を引き継いで、寮での仕事も、決闘委員会のことも、……今後、この件で他の御三家から何か言われたり、揺さぶりを掛けられるようなことも、あるかもしれないわ。……現状、ジェターク家は花嫁……ミオリネさんの争奪戦から脱落したようなものだから、謂れのない言葉を掛けられることだって、あるかもしれないし……」
「……うん」
「これからは、グエルが傍に居ないこともあるかもしれない。……学生として過ごしながら、それらをこなすのはきっと楽じゃない、だから、ラウダ……」
「……うん、姉さん……」
「……これからは、もっと姉さんを頼ってね。……姉さん、グエルみたいに頼りにならないとは思うけれど、寮長も、決闘委員会の仕事も、一応経験はあるから、相談には乗れるはずよ」
「頼りにならないなんて、そんな筈がないじゃないか……姉さんは、いつだって頼りになるよ……あの兄さんが目標にしていたくらいなんだから、……あなたは素晴らしいひとなんだよ、姉さん」
「……ありがとう、ラウダ。……ね、私とラウダは姉弟なのだから、ちゃんと頼ってね。……きっと、遠慮なんてしないでね」
「……うん、分かったよ、姉さん。学園で何かあったら、ちゃんとメールするから……」
「ええ。……もしかすると、返事が遅くなることもあるかもしれないけれど、それは任務中だとか理由があって、本当に返事が出来ないだけだから。迷惑だとか、そういうことじゃないからね?」
「……うん、分かってるよ、姉さん」
「だから、……ちゃんと、姉さんには言いたいことを言うのよ。我慢も遠慮も、しなくていいんだからね、ラウダ……」

 ──そう言って、そっ、と僕の体をあたたかなその胸へと抱き寄せながら瞳を見上げてくる姉さんには、……僕がずっと、素直にあなたに甘えられなかったことなど、お見通しだったのだろうな。──姉さんは、兄さんの期待に応えて、パイロットやホルダーなんて難関すら軽々乗り越えて、ドミニコス隊にまで配属されてしまったひとだ。僕にとってあなたはずっと高嶺の華で、才あるひとで、兄さんと同じで、……僕とは違う世界のひと、だったのに。──でも、あなたは今、僕だけに向かって呼びかけている。……これからは、この広い家の中で僕だけが、あなたの弟だという、その事実に。……仄暗い歓喜が沸き上がっていたことなんて、……どうしたら、自分で自分を許せたと言うのだろうか。 inserted by FC2 system


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