どうしようもなく温い暗がりにて

※姉弟。恋愛ではない。9話時点での内容。



 ラウダ・ニールという少年に私が出会ったのは、彼が生まれた日の出来事ではない。彼は私のふたつ下の弟だったが、ラウダがジェターク家の本邸を訪れたのは、彼が幾らか年を重ねてからのことだった。父、ヴィム・ジェタークは本妻の他に愛人を抱えており、妾から生まれたのがラウダで、私もグエルも、当初はラウダの存在を知らされていなかったのである。──そういった、“大人の世界”の事など理解出来ないほど私たちが子供だった、という理由も其処には含まれていたのかもしれないけれど、だとしても、ラウダが本邸へと引き取られてきた際にだって、私達は年端もいかぬ子供であったので、それをシンプルに父の親心と解釈するには些か我が家の状況は複雑で、──けれど、きっとその頃には私は、実父は決して誠実な人物ではないものだと物心も付かぬうちに、そう感じていたのかもしれない。それが、同じ女としての母への同情であったのか、ラウダの境遇への憐憫であったのか、──或いは、最早トロフィーとしての価値もないと、ミオリネさんの誕生を機に、……父から完全に切り捨てられた自身の持つ苦しさ故に、だったのかもしれない。

「──ラウダ、私は・ジェタークよ。この子はグエル、私の弟で……ラウダとは同い年だけれど、誕生日はグエルの方が先ね」
「そうなのか? 姉さん」
「ええ、だからグエルは今日から、ラウダのお兄ちゃんね」
「! 兄さんか……! 俺が……!」
「ラウダ。……グエルはあなたのお兄ちゃんだし、私はあなたのお姉ちゃん。何か困ったことがあれば……ううん、何もなくても、なんでも聞いて、頼ってね」
「……あ、りがとう、ございます……ね、ねえさん、にいさん……」

 ──ラウダは、弟は、自分は決してジェタークの家では歓迎されないと、そのように考えていたのかもしれない。恐々ながらも訪れた本邸で、今後の身の振り方を当時の彼は幼いながらにも悩んでいたのだろうと、そう思う。──ジェターク家では、父の言うことが何時だって絶対だった。外に愛人を作る父を母が咎められなかったのも、ラウダが一人で本邸に連れて来られたのも、グエルが跡取りに定められたのも、私が後継者候補から外されたのも、──私の価値は、政略婚の道具としてしか見出されなかったことも、デリング総裁の御子が男子だったなら、娘を花嫁として送り込んで蹴落とすためだけの存在として私が育てられたことも、ミオリネさんの誕生を機に、私が花嫁としてもトロフィーとしても価値を落とした準宝石に成り下がったのも、全部が全部、父が決めたこと。だから、私がラウダの姉になることも、本当は父が決めたからに過ぎなかったけれど、──それでも、私はあの子に情があった。私は紛れもなく、心からラウダ・ニールの姉であったのだ。──例えそれが、やっぱり成り損ないに過ぎなかったとしても、だ。

「──あの水星女がいる限り、兄さんは戻ってこられない! なのに、兄さんは、どうしてあんな愚鈍な女なんか……!」

 ──父からの命令で「パイロットとしての自由をくれてやっているのだから、社交界くらいには顔を出せ」と言い付けられている私は、ドミニコス隊での任務が優先されない限りは、パーティ会場にも顔を出すことになっている。その日のインキュベーションに関しては、グエルが出席しないこともあり、ラウダがどうしているか彼の様子が心配だったからこそ出席した、という理由が大きかったものの、会場で顔を合わせたラウダは顔色が悪くて、以前よりも何処かやつれたような気がして。ちゃんとご飯は食べられているの? 眠れているの? と彼を心配する言葉を私がいくつ投げかけても、ラウダから出てくるのはグエルの心配や、グエルと離れて生活する私へのグエルに関する報告ばかりで。──思えば、ラウダは昔からこうだった。きっと彼の中では、彼の存在そのものが、グエルの次席に過ぎないのだろう。そんなことはないよと言ってあげるのは簡単だったけれど、実際、ラウダには私からのそのような言葉は響きもしなかったからこそ、未だに彼はそう考えている。それは当然ながら、血と言う絶対に覆らない前提条件から成る認識を、私の言葉だけで塗り替えようなんて、簡単なことでは無いと、私にもそれはよく分かっていて。──だから、私なりにラウダに歩み寄って、力になろうと努めてきたつもりだったけれど、グエルが家を追放された今、はっきりとわかったことがある。──私の精一杯では、残念ながら、ラウダ・ニールと言う少年の心を掬い上げるには何もかもが足りていなかったのだと、……そう、今更ながらに私は気付いてしまったのだ。

「……姉さんだって、そう思うだろう? 兄さんが居ないと、ジェターク社も、ジェターク寮も、これからどうしていけばいいのか……」
「……ラウダ、グエルについては父さんも、少し落ち着けば冷静に……」
「……考えるかな? あの父さんが……兄さんの言葉すら跳ね退けてしまったのに……」
「……そ、れは……」
「……ごめん、姉さんに当たるつもりはなかったんだ。……でも、僕じゃ役不足なんだよ、姉さん……姉さんの隣にこうして立つのだって、姉さんをエスコートする役だって兄さんの方が格好が付く、僕じゃやっぱり、役不足だ……」

 ──でも、これ以上なんてもう、私に何を差し出せると言うのだろう。傍目から見た私はもしかすると、自由に見えるのかもしれない、弟たちよりも身軽に宇宙を飛んで回り、ミオリネさんのように拘束されることもない、ジェターク家の跳ねっ返りで我儘娘に見えているのかもしれない。……でも、本当はそれすらも、父のお膳立てに過ぎないのに。アスティカシア学園と言う小さな箱庭に居た頃、私はジェターク寮の寮長で、決闘委員会の筆頭で、当時のホルダーで、──それは、大層な肩書きだったのかもしれない。でも、今の私はそうじゃないのだ。ヴィム・ジェタークが消費期限の切れた娘の“再利用”の道を模索した結果、広告塔として仕立て上げられたお飾りのパイロット──今の・ジェタークは、そういうものでしかないというのに。その程度の価値しか私にはなくて、──もしも私に何かを差し出せるとするなら、あとはもう、なけなしの私人としての部分だけなのだろうに。もしも、それを切り分けたとして、それをラウダに与えて、……それで? それで、どうなるというの? それだけで、本当に私はこの子の支えになれるの? 私が何をしたって、ラウダには、……私は、グエルの代わりにとこの子を構っている、気まぐれな姉にしか映らないかもしれないのに?

「……ラウダ、少しネクタイが曲がっているわ、貸して」
「あ……ごめん、姉さん……取り乱してしまったから……」
「気にしないの。……はい、元通りにかっこいいわよ、ラウダ」
「……ありがとう、姉さんは、いつも変わらず綺麗だ。そのドレスも、やっぱり似合ってるよ、僕も兄さんも、姉さんが持っているドレスの中で、その赤いドレスが一番好きだった……兄さんが見立てたんだよね、覚えてるよ」
「あら、ふたりで見立ててくれたのよ? このドレス」
「僕は、兄さんが選ぶのを見ていただけだったから……」
「そんなことないわ、……ありがとう、ラウダ。私もこのドレス、気に入っているの」
「……あのさ、昔……初めてインキュベーションに連れて来られた日も、僕は緊張で、なかなか馴染めなくて……」
「……懐かしい、グエルとふたりでラウダの手を引いたのよね」
「うん。……シャンデリアの光が姉さんと兄さんのドレスと、瞳にきらきらに映り込んでてさ……僕とは違う世界のひとなんだと、そう思った、なあ……」
「……ラウダ、そんなことは……」
「分かってるよ、姉さん。……それでも、ふたりは僕に優しくしてくれた。弟として接してくれたから……やっぱり、兄さんをこのままになんて、僕には出来ないよ、姉さん……」

 ──ラウダの丸い瞳に膜が張っていたことを、私には指摘できない。もしもこの場に居たのがグエルだったら、こんなときに泣いたりしないと、私もこの子も知っているから、ラウダだって泣いていないことにしてあげないと、姉として私は公平性を保てなかったのだ。──ああ、けれど。姉としての公正など、これ以上、どうやって保てばいいのだろうか。どちらか一方に肩入れすることが無いように、二人を対等な兄弟で居させてあげるために、……私のような思いはせずに済むようにと、私なりに色々と、努めてきたつもりだったけれど。それでも足りないのならば、──あと一歩が、まだラウダに届かないのなら、私は。……なにを差し出せばいいのだろう、私は一体、何者に転じれば、あなたの心の空白を、埋めることが出来るのだろう。 inserted by FC2 system


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