灰白色の個体番号

※10話時点までの情報で執筆しています。



 エラン・ケレスと言う少年は、私にとって以前から見知った男の子だった。幼馴染、……と形容できるほどに私は彼を知らなかったし、気安い間柄でもなかったけれど、二つ年下の彼のことを私は幼い頃から知っていたし、エランとは社交界で顔を合わせることも多かった。ペイル・テクノロジーズの関係者である彼だったけれど、ペイル社は比較的に近年になってから台頭してきた企業で、御三家内でも、自社──ジェターク社とグラスレー社との間ほど横の繋がりは持たない。ベネリットグループ内上位の子供たち、──ミオリネちゃんとグエル、ラウダ、シャディクくん、それから私との間には、子供の頃から親同士のそれの延長線で、ある程度の付き合いがあった。シャディクくんとミオリネちゃんなどは結構、話が合うのか仲が良いようだったし、グエルとシャディクくんも度々話をする仲だったし、……グエルとミオリネちゃんだって、昔は険悪だったわけではなかった。寧ろ、以前のふたりは同じ運命に縛られた者同士として、多少の友人関係を築けていたように思う。それをすべて破壊したのはトロフィーという大人の都合だった訳だけれど、……エラン・ケレスと言う少年は、そんな風に大人に翻弄される子供たちからも、少し離れた場所に立っている、そんな男の子だった。

 多分、最初は、──ほんのお節介から生じた気持ち、だったのだろう。
 同学年のグエル、ラウダ、シャディクくんとエランくん、ミオリネちゃんは彼らより年下で、あの子たちよりも年上だった私は、皆に対して姉のような気持ちを抱いていたように思う。もちろん、グエルやラウダと同じようにシャディクくんとエランくん、ミオリネちゃんに接していたと自惚れるほど、自らが博愛の精神を持ち合わせているとは思っていないけれど、それでも。他人に対するそれにしては過剰なほどに、私は他の三人のことも気に掛けていたと思うし、それはエランくんに対しても同じだった。
 エランくんと顔を合わせる機会はさほど多くはなく、社交界で度々会う程度のものだったけれど、幼い私にはペイル社のCEOが四人居ることの意味を理解は出来なかったものの、身近にラウダやシャディクくんのような事情を抱えた存在もあったからか、恐らくエランくんはCEOの子息ではないのだろうと、そう思って。──今になって思えば、あまりにも不躾で乱暴なお節介だと、そう思うけれど。幼くて傲慢な上流階級の娘だった私は、エランくんを見かけるたびに彼に歩み寄って話しかけて、パーティーでの立ち振る舞いを教えたり、ぽつんと離れたところに座る彼の話し相手になったり、飲み物や料理を持っていたりだとか、そういうことを、いつもしていたのだ。

『──エランくんは、パーティは嫌い?』
『エラン、でいいよ。俺もって呼ぶからさ』
『わ、わかった……エランね?』
『うん。パーティは、そうだね……好きではないけれど、嫌いでもないかな。只、俺は外が嫌いなんだ』
『外に出るの、嫌いなの?』
『うん』
『グエルやシャディクくんたちと遊ばないのも、それが理由?』
『まあ……そんなところかな?』
『そうなの』
『うん』
『それなら、私がエランのおうちに遊びに行ってもいい?』
『……は?』
『? 家の中で遊ぶ方が、エランは好きなのでしょ? だったら私が行けばいいのかなって』
『あー……まあ、バアさんたちに聞いてみるよ……を呼んでもいい? って』
『ええ! 楽しみね!』
『……そうだね、俺も楽しみだよ』

 ──その後、私がエランの元を訪ねたことは、結局一度もなかったけれど。少し成長した私はその後、アスティカシア学園に入学し、本格的にパイロットとしての道を歩き始めて、ジェターク社のテストパイロットのひとりにも選ばれた。その後、ペイル社でもエランがテストパイロットに着任したと彼から聞かされて、パイロットとして共通の話題が増えたこともあり、それからも度々、エランとは偶に顔を合わせれば会話をする程度の間柄ではあったものの、──何度か、エランとの会話に違和感を覚えたことが、私にはあった。──確かに私は目の前のエラン・ケレスと話をしているのに、何故だか、──知らない誰かと会話しているかのような錯覚を抱くなることが、度々あるのだ。
 そうして、その違和感が明確化したのは、エランがアスティカシアに入学してきた頃、だっただろうか。

「──エラン! 久しぶりね、元気にしてた?」
「……まあ、普通だよ」
「共同生活、大変でしょ? エラン、あんまり人に囲まれるの得意じゃないものね」
「……そうだね」
「……? なんだか、元気ない? やっぱり、寮生活で疲れてる? あ、それとも……学園内で結構移動したりするのが、得意じゃないとか……? エラン、確か外に出るのあんまり好きじゃないものね?」
「……外が、嫌い?」
「ええ。前に言ってたでしょう? エランにとってはペイル社の本部に居るのが一番、都合が良いんだって……」
「……あんな場所……」
「……エラン?」
「あんな場所、好き好んで籠っていられるような所じゃ、ないよ」
「……ごめん、なさい。私、何か気に障るようなことを、言って……」
「いいよ、別に。……構ってもらわなくても、平気だから。手が空いてるなら、きみはグエルの相手をしなよ、……忙しいんだろ、きみはホルダーなんだから……」

 ──エラン・ケレスと・ジェタークは、決して親しい友人や幼馴染と形容できるほどに、気安い仲ではなかった。……それでも、互いに内心では何を想っていたとしても、エランからそんな風にあっさりと跳ね退けられたのは、それが初めてのことで。……それに、以前エランは「──外に出るのが好きじゃないんだ、アスティカシアへの入学も正直言って、気乗りしないよ。まあ、するけどさあ……」と、……そんな風に零していたことがあったから、ペイル社を離れて学園に入学することは、エランにとって負担なのではないかと、私はそう思って。私の方は、この学園での生活も既に三年目で、ホルダーとしての権限も持つ私なら、多少は彼のサポートをしてあげられるかもしれないとそう思ってのお節介だった言葉も、エランからは予想とは正反対の返答で跳ね退けられてしまい、呆然とした。──私が聞き間違えた? 何か、勘違いをしていたのだろうか? と、そんなことも思ったけれど、……きっと、そんなことはないはずだと、そう思う。幼い頃から複雑な家庭環境で私は育って、弟たちにとっては私が母親代わりのようなものだった。だから、周囲の心の機微に関してだけは、しっかりと注視してきたはず。確かにエランは、外は苦手だとそう言ったのに、……先程エランは、ペイル社には帰りたくない、というようなことを、私に向かって零したのだ。

「──ねえ、エラン……」
「……あれ? じゃないか、インキュベーションで会うのは久々だね」
「ええ……隣、座ってもいい?」
「どうぞ。喉、乾いただろう? はい、これ」
「……ありがとう、エラン」
「ホルダーは皆に囲まれて大変だね、疲れてない?」
「ええ、大丈夫よ。……あの、エラン?」
「ん? 何?」
「最近……CEOたちと上手く行ってないとか、何かあったりした……?」
「……何故かな?」
「学園で会ったときに……会社に戻りたくない、って言っていたから、何か困ってるのかな、って……ごめんなさい、お節介だとは分かっているのだけれど、心配で……」
「あー……そうか、なるほどなー……」
「……エラン……?」

 ──だから、それからしばらく経った頃に、学園を離れ、インキュベーションの会場で顔を合わせたエランに話しかけるのは、少しだけ勇気が必要だった。何しろ、学園では彼から煙たがられているようだったし、社交界で顔を合わせた際に──ベネリットグループ各社のお偉方と言う大人の目がある場所で、彼に真意を問うのは、どうしたって手段として狡いように、卑怯なように思えてならなかったから、声を掛けるかどうか本当に迷ったものの。……結局は素通りしてしまうのも気が咎めて、恐る恐ると彼に話しかけた私に対してエランは何事もなかったかのように微笑みかけて、金色の気泡に満ちたシャンパングラスを差し出すのだった。そうして、それを受け取り、彼の隣に腰を下ろしながもら、気になっていたことを問いかける私に、エランは少し悩むような、バツの悪そうな素振りを見せるものだから、彼に気負いさせたくなくて、私は慌てて返事を待たずに言葉を挟む。

「あの、……念のために言うけれど、ジェターク社の娘としての質問ではないわ。只私は、あなたの……いえ、ホルダーとして、学園の人間として、後輩のことが心配と言う、それだけだから……」
「分かってるよ、きみは父親の命令で密偵が出来るようなひとじゃないだろう? ……まあ、そうだね……なんというか、慣れない生活で、少し気疲れしているんだ、正直……」
「……やっぱり、そうなの? なんだか、いつもより物静かだったから、どうしたのかと思って……」
「……そんなに、学園での俺は変だった?」
「ええ。……まるで、違うひとのようだわ、学園でのあなたは……」
「……そうなんだ」
「……? エラン?」
「ごめんね、。慣れない生活で気が立っていたみたいだ……でも、学園に戻ったらまた、俺はらしくない態度を取って、きみを傷付けるかもしれないな……」
「そ、そんなに疲れているの? 何か学内とか、寮内でも、困っていることがあればいつでも……」
「……平気だよ! ……俺は、きみが気に掛けてくれているだけで嬉しいから、あまり気に病まないで? 寧ろ、俺の方こそごめんね。を傷付けてしまったな……」
「ううん、大丈夫だから……気にしないでね、エラン。何かあれば、いつでも頼って?」
「……ありがとう、

 その日、会場では成り行きでエランと共に行動することになって、気を悪くした素振りもなく率先して私をエスコートしてくれた彼の態度に、杞憂だったのかもしれないと一度は思ったものの、……それでも、やっぱり今日のエランも、以前とはどこか様子が違って見えてならなかったのだ。──その後、学園に戻るとエランはやはり記憶の中の彼よりも物静かで、生徒から“氷の君”と称される彼と私が良く見知っていた彼との印象は噛み合わずにちぐはぐで、かと言って社交界で顔を合わせても、今までのエランとは何かが違う。その違和感を的確に言い表せるほど私と彼との距離は近くはなくて、何度も疑問に思って、周囲に問うてみたこともあった。「最近のエラン、以前とは何処か雰囲気が違うと思わない?」と。……けれど、グエルもラウダも、ミオリネちゃんもシャディクくんも、私以上にエランとは接点が薄くて、皆に聞いてみたけれど、私が望む答えは決して得られなかった。……ダメ元で、父に尋ねてみたこともあったものの「子供の付き合いなど私は知らん」と一瞥もくれずに取り合ってもらえなくて、……その違和感はずっと心の奥底で渦巻きながらも、……もしかしたら、ミオリネちゃんにトロフィーと言う価値が付加されたから。“ジェタークの娘”では以前にも増して、“レンブランの娘”に並ぶ価値がない状況になったから。……只々、私と言う人間の価値が下がったから、エランは私に雑に接するようになっただけなのかもしれないと、自分の価値を卑下するあまりに生じたそんな考えも頭の何処かにはあって。──だから、自主的にそう考えるようにしていたのだ。エラン・ケレスの態度が変わったのは、只、・ジェタークが彼にとって無価値な人間に成り下がったというそれだけなのだと、……決してエラン・ケレスが二人居るわけではないのだと、……そんなことは、決して有り得ない、あってはならないのだと。

「……エラン……?」
「……あれ? じゃないか、どうしたんだい、OGのきみが学園まで出向くなんて……」
「え、ええ……ラウダに用があって……」
「ああ……そうか、グエルが確か、行方不明なんだよね……」
「……ええ……」
「それはきみも、さぞかし不安だろうね……僕でよければ、いつでも話を聞くよ。いつでも頼って?」
「でも、私は……」
「……きみがジェターク家の人間だから? 僕が、ペイル社の人間だから、頼れない?」
「……そうでは、ないけれど」
「だったら。……僕を頼ってよ、。今まで何度も、きみには世話になったから。……僕にも、恩を返させて?」

 ──その日、フロントが造り出した人工的な夕焼けに照らされた学園の敷地内、ジェターク寮へと急ぐ道すがら、エランの姿を見かけた。ラウダのことが心配だったから、行方不明のグエルに関する情報共有のためにと、任務の合間にダリルバルデを駆り直接学園まで出向いて、……そのときは、急いでラウダのところに駆け付けてあげたかったのもあるし、……エランとの関係に、エラン・ケレスという人間に疑問と違和感を覚えていたこともあったのだろう。だから、彼の存在には気付かなかったことにして、この場を通り過ぎるべきかとも思いながら、結局は素通りが出来ずに、私は彼に向かって声を掛ける。──振り返ったエランは、私の記憶とは少しだけデザインの違う制服で、知らない声の抑揚で、親しげに、気安く、良く見知った仲であるかのように私に語り掛けて、……囁き声で顔を寄せる彼の指先が私の頬に伸びて、……彼の指先が掠めた肌は、その仕草の寒々しさに凍て付くような心地がした。

「……そのピアス、初めて見るわ」
「……ああ、これ? 最近はこれが気に入っているんだ、変かな」
「……似合ってる、と思う……でも、なんだか、以前と雰囲気が違うのね、エラン」
「……制服も、変えたからじゃない? 少し背が伸びて新調したんだよ、可笑しいかな……?」
「可笑しくは、ないけれど……ごめんなさい、ラウダのことが心配だから、急いでいるの。気に掛けてくれて嬉しいわ、でも今日はもう行かないと。……またね?」
「……そっか。またね、。次はもっとお喋りしよう、楽しみにしているよ」
「……ええ、また今度」

 ──エラン・ケレスはふたりいる、だって? ……そんな馬鹿なことがあるわけないと、そう思っていた。実際に、エラン・ケレスはきっと、ふたりなんかじゃない。だって、今のエランは、……私の知るエラン・ケレスのどちらでもない、他の誰かでしか在り得なかった。幼い頃から彼の顔と声だけは知っていて、それでも、私はエランの心の奥底なんて何も知らないのだろう、だって、お互いにそんなものを見せあったことはきっと一度もなかったから。けれど、──今の彼は、気安く私に語り掛けて、甘く掠れた声で囁くあのひとは、いったい誰だったの? ──あれは、エランじゃない。少なくとも、社交界でいつも話している彼ではない、学園で一年間ともに生活した物静かな彼でもない、……あのエラン・ケレスを、私はまだ知らない。……ぞっと、背筋が冷たくて、嫌な予感と不安とを振り払うように、私はジェターク寮へと向かって走り出した。……エラン・ケレスが三人いる? ……そんなこと、本当にあり得るものだろうか。……少なくとも、今の私が誰かにこの疑惑を打ち明けたところで、グエルが出奔したことで心を病んで、精神の核を壊したものとしか思われないことだろう。……もしかすると、本当にそうなのかもしれない、気のせいなのかも、気の迷いなのかもしれないと、当の私だってそう思ってしまうし、──そうであってほしいと、その日の私は願っていた。


「──あーあ、流石にジェターク家のお嬢様はガードが堅いなあ……篭絡出来れば、多少は役に立ちそうなんだけどなあ……」 inserted by FC2 system


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