ひかりを帯びて生まれたはずの

※10話時点までの情報で執筆しています。



 グエル・ジェタークは幼年期より賢い少年であった。ジェターク家の長男として生を受けた彼は、生まれながらにして自社の次期取締役という将来を約束されており、他者にとって彼は眩しい世界に住まう存在だった。成功を約束されて、光しか知らずに、この世の闇を知らない、恵まれた子供。事実はどうあれ、グエルという少年は周囲の目にはそのように映っていた。──そう、事実は、どうあれ、である。
 実際のところ、グエルは幼いながらにもこの世には闇が存在し、一歩踏み出した先には自らの知らない世界が存在するということを、しっかりと認識できており、同時に彼の周囲に存在する闇は、全て彼の父が招いた結果だった。──しかし、父であるヴィム・ジェタークは、決して暗がりに目を向けるような人物ではなく、そのためにジェターク家の次期当主に求められるのはそういった類の振る舞いであった。グエルは賢かった。だから、それならばと、彼は皆が求めるグエル・ジェタークという役柄を全うすることを決めたのである。グエルは“ジェターク家の御曹司”の役柄を演じるために、常に獅子のように尊大であらんとし、胸を張り威圧的に振舞った。

 ──だが、本来の彼は、もっと繊細で、周囲に目を向けられる人物である。だからこそ、姉や弟の置かれる立場が如何に難しいものであるのかを、彼は幼い頃から理解していたし、同時に、自分は絶対に父のようにならないと固く誓っていた。──自分は、外に愛人を作ったり、ましてや正妻が身籠ったのと同年に外で子供を作るような夫には、父親には、絶対にならない。挙句に、母たちを投げやりに放り出し、ラウダだけを自身の補佐役として本家に迎えた父を、グエルは決して快く感じていなかった。異母兄弟であるラウダを彼は本当の弟だと思ってはいたが、同時に、もしもラウダにとって自分が疎ましい存在であったりだとか、ラウダが自分よりも父親の肩を持つようなことがあったとしても、それは仕方がないことだとグエルは達観にも似た諦めをも抱いていたのだった。
 事実は決してそうではなく、ラウダはグエルを慕っていたのだが、聡明さ故にグエルは打算にも勝る情を弟が自身に向けていることには、決して気付けなかった。
 そして、弟の他に彼には姉が居た。弟たち二人の手を引いて光の方へと導こうとしてくれた、大切な姉だ。姉、・ジェタークは、グエルと母を同じくした正真正銘の姉でありながら、ラウダにもグエルと同等の接し方をする。そんなもまた、難しい立場に身を置かれた存在である。もしもグエルやラウダが生まれなければ、がジェターク社の後継ぎになっていたのかもしれないが、実際には彼女は一歳を過ぎた頃にはその可能性の芽を摘まれており、以来、は父から政略婚の道具として育てられた。
 グエルは幼い頃より、そんな姉のことが気の毒でならなかった。──彼が生まれる前、臨月を迎えても外から戻らぬ夫に、大きなお腹を抱えてさめざめと泣きながら娘へと縋る母を、物心も付かない姉はずっと見つめていたのだという。グエルにとって、姉・は母親も同然の存在であった。複雑な家庭環境に置かれた彼とラウダは、両親からの愛を全うに受けることは叶わず、しかしながら、それらはすべてが与えてくれたのだ。

 だから、グエルは自身の生い立ちが複雑であっても、自身を不幸と感じたことはない。彼には姉がいて、弟がいたからだ。

 ──だが、姉はどうなのだろう?
 ・ジェタークは、果たして幸福であったのだろうか?

 ジェターク社のMSを見上げながら育ったグエルは、物心が付くころには、ドミニコス隊──カテドラルの抱える精鋭部隊のエースパイロットになることを夢見るようになっていた。……いずれは、自社に連れ戻すつもりで、広告塔としての役目を担わせるという打算があったのかもしれない。それでも、父はグエルの抱いたその夢を否定はしなかった。だから、エースパイロットという夢は、グエルにとっての宝物であったのだ。それは決して親から与えられたわけでなくて、彼が抱いた彼だけの願いだ。──そして、その夢には姉と共通の願いも含まれていた。
 グエルがにパイロットになって欲しい、と強請ったのも、何も考え無しに放った言葉ではない。姉も、彼が憧れる華々しいパイロットの世界に生きることが出来たのなら、この狭い箱庭を抜け出して、姉が宙へと飛び立つことが叶ったのなら、──姉は母のように泣き腫らして暮らさずに済むかもしれないと、彼はそう思ったのである。グエルとラウダは姉を大切に思い、肉親として愛したが、彼らでは姉を女として幸福にすることは叶わない。法が、父が、世間が、決してそれを許さないことだろう。だからこそ、他の方法を探そうと必死に考えて、そうして提示したパイロットとしての道が、──姉に新たな苦難を与えるとは、かつての彼は知らなかったのだ。

 グエルにせがまれてMSの知識を学んだは、自頭の良さも伴い、着実にパイロットとしての才を開花させていった。ドミニコス隊に属する他に、現在でも自社のテストパイロットをグエルと共に務めている彼女は、在学中、入学するなりすぐに正々堂々の決闘で、ホルダーの座を奪取したのである。その後、決闘委員会の筆頭でジェターク寮の寮長と言う役目をも担っていたは、卒業までの間、ホルダーの座を断固として死守し続けて、卒業後のドミニコス隊への配属を決めたのちに学園を去った。──グエルの目には姉のそんな姿が、酷く眩しく映っていた、と言えることだろう。彼が姉と共にアスティカシアで過ごしたのはたった一年間の出来事だったが、その間に傍で姉の活躍を眺めていた彼には、ホルダーと言う新しい目標も芽生えた。三年間ホルダーの座を守り抜いた姉には、残念ながら彼女の在学中に勝利することは叶わなかったが、姉の卒業後にホルダーの座に付いたグエルは、その事実を酷く誇らしく思っていた。

 グエル・ジェタークが欲していたのは“ホルダー”という肩書そのものだった。その名が持つ名誉と栄光でしかなかった。

 彼は決して、──其処に伴うトロフィーを欲したわけではなかった。

 ──その事情が変わったのは、翌年に入学してきたミオリネが、学園における決闘のトロフィーへと据えられたからだ。

 大人の世界の事情は、常に箱庭に産まれた子供たちを翻弄する。ホルダーの肩書を持つ彼は、やがて、自動的にミオリネの婚約者という立場を得ることとなった。

 グエルにとって、ミオリネとシャディクとは幼い頃からよく見知った、多少は親しみを持つ相手である。幼馴染と言っても過言ではない間柄の二人の関係には、──どうやら、淡い情緒が伴っているらしいということにも、敏い彼は気付いていた。だからこそグエルは、シャディクが自身に決闘を挑んでくるものだと考え、それを待ち続けた。何もグエルは、ふたりのためにシャディクへとホルダーの座を譲るつもりなどは更々なかったが、彼が欲しているのは“ホルダー”であって、“ミオリネ”ではない。だが、シャディクは恐らくそうではないのだ。──グループ総裁の決定で、決して覆らない決闘の結果に決められるものであるならば、自身とミオリネの間に何もなくとも、いずれ結婚は避けられないのだろう。……だが、其処に心がなくとも、シャディクと言う救いをミオリネが得ることは叶うかもしれない。どちらが勝ったとしても、シャディクとミオリネの想いさえ通じていたのなら、それをグエルが容認したのなら、結末は最悪よりはマシになるかもしれない。──父の二の舞には、ならないかもしれない。
 だからこそ、グエルは来る日も来る日もシャディクの挑戦を待ち続けたが、──結局、グエルがホルダーである間に、シャディクがミオリネを賭けた決闘を挑んできたことは、終ぞ一度もなかった。だが、シャディクは他の生徒と、他の女を賭けた決闘であれば、気軽に行っていたものだから。──他の女を賭けた決闘ならできる癖に、俺とのミオリネを賭けた決闘は出来ないとでも言うのか、と。飄々としたシャディクのその態度に、グエルは怒りと呆れと失望とを覚えて、……次第に彼がシャディクへと抱いていた幾許かの友情が、熱を失っていくのもまた、グエルは感じていた。

 そうしてシャディクが逃げ回る間にも、グエルからミオリネを奪取しないシャディクへ、そしてグループ総裁たる父親、デリングへの怒りの捌け口だとか、八つ当たりだとでも言わんばかりに、ミオリネからグエルへの態度は悪化した。……それでもう、グエルは自分ばかりがミオリネやシャディクのことを考えているのが馬鹿らしくなってしまって。彼はいつしか、ミオリネに対して横柄に振舞うようになった。あれほど嫌った父親の“夫”としての振る舞いを、無意識ながらに模倣して。──同じ箱庭に産まれて、同じ運命を共にしていると思っていた彼らの事情に巻き込まれていたのは、グエルの側だったが。常に獅子のように尊大で、胸を張り威圧的に振舞う“ジェターク家の御曹司”という役柄は、──いつの間にか、彼の本来の人格として周囲に受け止められるようになっていた。ミオリネもシャディクも、彼らはグエルの幼馴染ではあっても、親しい友人ではなかったから。──互いの印象など、簡単に書き換わってしまう程度の情でしかなかったから、彼らはお互いのことを、何も知らなかったから。──そうして、賢く繊細で優しい少年、グエル・ジェタークは死んだのだ。アスティカシアというこの箱庭は、少年にとっての棺であった。──やがて、思春期を殺された少年は、角を折られて翼をも失い、人知れず、棺桶の中から姿を消した。



「…………」

 ──宇宙の片隅にて、貨物を積み込んだ船に揺られながら、労働に汗を流すその合間に、彼は宙の遠くに、赤い彗星がきらりと流れるのを見たような気がした。

「……姉さん?」

 凄まじい速度で消えて行く赤い機体は、アスティカシア学園の座するフロントの方へと消えて行った、……というのは、彼の感傷かもしれない。そもそも、あの赤い光の線を描いたのがダリルバルデであるかどうかなど、肉眼で確認できるはずもない。そうであってほしいというのは彼の願望でしかないことも、彼にはしっかりと理解できていて、……それでいて、連絡すれば迷惑をかけるかもしれないからと、出奔以来、無事の連絡すら出来ていない姉の顔がどうしたって脳裏を過ぎり、──青年は、込み上げてくるなにかをぐっと飲みこむのだった。

「──おーい! ボブ! 持ち場はもう終わったのか!?」
「……すんません! もう少しかかります!」
「おめーは本当に仕事が丁寧だなあ……まあいい、一旦休憩にしようや、お前さんも疲れたろ?」
「! ……うっす! ありがとうございます!」
「ははは、本当に素直な奴だなあボブ……お前さんみたいな気持ちのいい奴は、なかなかおらんよ」 inserted by FC2 system


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