神様はきっと歓迎しない

※10話時点までの情報で執筆しています。ラウダから姉に恋愛感情が向いている描写があります。



「──え……? 父さん、今、いったい何を……」
「何度も言わせるな。グエルが出奔などしたせいで、ラウダに後継を任せる必要が出てきたが……それはお前も同様だと肝に銘じておけと言ったのだ、
「な、……にを、言っているんですか、元はと言えばグエルを追放したのは、父さんじゃないですか……」
「俺は関連会社で相応のポストを与えてやると言ったんだぞ。だというのにあの愚息は、三度も失態を晒した息子にまで、挽回の機会を与えてやっている親の気持ちすらも分からんらしいからな……」
「……それは、父さんだって……」

 ──父さんだって、同じじゃないですか。あなたは、子供の気持ちを一度だって理解していなかったじゃないですか、と。……そう叫んで絶縁を叩き付けて、私も此処から飛び出してしまえたなら、それはそれで楽だったのかもしれない。ダリルバルデを駆って、ひとり、此処じゃない何処かへと飛び立てたのなら、きっと私は楽だった。……けれど、そうは思ったところで行動には起こせないのは、もしもグエルが戻ってきたときにあの子を庇い立てする人間がラウダだけだったのでは、ふたりが苦労を強いられるからという理由でしかないのだ。だって、ラウダひとりがこの家に残されたのでは、あのこが潰れてしまうから。──結局、ジェターク家に生まれた時点で、私は父に対して決して強くは出られないし、逆らえないのだ。──弟の存在を盾にされることからは、どうやったって逃れられないから。姉という役割を自身の責務と考える以上、その枠組みから逃げ出すことなどは叶わない。……或いは、逃げようとしていないだけなのかもしれないけれど、どちらにせよ、私にはそれが選択できなかったのだ。
 私はずっと、ジェターク家の添え物で、父のアクセサリーで、それすらもイミテーション程度の価値しか持たずに、けれど、私が居ないと弟たちの心を護れるひとが、他に居なかったから。私はずっと、物語の主要人物じゃなかった。──私は、父に選ばれたことが一度だって無かったのに。──パイロットが不在になって私に回ってきたダリルバルデ、長男が不在になったことで周ってきたジェターク社の後継者という役目。全部が全部、……それらは、グエルが奪い上げられたがために、私へと与えられたものばかりだった。私が選ばれたのは、……あの子が居なくなったからでしか、なかったのだ。

「グエルに比べて……お前は、卒業までの間ホルダーの座を守り抜いた。ドミニコス隊にスカウトされるだけの腕もあり……まあ、テストパイロットや広告塔としてならば、グエルよりも余程役に立っているだろう……女のお前に劣るとは、まったく情けない話だが……」
「……っ」
「それにラウダも、お前とは違って正式なジェターク家の人間ではない。……正式な決定ではないが、次期CEOがお前になる可能性も十分にあると心得ておけ、。場合によっては、ドミニコス隊を脱退する必要もあるからな」
「な、……ま、待ってください、父さん! それだけは……!」
「何を言っている? お前にとっても、会社よりも大切なものなど他にあるまい? ラウダが後継者になった場合でも、あれひとりに任せるのは不安があるからな……そうなれば、お前をラウダの補佐役に回す可能性も十分にある。……グエルが俺の言う通りにしていれば、お前を呼び戻さずとも、あいつひとりに任せて、ラウダには補佐役でもさせておけばそれでよかったものを……」
「…………」
「ともかく、現状では今話したことがすべてだ。引き続き、お前はお前の役目を果たせ。……俺の期待を裏切るな。良いな、? 期待しているぞ」
「……はい、父さん……」

 ──ラウダとグエルを盾にすれば、私は何でも言うことを聞くだろうと、……いっそのこと、父さんがそう思っていてくれたのなら良かった。別に父さんは、私を脅そうとしてるわけじゃない。……だって、このひとは、私がグエルとラウダを大切に思っていることさえも、よく知らないのだ。父さんは私に、興味が無いから。……このひとが関心を示しているのは、ヴィム・ジェタークの娘であって、・ジェタークではない。──只々、父さんは、自分の血を継ぐ娘のパイロット技術を評価して、アスティカシアへの在学中に寮長を務めていた手腕を買って、曲がりなりにもドミニコス隊で務めている、現状の私の立ち位置を加味した上で、様々な観点から総合的に判断した際に、ジェターク社において私は利用価値があると、そう見初めたに過ぎなかった。……そして、父さんの娘だからこそ、私はその命令に従う義務があるのだと、父さんはそう思っていて。ジェターク家に生まれた以上、会社と家に殉ずる以上に大切なことなど、在りはしないのだと。……宙に焦がれる私の気持ちは、何も関係が無いのだと。このひとがそう決めて、私が従ったという、……其処に在るのは、ほんとうに、ただのそれだけだったのだ。

 ──そうして、父さんから呼び出されたことで多忙なスケジュールの合間を縫い、ダリルバルデを駆って訪ねた実家で、父さんとの面会を終えた私は自室に戻り、崩れ落ちるように寝台に倒れこみ、そのまま、疲れのあまりに眠ってしまっていたらしい。…きっと、近頃は、色々な出来事が起こりすぎたのだ。グエルがホルダーを奪取されて、ミオリネちゃんが水星からの転校生の花嫁になって、グエルと父さんの仲が拗れて、グエルは寮を追われて、ラウダが精神的に不安定になって、挙句の果てにグエルが行方不明になってしまった。……その上、そのどれもこれもが、私のいない場所で行われているんだもの。いつだって宇宙の彼方で外野に追いやられているというのに、帳尻合わせだけは私の仕事だというのだから、たまったものではなかった。情さえ無ければとっくにこんな責務などは投げ出していたのかもしれなくて、……けれど、投げ出せないだけの情が、結局は私の中に在るのだ。

「……姉さん、今いいかな?」
「…………」
「……姉さん? 入るよ?」

 ──そうして、疲れ切って気を失うように眠った私は、私と同様に父から呼び出されて帰ってきていたラウダが、同じく父との面会を終えて私を訪ねてきたことにも、まるで気付けなかった。これでも軍属で、普段ならば人の気配で目を覚ませる程度には、私は常日頃から神経を張り巡らせている。それはラウダの知るところでもあったので、返事のない私の反応には彼も違和感を覚えたのか、ラウダが断りを入れてから自室に入ってきたことで、……私もようやく、うっすらと意識が浮かんできたらしい。

「ん……らう……だ?」
「ごめん姉さん、勝手に入らせてもらったよ。……大丈夫? 体調が優れないのかい? ああ、無理に起き上がらないで」
「ごめんなさい、ラウダ……少し、疲れていたみたい……」
「……少し、熱があるみたいだね、水、飲めるかい?」
「ん。……ありがとう、ラウダ……」

 そう言って私の額に手を当てたラウダは眉をひそめて、それから、ベッドサイドに置かれた水差しからグラスへと冷たい水を注ぎ、私へと差し出してくれた。……けれど、私はというと、グラスに手を伸ばそうとするものの、どうしてか上手く起き上がれなくて、指先にもあまり力が入らずに、グラスの表面を滑るように指が落ちていく。そんな私を見かねて「……ごめんよ、姉さん」と断りながら、ラウダはそっと私の体の下に腕を差し入れて上体を抱き起こすと、「これで飲めるかい?」と心配そうに私の顔を覗き込んで、グラスを口元まで運んでくれた。──そんな弟の行動に、私は姉としての不甲斐なさだとかそういうものを感じるよりも、もっと、ずっと、……いつの間に、弟はこんなにも成長していたのだろうかと、その腕の力強さに驚いて、ラウダに言われるがままにグラスへと口を付けるのだった。

「……使用人に、医者を呼ばせようか」
「……大丈夫、少し休めば……父さんに見つかると、面倒だから……」
「……どうせ、父さんは気付かないさ。それに……姉さんは、すぐに無理をするから、診てもらった方が良いよ」
「そんなことないわ、私は大丈夫だから……」
「……本当に、そうかな。……姉さん、僕はね、……姉さんまで居なくなってしまわないか、近頃、不安で仕方がないんだよ……」

 ──すっかり頼もしくなったのかと思えば、途端に泣きそうな、子供の顔で。瞳を潤ませて私を見つめるラウダが今、精神的に酷く不安定であることは分かっていたから、尚のこと私は、頼りがいのある姉で在るように努めなければならないと、そう思っていた。……でも、目の前の男の子は。きっと、そんな風に、何でもないように気丈に振舞われることの方が余程不安だったのだろうと、ようやく気付く。自分はこんなにも不安なのに、姉はまるで平気そうにしていると、ラウダはそんな私の振る舞いにだって不安を募らせていたのかもしれない。そう漠然と考えながら弟のかんばせを見つめていると、──ふと、子犬のような丸い瞳にいつの間にかぐるぐると渦巻いていた黒い何かに、ぞわり、と背筋が震える。……あれ。私の弟は、こんな目をする子、だっただろうか。……私が、今まで気付かなかっただけ、知らなかっただけ、なのだろうか。

「……ラウダ、心配しないで。姉さんはちゃんと、ラウダの傍に居るから……あなたの、味方だからね」
「うん……信じているよ、姉さん……父さんからも、僕が会社を継いだ場合には、姉さんを僕の傍に置くようにするつもりだって、そう言われたよ……」
「……そうね、私もそう言われたわ」
「……姉さん、僕は今でも、ジェターク社を継ぐのは兄さんだと思っているし、僕が後継者になろうなんてつもりは更々ないんだ。でも……」
「ええ」
「もしも、僕が会社を継いだら、……そのときには、父さんは、僕と姉さんを結婚させるつもりだということなんだよね?」
「……ラウ、ダ……?」
「そうだよね? そういうことだよね? だって、それって姉さんはジェターク家に残されるってことだろう? つまるところ、僕と添い遂げるということなんだろう? そうなれば、……きっと、兄さんだって喜ぶんじゃないのかな? 兄さんも僕も、姉さんが好きなんだ。それで、ずっと、三人でいっしょに居られるというなら、きっと兄さんも喜ぶだろう?」
「……ラウダ、何を言って……?」

 ──突然、私を腕に抱く弟が、まるで知らない誰かのように見えてきて、どうしようもなく恐ろしかった。……けれど、ラウダに私の動揺を気取られたのなら、ますますこの子の心に傷をつけてしまうかもしれないからと、冷静に努めて、それで、私はどうにか言葉を振り絞る。……冷静に、落ち着いて。……きっと、ラウダは、本気で言ってるわけじゃない。この子は今、混乱して、気が動転しているだけなのだから、と。傷付けないように、窘めるように。

「……ラウダ、それは法律上難しいわ……父さんが許すとは思えないし、きっとそういう意味では……」
「……そうかな? 父さんはいつだって、自分の都合しか考えていないだろう? 兄さんや姉さんの気持ちなんてお構いなしだ。きっと、そんなこと気にしないんじゃないかな?」
「……だとしても、それは、さすがに……」
「……姉さんは、嫌なの?」
「ラウダ……?」
「……僕は、姉さんとそうなれたなら、幸せだと思うよ……兄さんはホルダーに返り咲くべきだから、兄さんと姉さんが結ばれるのは残念ながら不可能だ。でも、姉さんには知らない男の元になんて行ってほしくない……姉さんに一番相応しいのは兄さんだけど、それが不可能なら……」
「…………」
「……だったら、もう、僕しかいないんじゃないか? それなら、姉さんが僕を選んだとしても、それは兄さんが選ばれなかったということにはならないよ。姉さんも、僕と兄さんとを愛しているよね? だったらきっと、三人でこの家に居るためにもこれが現状の最善の筈だ。……兄さんだって、きっと、僕と姉さんが結ばれると知ったら、祝福に帰ってきてくれるはずだろう? そうしたら、兄さんに後継ぎの役目は返せばいいんだ、でも、姉さんとの結婚はもう破棄できないから……ねえ、姉さん! きっと、それは最良のハッピーエンドだと思わないか?」

 ──残念なことに、幼い頃からの付き合いで私は、その瞳の温度で、ラウダの胸中のすべてを察してしまった。──恐ろしいことにラウダは、本気でこう言っている。何も、錯乱や乱心が理由でこんなことを言いだした訳では無くて、この子は、……本気で、私と添い遂げようとしているのだ。……嗚呼、なんということでしょう。きっとそれは、この子が私を愛しているからで、グエルを愛しているからで、──私たち三人は、ジェターク家という生まれ育ったこの棺の中で、運命共同体で在るべきだと、……この子がそう、信じ込んでいるから。

「……そう、ね。そうなのかも、しれないわね……」
「そうだろう? ……楽しみだな、父さんが早く、このことを世間に公表してくれると良いね、……きっとそうすれば、宇宙の何処かに居る兄さんの耳にも届いて、兄さんも帰ってきてくれるかもしれないよ……」
 
 ──ラウダ・ニールという少年は、常に比較されながら生きてきたのだと、私も彼と同じ境遇だからこそ、そう知っている。いつだって父さんの中では彼と私よりもグエルが優先で、けれど私たちは、その立場に苦悩はしても、グエルを疎ましく思ったことだけは決してなかった。……けれど、それでも。元ホルダーで、ジェターク寮の寮長で、ドミニコス隊のパイロットという肩書を曲がりなりにも自力で手に入れた私は、ずっと、ラウダとは違うモノだったのだろう。グエルともラウダとも、私は違う。それは、当たり前のことなのだが、ラウダにはそれが理解は出来ても受け止められなかった。ラウダは、彼だけが唯一性を──アイデンティティを持たないと、きっと、そう思っていて。……彼にとっては恐らく、誰かから愛を受けることが、その意義になり得るのだと、そう思った。
 そして、ラウダにとって、身近な存在で最も彼に愛を注いできたのは、私でしか在り得なかったから。──父とも兄とも関係のない、誰かと比べられることのない何かを得ることが、彼の望みだとしたら。手っ取り早くそれを埋めてくれるのは、恋人という隣人でしかなくて、彼は私にそれを求めているのだろう。……けれど、私とラウダは血縁関係のある姉弟だ。──だが、ラウダはそれをも父から許されたと、そう思い込んでしまって、タガが外れてしまったのだ、恐らくは。
 ──それはつまり、きっとこの子は。ずっと心の何処かで、それを望んでいたのだという、そういう結論に他ならないのだろう、これは。……嗚呼、どうしようか。もしも、ラウダにとっての慰めが、姉が恋人を兼ねることなのだとして、私は。……果たしてその役目に、心を砕いて徹することが出来るのだろうか? ……私は自分のことを、彼の母親同然だと、そう信じて生きてきたというのに、ね。それが私の独りよがりでしかなかっただなんて、ああ、ああ、……今更、そんなことを認められるのだろうか? 私は、……唯一残っていた女としての自分をも、弟に与えることが、出来るのだろうか。 inserted by FC2 system


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