こんなに空虚な幸いがあるか

※12話時点までの情報で執筆しています。



 ──標準月到達軌道上にて、ジェターク社所属の艦隊“ワームブロッド”の信号が確認された。「──そういう訳なんだが、、お前CEOから何か聞かされてるか?」そう言って、真っ先に私に事実確認してくれたケナンジ艦長の問いかけに対して、残念ながら私は答えを持ち合わせておらずに、力なく首を横に振る私を見て艦長は逡巡した後、重々しくも再び口を開くのだった。

「──妙に、嫌な予感がするんだよな」
「嫌な予感、ですか?」
「ああ。……プラント・クエタには今、デリング総裁が居る」
「! なるほど、プラント・クエタはラグランジュ4……月の公転軌道上、ですよね。“ワームブロッド”の行き先も、プラント・クエタと考えるのが順当でしょうか」
「そうだ。……しかし、何故ジェターク艦隊が? プラント宙域巡回艦隊の“ワームブロッド”を月の周囲に集めるというのは……」
「プラント・クエタへの戦力配置……デリング総裁の護衛が目的……でしょうか」
「素直に考えればそうなるが……それならば、カテドラルからドミニコスへその旨の通達が無いのが妙だな」
「確かに、それはそうですね……」

 ──我らドミニコス隊の戦艦・“ユリシーズ”、その艦長室に呼び出された私はケナンジ艦長と共に、端末に映し出された宙域図を見て問答を重ねている。──ケナンジ艦長は、昔ドミニコス隊のエースパイロットだった方で、ヴァナディース事変の立役者として英雄視されている人物だ。現在はパイロットとして前線に立つことはなくなったものの、ドミニコス隊に配属されてから私が皆の中から浮きながらもどうにかやってこられたのは、ひとえにケナンジ艦長のお陰だった。決闘しか知らない私に“戦争”を教えたのも、軍の規律を教えたのも、戦場で生き残るための技術を教えたのも艦長で、──まあ、ジェターク社の娘だからこそ、そうも目に掛けて貰えているという、事実は只のそれだけなのかもしれないけれど、気さくな艦長は私をジェターク社の令嬢として特別扱いしないのが私はなんだか嬉しくて、配属以来ずっと、このひとのことを師のように慕う気持ちが私にはある。そんなケナンジ艦長に進言を求められたものだから、私は頭を悩ませて、話題の中心である“ワームブロッド”の移動について思考を巡らせて、──やがて、ひとつの可能性に辿り着いてしまった。……いや、でも。まさか、いくらなんでも。……父は、そんなひとでは、ないはず。

「……? どうした、何か気付いたのか?」
「いえ……あの、……根拠は、薄いの、ですが」
「構わん、言ってみろ」
「……あの、父はデリング総裁と折り合いが悪く……その……」
「……分かっている。お前が言葉を濁さずとも、ジェターク社の情報を漏洩したことにはならない。ジェタークCEOは総裁への嫌悪を隠さないお方だからな」
「はい……カテドラルから通達がないということは、父の独断専行だと思います。ですが、父が艦隊を挙げてデリング総裁の護衛役など買って出るかというと……」
「……、それは」
「……はい」
「“護衛以外の目的で、ジェタークCEOがプラント・クエタへと艦隊を動かした”と……そういうことで合っているか?」
「……まだ、分かりません。もしかすると、弟の捜索に艦隊を動かしただけかも、しれません……父がそのようなことをするかも、不明ですが……」
「そうか……分かった。俺もやはり妙に嫌な予感がする。お前の意見も参考にして、プラント・クエタに巡回に向かおう。……場合によっては、出撃もあるが……」
「……行けます。ダリルバルデでも、ベギルペンデでも。……・ジェターク、出ます」
「……承知した。無茶はするなよ」

 ──ケナンジ艦長は、それ以上の断定も詮索もしなかったけれど。私が言わんとしていたのは、そういうことだった。もしかすると父は、──デリング総裁を狙って艦隊を動かしたのでは? と言う嫌な想像が脳裏を掠める反面で、もしもプラント・クエタなどで艦隊やMSを運用しての犯行が行われたのならば、多数の民間人に犠牲が出るということもまた、分かり切っていて。──確かに厳しい父だったものの、いくらなんでもそこまではしないとはそう思うが、それが身内としての自分の願望でしかないことも分かっている。不安を胸に募らせながらも、しかし自分が口にしてしまった言葉はもう撤回できない。現場に到着した際に何かが起きていたのなら、私はもうその瞬間からジェターク社の人間としてではなく、ドミニコス隊の人間として振舞う必要があるのだ。──そうして、焦燥と懸念と、幾らかの思惑を乗せて、英雄の艦は宙を進む。──行く先で、想像を絶する地獄が待っていることを、私は未だ知らなかった。


「──ベギルペンデ、・ジェターク、出ます!」

 自社MSであるダリルバルデは、父から与えられたジェターク社の最新型で、自社の象徴でもある赤いカラーリングの機体だが、ドミニコス隊での任務時には原則的に、アンチドートを搭載したグラスレー社のMS・ベギルペンデに搭乗することになる。魔女狩り部隊であるドミニコスの機体には、アンチドートが必須なのだ。──それに、どうやら今回は魔女を相手取るかもしれないから。尚のこと、ダリルバルデではない方が良い。……本当は、シンプルな操縦だけの話で言えば、自社MSであるダリルバルデの方が余程、私の手には馴染むのだけれど。

 到着したプラント・クエタはもう既に酷い有様で、嫌な予感は見事に的中してしまった。現場にてガンダムと思わしきMSと実弾の痕跡が見つかったことからも、デリング総裁を狙った実行犯は、反スペーシアン思想を掲げるアーシアンの武装テロ組織と思われるが、……ドミニコスが大軍で現着したことにより、犯人は早々に逃げ出し、我々はその後処理に追われることになったのだった。

 ケナンジ艦長から許可を得て、私は同僚と部下を数人連れて、“ワームブロッド”の方へと向かうことになった。私が向かって聴取を行なった方が話は早いものの、私がジェターク社の人間である以上、公平性を保つには単独行動ではないほうが疑念も生じづらいだろうと、──もしも、考え得る最悪の事態が起きた場合にはその方が良いだろうと考えたからこその、私の判断だった。
 ──しかし、その道中で私は、ジェターク艦隊へと接近する途中で、自社のMSが数機スクラップになっているのを見つけて。やはりこの場で戦闘が起きたと考えるのが順当かとは思うが、……あれ、でもあれは、ジェターク社のMSとはいえども、旧型のデスルターだ。父が戦線に旧型を配置するとは到底思えないから、テロリストに運用されていたものと考えるのが妥当だろうか。……念のために、機体を確認しておいたほうがいいかもしれないと、そう考えて、比較的に破損の少ないMSへと接近すると、……なんと、ハッチが開いており、コクピットにはパイロットが搭乗しているのが確認できる。……まだ、生きてるとは考えづらいけれど、どうやら機体の信号は生きているらしいので、ひとまずは接触回線を利用してパイロットに呼びかけてみることにした。

「──デスルターのパイロットに告ぐ。こちら、ドミニコス隊所属、・ジェターク。応答の上、所属を述べなさい」
「……ドミニ、コス……?」
「その通り、此方はカテドラル直属、ドミニコス隊の・ジェターク。貴殿の所属を、」
「……ねえ、さん?」
「……え? ……まさか、その声……」
「姉さん……俺だ、グエル・ジェタークだ……ヴィム・ジェタークの……息子、で……あなたの、弟のグエルだ……」

 ──通常であれば、そんな言葉に耳を貸すこともなかっただろう。──でも、名乗られたそれが今は行方不明になっている弟の名前だった上に、その声は余りにも聞き覚えのあるもので、……挙句、涙に枯れた声色をしていたから。──気付いたときには私はハッチを開けて、ベギルペンデの外へと飛び出していた。無重力空間にて自身の機体、それから大破したMSの破片をいくつか蹴って近付くとデスルターのコクピットの縁に手をかけ、座り込むパイロットの顔を覗き込む。──ああ、ああ……! ──よかった! グエルは、私の弟は、ちゃんと生きていた! 無事で! 生きていてくれたのだ!

「──グエル! 心配したのよ、会えてよかった……! 怪我はない?」
「……姉さん、俺は……」
「戦闘に巻き込まれたのね? どうして、こんなところに……それに、デスルターなんて旧型、なぜあなたが……」

 こんな場所で、恐らくはテロに巻き込まれたのか憔悴しきっている弟をノーマルスーツ越しに抱きしめて背中を擦ると、グエルの体が、がたがたと震えていることに気付いて、どうにか落ち着かせようと、子供の頃にしていたようにぽんぽんとグエルをあやすように背を叩くと、……何故だかグエルは急に泣き出してしまって、私は幾らか動揺する。……もしかするとこの子は、戦場で恐ろしい思いをしたのかも、何かを見てしまったのかもしれない。グエルはまだ学生だから、当然ながら戦争なんて知らないし、心に外傷を負うような何かが、まさか此処で。

「──グエル、落ち着いて。戦場で何かあったの? まさか、戦闘に巻き込まれた……?」
「……違う、俺の意志で剣を抜いたんだ……だが、本当は、コクピットに少しでも当たれば接触回線が開くと思った! ジェターク社のMSが相手だった、だから、自社の人間なら、俺が名乗れば話し合いが出来ると思った、撃墜しようとしたわけじゃない、……でも、実戦用の武装の威力を、俺が見誤ったから……!」
「グエル、落ち着いて」
「だが、……俺が殺した、死にたくなくて、俺が殺したんだ、進みたかったから、俺が……俺が、父さんを殺したんだよ、姉さん……!」
「……え……?」


 ──錯乱状態のグエルをどうにか宥めて、ベギルペンデのコクピットに乗せて。自分が申し出たことなのに申し訳ないと同僚たちに頭を下げてから、ジェターク艦隊への監査は同僚たちに委ね、私は“ユリシーズ”へと慌てて引き返す。その間、狭いコクピットの中でふたりきりにも関わらずグエルは何も言わなくて、私も震える手で機体を操縦しながら、グエルを無事に連れて帰ることだけに集中していないと動揺で手元が狂ってしまいそうだったから、何も言ってあげられなかった。──そもそも、こんなときに何を言ってあげるのが正解なのかも分からなくて、けれど「大丈夫」も「あなたは悪くない」も、きっとグエルの望んだ言葉じゃないことだけは分かり切っていて。……こんなとき、父さんだったらグエルを叱るのだろうか、と考えてみたところで、父さんは既にこの世にいないのだと、既に私は弟から聞かされてしまったのである。その事実がいまだに信じられなくて、……でも、弟がこんなにも質の悪い冗談を言ううような人間ではないことも、私はよく知っているから。

「──弟は、行方不明になっている間、輸送船でアルバイトをして暮らしていたみたいなんです。でも、船がテロリストに襲撃されて、ジャックされて……」
「……そうか……」
「あの子はMSが操縦できるから、襲撃を受けて、飛び出してしまったみたいで。……実際、そうしなければグエルも、輸送船の従業員も撃墜されていただろうから、少なくとも非常時の判断として正しかったと、……そう、言って聞かせたのですが……」
「……そう簡単に、割り切れることじゃないだろ。お前も、弟も」
「……はい……」

 ──戦艦へと戻ってすぐに、医療班へと預けられたグエルに付き添って、その後、寝台の上に寝かされたグエルは鎮静剤の影響もあり、少し落ち着いた様子で事情を話してくれた。落ち着いたとはいっても、その表情は憔悴しきっていたし、言葉を続けるに連れて呼吸が浅くなるグエルには最終的に、必要最低限の確認のみで医療班から睡眠剤を処方してもらい、服用するように勧めて、グエルは今は医療室で眠っている。

 ──まだグエルには伝えていないけれど、輸送船の従業員はテロリストと共に地球に連れて行かれた可能性が高く、弟を世話してくれていたひとたちのことは、どうにかして私が助け出さなければならないと、そう思う。ジェターク家の人間として、姉として、弟が受けた恩義は私が必ず返す。……でも、テロリストはガンダムに乗っており、パーメットスコア4に到達したガンダムはアンチドートを無効化していたという現場の報告も上がっている以上、無策で打って出る訳にも行かない。……それに何より、私もまだ動揺しているのだ。──父が、ヴィム・ジェタークが、死んだ? それも、グエルとの一騎打ちで、撃墜された、なんて。今でも俄かには信じがたく、……しかし、嫌な話だが、パイロットとしての私はその事実に心の何処かで納得してしまってもいるのだ。

 父、ヴィム・ジェタークは、優秀なパイロットだった。だからこそ私もグエルもラウダも、なかなか父にパイロットとして認めてもらえなくて。だが、父は私とは違い軍属の経験が無く、また若くしてジェターク社の跡を継いだ父は戦場に出たこともなくて、要するに父は決闘しか知らない、戦場を知らないひとなのだ。現にグエルの乗っていたデスルターは頭部を破壊されていて、コクピットは無傷だった。……それは、決闘しか知らない人間の戦いだと、残念ながら既に戦場を知る私には、分かってしまったのだ。だからこそグエルのデスルターが受けていた傷を父が与えたというのは、信じられなくもない話で、……戦場で相対した父と弟が、機体越しにお互いを判別できなかったというのも、腑に落ちるところでもある。……父も弟も、それほどにお互いの操縦を知らないのだということを、……どちらも見ている私はちゃんと、知っているからだった。

「ともかく、今日は休め。弟の傍に居てもいい。……CEOの件は、調査が必要だ。すぐに公表されることでは無いが、これから事が動くことになるかもしれん。……今は体を休めておけ、
「はい……ありがとうございます、艦長……」

 ──これから、ジェターク社はどうなるのだろうか、という問いかけに応えてくれるひとは、もう何処にもいない。母が居ないあの家で母親役を必死で続けてきた私は、どうやら、……今日からは、弟たちの父親役を兼任することになるらしいという事実にもまだ、実感が追い付いていないけれど。それでも、逝ってしまったのは事実だというのだ。……あなたは、父さんは、結局、私にもグエルにもラウダにも、本当のことは教えてくれなかった、なあ。あなたは、どうして、……総裁の暗殺なんて企てたのだろう。……どうして、私達に相談のひとつもしてくれなかったのだろうか。 inserted by FC2 system


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