なくしたものは夢のなかで見つかる

『──鷹ちゃん、私は何があっても鷹ちゃんの味方でいるからね』

『鷹ちゃんが高く飛べるように、ずっとずっと、私が助けてあげる』

 ──それは、幼少期の頃の、柔らかな記憶だった。プロ野球選手の父の元で生まれながらのサラブレッドとして育てられた俺の、──出自故にやっかまれたり、“本庄二世”の名に“本庄鷹”の実力が付いてこられていなかった、幼い頃の記憶。──あの頃はまだ、苦い思いも散々していたけれど、それでも俺には、そんな風に優しい言葉をかけてくれる相手がいた。──少女の名は、と言う。幼馴染として小さな頃からずっと俺の傍で育った彼女は、俺の苦悩も努力も孤独も空虚さも、何もかもをその双眸で見てきたから。だから、何があっても彼女だけは俺の味方で居てくれると、がそう言ってくれたそれだけのことが、俺にとってはどれほどに大きかったことか。──父からの英才教育は厳しいばかりではなかったけれど、決して嫌だったわけでもないけれど。それでも、其処に寄り添ってくれた彼女の存在が、俺にとってはこの上なく大切だった。──、俺の大切な幼馴染。家族のようで、妹のようで、姉のようでもあって。大切な、大切な女の子だ。俺が少年野球を制し、帝黒からのスカウトを機にアメフトへと分野を替えて転校した際に、残念ながら彼女とは道が分かれてしまったけれど。今でも顔を合わせてはいるし、この春から互いに高校生になるわけで、……今は傍にはいられなくとも、きっとには、新しい生活の中でも笑っていて欲しいと、……俺はそんな風に、ささやかな願いを抱いていた。

「──鷹ちゃん! よかった、会えた!」
「…………?」

 ──冬の終わりの、それは高等部の合格発表の日のこと、だった。中等部からエスカレーター式での進学が既に決まっていた俺は、合格発表の張り出しなどとは無縁だったものの、「新しいチームメイトが気になるし、才能のある新入生も見つかるかもしれないし、せっかくだから見に行こう」という大和の誘いを受けて、そう上手くはいかないだろうとは思いつつも覗きに行ってみると、……其処には、久方ぶりに顔を合わせた幼馴染が、俺の姿を見つけるなりぱあっと花が咲くように笑って必死で手を振り、俺に向かって駆け寄ってくる姿があったのだ。……一体、何故、彼女が帝黒に? 動揺する頭でも、どうやら、慣れ親しんだ習慣というものは体に染みついているようで、小さな体が転ばないように、ぱっと腕を広げた俺の胸の中へと、は嬉しそうに飛び込んでくる。「鷹ちゃん」と聞き慣れた声で名前を呼ばれると脳がぽうっとして、……ゆらゆら、ゆらゆら、まるで目の前の出来事は夢のようで、思わず言葉を失っていた俺は、隣の大和の存在すらも、途中から忘れてしまっていたらしい。

「……鷹の知り合いかな? はじめまして、俺は大和猛だ」
「わたし、です、よろしくね。鷹ちゃんとは幼馴染で……」
「へえ、鷹を追って帝黒を受験したのかな? その様子だと、合格したようだね。おめでとう、春から俺とも同級生だな」
「同級生……えっ、あなた、中学三年生なの!?」
「うん? そうだよ、鷹と同じアメフト部なんだ」
「アメフト部……そっか、だからそんなに背が高いんだ! ねえ、すごいね鷹ちゃん!」
「……そんなことより、……どうして? うちを受けるなんて、聞いていなかったのに……受験が終わるまでは忙しいから会えないって、帝黒を受けると言ってくれれば、受験の対策だって手伝ったのに、どうして……?」
「だって、鷹ちゃんを驚かせたくて! ね、びっくりしたでしょ?」
「……うん、驚いた……本当に? と、同じ高校に通えるのか……?」
「もちろん! ……あのね、鷹ちゃんがアメフトに転向してから、私、たくさん勉強したの! だって約束したでしょ、鷹ちゃんのことはずっと、私が助けてあげるって!」
「……うん、約束した。は一度言い出したら、まったく聞かないから……」
「ふふ、そうなの! ……それは鷹ちゃんが一番、よく知ってるでしょ?」
「うん、よく知ってるよ、……」

 ──はずっと昔から、俺のサポート役だった。小柄で病弱な彼女は、キャッチボールの相手にはなれなかったけれど、その分彼女がベンチから俺のアシストをしてくれていたことが、俺にとってはずっと大切で。……俺の為に野球を必死で覚えてくれた彼女を置き去りにしたことが、ずっと俺は、心の何処かに引っかかっていたのに、……それなのに、は。今度はアメフトの知識を付けて、もう一度、俺のマネージャーになるために帝黒まで追いかけて来たのだと、そんなことを言うのだ。

『──鷹ちゃんにイヤなこと言わないで!』

 ──幼少期、本庄二世、として俺が揶揄される度に俺を庇ってくれた小さな背中は、今でもずっと小柄なままで、俺から見下ろせてしまえるくらい華奢なのに、それでも彼女は今でも、この世の何よりも頼もしい。「鷹ちゃんが何処までも飛んでいけるように、ずっと私が鷹ちゃんのこと助けてあげるね」と笑っていたあの頃の言葉を、決しては違えない。──ああ、そうか。フィールドが変わって、歩く道を違えたのだと思っていたのは、俺だけだったのか。彼女はこれからもずっと傍で、俺をマネジメントしてくれるつもりで、……ずっとずっと、ふたりいっしょに、居られるのか。

「──そうか、アメフト部のマネージャーになってくれるんだね、助かるな。ウチは大所帯だからさ」
「そんなにたくさん部員がいるの?」
「ああ。200人くらいはいるかな?」
「に、にひゃくにん……!?」
「……、問題ないよ、どうせ俺は一軍だし、は一軍専属のマネージャーになるから」
「? 一軍……?」
「六軍までを合わせて200人だけど、試合に出られるのは一軍だけなんだ。俺と鷹は中等部で一軍だったけれど、高等部でもそのつもりだし……帝黒まで鷹を追ってくるくらいだ、はきっと、マネージャーとしての能力に自信があるんだろう?」
「……それは、無ければこんなところまで来てないから」
「それなら大丈夫さ、きっと一軍の専属になると思うよ。……まあ、ともかく一度見学してみるかい?」
「……いいの?」
「ああ。……鷹、せっかくだから彼女に鷹のプレーを見せてあげるといい。俺が相手をするよ」
「……ああ、言っておくけど」
「なんだい、鷹」
「今日は、大和の見せ場はないよ」
「……ははは! 良いな! こんなに強気な鷹は初めて見たよ! 、きみのお陰で俺も高校生活が楽しくなりそうだ!」
「う、うん……? あ、ありがとう……?」

 ──俺は彼女の微笑みで、身体の中、心臓のある場所のもっと奥の方に、揺れる熱を久方ぶりに感じた。……ああ、もしかすると、本当に。とふたたび道を同じくした今年、大和と共にクリスマスボウルに行く今年、……俺の中で、何かが変わってくれるのかもしれない、だなんて。確かにあの春風の中で俺は、……そんな夢を、見ていたのだ。 inserted by FC2 system


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