005

「──例の新入生、昨晩に特待生寮で肝試しをしていたらしいわよ」
「……ああ、俺も聞いた。ブルー寮で、その件について噂している後輩たちが居てな……なんでも、翔も一緒だったらしい」
「翔くんが?」
「ああ。……その罰として、クロノス教諭から退学を賭けたタッグデュエルを命じられているそうだ。……全く、入学早々に、翔の奴……」
「え、……それ、大丈夫なの?」
「さあな」
「さあな、って……亮、そうやって無関心を装うの、あなたの悪い癖よ」
「……俺も、心配はしている。しかし……そうだ、は誰からその話を?」
「私は明日香から聞いたわ、……明日香ったら、その場に居合わせていたらしくて」
「……何だと? 特待生寮に?」
「ええ……」

 午前中の授業を終えて、昼休みの時間。私と亮は購買でドローパンを購入してから、本校舎とは少し離れた人通りの少ないベンチまで移動してきて、普段から其処で昼食を摂っている。
 ──本当は以前までは、校舎の外にあるテラス席が快適でお気に入りの場所だったけれど、……あの場所は少し騒々しいから、私と亮のふたりになってからは、自然と足が遠のくようになってしまっていた。

「……明日香、以前から特待生寮に花を飾りに行く習慣があったらしいの。一応、立ち入り禁止だから、人目を忍んで夜にこっそり寮を抜け出していたみたいで……」
「……そうか」
「いつからだったのかしら……私が、明日香と親しくなる前から……?」
「だとしても、俺も知らなかった。俺は、お前よりも以前から明日香と度々話していたが……」
「……ええ」
「明日香からは、一度もそんな話を聞いたことがない。……だから、だけが責任を感じるようなことではないだろう」
「……そうね。……でも、ちょっとショックだったわ……」

 私と亮は、今ではすっかり二人組が板についてきてしまったけれど、──以前まで、私たちはいつも三人組で行動を共にしていた。
 ──いつも、とは言っても、三人目だった吹雪は女の子に追い回されていることが多くて、吹雪自身もそれに対しては、まるで満更でもない様子で楽しげに振舞っていたから、……まあ、元から私と亮の二人行動ということも、少なくはなかったわけだけれど、それでも常に二人だけ、という訳ではなかったのだ。
 ──吹雪が、突如行方不明になり、私たちの元に帰ってこなくなるまでは。
 ──吹雪が突然の失踪を遂げたことで、私と亮は二人組になった。それからの私たちは不器用なりに、吹雪の妹である明日香を気にかけては、失踪中の兄に代わって彼女の保護者のような役回りを務めながら、明日香と共に吹雪を探し続けている。
 最初の頃は、明日香との関係だって今よりもずっとぎこちなかったけれど、──それでも、最近では随分と姉の真似事も様になってきたと思っていたし、……明日香には、それなりに好かれている方だと思っていたものの、……明日香は未だ、私と亮に何もかもを頼ることは難しいのだと、そう思うと私には、それを些か少し寂しく感じる気持ちもある。
 ──まあ、明日香は元々責任感の強い子で、吹雪にすべて頼りっぱなしというタイプではなかったから、彼女にとってはこれが兄姉への適切な接し方ではあるのかもしれないけれど。

「……夜間に寮を抜け出すのは、校則に反する行為だからな。明日香もお前を巻き込みたくはなかっただけで、何も信頼されていないという訳でもないだろう」
「それは分かってるわよ、まあ、それに……今後は、必ず私が同行する約束もしたわ」
「そうか、……ならば、ひとまずは安心だな」
「ええ、……近頃、特待生寮を面白おかしく噂している生徒も、少なくはないみたいだし……」
「……まったく、迷惑な話だな」
「……ええ、本当に」

 大抵の一般生徒にとっては、特待生寮の探索など、度胸試しの一環に過ぎないのだろう。──けれど、既に不自然なまでに──まるで、“人為的な何か”があるかのように荒廃しきって、“最初から無かったもの”として扱われているその場所は、──私と亮にとっては、大切な思い出がたくさん詰まったところだった。
 特待生寮がまだ存在していたあの頃、──私は亮と吹雪と三人で、騒がしい日々を毎日、共に特待生寮で過ごしていた。
 女子の特待生は私一人だけだったから、私は男所帯の特待生寮で彼らと寝食を共にしており、──一応、それに対しては懸念の声も上がっていたらしいけれど、実力主義のこのデュエルアカデミアで、編入早々“レジーナ”という称号で呼ばれるようになった私は、──まあ、それなりに実力者の部類に入る。
 だから、私が特待生寮で暮らすことについても、すぐに誰も咎めなくなったし、特待生寮には特別に決闘が好きだったり強かったりする生徒が多かったから、──本当に、あの場所での生活は楽しくて、──中学三年のときにアカデミアに編入してからというもの、私はずっとあの場所で暮らしていたけれど、……結局、特待生寮で過ごす日々には、最後まで全然、飽きなかったな。
 私としてはまだ幾らでも、あの場所で亮と吹雪と三人で過ごしていたかったけれど、──残念ながら現在、特待生の制度は廃止されて、特待生寮もまた、廃寮となってしまった。
 ある時期より、特待生の中から謎の行方不明者が相次いだことで、学園側が倫理委員会からその是非を問われた結果、特待生の制度そのものが寮ごと廃止になったのだ。
 ──その後、特待生として入学していた生徒には、引き続きその権限が残されたものの、大半の生徒がブルー寮に移ったことで、いつの間にか皆、オベリスクブルーの青い制服を着るようになったり、「特待生のままで居ると、犯人の標的にされて、次の失踪者になるかもしれない」と言ったくだらないオカルト話が横行したことにより、──気付けば、特待生の席に残ったのは既に私と亮だけで、かつては羨望の眼差しを受けたこの白い制服も、すっかり学内から悪浮きするようになってしまっている。

「……あまり、事件現場に土足で踏み入られては困るのにね」
「……その口ぶりでは、やはり学園側が事情を握っていると、お前は今でもそう思っているのか? 
「そうね。……まあ、学園全体で何かを隠蔽している、という訳ではないと思うわ。此処のオーナーはうちの父だし、……それに、鮫島校長だけは信用していいって、あなたが言ったんじゃない、亮」
「……ああ。……師範は、教え子に危害を加えるような人間ではない。それについては俺が保障する」
「そういうことなら、私も校長を信じるわ。……だとすると、怪しいのは校長よりも上席の人間か、或いは末端の人間、か……」
「……それこそ、倫理委員会という線は無いか? 自分達で証拠を隠滅にかかった可能性は、否定しきれないと思うが」
「無いとは言い切れないわね、元々、きな臭い集団だし……。あとの教師陣では、クロノス先生と鮎川先生は信用していいと思うの、私たち、おふたりのことはそれぞれよく知っていると思うし」
「そうだな。……他に、俺達の目が届きづらい場所というと、……イエロー寮、レッド寮の寮長だが……」
「でも、樺山先生と大徳寺先生って、如何にも人畜無害、って感じよね……?」
「うん……やはり、現状の証拠では不十分だな」
「ええ。……推理や憶測というよりも、これでは言いがかりよ」

 特待生が幾名も失踪した件について、学園ではあまり積極的な捜索が行われておらず、──それどころか、一部の生徒は留学中という扱いに書類上では処理されている。
 であれば、まず間違いなく其処には誰かしらの妨害が働いているのだろうと、──私たちはそのように考えて、学園側には頼らずに自分達の手で、今も調査を続けているのだった。
 学園のオーナーである私の父は、この島の所有権を有するのみで学園には基本的に干渉していないし、──そもそも、父様は下劣な手段に訴えるようなひとではないから、学園の上層部に真犯人が居るのだとすれば、校長や理事長を疑うのが順当ではあるように思うものの、理事長に至っては入学してから一度も姿さえ見たことがないし、校長を務めている鮫島教諭は、亮にとっては幼少期からの恩師なのだった。
 
 亮は、サイバー流という古いデュエル流派において、最後の正統後継者の資格を持っており、彼にサイバー流の奥義を授けたのが他でもない鮫島校長そのひとなのだそうで、ふたりは同じ流派に属する師弟関係であるらしい。
 現在のサイバー流は既にその名を残すのみとなり、ふたりも改めて師弟の名乗りを上げる気がないようで、学内では教師と生徒としてのみ関わりを持っている様子だったけれど、──それでも、鮫島校長が亮を気に掛けているのは私にもよく分かるし、私も亮の意見には同意で、鮫島校長はシロだと思っている。
 ──私たちが周囲から二人組として認識されるようになってから、──つまり、吹雪が居なくなってから、既に一年近くの時間が過ぎていたけれど、──以前として、状況は芳しくない。
 こうして、私たちは吹雪の行方を突き止めることが出来ないまま、高校三年のアカデミア最後の一年を迎えてしまったのだった。

「……もう、吹雪が帰ってきてくれても、三人でいっしょに卒業は出来ないのよね……」
「……ああ」
「……待って、もうこんな時間? 今は話し込んでいる場合じゃなかったわね、午後の授業が始まっちゃう。早く食べましょう」
「……そうだな」
「……あら、私、ショコラパンだわ。……亮は?」
「……む、これは……また、黄金のタマゴパンか」
「……本当に、腹が立つほど引きが良いわよね、亮って……」
「これで、ドローパン勝負は俺の勝ち越しだな。……だが、まあ……はショコラパン、好きだっただろう?」
「ええ。それに吹雪もこれ、好きだったわよね……」
「……うん?」
「? なに? 亮」
「……吹雪は確か、ショコラパンが嫌いではなかったか……?」
「……あれ? 言われてみたらそうね……でも前に、ふたりでショコラパンを引いて、いっしょに喜んだことがあったような……あれって、亮だったっけ?」
「いや……俺も、どちらかというとショコラパンは、あまり得意ではないな……」
「そうよね……? じゃあ、あれは明日香だったのかしら……?」

 授業を終えた後で帰る場所が同じ寮ではなくなって、以前に比べると共に過ごせる時間が減ったから、──それに、ふたりで居るとすぐに些細な張り合いや戯れ合いからのデュエルが始まってしまい、会話どころではなくなることも、儘あるから。
 軽い情報共有のつもりがついそのまま話し込んでしまって、昼休みも半分ほどが過ぎていることに気付いて慌てながらも、ドローパンの袋を破るとふわっと漂う甘い香りには、──何故か、どこか懐かしい記憶が過ぎったような気もしたのだけれど、……言われてみると確かに吹雪は甘いものが苦手で、どちらかというとキムチパンだとか納豆パンだとか、そういった刺激物を好んで良く食べていたのを、私も覚えている。
 ──だったら、どうして私は今、ショコラパンを懐かしいと感じたのだろうか。
 妙な違和感に些か首を傾げつつも、「半分、要るか?」と食べ慣れてしまって有難みも薄いのか、黄金のタマゴパンを半分に千切って差し出してくるこの嫌味な男に、私もショコラパンを半分手渡すと、亮は些か引き攣った顔でそれを受け取ったので、……やっぱり亮も、ショコラパンが特に好きということでも無かった筈だ。
 ──まあ、亮は好きなドローパンを聞かれたのならば、「具の代わりにカードがついてくるから、俺は具無しパンが好きだ」と答えるような奴なので、それが理由で偏食だと誤解されたりもするけれど、寧ろ食にはあまり頓着しないところがあるから、結局は私から受け取ったショコラパンを、大人しく食べていたけれど。
 ……だったら、あれもやっぱり、亮だったのだろうか?

「……そろそろ、授業に戻るか」
「そうね。……そうだわ、明日香からは他にも少し、気になる話を聞いたのだけれど」
「なんだ?」
「特待生寮でレッド寮の子達と会った後で、……ひと騒動、あったらしいわ」
「……何?」
「それはまた、放課後にでも詳しく話すわね。ともかく、昨晩は110番の子……十代、だったかしら? 彼が、明日香を助けてくれたみたい」
「……ほう、あいつが……」

 半分に千切った黄金のタマゴパンとショコラパンを慌ただしく咀嚼して、ペットボトルのお茶を飲み、ベンチから立ち上がりつつも、すっかり話が逸れてしまっていた本題の続きを、──ひと騒動、という言葉で濁したのは、明日香から聞いたそれはとてもではないけれど、教室に辿り着くまでの五分や十分で説明できるような内容ではなかったから、だった。
 ──昨夜、明日香は特待生寮でタイタンと名乗る決闘者によって人質に取られて、彼女を賭けた“闇のゲーム”に巻き込まれたのだと、……彼女は確かに、そう言っていた。「……さんなら、そういった事象にも詳しいかもしれないと思って、話してみようと思ったんだけど……」──そして、明日香の指摘通りに、海馬瀬人を養父に持つ私は、父と武藤遊戯さんとの思い出話の中で“闇のゲーム”という単語を聞いた記憶が、確かにあるのだ。
 明日香もそれを想定して私に相談してくれたのだとは思うけれど、──こちらが事情を知っていると仮定した上でも、困った様子で私に実情を打ち明けた明日香の気持ちが、……今になって、私にもよく分かったような気がした。
 
 ──亮には、デュエルモンスターズの精霊が見えない。
 だから彼は、誰よりもデュエルに精通してはいるものの、──“デュエルモンスターズには、そういった闇の側面がある”ということに関しては、……多分、あまり詳しくはないんじゃないかと、そう思う。
 亮との付き合いも既に大分長いものの、私は彼に、自分にはカードの精霊が見えているということを打ち明けてはいなかったし、基本的には普段から、周囲にはその事情を隠して過ごしていたから、こういった説明には、そもそもあまり慣れていなくて。
 ──とはいえ、亮に隠し事はあまりしたくないから、……放課後までには、闇のゲームに関する説明だけは、どうにか、要点を纏めておかないと。


「──午後の授業って、何だったかしら? 座学?」
「いや……体育じゃなかったか?」
「……どうして、三年にもなって体育なんてやらないといけないのかしら……此処って、デュエルの学校なのに……」
「まあ、それは一理あるが……そういった規則だからな」
「……亮、このまま何処かでサボらない?」
……お前はもう少し、主席の自覚を持った方がいいぞ……何も、体育が苦手な訳でもないだろう?」
「なによ、あなただって主席でしょ?」
「尚のこと、主席が主席をサボりに誘うのはどうなんだ……?」
「でも亮だって、男女別の体育よりも私とデュエルする方が楽しいんじゃない? 体育の授業は、私たち別々なのよ?」
「…………いや、駄目だ」
「ねえ、今、結構揺らいだでしょ」
「とにかく……無意味に規則を破るような真似はするな、俺は授業に出るぞ。主席争いから脱落したいなら、お前だけでサボるといい」
「……もう、分かったわよ……本当、頭が固いんだから……」
「悪いが、それは生まれつきだ」
「はいはい……」


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