010

 ──元はと言えば、十代と翔くんがクロノス教諭から退学を賭けたタッグデュエルを迫られたのは、立ち入り禁止区域に立ち入ったことが原因だった。
 それに関しては彼らに責任があるものの、──それ自体は騒動のきっかけに過ぎず、立入禁止区域──旧特待生寮に踏み入った彼らがタイタンと名乗る決闘者と闇のゲームをしたことも、その際に明日香が人質に取られていたことも聞き及んでいる私には、……流石に、それらすべてを自分の責任と言ってしまっては、余りにも傲慢かもしれないけれど、……それでも、明日香が居なくなったことに気付けなかったことに関しては、少なくとも私に落ち度があると、そのように考える気持ちが、確かにあったのだ。
 ──もちろん、十代と翔くんの勝利を願っていたのはそれだけが理由ではなくて、……只、私ももう少し彼らの成長を見ていたいと、そう思ったから、だったけれど。

『──翔が、アカデミアを受験すると言っていた』
『翔くんって……確か、亮の弟の……』
『ああ。……俺の弟だが、果たしてあいつが、此処でやっていけるかどうか……』

 何度も何度も亮の口から聞いていた“翔くん”のことを、私は彼と直接顔を合わせるよりもずっと以前から、心の何処かで気にかけていたように思う。
 亮は決して口数が多い方ではないけれど、それでも私の前では気が緩むのか、結構喋る。そんな彼の口からよく聞いた“翔”という名前から推測するに、──きっと亮にとって弟は、掛け替えのない存在なのだろうと、亮の振る舞いからはそう読み取ることが出来たから。
 実兄として亮が“翔くん”に傾ける恩情は、当然ながら私のそれとは比にならないものなのだろう。亮は自分が翔くんの妨げになると考えているようで、滅多なことでは実家に顔も出さずに、長期休みの際にもアカデミアに残留することが多く、両親から何度も呼ばれてようやく日帰りで顔を出す、という程度の干渉に留めているらしかった。
 
 ──私と父、海馬瀬人との間に直接的な血の繋がりはないから、私が心の何処かで父様に対して抱いているこの遠慮のような気持ちは、きっと実の親子ではないからこそなのだと、……亮に出会う前の私は、そんな風に思っていた。
 けれど、どうやら血の繋がりのある家族というものも、それはそれで難しいようで、──きっと、私では亮のそんな葛藤は理解できないのだろうと、そう思っていたからこそ、極力私は、亮や吹雪の家庭の事情には踏み込み過ぎないようにと努めているつもりだったのだ。
 ──そんな風に、日頃から自分に課していたその制約を最初に破ったのは、──昨年の夏休み、実家に顔を出してきた亮が、弟からデュエルアカデミアへの受験の意思を聞いたことを私に打ち明けてきたから、だった。
 難しい顔で私にその事情を話しながらも亮は、「果たして、翔がアカデミアでやっていけるかどうか……」──という、その一点ばかりを案じており、“翔くん”が受験に落ちる可能性はまるで考えていない様子だったから、──きっと、亮は決闘者としての弟の実力に対しては、期待や確信がしっかりと持てていて、──けれど、それと同時に、繊細な弟は実力主義のこの学園では、周囲の期待に押し潰されてしまうだろうということも分かっているからこそ、きっと表面上では、“翔くん”に対して素っ気ないふりをしているのだ、彼は。……本当に不器用で、困った奴ね、あなたって。

『アカデミアでの環境は、翔にとって負担になるだろう。……せめて、あと一年、あいつが俺よりも下ならまだ良かったんだが』
『……亮が卒業した後でも、翔くんのプレッシャーは変わらないと思うわよ。あなたは学園のカイザーなんだから、卒業後だって羨望を受けているでしょう、きっと。……むしろ、プロの世界に行った後の方が、翔くんも色々と言われるかもしれないわ』
『……俺が無事プロになれていれば、そうなのかもな。……翔にとって、俺が兄であることが負担ならば、距離を取るべきだと、そう思っていたが……』
『……もしかしたら、翔くんも変わろうとしているのかもしれないわよ?』
『……変わる? 翔が?』
『ええ。……いつまでも兄の背に隠れているだけでは駄目だと思った、って……モクバ兄様が前に言ってたの。それが、兄様にとって成長のきっかけだったんですって』
『……翔も、同じように考えていると?』
『案外、そうなのかもしれないわ。……まあ、私にはそういった葛藤は正直、実感もないから分からないけれど……モクバ兄様がそう話していたのを覚えているから、だから……』

 ──きっと、当時の私は、休み明けに会った亮が余りにも難しい顔をして、余計な心配ばかりをしているものだから、彼のことを元気付けてやりたかったのだとそう思う。
 弟と言うものは、兄の知らないところで、いつの間にかとんでもない成長をしているものだ、──と、いつだったか、父様もそう話していたから。
 けれど、私では兄の目線にも弟の目線にも立つことが叶わない以上、私にそういった経験はまるでなくて、──ライバルで、親友で、……今はふたりぼっちになってしまったこの男のことを、こんなときだからこそ余計に元気付けてやりたいとそう思ったのに、私には誰かの言葉を復唱することしか叶わない。
 ──と、そのときの私はそんな風に自身を不甲斐なく思ってしまったけれど、……肝心の亮からは、些か予想外の言葉が返ってきたのだった。
 
『……分からない、と言うこともないだろう?』
『え?』
『モクバさんが言っていたという、その話だ。……も、海馬さんに対して同じことを思った経験があるから、お前にもモクバさんの言葉が響いたんじゃないのか。だからこそ、その会話をよく覚えているんだろう?』
『……でも、私は……』
『同じことだと、俺は思うぞ。……が海馬さんをリスペクトしていることは、俺にも分かっている。……そうも、自分を卑下する必要はないだろう』
『……そう、ね。……そうだったら、良いわね』
『ああ。……お前がそう言うのならば、俺も、少し弟を信じて見守ってみよう。……あいつが、やモクバさんのようになれるかは、まだ分からないが……』
『ええ。……試験当日には、会場まで見に行きましょう。試験会場、今年も海馬ランドでしょう?』
『そのようだ。……そうだな、見学に行ってみるか』
『そうしましょう! ……当日が楽しみだわ、翔くんって、いったいどんな決闘をするのかしら……デッキは? 亮と同じサイバー流なの?』
『いや、あいつも機械族は好きだが、俺とは違うデッキテーマで、好んで使っているのは──』

「──ユーフォロイドとテンペスターを融合! 出でよ! ユーフォロイドファイター! その攻撃力は、融合素材としたモンスター二体の攻撃力を合計した数値になる!」
「今更何を? 多少、攻撃力が高くとも!」
「ダーク・ガーディアンは、戦闘では破壊されない!」
「分かってるさ! 更にパワー・ボンドの効果発動! 特殊召喚された融合モンスターの攻撃力は、二倍になる!」
「8000だと!?」
「アニキが身を以て気付かせてくれたんだ、例えモンスターを破壊できなくとも、ダメージは通る! ──フォーチュン・テンペスト!」

 ──翔くんのビークロイドデッキに、亮が彼に託したパワー・ボンドのカードが入っていることは、亮から事前に聞き及んでいた。
 ……そして、現在の彼はそのカードを使う自信を失ってしまっているとも聞いていたけれど、──退学を賭けた大一番の舞台で、翔くんは悩み揺らぎながらも、最後には葛藤を振り切り、パワー・ボンドの力で勝利を勝ち取ったのだった。
 迷宮兄弟──彼らは、かつて決闘王・武藤遊戯さんと城之内さんをも苦しめた凄腕の決闘者。──そんな彼らを破ったことはきっと翔くんにとって良い経験になったことだろうし、些か後ろ向きな彼にとっても、自己肯定の一助となる筈だ。

「……よかったわね、亮」
「……ああ。の言う通り、だったな」

 勝利を讃える歓声の只中にいる翔くんと十代を観客席の後方から見下ろして、亮は何処か満足げに薄っすらと口元を緩めている。
 ──私の言う通り、というのはきっと、昨年の夏に話したことを指しているのだろう。……本当に、良かった。幾らデュエルアカデミアが実力主義で、自分達はその恩恵を受ける側であるとは言えども、──近頃のクロノス先生の行動は、流石に目に余るものがある。
 後輩たちの不当な退学処分など、決してこのまま見過ごせるはずもないとそう思っていたけれど、──彼らは私が手を下すまでもなく、自分達の手で未来を切り開いたのだ。

「──あっ、万丈目さん!」

 ──けれど、素晴らしい決闘を見せてくれた彼らの残留に盛り上がるギャラリーの中で、──ひとり、まるで穏やかではない様子で苛立たしげに、デュエルフィールドを去っていくオベリスクブルーの制服の後姿を、私は見つけてしまった。

「……準……」
「……今のは、万丈目か」
「ええ……なんだか最近、調子が良くないみたい。実技試験で、皆の前で十代に負けたのが堪えているらしいわ……」
「……あいつも、今まではライバルらしき相手が居なかっただろうからな」
「そうね。碌に敗北を知らないままエリート街道を歩んできたから……でも、あんなにも苛立たしげにしているのは、流石に……」

 ──万丈目準。彼は、私にとって幼馴染であり、海馬コーポレーションと万丈目グループという家同士の付き合いもあり、幼少期から、私と準は良く見知った間柄だった。
 準は子供の頃からずっと、私によく懐いてくれていて、……きっと、私は私なりに、彼のことを弟分のように思っていたのだろうと、そう思う。
 そんな準のアカデミアでの成長を見守ることも、以前までは私の楽しみのひとつ、──だったの、だけれど。
 ……中等部までは順調だった彼の学園生活は、どうにも高等部に進級してから、なかなか上手く行っていないらしい。
 以前はクロノス先生も準を優遇していたものの、近頃では露骨なまで彼に対して冷たくて、──私がこのところのクロノス先生の振る舞いを不満に思っているのは、それも理由のひとつだった。……本当のあのひとは立派な教師だと言うのに、一体どうしてしまったのだろうか、クロノス先生も。
 
 私とて、準の力になりたい気持ちはあるけれど、私は私で、吹雪の捜索で忙しいところでもあったし、──何よりも、先程の準の行動は目に余るものがあり、幾ら彼にとっては十代の存在が疎ましいのだとしても、勝者に砂を掛けるような真似を私は容認できない。
 ──だからこそ、無条件で準に手を差し伸べてしまうのは彼の成長を妨げることになるのではないかと、──近頃の私は、なかなか準に声を掛けられずにいる。

「……どうしたのかしら、準……」

 ──そうして、私が準の後を追うべきか、……それとも、今は彼が自力で踏み外した道を這い上がってくるのを待ってやるべきかを少し悩み、傍らの亮と共にその場に立ち尽くしている間に、──どうやら十代と翔くんは、退学は免除になったもののレポートの提出を校長から命じられたようで、勉強が苦手だと言う十代はデュエルフィールドで悲鳴を上げていた。
 その声で我に返った私が、準の立ち去った方向から顔を背け、フィールドの彼らに再度視線を向けると、──ばちり、と。不意に、十代と視線がかち合い、──彼はと言うと、まるで何かいいことを思い付いたというような顔で、悪戯っ子のように満面の笑みを浮かべて、──なんと、高らかな宣戦布告をその場で謳ったのだ。

「おーい! レジーナー! 今の聞いたか!? 俺、レポート提出しなきゃいけないんだけどさー!」
「ちょ、ちょっとアニキ……!」
「……ええ、聞こえていたわ。それで、どうしたの? 決闘の勝利のご褒美に、レポートを見て欲しいのかしら?」
「まさか! レポートは翔と頑張るからさ! ──だから! 俺とデュエルしてくれよ! レジーナ!」
「えええ!? アニキ!? 本当に何言ってんのさ!?」
「だって、レジーナってカイザーと同じくらい強いんだろ? レジーナとも決闘してみたかったんだ! でもデュエル許可願を出しても、どうせクロノス先生に邪魔されるし……だったら今、直接申し込んだ方が早いだろ? ──なあ、レジーナ! 頼むよー!」

 ぶんぶんと大きく手を振りながら、──突然、叩き付けられた挑戦状は、正しく私が待ち構えていたもので、──入試会場であの少年の太陽の瞳を見たその日から、──きっと私は、このときを、ずっと待っていたのだ。


「……全く、本当にとんでもない新入生だな、あいつは……それで? お前はどうするんだ? 
「どうもこうも……この私が断ると思う?」
「いや、……受けるのだろうな、お前ならば目の前の決闘に背は向けまい」
「もちろんよ。……で、こういうときは何て言えばいいんだったかしら? ……上がってきたまえ、遊城十代。だっけ?」
「……茶化さないでくれ、
「あら? 私も皇帝サマに倣って、新入生には威厳のある振る舞いをしておくべきかと、そう思ったのだけれど……」
「……いつも通りで、良いだろう。お前は十分、普段からオーラがあるからな」
「そう? ……そうね、それなら……」

「──良いわよ、その決闘、受けて立ちましょう。──上がってきなさい、遊城十代!」


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