012

 ──彼女にとって、海馬瀬人が星導であるのと同じように、俺にとっての彼女は、いつだって北極星だった。
 万丈目グループの三男として生まれた俺は、政界と財界を牛耳る兄と肩を並べ、デュエル界を制するだけの力を持つ決闘者になることを望まれて、幼い日からそのように教育を受けてきた。
 その日々は、決して楽しいだけなんかじゃなくて、──苦しいことも多く、血を吐くほどの想いで挫折と困難を味わいながらも俺はずっと決闘に打ち込んできて、──だからこそ俺は、デュエルを遊びか何かだと思い込んでいるあいつが、──遊城十代のことが、大嫌いなのだ。
 ──兄弟三人で、万丈目グループの名を以て、政界、財界、デュエル界という各方面から、この世界を制覇する。
 年の離れた兄二人の野望は、幼い俺にとって、到底理解などは及ばぬもので、──きっと、あの頃の俺にとってその夢は、自分で抱いた何物かではなかったのだろう。借り物の夢、押し付けられた野望に生きる日々は窮屈で、──だが、彼女は、俺と同じ運命を背負いながらも、決して弱音などは吐かなかったからこそ、俺はあなたに憧れたのだ。
 
 ──海馬。俺にとって唯一、“万丈目グループの三男坊”じゃない、“決闘者の万丈目準”を──俺のことを見て欲しいと、どうかほんの少しでも良いから、彼女にだけは俺を本心から気にかけて欲しいと、そう思い願った相手。
 
 彼女はデュエルアカデミアの特待生で、入学してから一度も成績を落としたことも無ければ、主席の座を守り続けて、学園の女王──レジーナの異名を取る実力者として、現在もさんはアカデミアの頂点に君臨している。
 そんな彼女にとって、対の玉座に座るのは俺じゃない、──オベリスクブルー三年のカイザー亮、俺にとって目下の目標とも呼べる男だった。
 俺はいつかカイザーの後を継いで、さんと肩を並べるだけの決闘者に成長する。──きっとそれが俺には可能なはずだと、ずっとそう信じていた。──だが、彼女のライバルは俺ではなく、彼女の視線の先には、今でも俺は居ない。
 俺と彼女の十年は、只、俺が彼女を目で追い続けていただけだと、結局、さんの視界に俺はいないのだという現実を突きつけられて、──俺にとって、十年間の羨望の後に残ったのはたったのそれだけで、──それどころか俺は、──今、皇帝の席に座るどころか、オベリスクブルーからも降格しようとしている。

「──さん、俺は……」

 オベリスクブルーからラーイエローへの降格処分を賭けた、三沢との決闘前夜。兄者たちからの連絡で「万丈目グループの名に恥じぬだけの成績を残せているのか」と散々に詰められた俺は、……無論、兄者たちに現状を打ち明けて助けを求めることなどは叶わず、明日のデュエルを打破するだけの閃きや気力も湧かずに、すっかりと焦燥感に苛まれていた。
 ──さんは、海馬コーポレーションの令嬢で俺と立場は似ているが、──彼女は、俺と違って周囲への面倒見が良くて、地位をひけらかすこともしないし、決して偉ぶらない。
 ……だから、もしも今の俺がさんに向かって、どうか助けてくれと正直に言えたのならば、……力を貸してほしい、此処で終わるわけには行かないのだと彼女の手に縋ることが出来たのならば、──もしかすればさんは、俺がオベリスクブルーへと残留できるように手を尽くしてくれるかもしれないと、──明日の決闘のヒントを与えてくれるかもしれないと、そう思った。
 彼女の連絡先ならば、今でも端末の中に記録されている。──俺は高等部に進学以来、少しずつ成績を落としており、近頃ではさんとも碌に顔を合わせずに話もしていなかったが、──それでも、俺とあのひとは幼馴染だった。──だが、今となっては俺は、彼女の幼馴染でしかないのだ。
 ──彼女にとって、気に掛けている後輩などは俺の他に幾らでも居て、──きっとそいつらは、みっともなく縋り付かずとも彼女に手を差し伸べて貰えるのだろう、……心底、忌々しいことに。
 彼女は俺の目標で、──同時にかつて、さんは俺にとって初恋の相手だった。──彼女にその想いを告げたことだってあったものの、「今は決闘が一番だから」と遠回しに俺の想いは退けられて、好意も嫌悪も示してもらえないまま、──さんのライバルにも、恋人にも、俺はなれなかった。
 ──以前から、さんにとって最大のライバルと呼ばれているカイザーが、彼女と交際しているという噂も近頃では流れているが、……それに関しても、決してさんと親しい間柄とは言えない俺には、真相を知る術もなく、只以前に彼女が「亮は親友でライバルよ」と語っていたその言葉を信じ続けているばかりで、失恋さえも碌に叶わない。
 もしも、その噂が本当ならば、──さんは俺のことなど、最早どうでも良いと、そう思っているのだろうか。
 ──皇帝に及ばぬどころか転げ落ちていく俺に、──果たして彼女は、憐憫など掛けてくれるのだろうか。
 俺は、──彼女の情けなどが、本当に欲しいのだろうか。

「──そうか! 三沢のカードを棄てたのは、お前か!」
「ナ、ナンデストーネ!?」
「何の言いがかりだ十代、どうして俺が……」
「──本当に言いがかりかしら?」
「明日香? カイザー亮! レジーナも!」
「私、見てしまったの。万丈目くん、あなたが……今朝海岸に、カードを棄てたところを」
「ええ!?」
「やっぱり気になって、事情を聴きに来たけど……」
「──汚いぞ万丈目! やっぱりお前が!」
「──黙れ! 俺は自分のカードを棄てたんだ! それとも、そのカードに名前でも書いてあったのか?」
「万丈目!」
「俺を泥棒呼ばわりした責任は取ってもらうぞ? ……いかがでしょう? この決闘で負けた方が退学になると言うのは」
「無茶苦茶だ! キーカードを失くした三沢のデッキは……!」
「──いや、その決闘、受けて立つ。デッキならあります、その条件、受けましょう」
「三沢!」
「心配かけて悪かったな、十代。棄てられたデッキは、調整用に作られた寄せ集めのデッキ、──俺の本当のデッキは、此処にある! 見ろ! 俺の知恵と魂を込めた、六つのデッキを!」

 ──今まではあんなにも俺を優遇してくれたクロノス先生には、たった一度の敗北で調子を落としただけで、あっさり見限られた。
 その事実は、今までの俺は、万丈目グループの御曹司だからと教師に優遇されていた訳では決してなかったのだと、──この学園では実力で這い上がれない限りはもう、俺に再起の目は無いのだと、そう物語っていた。
 ──教師には、見限られた。取り巻き共も、あっさりと手のひらを返して俺の周りから消えやがった。……兄者たちにも、このままでは合わせる顔がない。……兄者たちの手は、頼れない。──デュエル界のトップどころか、デュエルアカデミアで失脚した俺は、兄者たちにとって取るに足らない存在として、万丈目グループから切り捨てられるのだろうからな。

「準。──あなた、自分のカードを棄てただけだと嘘を吐いていたけれど……もしもあなたの捨てたカードが自分のものだったとして、それで言い逃れが出来ると思っているなんて……見損なったわ。問題の本質はね、そんなものじゃないのよ。……残念ね、あなたはもっと、カードを、決闘を大切にしていると思っていたわ」

 ──俺にはもう、何もない。誰からの信頼も失って、デュエリストとして大切なものをも自ら擲った起死回生の一戦にさえも敗北して、──仄かな憧れを抱いていた天上院くん、いつかその後継者になりたいと願っていたカイザーからも、失望の眼差しを向けられた上で、──あなたまで、そんなにも冷たい眼で俺を見るのか、さん。
 ──もしも、昨夜の俺が、あなたに助けを求めることが出来ていたならば、──結果は、何かが違っていたのだろうか。
 あなたがデュエルモンスターズを──決闘を心から愛していることは、俺だってちゃんと分かっていた。だからこそ、さんは学園での日々で、俺じゃなくてカイザーと意気投合したのだろうと言うことも、分かっていたさ。
 ──でも、俺は俺なりに、自分は決闘を大切にしていると思っていた。兄者たちに強要された道だとしても、俺は俺の意志で決闘に励んでいるつもりだったのに、──だが、俺だけが、きっと、ずっと、……決闘を、楽しんでなどいなかったのだろう。
 俺とあなたの決定的な違いは、きっと其処だった。思えば、あなたは海馬さんに強いられて決闘をしているわけじゃなくて、大好きな決闘の道へと導いてくれたからこそ、海馬さんを慕っていたんだろうな、きっと。──それが分からなかったからこそ、情けなく救助を求めるよりも余程、彼女の逆鱗に触れる行為だとさえ思い浮かばずに、──俺は血迷って、三沢のカードに手を出したのだ。
 三沢のカードだから悪かったわけじゃない、──俺が俺のカードに同じことをしても、きっと彼女は俺を叱ったのだろう。──そうだ、彼女は、さんは、──俺にとって唯一、万丈目グループの為でも学園の為でも他の誰の為でもなく、俺の為にと親身になって俺を叱ってくれるひと、だった。
 彼女は俺にとって、兄者たちよりも余程近しい姉のような存在でもあったのかもしれないのに、──俺は、さんからの信頼までをも自ら損なって、──そうして、全てを失い、敗者となったのだった。

 
「──万丈目の奴、まだ見つからないのか?」
「ええ……電話もメールも反応がなくて、多分、端末の電源を切っているんでしょうね……」
「そうか……実家の方にも、連絡は来ていないのか?」
「準の家──万丈目グループって、ちょっと事情が複雑なのよ……一応、長作さん……準のお兄さんに電話でそれとなく探りを入れてみたけれど、それらしい収穫はなかったわ……きっと、実家にも連絡していないんだと思う」
「……八方塞がりだな」
「……やっぱり私も、昨夜から亮のところに泊まればよかった。それなら、今朝だって、すぐに気付いて追いかけられたかもしれないのに……」
「それも、の責任という訳でもないだろう、万丈目が決めて行動した結果だ」
「それは、そうだろうけれど……」

 ──今朝の未明、準がデュエルアカデミアから姿を消し、行方知れずとなった。
 昨日、ラーイエロー一年の三沢くんと、昇格或いは降格を賭けた決闘を行い、その末に敗北した準は、──デュエルに勝つためにと事前に三沢くんのデッキを故意に海へと捨てた上で、デッキを持たない三沢くんに対して、やっかみからか退学を賭けた決闘を申し込んだのだった。
 ──しかし、準が捨てたのは三沢くんのダミーデッキで、彼が隠し持っていた本当のデッキ──ではなく、これまた調整用のデッキに敗北した準が、すっかり自信を喪失して意気消沈していることも、──万丈目グループの期待を背負う彼が、ずっと以前からプレッシャーに押し潰されていたことも、私はちゃんと分かっていた。
 ──けれど、対戦相手のデッキを棄てると言う卑劣な行為は、到底、反省なしに許されていいものではない。──精霊と心を通わせる決闘者である私にとって、それは決して許せない行いだった。──現に昨日、明日香から準がカードを棄てるのを見たと相談されて港まで足を向けた際、水面に揺れていたカードたちからは、悲痛な声が聞こえてしまったのだ。
 だからこそ昨日の時点では、私も準の行いをしっかりと注意して、──そして、一晩反省した後に準がこれからどうするべきかを彼と一緒に考えようと、私は今朝、オベリスクブルーの男子寮を訪ねた訳だったのだけれど、──どうしてか、準はなかなか寮から出て来なくて、そんなことをしているうちに亮が出てきて私を見つけ、「、こんなところで何をしているんだ?」と驚いて此方に駆け寄ってきた亮に事情を話し、彼と立ち話をしているところに、──中等部の頃からずっと、準の取り巻きをしている男子生徒たちが寮から出てきた。
 
「カイザー! それにレジーナも! おはようございます!」
「──丁度良かったわ、あなたたち、準を知らない? まだ部屋にいるようなら、悪いけれど、私が呼んでいると伝えてもらえないかしら」
「準……? ああ、万丈目ですか?」
「万丈目なら、今朝早くに荷物を纏めて出て行きましたよ」
「……え?」
「三沢に負けたのが堪えて、逃げ出したんじゃないですか?」
「……お前たち、その件はクロノス教諭に報告したのか?」
「え? 別に……」
「何故、早く報告しなかった? 何かあってからでは……」
「……準は、どっちに行ったの?」
「さあ……? 船着き場の方だとは思いますけど……」
「──分かったわ。亮、その子たちへの注意とクロノス先生への報告は任せたわね。──私は、港の方を見てくるから! 頼んだわよ!」
「──待て、!」

 万丈目グループの御曹司として生まれ育てられた彼は、気位が高く挫折を許せない性格で、皆の前で醜態を晒すことに抵抗があるのだとは、よく分かっていた。──けれど、プライドだけでは、決して決闘にも勝てない。それを教えるためにも、一度強く叱って反省を促そうと私は考えた訳だった。
 ──だからと言って、その結果がこれでは、何の意味もないだろうに。
 ──今朝、準に会ったのならば。昨日、私が言った言葉の意味を彼がどのように受け取ったのか、その答えを聞きたいと、そう思っていた。
 それから、まずはラーイエローに足を向けて三沢くんに謝罪して、クロノス先生にもなんとか処分を思い留まってくれるように打診して、……どうしても謝る気になれないなら、私もいっしょに行ってあげるから。ふたりに誠意が伝わらないようなら、私も頭を下げてあげるから、──だから、この学園で準がもう一度頑張ってみることが出来るように、前を向けるように、──長作さんたちの分も私が手を尽くそうと、そう思っていた。
 ──それで、きっと上手く行くと、そう信じていた私は、……きっと、いつの間にか、亮と翔くんに感化されていたのだろう。
 私には、準を正しく導いてやれもしない癖に、──姉貴分を気取るだけ気取って、私は、あの子の窮地に手を貸してやることも出来なかった。
 港を探し回っても準は見つからなくて、始業のベルが鳴っても準を探し続けていたら、亮が慌てて私を追ってきて、──それから、ふたりで校長室に足を向けて、鮫島校長に事態を説明して、──それで、私と亮は一限目の授業には参加出来ずに、「あとは私たちに任せて、きみたちは授業に戻りなさい」と鮫島校長に促されて、二限目になってから教室に向かったけれど、──結局、今日はずっと準のことが気がかりで、授業にはなかなか集中できなかった。
 そんな私の不調も、当然ながら一日隣に座っていた亮には筒抜けで、──放課後になってから再び港に準を探しに行く私に付き合って、亮も捜索を手伝ってくれたり、鮫島校長から進展を聞きに行ったりしてくれたけれど、──結局、目ぼしい収穫はなく、……もしかしたら、夜中になれば準もこっそりと寮に戻ってくるかもしれないという望みに、心の何処かではきっとそんなことはあり得ないのだと思いながらも縋り、──今夜の私は、オベリスクブルー寮、亮の自室に泊めてもらうことにしたのだった。

「──学びの場は、何もデュエルアカデミアだけではない。正道からは逸れるだろうが……他にも決闘者として成長する方法は幾らでもある」
「……うん」
「正直に言って俺は、お前と吹雪以外の生徒とは、あまり親しくもない。万丈目とも、オベリスクブルーの後輩という程度の付き合いだったが……あいつは、上昇志向の強い奴だったと、そう思う」
「……うん、そうよね……私も、そう思うわ……」
「……大丈夫か、?」
「ええ……亮、あなたって、ずっと大変だったのね……」
「……俺が? どうした?」
「……つらいのね、お兄ちゃんって。……私には、準のそれには、なれなかったみたい……やっぱり、見様見真似じゃいけなかったのかな……」
「……そんなことはないだろう。お前は立派に、万丈目の姉役をやれていたさ」
「……ありがと、亮……」

 ──結局、それから暫くの間、準とはずっと連絡が付かなくて、──こうして私は再び、大切な誰かが行方不明になると言う想いを味わうこととなったのだった。
 私には実のきょうだいや家族は居ないから、きっと、亮や吹雪の痛みを私には真に理解できないと、そう分かっていたと言うのに、──その実で私はずっと、準のことを弟のように思って、彼のことを気に掛けているつもりで、……けれど、やっぱり私では足りなかったのだと、……これは、そういうことなのだろう。
 ──もしも、あの日。頭ごなしに叱ったりせずに、準の言い分を聞いてやれていたのなら、──或いは、もっと早くに、あの子の迷いや葛藤と向き合ってあげられていたのなら、──私が彼に、信頼して貰えていたのならば、──私が卒業するその日には、決闘者として成長した準とデュエルフィールドで相対するそんな未来もあったのかもしれないと言うのに、──私の望んだ未来は、一夜にして水平線の彼方へと沈んで、消えてしまった。


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