015

 近頃のさんは、少し元気がない。
 ──彼女にそんな変化があったのは、万丈目くんが行方不明になった頃から、だっただろうか。

 オベリスクブルーの同級生、万丈目くんとは私も中等部からの付き合いだったけれど、エリートを鼻に掛けて高慢に振舞う彼のことが、正直に言うと私は苦手だったし、彼のことを嫌な奴だと思っていた。
 決闘者としての実力がすべてのこの学園では、彼の振る舞いもある種、正しいのかもしれないけれど、──それでも、彼よりも上位に座するさんや亮はまるでそういったところがなかったし、……うちの兄さんも、ふたりと同じ特待生だったけれど、やっぱり万丈目くんのように感じの悪い振る舞いをすることはなかった。
 ……まあ、兄さんに関しては、それとはまた別の方向性で、振る舞いに問題があったのも、事実なのだけれど……。
 ──私はいつか、オベリスクブルーでさんの後継者になりたいとそう思っている。
 そして、万丈目くんもどうやら亮の後継になることを望んでいるようで、──それが理由なのか何なのかは知らないけれど、万丈目くんの方は、何故か私に連帯感にも似た仲間意識を持っているらしかった。
 ……けれど、果たして来年度の彼に、亮の代わりなんて務まるものかしらと、……そう思ってしまっていたくらいには、私にとって万丈目くんは決していい印象のない同級生だったのだろうと、そう思う。
 
 そう考えると、私が万丈目くんに抱いていた苦手意識の理由のひとつには、彼は、私が見本としているひとたちとはまるで真逆の存在だったから、というのもあるのかもしれない。
 けれど、そんな私の印象に反して、──どうしてかさんは、万丈目くんと仲が良いのだった。

 さんと万丈目くんは、どうやら幼少期から見知った仲で、いわゆる幼馴染という関係だったらしい。
 それが理由なのか、万丈目くんはさんに懐いている様子で、彼女を見かける度に積極的に話しかけていたし、──私はというと、せっかくさんと話していたところを「おや? 天上院くんも居たんだね、いやあ、僕は運がいいなあ」──だなんて、わざとらしく私たちの会話に割り込んでくる彼の図々しいところ、……すっごく、嫌だったけれど。
 けれど、さんにとって万丈目くんはどうやら、弟分と言った存在のようで、──兄さんが失踪するよりも以前、まだ私がさんの妹分ではなく、彼女のことを「海馬先輩」と他人行儀に呼んで、時たまには彼女と話す機会を得られる程度の関係値でしかなかった頃は、……私は気兼ねなくさんに話しかけられる万丈目くんのことを、少しだけ羨ましく思っていたのかもしれない。
 ──でも、近頃では万丈目くんがさんに話しかけている姿を見かけることも、すっかりなくなっていて。……それは、周囲がさんと亮の交際に勘付き始めたのもあったのかもしれないけれど、──それでも、彼に関して言えば、十代と出会ってからすっかり調子を崩していたからこそ、さんに合わせる顔もなくなってしまっていたのだろうと、……今は、そんな風にも思うのだ。

 万丈目くんがデュエルアカデミアを去ることになった経緯は、──正直に言って、自業自得ではあるのだろうけれど。……それでも、同じ学び舎で過ごした彼が、こんなにもあっさりと姿を消してしまったことは、私だって胸につかえているし、幾ら何でも退学処分なんてやりすぎだと、そう思うし、……何も自ら学園を出て行かなくても、まだチャンスはあったんじゃないのかしらと、今更になって考えてしまう。
 何か他に手立てはなかったのかと、──私がそう思うよりも遥かに、きっとさんはその事実に思い悩み、頭を痛めているのだろう。
 さんと亮は、今でも兄さんのことをずっと探してくれていて、日頃から周囲に頼られる機会も多い優等生のふたりは、今年は卒業だって控えていて、只でさえ忙しいのだろうに、──それでも、昼夜問わずに隙を見つけては兄さんの行方を追ってくれている。
 そんな風に、只でさえ多忙を極めるさんは、近頃では万丈目くんの捜索も行っている様子で、……やっぱり、あまり眠れていないんじゃないかしら。
 夜になってもさんがブルー女子寮に戻らない日が以前よりも増えていたから、きっとブルー男子寮の亮のところに泊まっているのだろうとは思っていたけれど、──それはきっと、兄さんに続いて万丈目くんまでが行方不明になってしまったから、きっとさんは不安で、……だからこそ余計に、亮の傍に居たいのだろうなと、……私はそう、思っていた。

「──明日香、なんだか疲れてる?」
「え?」
「少し、顔色が悪いわよ。……はい、ハーブティーを淹れたの、飲んでみて。リラックス効果があるから」
「あ、ありがとう、さん……」
「……それで、何かあったの?」
「……その、とても、くだらないことなのだけど……」
「気にしなくていいわ、……話して? 明日香」
「……実は……」

 ──今日、体育の授業の最中に、私にめがけて飛んできたテニスボールを、偶然、その場に居合わせた上級生が弾いて、私を助けてくれた。
 ──其処までは良かったのだけれど、上級生──オベリスクブルー三年・テニス部部長の綾小路先輩は、放課後に用事があってテニスコートに足を向けた際、妙に私に絡んできて、──それで、彼が何を思い違いしたのか知らないけれど、テニスコートに来た理由──十代へと大事な話があって彼に声をかけている私を見て、「明日香くんのフィアンセの座を賭けて決闘だ」──だなんて、まるで訳の分からないことを、十代に向かって叫び出して。
 それで、十代もデュエルを挑まれたことですっかりその気になってしまったものだから、そのいざこざに私も当然、巻き込まれて。……そんな風に、今日はまるで余計なトラブルに見舞われたことで無駄に疲れてしまい、表情に疲労が滲んでしまっていたのかもしれない。
 ──今夜は、数日ぶりにさんが女子寮に戻ってきていて、「明日香、良かったら私の部屋でお茶でも飲まない?」と彼女から声をかけてもらい、内心ではとっても嬉しく思いながら彼女の部屋に訪問したところだったのに、──楽しい時間に水を差した彼の顔を思い出したことで、私は思わず、小さくため息を漏らしてしまった。

「綾小路……ああ、オベリスクブルー三年の生徒ね。私も、彼のことはちょっと苦手なのよね……」
「苦手? ……まさか、さんにも何かしてきたの?」
「いえ、私じゃなくて亮と吹雪に少し、ね」
「……兄さんと亮に?」
「高校一年の頃だったかしら……彼、亮に並ぶ実力者だなんて言われてね、それが気に入らなくて、私、決闘を挑みに行ったのよ」
「……勇ましいのね、さんって……」
「ふふ、そうでしょう? ……それなのに、綾小路くんは亮と吹雪に向かって因縁を付け始めて、私を賭けて決闘だとか言い出して……」
「……さん、それって……」
「亮のライバルの座を賭けて決闘に行ったのはこっちなのよ? 私を無視して何様なの? ……って、腹が立ってボコボコにしてやったわ」
「……流石ね、さん」
「そう? ありがとう、明日香」

 ──それって、今日の私と同じように、──当時、亮と兄さんは、さんのフィアンセの座を賭けた決闘を、綾小路先輩から挑まれたんじゃないのかしら……?
 ──さんの語り口から察するに、彼女はそんな思惑をまるで把握していない様子だったけれど、……きっと当時は、亮の片想いだったのか、さんには亮への好意に対する自覚がなかったのか……きっと、そのどちらかだったのでしょう。
 さんは単純に「丸藤亮のライバル」の座を賭けての決闘を挑むために綾小路先輩へと会いに行ったのに、肝心の彼の方は、さんに一目惚れしてしまったんじゃないのかしら。
 ──少し話しただけでも、彼は大分、惚れっぽい性分なのだろうなという印象だったし、……多分、私の読みにも凡そ間違いはないと思う。
 けれど、さんからすれば、綾小路先輩は自分を無視して兄さんと亮に決闘を吹っ掛けに行ったように見えたから、──その行動が彼女の逆鱗に触れて、──現在の綾小路先輩がさんを追い回していない辺りから察するに、きっと、徹底的に叩き潰されて、泣きながら三人の前から逃げ出したのでしょうね……。
 私がそう憶測を立てながらも彼女の話を聞いて、流石に些か彼を不憫に思っていると、さんったら、「それから、デュエルアカデミアで決闘以外にかまけているなんて随分と余裕なのね、って言ってやったわ」──だなんて、全く悪びれずに澄ました顔で言うものだから、──綾小路先輩には悪いけれど、思わずさんの言葉には私も胸がすっとして、少しだけ笑ってしまった。

「……ふふ、さんったら……」
「……やっと笑ってくれた」
「え?」
「明日香はやっぱり、笑っていた方が可愛いわ。……些細なことでも、これからも何かあったらいつでも私に話してね」
さん……」

 ──そう言ってはにかみながら、彼女の私室に備え付けられたソファの上で足を組み替え、ティーカップを傾けるさんは、──きっと、私よりもずっと疲れていて、精神的にも参っている筈なのに。──それなのにあなたは、こんなときでも私の身を、案じてくれているのよね。
 今ではこうして、就寝前に彼女の自室に招かれて、パジャマパーティのようなお茶会をふたりきりで楽しんだりもしている、私とさんだけれど。──ほんの一年前まで、私にとって彼女は、雲の上の存在だった。
 そもそも初めから、ブルー寮という選択肢しか存在していないアカデミアの女生徒の中で、さんだけがその垣根を越えて特待生という肩書を勝ち取っている。そんな彼女はこの学園における女生徒の中では、スタート地点からして“別格”で。──彼女はオベリスクブルーの女王なんかじゃなくて、文字通りに、デュエルアカデミアの女王なのだ。
 そんな彼女は、私からすれば憧れの存在で、──けれど、今では随分と身近になった“海馬先輩”──もとい“さん”だって、無茶をすれば目の下に薄っすらと隈も出来るし、疲れた顔もするし、白いナイトウェアから伸びる手足の血色だっていつもより悪くて、──本当はこんなにも、私と変わらない存在なのだということを、今の私はちゃんと知っている。
 ──だからこそ私は、余計に彼女のことを好きになってしまって、彼女の妹分、という立場を独占したいと、……そう、思って、万丈目くんを目の敵にする気持ちだってあったのかもしれない。

「──あのね、さん、私が十代を訪ねてテニスコートに足を向けた理由、なんだけど……」
「ああ、そうだわ。何かあったの?」
「実は……、大徳寺先生から聞いたのよ。万丈目くんの姿を見かけた生徒がいるって……」
「! ……それは、一体何処で?」
「まだ、其処までは分からないの、だから十代が何か知らないか聞きたかったのだけど、邪魔をされてしまったから……」
「ああ……そういうことだったの。……本当に、ムカつく奴ね、綾小路くん……」
「そうね……明日、もう一度十代と、大徳寺先生にも聞いてみるわ」
「ありがとう、明日香。……そう、準が……もう、この島には居ないかと思っていたけれど……」
「……さん、その……」
「何かしら? 明日香」
「……万丈目くん、早く見つかると良いわね。……やっぱり私も、心配だわ……」
「……ええ、そうね。きっと見つけ出しましょう、準のことも、……吹雪のこともね」
「ええ。……ありがとう、さん」

 ──私は万丈目くんのいいところを、正直に言ってあまり知らないし、やっぱり今でも彼に良い印象を抱いてはいない。──けれど、さんがこうも気に掛ける彼にはきっと、──まだ私たちが知らずにいるだけで、本当は良いところだってたくさんあったのだろうと、そう思う。
 だって、──さんだって誰かのことを「ムカつく奴」だと感じることはあって、そんなとき彼女は、思ったままを口にするのだと、たった今証明されてしまったもの。
 万丈目くんが戻ってきたとして、彼にとって学園は、既に居心地の悪い場所なのかも知れない。──けれど、少なくとも此処にひとり、彼の帰還を心から望んでいるひとが居て、それは彼にとって尊敬する人物でもあって、──それならきっと、万丈目くんだってまだやり直せるんじゃないのかしら。
 ……だって、もしも私が彼の立場だったなら、……彼女が差し伸べてくれる手は、これ以上ないほどの勇気を与えてくれるはずだと、そう思うもの。──だからこそ、もしも彼が戻ってきたなら、私もちゃんと万丈目くんのことを知る努力をしてみても良いのかもしれないと、さんと話しながら私はその夜、そんな風に思ったのだった。


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