029

 ──運命の日は、余りにも唐突に訪れた。

「──明日香、この頃のお前、表情が優しくなったな」
「そ、そう? 変わらないと思うけど……」
「あら、だいぶ変わったと思うわよ? きっと十代たちと出会ったからね」
「そ、そうかしら……」
「……良いことだ」
「ええ、そうね」

 夜も耽る頃、いつも通りに灯台にて明日香と情報共有をしていた際に、──近頃ではよく感じるようになった彼女のその変化が、その日はいつにも増して目に付いたものだから、ふと俺がその旨を漏らしてみると、は嬉しげな素振りでそれに同意して、……明日香とて、きっと自覚はあったのだろう。──幾らか照れ臭そうに微笑み、明日香は小さく俯くのだった。
 吹雪の失踪以来というもの、ずっと暗い顔をしていた明日香に、心境の変化をもたらしてくれたのは十代──だけではなく、気の合う学友達との出会いそのものであるのだろうと、……俺とにとっては、それは余りにも身に覚えがある感覚だからこそ、俺達にも明日香の変化の理由はよく分かる。
 ──掛け替えのない友人と過ごす日々は、きっと、学園での生活に彩りを与えてくれる。──だからこそ俺とは、今でも必死にその残光を探し回っているのだ。
 
「あ……」
「あら、雨だわ……」
「……うん」
「……帰りましょう」
「そうね、風邪を引いてしまうわ」
「ああ……寮に戻ろう」
 
 粗方の情報共有も済んだ頃合いで、突然降り出した雨はあっという間に本降りになり、この分では、朝まで止みそうにない。灯台のある港付近には雨宿りに適した屋根がある場所もなく、──このままでは、と明日香が風邪を引いてしまうことだろう。
 帰ろう、とそう言った明日香の言葉に俺たちも同意して、寮へと足を向けた訳だったが、──しかし、そのときに突然、──まるで暗い空を裂くかように、島の中央部に鎮座する火山の岸壁の向こうに、何か──黒い影が落ちてゆくのが見えたのだ。

「……あれは……」
「……真紅眼……?」

 思わずその場に足を止めてじっと凝視するものの、夜闇に紛れて正確な姿を視認することは叶わない。……しかし、今のは黒いドラゴンのような、蝙蝠にしては姿形が大きすぎるような──到底、この島に元から存在する何か、には見えなかった。
 そして、闇夜に紛れ溶けて消えた何者かの姿を見て、──ぽつり、と。雨に吸い込まれ俺にしか聞こえない程度の小さな声で、……が漏らしたそのカードの名前は、──俺たちにとって、余りにも馴染み深い存在だった。
 も、その影については気掛かりな様子であったし俺も気にはなったが、そうは言えども明日香を連れたままで、それもこの悪天候の暗闇の中、一瞬見えただけの影を探しに行くのは些か無謀すぎる。
 ──そうして、結局その夜は、一瞬だけ見えたその姿と、の零した言葉とが胸に引っ掛かりつつも、明日香をいたずらに不安にさせてはいけないとそう考えて、──その件についてそれ以上は深く追及せずに、俺たちはそれぞれの寮へと戻ったのだった。

 
「──亮、今日はお昼どうする? 購買に寄ってからいつものベンチで良い?」
「ああ、そうだな……」
「──シニョール亮! シニョーラ! 私と共に校長室まで来て欲しいノーネ!」
「……校長室?」
「鮫島校長から、お二人と私にお話があるそうナノーネ!」
「……もしかして、公式戦の話じゃない?」
「一理あるな……行ってみよう」
 
 一夜明けて翌日、午前中の授業が終わり、教室で隣の席に座ると昼食の相談をしていたところ、二人揃ってクロノス教諭に呼び止められてしまった。
 なんでも、鮫島校長から直々の呼び出しだとクロノス教諭に言われて、校長室まで着いて行ってみれば、──どうやら、肝心の要件は残念ながら、俺との予想からはかけ離れているらしいということには、──その場に十代や明日香たちが同席しているのを見た時点で、察しも付いていたが、──流石にその後、校長から告げられた本題は、──まるで、想像もしていなかったな。
 
 デュエルアカデミア本校が建てられたこの場所──この孤島には、“三幻魔”と称され古より伝わる三枚のカードが封印されているのだと、鮫島校長は語る。
 些か突拍子のない話に、一同は困惑の色を見せるものの、解説を続ける鮫島校長の表情は真剣で、──その説明から察するに、意図してこの立地にアカデミアが建てられたのもまた明白であったが、傍らのもそれを聞いた際には些か驚いた様子だったので、彼女の方でも学園のオーナーである海馬さんから“三幻魔”について、事前に聞き及んではいなかったのだろう。
 ──学園の地下深くに眠っている、“三幻魔”のカード。
 この島へと伝わる古い伝説によると、そのカードが放たれるとき、世界は魔に包まれ、混沌がすべてを覆い、人々に巣食う闇が解放され、やがて世界は破滅し、無へと帰す。
 ──“三幻魔”とは、それ程の力を持つカードであると、伝えられているのだそうだ。

 ──そして今、そのカードの封印を解こうと“七星”──“セブンスターズ”を名乗る者たちがデュエルアカデミアに挑戦を仕掛けてきたのだと、鮫島校長は語る。
 ──全くの謎に包まれた七人だが、既にその一人が学園に潜り込んだこともまた、昨夜のうちに確認されている、と。
 ──それは、もしや、と。昨夜に見かけた姿を思い出して俺はふと考え込むが、……どうやら、も同じ予想を立てているのか、彼女は口元に指を添えて難しい顔で、逡巡していた。
 “三幻魔”のカードはこの学園の地下深くの遺跡に収められており、其処では“七星門”と呼ばれる七つの巨大な石柱が、“三幻魔”のカードを守る役割を果たしている。
 七つの石柱は七つの鍵に対応しており、“三幻魔”の封印を解くために、セブンスターズは必ず鍵を手に入れようと動くことだろう。
 其処で、──学内でも腕の立つ七人の決闘者にそれぞれの鍵を託し、欠かさず身に付けて守護することで、その番人として敵の魔の手から七星門の鍵を守り抜いて欲しいと、──今日、鮫島校長が俺達を呼んだのは、その要件を伝える為だったのだと言う。
 ──こうして、学園のカイザー、そしてレジーナの異名を取る俺たち二人は、その筆頭として七星門の鍵を託されたのだった。

 七星門の鍵を手に入れるためには、鍵を賭けた決闘に勝たなければならない。故に、防犯対策を施したケースの中に仕舞い込んでいたのでは意味がない。セブンスターズは必ず、鍵のある場所、鍵を持つもの相手に、決闘を挑んでくるはずだ。
 ──それが、古よりこの島に伝わる約束事なのだと、鍵を受け取る際に鮫島校長は言っていた。

「──セブンスターズ、ね……」
「クロノス教諭は、道場破りのようなものだと言っていたが……」
「……それは違うんじゃないかと、私は思うわ」
「何か、心当たりが?」
「亮は……千年アイテムって、知ってる?」
「名もなきファラオに由来した、古代エジプトの神器……だったか?」
「そう。七つの千年アイテムは三幻神に縁を持つ古代の宝物だった……そして、闇のゲームの重要アイテムだったとも言われているわ」
「……つまり、三幻魔に由来する七星門の鍵はそれと似ていると?」
「ええ。……もしも、私の読みが正しければ、……セブンスターズとの決闘って、闇のゲームのことなんじゃないのかしら」

 自らの首に下げた七星門の鍵にそっと触れながら、は神妙な顔でそのように語る。
 ──闇のゲーム。それは、決闘王・武藤遊戯や伝説の決闘者たちが幾度も立ち向かったと伝えられる、──命がけの決闘である。
 その決闘においては、バトルで発生するダメージがすべて実体のものとなり、肉を貫く衝撃に決闘者は晒される。──そのように、闇のゲームの存在は、決闘者の間で確かに囁かれてはいるものの、目撃者や経験者は非常に少なく、一種の都市伝説のようなものであった。
 ──しかし、実際に闇のゲームは存在しているらしいのだということが、先に十代がタイタンと名乗る決闘者とそれを行った為に、俺達の間では既にその存在も証明されてしまっている。
 それに、──闇のゲームに関する幾らかの知識を持っているらしいは、恐らくそれを父──海馬さんから聞き及んでいるのだろう。……であれば、既にその実在性については、疑う余地も無かった。

「これは、私の憶測に過ぎないから、校長室では言わなかったけれどね」
「……そうだな、皆をいたずらに怯えさせる必要もない」
「ええ。……それに、全員私たちで倒せばそれで済むはず。そうでしょう? 亮」
「……なるほど、それで俺にだけ伝えたわけか」
「そういうこと。……まあ、あなたに限って心配してないけれど……気を付けてね、亮。他の奴に負けたりしたら、許さないから」
「それはこちらの台詞だ。……闇のゲーム、以前に十代が行ったと話していたな。正真正銘、命を賭けた決闘だと……」
「……ええ」
「鮫島校長が生徒をそのような戦場に送り出すとは思えんが、……或いは、事態は既にそこまで切迫しているのか……」
「そうね……昨晩に見た影のことも気になるし」
「そうだ。……、お前はあれを見て、真紅眼と零していたな」
「ええ……真紅眼そのものにしては、小さすぎる気がしたけれど……でも、気配が似ていると思ったの」
「……そうか」

 ──そのときの俺達はまだ、目の前の事態を軽く受け止めていたのかもしれない。
 決して敵を侮っていた訳でもなかったが、“七星門の鍵がすべて奪われない限り、封印は破られない”と分かっていたし、如何に未知の敵が相手とは言えども、まさかこの面々が全滅するとは──俺のライバルが簡単に敗北するとは、到底思えないからな。
 だからこそ、“これから起きる決闘に勝利さえすれば、事態は収束する”のだと──少なからず、その様に考えていたのは事実だった。
 は闇のゲームについても非常に詳しかったが、それでも、決して今までに闇のゲームの経験があるわけではない。結局のところ俺達は所詮、机上の空論ばかりで、その言葉の重みを、──その決闘の末に何があるのかを、──鍵を手にしたそのときには未だ、想像すら出来ていなかったのだのだろう。 
 七星門の鍵を──そして、後輩たちや学園の安全を守るためにも、俺達は率先してセブンスターズとの決闘を引き受けることに決めた。そうして、その為の手段をと話し合った結果、一つの作戦を俺達は組み立てたのだった。
 ──ふたつの鍵が一ヶ所に集められた上で、それを護る最強格の決闘者もまた、ふたり並んでいたのなら。
 ──奴らは、敵の大将首を取り一網打尽にするチャンスと考え、真っ先に俺達を狙うのではないか?
 こうして、自ら囮役を買って出ることで、下級生たちが狙われるリスクを下げようと考え、俺達はその夜、ブルー男子寮の俺の部屋で共に過ごしていたわけだったのだが、──残念ながら俺達の狙いは外れて、セブンスターズの刺客により真っ先に襲われたのは、十代で。
 ──活火山の方で既に闇のゲームが行われていることに気付いた俺達は、万丈目と三沢と共に、大急ぎで十代の救援に駆け付けたが、──俺たちが到着する頃には、既に決闘は終局を迎えていたのだった。

「──明日香! 明日香も、怪我はない?」
「……明日香」
 
 無事に十代がセブンスターズ第一の刺客に勝利したことを安堵するも束の間、ぼろぼろに傷付いた十代から少し離れた場所に、明日香が蹲っていることに気付き、は慌てた様子で明日香の元へと駆け寄り、俺もそれに倣うように明日香の方へと歩み寄る。
 ──しかし、明日香はその場に座り込みながらも、腕の中に黒いコートの男を抱きかかえており、──俺がその男の顔を確認する前に、──明日香の傍まで駆け寄ったが、その場に崩れ落ちた。只ならぬ様子に何事かと思い彼女の名前を呼ぶ俺の声も、何故だかには聞こえていないようで、──震える指を、──その男の頬へ向かって、は必死で伸ばすのだった。

「……あ、ああ……そんな……嘘でしょう……? どうして……?」
? ……明日香!」
「……魂が、別の魂が入っていたの……だから、それが封印されて、元の魂が残って……」
「何を言っているんだ? 明日香……」
「分からないの! 吹雪兄さんよ!」
「──え」
「……亮、よく見て……吹雪よ、本当に、吹雪だわ……」
「……っ、吹雪……」

 ──そのとき、震えた声で俯いて吹雪の手を握っていたは、──もしかせずとも、泣いて、いたのだろうか。
 気丈な彼女は決してその場では泣き叫ぶことも無かったが、……俺や吹雪にしか気付けない程度に、──薄い肩は、小さく揺れていた。
 そうして、この夜、──俺たちの元に天上院吹雪が、──長らく探し続けてきた俺達の親友、明日香の兄、天上院吹雪が──あまりにも突然に、帰ってきたのだった。


close
inserted by FC2 system