032

 俺は、彼女のことを他の誰よりも遥かに、理解できているつもりだった。

 海馬という決闘者は人一倍にプライドが高く、決闘者としての矜持を重んじており、──それ故に、なのだろうか。彼女は時折、見ている側の胸がざわつくほどに、覚悟の決まった眼をすることがある。
 それは、が父──海馬瀬人の教えを忠実に守るからこそであり、彼女にとってそれほどまでに父の教えは絶対なのだと、俺とてよく知っていた。……知っていたはずなのだ、本当に。

 七星門の鍵を持つ俺の決闘相手──セブンスターズのヴァンパイア・カミューラ。アカデミアへと編入以来、長らく世話になってきたクロノス教諭を人形にされたことには、も俺と同じくらいに怒っていたから、彼女も自分がカミューラと決闘をすると申し出ていたものの、結局は、カミューラに指名されたことで、俺が奴の次の対戦相手に決まった。
 そうして、決闘自体は滞りなく、俺の優勢で進んでいたのだ。翔の隣で決闘の行方を見守るが、其処で見ていてくれるからこそ、彼女の前で無様な決闘などが出来る筈もない俺は、冷静に本来の実力を発揮できるというところでもあるから、が其処で見ていてくれることを、俺は本当に感謝していた。──“幻魔の扉”──モンスターの全破壊と共に無条件の特殊召喚を叶える、カミューラの切り札──その発動コストとして、……翔が、人質に取られかけたそのときまでは。

「──逃げろ、翔!」
「え……」
「遅い!」
「──いいえ、遅くないわ」
「何……!? この娘!」
「──この私が! そんな真似を許すとでも思ってるの!? 吸血鬼!」

 ──瞬間、館中に響いた空気を引き裂くような咆哮は、確かに俺の耳にも届いていた。
 そう、……あれは、間違いなくのエースモンスター──青眼の白龍の叫び声だった。

 万が一のためにと身に付けていたデュエルディスクからカードを引き抜いたは、引いたカードが何であるかを疑うこともなく、迷わずにディスクにセットして、その瞬間に、……白い光の翼が翔を護るように輝いたのを、俺は確かに見たのだ。
 ……以前から、は。時折デッキやカードに向かって、まるで彼らと意志の疎通が図れているかのような言動や仕草を見せることが、ままあって。……俺は長らくそれを不思議に思って眺めていたものだが、十代が入学してきたことで、現在の俺は、確信めいた仮説に至っている。

 ──は、恐らく。十代と同じように、デュエルモンスターズの精霊に選ばれた決闘者なのだ。
 彼女は自身を天才などではないとそう称していたし、俺も彼女のそれは天に授けられただけのものではないとそう思っているが、……或いは、精霊の加護こそが彼女の才能であったのかもしれない。

「──お嬢さん、調子に乗るんじゃないわよ!」
「……っ!」

 が機転を利かせて守ってくれたおかげで、翔の身はどうにか無事だった。──白い光はカミューラを払い退けて、しかし、翔の無事な姿に俺が胸を撫で下ろす間もなく、──激昂したカミューラの矛先は、へと向かったのである。
 翔を護ったことで役目を終えたのか、闇の中に解けていく光の向こう側、……カミューラ──吸血鬼に首筋を噛まれて、ぐったりと力の抜けた状態で拘束されたの姿が見えたとき、──俺は心底、心臓が止まるかと思った。

 ……何故だ、
 お前ならば、再度精霊を呼びだして、カミューラを払い退けられただろうにと、そう考えて。──彼女がそうしなかった理由に、俺もすぐに察しが付いた。

 今は決闘の最中で、この決闘に決着が着かない限りは、幾ら精霊を呼びだして対抗しても、その行為自体でカミューラを撃破することは叶わない。仮に、が決闘に乱入することで1vs2の構図に持っていけたとしても、“幻魔の扉”は既に発動されてしまったのだ。
 その発動コストを払わない限り、この決闘は決して再開されない。そして、カミューラは絶対に自身をコストにすることはない。だから、がカミューラの攻撃を避けたところで、今度は後輩たちの中から、誰かが生贄に選ばれるだけだと彼女は瞬時に把握して、──は何の躊躇もなく、自身が人柱になることを選んだのだった。

「……あら、あなた近くで見ると、なかなかカワイイのねえ……お人形にするのも、まあ悪くないわ。ドレスを着せ替えて、遊んであげようかしら?」
「……く、う……」
「でも、残念。……私が勝たない限り、この子は死んでしまうのよ。──お分かりかしら、カイザー亮!」
「く……!」
「分かるわよ、……この子、あなたの恋人でしょう? まあ、私には関係ないけれど……」
「……亮、耳を貸さなくていいから、早く……」
!」
「──さあ、行くわよ! この子の魂を生贄に、サイバー・エンド・ドラゴンを召喚!」

 ──見慣れた白銀の龍が、……今はこんなにも恨めしく、絶望を伴って、俺の前へと姿を現している。

 ──の命を、その身の対価として。

 “幻魔の扉”、その発動の対価は術者の魂。発動した決闘者はこの決闘に敗北すれば、その魂を扉の向こうへと囚われ、この世から消えてしまう。──つまり、俺がこの決闘に勝利すれば、……は、死ぬのだ。間違いなく、この結果は覆せない。
 ……それを全て分かっていて、翔が、後輩たちが犠牲になることを絶対に許せずに、は、自分が囚われることを選んだ。
 ……どうして、お前は、いつもいつも。そんなにも真っ直ぐな眼で、恐怖を振り切って、自身が信じた道だけを駆け抜けて行ってしまうのだろうか。──お前が光と信じるその覚悟が、……俺を、俺たちを、どんな気持ちにさせているか、……何故それを考えてくれないんだ、お前は。

「──このサイバー・エンド・ドラゴンを倒してごらんなさい」
「……っ」
「蘇るために生贄にされたこの子の魂は、もう二度とこの世界には戻れなくなる。……それでもいいかしら?」

 ──俺の場に伏せられたカードは、リビングデッドの呼び声。これでサイバー・バリア・ドラゴンを復活させれば、サイバー・エンド・ドラゴンの攻撃を防ぐことは出来る。
 ──しかし、このターンを生き永らえて、俺が勝機を掴んだとして、俺の勝利と引き換えにの魂が奪われることになるのだ。……そうだ、は瞬時に其処まで状況のすべてを理解して、その上で、もしも、翔が捕えられたのならば、最早俺に勝機はないと、そうなれば俺はサレンダーすると彼女はそう考えたからこそ、……よりにもよって、自分が身代わりになる道を選んだのだ、は。

「──亮! 私のことは構わなくていいから、この女に、とっととトドメを刺しなさい……!」

 サイバー・エンドに命を吸われて力の抜けた体で、真っ青な顔色の彼女は、既に口を開くのも苦しいのだろうに、──どうして、俺に向かって、檄などを飛ばせるのだろうか。

「……亮……何度も戦ってきた私なら、今更、魂のひとつやふたつ……遠慮も何もないでしょう……?」

 ──、お前は。
 ……つくづく、無茶を言う奴だと、そう思う。

 俺にお前を殺せなどと、よくもそんなことを言ってくれるな、。……ああ、そうか、お前は。俺ならお前を殺せると、そう思ったのか、或いは、──お前なら、この場面で俺を殺せるのだろうか。
 ……だが、無理だ、……無理だよ、。……俺には、出来ない。俺には、お前は殺せない、──俺はお前のことも、翔と比べられないほどに大切だというのに。

「──さあ! やれるもんならやってごらんなさい! 可愛い恋人の魂がどうなってもいいのならねえ!?」
「……亮、何を迷ってるの……勝ちなさい、何の為に、私が翔くんを庇ったと思ってるのよ……」
……?」
「翔くん……の誇りになるような決闘者で、手本でいたいんでしょ……早く、勝って……、それから翔くんといくらでも話して、決闘して……、それで……それで……」

 ──ああ、そうか、お前は。俺がずっとずっと何年も、翔のことを聞かせ続けてきたから、お前にとっても、翔は既に大切な存在になっていて、放っておけなくて、咄嗟に身体が動いて、それに、……俺がいつかは翔と、普通の兄弟のように歩み寄れたならと、そう望んでいることもまたは知っていたから、……そんな未来の可能性が此処で永遠に失われることを、は許せなくて、……それで、翔を庇って、その未来のために自分を殺せと、……お前は、そう言っているのか。

 ──なあ、。どうして、お前は、……その未来にはお前だって必要なのだと、そう考えてはくれないのだろう。
 ほんの少しの躊躇も恐怖も未練も、お前が瞳に浮かべてはいないのは、……お前が誇り高い龍として育てられた海馬瀬人の娘だから、なのだろうか。……俺には、お前のそんな修羅の部分が、どうしても理解できないんだ、

 勝利に勝る意味はないと、そう語る彼女の決闘への信念は、俺の掲げるリスペクトデュエルとは、いつだって相反するものだった。
 だからこそ俺たちは、何度も何度も自分の信念を掛けて決闘をして、口論も喧嘩も何度もして、それでも決してお互いに譲ることなど出来ない頑固者同士で、──だからこそ、と過ごす日々は得難く、眩かったのだ。
 ──例え、一番譲れないものを互いに理解など出来なかったとしても、俺達は互いを尊重し合っていた。……ああ、だが。俺にはお前の修羅を理解できなかったからこそ、……が自ら殺される選択を躊躇いもなく取りに行く可能性にも、俺は気付けなかったのだろう。
 にとって一番大切なものは父の教えで、父に顔向けできる決闘者であることこそが彼女の望みで、……ああ、しかし、それよりもずっと彼女は、只々、……優しい、ひとなのだと、俺は知っていたのにな。──それこそ、迷わず自分を犠牲に出来てしまえるほどに、──海馬は、白く清らかな人間なのだ。

「……? 亮……?」
「お兄さん!?」
「……、すまんが後は頼む」
「……待って、亮……どうして、……ちょっと、やめなさい! 亮! あなたなら勝てるでしょ!? なんでよ……亮! やめてったら!!」

「──サイバー・エンド・ドラゴンで、プレイヤーにダイレクトアタック!」

 ──サイバー・エンドの放つ激しい光にライフを一瞬で抉り飛ばされて、その場に膝をついた途端、……急激に揺らぐ意識、薄れる視界の向こうにうっすらと、──唖然とした表情で俺を見下ろしながら、その場にへたり込むの姿を、見たような気がする。
 そうして、遠くで翔が俺を必死で呼ぶ声を聴きながら、──やがて、俺の意識は完全に途絶えたのだった。


 ──亮がカミューラとの決闘に敗北して、あいつの魂は人形の中に囚われてしまった。

 私はあのとき、翔くんや明日香たちが生贄にされることだけは、何としてでも避けなければならないとそう考えて、……それに、私が相手ならば、亮も恨みっこなしでやれる筈だとそう思い、亮の覚悟を信じていたからこそ、私は彼らを庇って自分が生贄になる道を選んだものの、……亮は、私の投げ渡した最良の提案を受け取ることはなく、……自分が敗北することで私の魂を解放する代わりに、自分が人形にされる道を選んだのだった。

 ──私には、そう決断して、実行してしまった亮の気持ちが、分からなかった。

 無論、私にだって自分が亮の恋人である自覚はあるし、私だって翔くんと違わず、彼にとっての大切な存在であることは分かっている。
 ……けれど、私には血の繋がった家族というものが居ないからこそ、亮にとっての翔くんは、きっと私が想像するよりもずっと特別なのだろうと、……そして、私にはそれが理解したくともできないのだろうと、そう思っていたから。
 だったら、そういうものを持ち合わせていない私の方が、という合理性を汲んだ部分も少なからずあって、──それに、上級生として彼らを護るのは私たちの責務だし、何よりも私はライバルである亮には、私以外の誰にも負けて欲しくなかったのだ。
 ──あんな卑怯な決闘で、亮がカミューラなんかに負けるのは許せなくて、……だから、亮が勝てるようにと、私なりに身を挺して立ちまわったつもり、だったのだけれど、ね。

「……昔、吹雪に何度も言われたわよね……」

 亮と吹雪に比べると生い立ちが些か特殊で、アカデミアに来る前までは世俗にも疎かった私には、知らないことが余りにも多くて、……何かあるたびに吹雪は私に、「はもう少し、自分が普通の女の子だって自覚しないとだめだよ……」って、そう言って、困った風に笑っていたっけ。
 ──今回の件も、要はそういうこと、だったのだろうか。
 まるで、自分ひとりでその場の全員を救おうだなんて、そんなヒーローみたいな真似は、……父様じゃあるまいし、私には分不相応、だったのだろうか。

「……っ、……」
「……兄さん……?」
「! 吹雪……?」

 ……今は無性に、吹雪の傍に居させて欲しくて、再び倒れた十代を運んでから、明日香と共に保健室に留まっていたそのとき、……吹雪の傍らで考えに耽っていた私を、意識を取り戻して薄っすらと目を開けた吹雪が、苦しげな表情で見上げていた。
inserted by FC2 system


close
inserted by FC2 system