052

 ──きっと、彼女に対して最初に覚えた感情は、羨望だ。

「──準、ご挨拶しなさい。海馬社長のご令嬢で、いずれ後継者になられる嬢だ。お前も何かと嬢には世話になることだろう」

 ──涼しく、そして強いまなざしで。凛とした横顔で、対して年も変わらぬ同年代の少女が。──“あの”海馬瀬人の隣に、物怖じせずに堂々と立っている。
 彼女の堂々としたその立ち姿を、どうしたって俺は、羨まずにはいられなかった。
 ……そう、あの頃から。俺が今よりもずっと餓鬼だったあの頃から、さんは常に、俺の数歩先を走っていて、その距離は、どれだけ俺たちの歩幅が近付いても、……どうしても、いつになっても、縮めることが叶わなかった。
 ──それは、俺とさんとの接点が、海馬家と万丈目家、その付き合いの延長線上だけの関係から脱して、先輩と後輩という昔よりも近い位置関係に収まったところで、──相変わらずにいつも、彼女は遠い。
 ──そんな彼女に向け続けた俺の羨望の中には、情念、嫉妬、……或いは、恋心もあったのかもしれない。

 ──そうして、その全てを経て、自身の幼さに蹴りを付けた末に、俺は思ったのだ。──俺は何よりも、決闘者として、彼女に追い付きたい、と。
 俺は、──彼女に認められる決闘者に、肩を並べられる程の力と気迫を持った男に、なりたいのだ、と。


「──来たわね、準」

 投げ掛けられた言葉は、ひどく簡素で、そして同時に、この舞台で投げ掛けられるそれこそが、俺が何よりも欲していた言葉だった。
 ──嗚呼、俺はようやく、積年のこの想いを。……決闘で、彼女にぶつけられるところまで来たのだ、と。
 卒業模範デュエル、学園の主席としてそのステージに立つ彼女と対峙して、──俺は、ようやく身を以てそう理解して。その瞬間に、得も言われぬ高揚感が身を包むのだった。

 ──この日、この場所こそが俺とさんの決着の場に、相応しい場所だと、……そう、彼女が想ってくれたからこそ、俺は今此処に居る。
 卒業模範デュエルという学園最後のこの大舞台に、指名する相手ならば、きっと他にも幾らでも候補はあったことだろう。天上院くんや、十代──は、カイザーが先に指名していたのかもしれないが──それこそ親友である師匠だって、指名することは可能だったはずで──だけど、それでも、さんはその中から、俺を選んでくれたのだ。

『──アカデミア最後に、私の対戦相手に相応しいのは、……準、あなたしかいないわ』

 彼女の手で突き付けられたその事実を受け止めたとき、──あの、よく通る声で、はっきりとした物言いで、何度も何度も反響するように彼女の言葉が、響きが、脳を駆け巡って。……頭の中が、じん、とあつくて。

 ──そうして、卒業生から二人の首席が出た今年。
 ──卒業模範デュエル第二試合、その対戦カードに定められた二人が、今フィールドにて対峙している。

 対戦相手に指名された在校生は、この俺、万丈目準。
 そして、対する卒業生代表は、俺が憧れ続けた彼女、──海馬

「──さあ、どこからでもかかってきなさい! 準!」
「ああ、遠慮なく行かせてもらうぞ、さん!」

「「決闘!!」」

 ──そして、戦いの火蓋は、今切って落とされた。

 ──なあ、さん。あなたはきっと覚えていないんだろうが、俺はあなたに初めて出会った日のことを、今でも鮮明に覚えているんだ。

「……準、こちらが海馬社長、そしてその御息女の──」

 ──綺麗な名前だ、と思った。綺麗な眼をしたひとだと、そう思った。……あなたは本当に、今まで見たことがないくらいに綺麗な、ひとだったんだ。
 彼女の可憐な佇まいに俺は思わず目を奪われてしまったが、それからすぐに、その少女があの海馬瀬人の隣で表情ひとつ乱さずに、平然と立っているというその事実に再度、目を奪われた。
 当時、兄者達の一歩後ろをおっかなびっくり着いて回っていた幼い俺にとって、彼女の存在は一種の奇跡にも等しかったのだろうと、そう思う。
 ──もしも自分も、あんな風に、凛々しくその場所に立てたのならば、それはどんなに良いことだろう。
 ……そう、思ったからこそ、あなたはずっと、俺の憧れだった。そのまっすぐな視線も、足取りも、何もかもに、どうしたって憧れた。──そうだな、俺はきっと、あなたのようになりたかったのだろう。

「私達が海馬社長に散々お世話になっているように、お前は嬢にきっとこれから何かと面倒を掛けることだろう。しっかりと挨拶しておくんだ、準。……くれぐれも、粗相のないようにしなさい」

 あんなにも歪みのないひとを、研ぎ澄まされた目を、──俺はあの時に、初めて見た。
 そして、あなたのそのひとみが、あまりにもきれいだったから、握手を求めて差し出された小さな手にも一瞬反応出来なくなるほどに、俺は目を奪われ、見惚れてしまって。……固まってしまった俺に小首を傾げながらも、あなたは俺の手を取ってくれて、そうして俺は慌ててあなたの顔を見上げて、……それで、もう一度、息を飲んだのだ。
 ……シャンデリアの光を吸い込む瞳は、何度目を瞬いてもやはり、あまりにも綺麗だったから、……本当に、綺麗だったから。

「海馬よ、よろしくね、じゅん」

 だから、あなたが本当に、ただ綺麗で、強いだけのひとだったなら、きっと──俺も、幼い憧れだけで、終われたんだろうな。

 けれど俺はあるときに、海馬瀬人の隣を歩くあなたが、本当は微かに震えていることに気付いてしまったのだ。
 ……俺にとって、揺るぎない最強の存在だと信じていたあなたは、最弱から最強に至ろうと足掻いている、俺と同じく只のひとなのだと知って、……それからもっと、あなたのことが気にかかるようになった。
 ──多分あなたはそれまで、俺にとって完成された見本だったんだろうな。
 だからこそ、そのあなたが、未だ未完成な只のひとなのだと気付いた時に、……あなたは、真の意味で俺の目標になった。

 ──このひとの背中に、追い付きたい。

 ……俺も、あなたみたいに、誇らしく胸を張って、光の中に立てる人間に、なりたい。
 強がっていても、危うくても、転んでも、苦しくても、……それでも、決して諦めず選ばれた場所に立ち続ける、あなたのように。
 ──その場所を諦めない俺に、その場所に居ることを求められるだけの俺に、なりたかったのだ。

 ──だから、デュエルアカデミアが創立されたときにも、さん、あなたがその特待生試験をパスしたと聞いたからこそ、俺はアカデミアを受験したんだ。
 歳下の俺では特待生という同じステージに立つことは叶わなかったが、あなたが其処に行くというなら、あなたを道標にしてきた俺は、追いかけてでも其処に行かなきゃならなかった。
 海馬コーポレーションと万丈目グループ、当時はあなたともまだ、その延長線上の付き合いしかなかった俺が、あの頃からずっとあなたに憧れていたことも、あなたを追いかけてここまで来たことも、……きっとあなたは、この先も一生、知ることはないのだろう。
 ……それでも、あなたを追い掛け続けてきた俺は、先輩と後輩という接点が出来たことで、俺とあなたに明確な関わりができたことが嬉しかったのだ。
 ──そうして、海馬は、万丈目準の憧れなのだと、……第三者が知る感覚は、妙にくすぐったくて。……俺はきっと、思い上がって熱に浮かされてしまったのだろうな。

「──準! さっきの決闘見てたわよ、なかなか良かったじゃない? ……成長、したわね」

 ──憧れの人が俺を気にかけてくれている、俺の活躍を認識してくれている、というその事実は、……俺を少しだけ、強欲にした。
 ──あなたに追いつくためには憧れだけじゃ駄目なのだと気付いて、俺は簡単にから回って、……それが恋心へと繋がったのは、……まあ、当然のことだったのだろう。
 だって俺は、それだけあなたを見てきたんだ。……ずっと見ていた、……結局そうだ、あの頃はまだ、俺は、……あなたを、遠くから見ていただけに過ぎなかったんだろうな。
 ……そんなことも分からないまま、衝動に任せてあなたへの恋心を告げた俺に、……さんは、少し困った顔をして。──あ、これは。何かを間違えたのだと、……すぐに、俺も分かったよ。

「……準、気持ちは嬉しいけれど……今の私には、決闘が全てなの。自分の持てる全てを決闘に打ち込みたいのよ、……だからごめんね、準の気持ちに私は応えられない」

 ──最初から、あなたに断られるのは分かっていたのかもしれない。……それでも、知って欲しかったんだ。俺がずっと、あなたを見つめてきたことを、あなたに気付いて欲しかった。……ずっと見ていたのは俺だって同じなのに、と。もしも、それさえ告げたのなら、あなたもこっちを見てくれるかもしれない、って、……そんなことを、どうしようもなく願ってしまったのだ。

 しかし、俺は結局、さんの恋人にはなれなかった、親友にもなれなかった、ライバルにも、なれなかった。
 ──俺はずっと見ていただけだったから、あなたにとっての何者かにはなれなかった。
 ……だったら、見ているだけじゃ、駄目だ。あなたに憧れてるだけじゃ、結局俺は、あなたに理想を重ねていた幼い頃から、何も変わっちゃいないということになっちまう。
 ──海馬、あなたは、特別な人間なんかじゃない、確かに海馬瀬人に選ばれた人間なのかもしれない、だけど、それでも。
 ……あなたは、さんは只の人間だ。──だったら、人に人が追い付けない道理なんて、どこにもないだろうよ。
 ──そう、それまでの俺はそれを分かっていなかった、あなたに気付いて欲しいなら、あなたに認めて欲しいなら、……まずは俺があなたに、追いつかなきゃいけなかったのだと、それっぽっちの簡単な話にさえも、──あのときまで、俺は気付けなかったのだ。


『──フィールドで会いましょう、準』

 だからこそ、──あの言葉の意味を理解したとき、体が震えたんだ。……思えばあれはきっと、武者震いだったのだろうな。
 以前に俺の知らないところで、十代とさんが決闘をした、と聞いて思わず俺はさんに噛みついたことがある。──どうして十代は良いのに、俺の相手はしてくれないんだ、と。
 ……そんな俺の問いかけへの答えとして、さんから掛けられた、予言めいた、あの言葉は、──それからしばらく過ぎてから、現実となって、今の俺を滾らせている。
 今年度の卒業試験を、さんとカイザーが揃って満点のトップで通過して、そのふたりが今年の卒業模範デュエルの代表に決まって、それに伴い在校生からはふたり、それぞれの対戦相手として指名されると聞いて、──カイザーの相手が、十代だという噂で島内がざわつき始めた、その頃。
 ──俺の前には、この上ない祝福を伴って、あなたが現れた。
 ……なあ、俺はきっと、この時を待っていたんだよ、さん。……光に向かって走り続けるあなたを、待っているだけじゃ意味が無いと気付いてその背を必死で追い掛けながらも、あなたが俺に向かって立ち止まるこの日を、俺たちが対峙するこの日を、──俺は、ずっと欲していたんだ。

「──準、私はあなたの全力が見たい。……私を追いかけて来たあなたがどこまで成長したのか……そして、あなたに追いつかれないように走り続けた私が、どこまで成長したのかを」

 ──彼女は、俺がその背を追っていたことなどは知らないものだとばかり、思っていた。
 たとえ周囲がどれほどにその事実を認知していようとも、彼女が気付いてくれなければ、何の意味もないと思っていたのに。
 ……だと言うのに、本当はとっくの昔から、さん、あなたは、俺に気付いていてくれたのだろうか? ──あなただって俺が追いつく日を、待ち望んでいたのだと、……俺はそう想っても、驕っても、いいのか?

「──アカデミアでの最後の決闘……私の対戦相手に相応しいのは、準、あなたしかいないわ」
「──当然だ! あなたが俺と決闘しないまま島を去るなど断じて俺が許さん! ──俺を指名したこと、決して後悔はさせない。今こそあなたに全力をぶつける時だ、さん!」
「ええ。……あなたには胸なんて貸さないわ、準。本気のあなたを、私の本気で叩き潰してあげる」

 ──そうして、あなたとようやく正面から視線が交差した日、あなたが俺を一人の決闘者として意識してくれた日、……俺は、思ったのだ。
 ずっとこんな日が来るのを望んでいたなら、あなたの敵意を受けたいと俺が望んでいたなら、最早これは只の憧れや情景などという感情で終わらせていいようなものじゃない。
 必死になって追い掛けて、一秒一瞬でも、あなたに追い付けたなら、さん。──俺はそのときにこそ、あなたを、追い抜きたいと思ったんだ。


「──アームド・ドラゴンLv.7のモンスター効果! 手札からアームド・ドラゴンLV.10を捨てることにより、攻撃力3000以下の相手フィールドに表側表示で存在するモンスターを全て破壊させてもらう!」
「……!」

 ──決闘の行方は一見すれば終始、が優勢を保ち続けている、……しかし、そう見えていた戦局は、万丈目のターンに大きく動いた。
 万丈目が動けば、すぐさまにがそれを迎撃し、が動けば、万丈目がそれを妨害しつつも、は形勢を保ち続ける、──それが、其処までの試合の流れだった。
 元よりは、青眼モンスターを速攻召喚、大量展開し、手数と高打点で一気に畳みかける戦術を好む決闘者である。初手から容易に打点3000を展開してくる彼女に対抗するには、まずは、その最初の壁をどう乗り越えるかが重要となる。──或いは、どう、取り除くか、だが。
 万丈目はどうやら、最初から後者を狙っていたらしい。前のターン、万丈目が発動したアームド・ドラゴンLv.5の効果、それを罠カード・王者の看破で無効にし、あと一撃、というところまで、万丈目を追い詰めた。──しかし、万丈目のあれはブラフだったか。

「……Lv.5の効果、あなたわざと私に無効にさせたんでしょ?」
さんが王者の看破を伏せていることは分かっていたからな……主力級を潰すためにも、あのカードは早く処理しておきたかった」
「そう……分析し尽くしてきたのね、私の決闘を」
「当然だ、そうでもしなきゃ、あなたには勝てないからな……」

 先程のターンまでは終始、常に高火力のドラゴンがひしめいていた、のフィールドが、──此処に来て、万丈目の戦術によりがら空きになった。

「──やれぇ! アームド・ドラゴン! さんにダイレクトアタックだ!」
「──くっ、ああっ!」

 ──そうして、無傷だったのライフが、一瞬で抉り飛ばされる。

「俺はこれで、ターンエンドだ!」

「──まさか。あのレジーナが、負けるのか……? 万丈目に……?」

 ──誰がはじめに、そう、声を上げたのかは分からない。だが、観客は確実に、目の前の展開を受けてどよめいていた。
 それまでは誰もが、このままが有利を保って万丈目を押し切るとばかり、思っていたのだろう。
 ──だが、現に万丈目のフィールドには、アームド・ドラゴンが立ちはだかり、手札は3枚、ライフは1600。……それに対峙するの手札は2枚、フィールド、リバース、共にゼロ。ライフはたった今、1200まで削られた。
 この状況を打開するだけの策が、果たして、彼女のデッキに眠っているのかと、皆が揺れているその中で、──の決闘を、俺はずっと、一番近くで見てきたこそ、彼女の次なる一手を信じられたのかもしれない。
 常に進化を続ける彼女とデッキ、今日の勝利を明日の慢心の理由には、絶対にしなかった彼女。──まさかあのが、大人しく此処で終わる筈がない。信頼に基づいたその確信こそが、……ざわめく会場の中、俺を、妙に落ち着かせているのだった。

「──私のターン、ドロー。私はモンスターを一枚、カードを一枚セットして、ターンエンド」

 ──反撃には転じず、最低限の動きで万丈目へとターンを回したに、間近に近付く勝利を確信した万丈目は笑みを強めた。

「俺のターン! ドロー! ──行くぞ! おジャマイエロー召喚! リバースモンスターに、アームド・ドラゴンで攻撃! やれぇ!」
「……私がセットしていたのはオネスト、よってオネストは墓地に送られるわ」
「続けておジャマイエローでダイレクトアタックだ!」
「くっ……」
「俺はこれでターンエンド! ……よし、ついに追い詰めたぜ! 次のターンの攻撃でさん、俺はようやくあなたを超えられる!」

 ──これで、のライフはたったの200。──だが、先ほどセットしておきながらもこのターンに発動しなかった、のあのリバースカード、──あれは、一体なんだ?

「──それはどうかしら?」
「何……?」
「私のターン! ドロー!」

 ──きっとその時の誰もが、万丈目の勝ちを確信していたことだろう。……だが、の眼はまだ、ぎらぎらと勝利を欲する、戦いに導かれた者の、煌々と揺れる色を湛えていて。
 強い眼光で万丈目を睨み付けながらも、挑発の笑みを見せる。……そうだ、お前はこんなことで屈する奴ではない。俺は、そう知っていて、……そして、お前の決闘を信じていた。

「手札から、竜の鏡、発動! 墓地より青眼の白龍を除外! ──私の元へ来なさい! 青眼の究極竜!」
「!? 此処で究極竜だと!?」
「さあ準、行くわよ!」
「くっ……ここまで来て、簡単に終わらせてたまるか!」

 打点4500がフィールドに召喚されたことで、形勢は再び、一変する。しかし、万丈目の場にもリバースカードが残っている。万丈目とて、この攻撃を簡単に通す気はないだろう。──だが、あるのだろう? 、お前には、恐らく。──このターンで勝負を決する、秘策が、必ずその手中にあるのだ。

「──リバースカードオープン! ラストバトル! このカードは自分のライフが1000以下の時、発動することができる! 私のライフは200! よって、ラストバトルの効果発動! このカードの効果により互いは、究極竜を除く手札・フィールドのカードを全て墓地へ送る!」
「何っ!? まさか、さっきのターン、俺からダメージを受けたのは……!」
「そういうことよ、準! ラストバトルの効果により、相手はデッキからモンスターを一体特殊召喚する! そして、そのモンスターで究極竜と強制的にバトルを行ってもらうわ!」
「くっ……俺はアームド・ドラゴン Lv.10を特殊召喚だ!」

 ラストバトル。──それはが海馬瀬人から受け継いだ罠カード。……今日までの決闘の中で、彼女があのカードを使っているのを、俺は見たことがなかったが、そのカードがデッキに入っていることだけは、俺も知っていた。
 今までは、このカードを使う局面に恵まれなかったのか、それとも、自分を分析し尽くしてくる万丈目を予見して、この日のための切り札に隠しておいたのか。
 ──俺は彼女ではないから、真相がそのどちらであるかは決して分からないが、……或いは、そのどちらも当てはまるのではないかという気がして、改めて決闘者としての彼女に、体の内側から血が騒ぐような心地がした。──何故なら、あのカードは間違いなく、この戦局における、最強の切り札だからだ。

「くそっ……だが、この攻撃を受けても、まだ俺のライフは残る! 次のターン、次こそ俺は……!」
「甘いわね準! このターンで蹴りを付ける! ──ラストバトルの更なる効果、発動! このバトル終了時に、モンスターのコントロールを握っていたプレイヤーは、この決闘に勝利する!」
「何!? 特殊勝利条件付きのカードだと……!?」

 ──そうして、勝敗は、此処に決した。……何者にも介入を許さない、邪魔や無粋は許さない。美しくも猛々しい、二体のドラゴンだけが向かい合うフィールドで、対峙する誇り高き決闘者達の戦いは、終局を迎えたのだった。

「行くわよ準! 私からの置き土産、しっかり受け取りなさい! 在校生!」
「っ……ああ! ありがたく受け取らせてもらうぜ! 卒業生──さん!」

 ──神々しく荒々しい光の渦が、フィールドより打ち上がり、──そうして、静寂が訪れたスタジアムにて、光の中心点には、だけが立っていた。
 ──決着、したのだ。……この決闘、が制した。……やがて、静かに、しかし力強くデュエルディスクを掲げたの姿に、静まり返ったギャラリーが、一瞬にして事態を理解する。割れるような歓声の中、誇らしげに微笑む勝利者は、……対戦相手へと敬意を込めて、片手を差し出すのだった。

「……準、ありがとう。いい決闘だった、この学園で最後にあなたと戦えて、本当に良かった」
「……だから言っただろう! 俺を指名したこと、決して後悔させないと! ……だが!」
「ええ、何かしら?」
「……次は、俺が勝つ。俺はこれからもあなたを追い掛け続けるから……だから、……あなたはプロの世界に行っても、絶対に負けるな、立ち止まらないでくれ」
「……ええ。リーグで待っているわ、準。……あなたも、きっと登って来るつもりなのでしょ?」
「当然だ! ……なあ、さん」
「なあに?」
「……卒業、おめでとう」
「ええ、ありがとう」
「──俺は、あなたに出会えて良かった。きっと、ここが俺の──」

 ──其処から先のふたりの会話は、歓声にかき消されて、観客席の俺には聞き取ることができなかった。

 ハイタッチを交わし、仲良さげに笑い合うふたりのそのやりとりに、……まあ、全く思うところがないわけではないが、流石にあのふたりに口を挟むのは、俺の決闘者としての矜持が許さなかったからこそ。
 ──只、そのときの、俺は。彼女が俺のライバルで、俺が彼女のライバルで、……本当に良かったと、そう思ったのだ。


「──で、吹雪……これは一体、何かしら?」
「何って……ふたりは卒業パーティの主役だよ? だったら、ドレスアップが必要さ!」
「なんで……?」
「主役って……そんなの、私達以外の卒業生も、みんな同じじゃない……」
「何言ってるんだい? あんな決闘を見せられた後で、ふたりを差し置いて誰が主役になれるっていうのさ? これは僕だけじゃない、学園の総意だよ?」
「……そう、なのかしら……?」

 ──そう言ってうんうん、と頷く吹雪を横目に、身に纏うドレスの裾を少し摘まみながら、怪訝そうに首を傾げていると俺は、半ば強引に、吹雪が用意していた正装へと着替えていた。
 卒業模範デュエルが終わるや否や、吹雪にふたり纏めて、腕を掴まれて、どうやら控室、として吹雪が抑えていたらしい空き教室に連れてこられ押し込まれて。そこで、には白いドレスを、俺には白いスーツを、吹雪はそれぞれ押し付けてきた。
 この日の為に吹雪が仕立てたのだという、真っ白なそのドレスは、青眼の白龍を模しているのか、青いリボンがアクセントになっていて、……成程、確かにの為に作られたものなのだろう、とそう思う。──白、それは彼女の誇りの色。彼女に一番、似合う色。……本当によく、似合っていると思うし、吹雪に髪を飾られるを見ていると、不思議と、穏やかな気持ちになるものだが。
 ──しかしだな、その……白いドレスの彼女の隣に立つ俺が、同じ色のタキシード、というのは、……少しばかり意味深なんじゃないかとそう思い、吹雪へと幾らかばかり非難の目を向けていると、吹雪はにやりと確信犯めいた笑みを浮かべていて、……ああ、やはりな。

「──ねえ、亮、。……改めてだけれど、卒業おめでとう」
「吹雪……?」
「やっぱり本当は、僕も一緒に卒業したかったなあ……だけど、それ以上に二人の門出を嬉しく思っているよ」
「吹雪、お前……」
「……ふふ、ありがとう、吹雪。……私達も、あなたを応援しているから」
「ああ、ありがとう! ふふふ……しかしには、やっぱり白が似合うよね、いやあ、白いドレスにして正解だったなあ!」
「え? ……ああ、そう? ありがとう、素敵なドレスね、吹雪が作ったのでしょう? 父様も私には色々と着せてくれたけれど……それでも、こんなに奇麗なドレスは初めて着たかも。……ありがとう、吹雪」
「ふふ、どういたしまして! ……いやあ、ごめんね、亮! なんだか悪いなあ!」
「え? ……どうしてそこで、亮に謝るわけ……?」
「……おい、吹雪、お前はやはり……」
「良いかい? 、次は僕じゃなくて、亮に着せてもらうんだよ。いいね?」
「は……?」
「それじゃ、僕は一足先に会場に行ってるから! ……積もる話もあるだろう? 落ち着いたら二人もおいで!」
「っ、おい、吹雪!」

 ──ばたん、と豪快にドアを閉めると嵐のように走り去っていった吹雪に、思わず頭を抱えかけて、……ああ、だが。三人で他愛のないやり取りをしたり、吹雪に振り回されたりという、……アカデミアでのこんな日常も、これで最後なのか、と。そう思うとなんだか不思議な気分で、俺はを振り返る。
 何も学園を卒業しても、彼女との繋がりが途切れるわけではない。俺とは、プロリーグの同じステージで、これからも、競い合って戦い続けるのだ。……そう、学園を去ったとて、明日も変わらない顔をして、は俺の隣に居る──そう、思って、振り向いた先の、を、……俺は、見つめたはずだったのに。

「……?」

 ──白いドレスを身に纏い、彼女の白い肌が引き立ったことで、余計に目についたのだろうか、……その頬は、ほんの少し赤くて。……まるで見たこともないような顔を、彼女がしているものだから。

「……あー、あのね、亮、前にも少し、話したけれど」
「……どうした? 
「というか、違う話? だけど、だから、私は、その……」
?」
「……別に、私も何も思わない訳じゃないのよ。……あなたがちゃんと考えてることだって、分かってる。……それに、私は」
「……ああ」
「──明日も、亮の傍に居たいって、そう想ってるから。亮の恋人になったのも、最初は一緒に居る理由のひとつだったけれど……」
「……理由のためだけか?」
「そんなわけないでしょ?」
「すまん、分かっている」
「もう、茶化さないでよ……私ね、亮といる理由が欲しいと思った、それはまあ、吹雪もああ言ったけど? 今じゃなくても、手に入るならいくらでも欲しいわ、そんな理由。恋人、親友、ライバル、他にもあるなら、もっとほしい、もっと、幾らでもあなたと一緒に居たいの……だけどね」

 ──ああ、そうだな。学園を離れたところで、きっと。……明日もまた、見たこともない一面で、俺を振り回すのだろうな、彼女は。

「……今は、何の理由もなくても一緒に居たいと思う。ねえ、亮……私、この学園で亮と出会えて、本当によかった。……私と出会ってくれて、ありがとう」
「──ああ、俺もだ、。俺と共に居てくれて、ありがとう」

 ──きっと、お前が傍にいなければ、俺にとってこの四年間は、酷く色褪せた、つまらない毎日だったことだろう。
 決闘で張り合う相手もおらず、戦いの中に何の楽しみも見いだせずに、只一人で、淡々と決闘に励むだけの毎日、──目標も何もない、勝って当然の日々。そんな毎日が、俺にも在り得たのかもしれないと思うと、ぞっとする。
 だから、俺の隣にいつもがいてくれて、本当によかった。……俺にとってこの学園生活で、得たものは確かにあったのだと、……そう、しっかりと胸を張って言える理由を、……確かに、お前がくれたんだ、

「だから、、俺と……」

 ──もう一度、出会ってくれて、ありがとう。


「……そういえば、先程の決闘で使っていたカードだが……」
「ああ、ラストバトルのこと? あれね、実はずっとデッキに入れていて……」
「それではない、モンスターカード……オネストの方だ」
「ああ、そっち?」
「新しいカードか? あれは……俺も初めて見たが」
「うーん……やっぱり、亮も見覚えはない?」
「何?」
「……あのね、実は……今日の決闘の最中にあのカードに気付いたの。昨夜、遅くまでデッキ調整していたのに……」
「最中に、だと……? が入れた訳ではなかったのか?」
「ええ……あのカード、オネストには、どうも見覚えがなくて……」
「……ストレージから混入した、か。或いは……」
「……第三者が、私のデッキに入れた?」
「……まあ、考えにくいことではあるが」
「そう、それなのよ、だって効果も見てよこれ、私にアドバンテージしかないでしょ」
「光属性のサポートか、確かにな……」
「第三者がそんなことするとしたら、私に利益のあるカードなんて入れないでしょ? 貶める目的ならまだしも……」
「そうだな……身に覚えがないなら、手放した方がいいんじゃないのか?」
「そうはいっても……特別に手放す理由もないじゃない? このカードの精霊……は、何故か見えないのだけれど、訳もなく手放してはこの子にも悪いし。……でも、何なのかしら、このカード……いつから、持っていたのかも分からない、だなんて……」

 ──あのときに、何となく嫌な予感がする、と。にはっきりと、言えばよかったのだ。……そのカード、オネストはどうか、……手放してくれないか、と。……妙な胸騒ぎがするのだと、お前に言えばよかった。 inserted by FC2 system

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