055

「──大分、人間の暮らす部屋らしくなってきたわね」
「……まるで、当初はそうではなかったような言い草だな……?」
「実際そうでしょ、カーテンのない部屋に布団だけ敷いて寝ようとしていたのは誰だったかしら?」

 吹雪と三人での卒業旅行を終えた後も、は時間の許す限り、俺の部屋に顔を出したり生活用品の買い出しに付き合ってくれたり、荷解きや掃除の手伝いなどもしてくれていた。
 彼女曰く、シーズンが開幕する前に部屋を片付けておいた方が良いとのことで、──確かに、俺もそれには同意だったし、学生であれば夏季休暇に当たるこの束の間の休息を、俺はと共に童実野町で過ごしている。
 とは言えども、それぞれリーグ本部に度々出向いてプロデビューに向けた準備を整えたり、練習試合に参加したり、記者会見や撮影に出席したりとプロリーグでの細かな仕事は度々あるのだが、──それでも、シーズンが開幕した後は今とは比べ物にならない程、忙しくなるのだろう。
 だからこそ、と過ごす時間の多いこの期間は貴重で、──それ故に俺には、少しばかりの懸念もあるのだった。

「……、お前はすっかり俺の家に入り浸っているが……」
「何? 居たらいけないの?」
「そんな訳がないだろう。……だが、海馬さんは納得しているのか?」
「父には言ってあるわよ? 亮の家に行くって」
「……そうか……ならば、良いのか……?」

 確かに俺も、今後の生活を思えば、この期間にと過ごしていられる時間も、長ければ長いほど有難くはあるのだが、……それは、海馬さんも同じなのでは? という心配も幾らかある。
 増してやは四年間、全寮制のデュエルアカデミアで生活していた訳で、──久々に実家へと戻った一人娘が余り家に帰ってこないと言うのは、親御さんからすれば如何なものだろうかと思う。……まあ、俺はよりも遥かに実家へと顔を出していないので、彼女に何か言えた立場ではないのだろうが。

「……亮、あなたが何を心配してるのか……まあ、察しは付くわ。でも、私の家ってあなたが思っているような家庭ではないの」
「? それは、どういうことだ?」
「家族仲は良いわよ、血の繋がらない私を父も叔父も可愛がってくれてる……でも、ふたりは会社のことで忙しいから、毎日家に帰ってくるわけじゃないの」
「……そう、か」
「ええ。会社の方に泊まったり、そっちで食事を済ませることも多いわ。……だから、私が会社に入る選択をしていれば、父と過ごす時間も増えていたのだろうけれど……」
「……ああ」
「私が選んだのは、あなたと戦い続ける道だから。……まあ、早く家に帰って来られる日には、二人も連絡をくれるし、そういう日はちゃんと帰ってるのよ? 何も毎日泊まってるわけじゃないでしょ、私」
「……そうか、それなら良いんだ。……安心した」

 は、まるで何でもないことのようにそう語るが、──きっと、それらはデュエルアカデミアに進学する以前から、そういうものだったのだろう。
 ……だからこそ、彼女は。特待生寮で俺や吹雪と過ごす日々の中でも、何時だって新鮮に喜んで笑って、ひとつひとつの出来事に目を輝かせていたのかもしれない。
 ──出会った頃の彼女は少し世間知らずなところがあったが、かと言ってまるで気取った風ではなくて、無邪気で眩しい笑顔を、──あの頃の俺は、漠然と好ましく思っていたような気がする。

「……まあ、デッキ調整だとか、一人になりたいときには遠慮せずに言ってちょうだい。そのときは帰るわ」
「まさか。……デッキ調整も、お前が居た方が捗るに決まっているだろう。俺にはを追い返す理由はない」
「そう?」
「ああ。……只、お前の家族が心配しないものかと思っていただけだ」
「それこそ、行き先を知っている以上は安心してると思うけれど……だって、父もあなたには会ったことがあるんだし、そのときには何も言われなかったでしょ?」
「……まあ、それはそうだが」

 ──以前に一度、の実家まで足を向けて、海馬さんに挨拶をしたことがある。
 当時、は何も其処までしなくていいとそう言ったが、俺としては、彼女との交際に当たって、の保護者への挨拶は絶対に必要だとそう思ったことと、兼ねてより自分の両親に彼女の話を聞かせていたため、いずれはにふたりと会ってほしいと思っていたこともあり、まずは俺が先に礼儀を尽くすべきだと考えて、どうにかに頼み、海馬さんと対面する機会を設けて貰ったのだ。
 その席で、は終始、不安そうな顔をして俺と海馬さんとを見比べていたものの、──海馬さんの方は、現在俺がと交際している旨を伝えると、快く──ではなかったのかもしれないが、特に否定や拒絶を受けることはなく、……一応、俺は海馬さんからを任されたものと思って良いのだろう。
 デュエルアカデミアのオーナーである海馬さんには、学園での俺の成績は知られていたのだろうし、もライバルとしての俺の話を度々海馬さんに聞かせていたそうなので、……まあ、決闘者として、のライバルとしては及第点という許しを得ているのだろうと、……俺は、そう思っている。……娘の交際相手として、どうなのかまでは分からなかったが。
 ──とは言えども、何も俺は、海馬さんの許可を得たの正式な婚約者という訳でもなく、──プロリーグでの成績をまだ上げてすらいない現在、そんな資格を彼女の父に乞えるような立場でもない。
 ……だからこそ、先のことを考えると海馬さんの目を多少は気にするべきではないかと俺は思うものの、……この分では、はあまり気にしていないのだろうか。

「──でも、結構亮の部屋に泊まってるし、もう少し私物を持ち込んでおいても良いかな……私の部屋着とか着替えとか、置いて行ったら邪魔になる?」
「……いや、別に構わない」
「そう? じゃあ、明日にでも持ってこようかな……あと、もう少し食器があってもいいのかしら……?」
「そうだな、少し買い足しても良いかもしれない」
「……だと、明日の帰りは荷物が多くなりそうね……こんなことなら、寮のあなたの部屋に持ち込んでいた私の私物、直接この部屋に送った方が早かったわね」
「……確かに、そうだったかもしれないな……」
「ね。……まったく、失敗したわ……」

 そう言って小さく溜息を吐き、思案しながらソファの上、俺の隣で足を組み替えるは、彼女にはサイズの大きすぎる俺の部屋着の袖を捲ってワンピース代わりに身に纏い、手の中にはペアで購入したマグカップを握っている。
 そもそも、無人島では揃いの小物などを買う機会などには恵まれなかったが、──寮生活だった頃、はこういった行為を容認するような奴ではなかった。
 だからこそ、雑貨屋へと買い物に出た際、店頭に並んだ白いマグカップを見たに、「これ、私と亮の分で同じのをふたつ買いましょうよ」と、そう提案されたとき、──正直なところ、俺は少し驚いてしまったのだ。
 ……何というか、は基本的に淡白で、……まあ、俺も彼女をとやかく言えるほどではないが、余り恋人らしい行為に執着するような素振りを今までの彼女は見せなかったから。「同じデザインの方が部屋の景観に馴染むでしょう」とも付け足されはしたが、──そんな些細なひとつひとつが近頃、──俺の心の内側に眠るなにかを、どうしようもなく、満たしていく感覚があった。

「……まあ、今日のところはそろそろ寝ましょうか。亮は? まだ何かやることある?」
「……いや、俺も寝る」
「じゃあ、もう寝室に行きましょ」
「ああ」

 オベリスクブルー寮の部屋と比べれば幾らか狭く、それでも、二人で生活するには十分な広さの部屋。今ほどまで寛いでいたダイニングのソファから立ち上がり、寝室に移動して、寝台の上にふたりで寝転ぶと、──すぐ傍にはの無防備な身体がある。
 ダブルサイズのベッドはふたりで眠るだけのスペースは十分にあるものの、──やはり、寮生活の頃と比べると、どうしてもとの距離は近く、……増してや今の彼女はあの頃とは違い、俺の服を着て寝転んでいる上に、此処は俺の自宅で寮長や寮生の目などが一切届かなくて、──もしも今此処で何かがあっても、俺と以外の誰にも、それを知ることや止めることは出来ないのだ。
 ……そんな、文字通り、ふたりきりになれる場所を手に入れることも今までは酷く難しかったと言うのに、今では、こんなにもあっさりと手に入ってしまったから。
 ──きっと、俺ばかりが心配事を抱いているのだろうと、そう思う。
 俺の心臓は煩くないだろうか、に聞こえていないだろうか、──また、煽られたり揶揄われたり、しないだろうか、──そのときに俺は、今までのように平然を装って振舞えるのだろうか、だとか。……そんなことを毎晩考えては、結局、の隣の心地良い熱に意識を融かされてしまうからこそ、──俺は本当に、何時までも彼女の信頼を裏切らずに居られるものだろうかと、……この部屋で夜を過ごすたびに、そんなことを漠然と思うのだった。

「……亮」
「……どうした、
「緊張しなくても、何もしないわよ」
「……なに?」
「だって、あなたって、手を出してもやり返してこないんだもの……つまらないから、何もしないわ」

 ──まるで、デュエルについて語るような口調で、微睡みの中とろけた声で囁かれたその言葉は、──本来、俺がお前に言うべき台詞だと思うのだが、……それでもは、平然とそんなことを言うのだ。
 ……だったら、もしも、……俺がやられた分をやり返したなら、……そのとき、は、どうするのだろうか。
 ──きっと、これ以上は考えてはいけない。──俺はお前に相応しいだけの人間で、信頼に足る相手で、ありたい。俺はお前との将来を大切にしたい、それらを衝動だけで砕いていい筈もない、俺にそのような暴力性はない。……そうでなければならない、人として、男として、……そう在るのが、きっと正しい筈なんだ。


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