057

 そうして、その日のうちに私は童実野町のプロリーグ本部へと向かい、卒業後は正式に選手としてリーグへと加盟する契約を結んだのだった。
 そこからは、通常ならばスポンサー探しが始まるのだが、──私の場合は、海馬コーポレーションがスポンサーとして、私を全面的にバックアップしてくれることになった。
 これからはプロとして生きて行くのだし、もちろん、私も最初は、父に頼らずに、スポンサーは自力で見つけるべきなのではないだろうかとも思ったけれど、生きて行く上で利用できるものはすべて、最大限に利用しろと言うのが父の教えでもある。
 どう考えたって、父の会社ほどの大企業がスポンサーになることが、私にとっての不利益になどなるはずもないし、間違いなくプロの世界で海馬二世としての注目が集まるであろう私が広告塔になれば、それは海馬コーポレーションの利益にも繋がると父は言う。
 ──無論、それは私がプロの世界で実績を上げられたのならば、の話ではあるし、逆に言えば、私が不甲斐ない決闘をすれば海馬コーポレーションの株が下がる可能性だってある。
 それらすべてを前提に持ち掛けられたその提案は、謂わば、私への叱咤激励の意味も含んでいるのだろうし、──父に其処まで言われたのならば、私とて尻尾を巻いて逃げ出すわけにもいかない。

 幼い頃から父様に社交場へと連れ出され、私と言う娘の存在は世間も知っているし、青眼を継いでからは更に、多少は名の知れた存在になった。
 そんな私がプロリーグに進めば、小さな離島の中で浴びていた視線とは比にならないほどのそれが私に向くのだろうし、私が広告塔になれば、確かに父にも利益は生まれるだろう。他のスポンサーに話題を攫われるよりは、父の会社にとってずっといいのだ。
 そうして、結局は親子の情ではなく、利害関係の一致、という理由の上で、私は海馬コーポレーションをスポンサーにプロのステージへと上ることを決めた。その為にも卒業後は本島に戻り、プロリーグのある童実野町に帰る、と。
 ──故に、その後のひと騒動が起きたのは、そのように進路も決まり、私がようやく落ち着いた頃の出来事だった。

「……実家に帰る?」
「ええ。だって、プロリーグは本邸からも近いし、実家に居れば父様の手伝いも多少は出来るでしょ?」
「……そうか、……そう、だったか……」
「……何? それがどうかしたの? 亮だって、卒業後は童実野町に引っ越すんでしょ?」
「……いや、その……俺は、てっきり……」

 ──卒業後は、二人で暮らすものだと思っていた、と。
 ──そう、亮に言われたのは、卒業後に一人暮らしを始める、などと言った周囲の生徒たちは、新居探しに忙しく動いている頃だったし、亮もそろそろ、部屋探しを始めている頃合いなのだろう、とは思っていた。
 リーグ本部がある童実野町は私の地元だし、亮よりも地理に詳しいから、部屋探しを手伝うつもりでもいたし。
 ……そう、確かに私はそんな風に考えてはいたのだけれど、当然のように亮が二人用の部屋を探している、なんてことまでは、流石に予想も出来ていなかったし、……卒業後に亮と二人で暮らす、なんて。……私は、まるで考えもしていなかったのだ。

「……だって、亮、そんなこと今まで一度も言ってなかったじゃない……」
「……すまない、当然のように思い込んでいたらしいな……」
「どうして、そんな大切なことを今頃言うのよ……もう……」
「すまん……が、隣に居るのも既に当然のことになってしまっていたからな……流石に今は、リーグでの成績や先の生活も分らないのだから、今すぐ結婚しよう、などと無責任なことは言えんが……」
「は……!? ……あのねえ……、それこそ、今言うようなことじゃないでしょ! 馬鹿なの!?」
「す、すまん。……しかし、そうか。卒業後は、毎日一緒ではなくなるんだな……お前が居ないことに慣れるまで、苦労しそうだ」

 ──父の跡を今すぐに継ぐ、という進路を免れたとして、亮と共にプロリーグへと進むことになった今とて、デュエルアカデミアの学び舎を出たのなら、私の帰るべき場所は父様とモクバ兄様がいる実家なのだと、そう思っていたし、今もそう思っている。
 だからこそ、今更その選択を変えるつもりもないけれど、……そういえば、そうだった。アカデミアで亮と出会ってからの、この四年間。長期休みを除けば、亮はいつでも私の隣に居たのだった。それが卒業後に、この距離に亮が居なくなったとき、……果たして、私はその生活に耐えられるのだろうかというと、実際のところ、自分でも甚だ疑問だった。
 ──彼は私にとって親友で、好敵手であり、同時に恋人でもある。そんな、亮という人間の存在なら、無論、父だって承知していた。
 学園の式典や外部でのデュエル大会などで、父様とは亮も何度か面識があるし、堅物な亮は、それはそれは馬鹿丁寧に、父様へと挨拶を済ませているのだった。
 父様の方もアカデミアの主席で優等生、カイザーと呼ばれている彼のことは、私の好敵手、交際相手として、……まあ、それなりに快く思っているように見える。
 ──けれど、流石に卒業後、一緒に暮らす、というのはどうなのだろうか。既に卒業後は実家に帰ると家族には伝えてしまったし、父様もモクバ兄様もそれを楽しみにしてくれているという、と言う事情もある。
 それに、──亮の言うとおりに、卒業後すぐに結婚しよう、なんて言い出すほどに、私たちは今後の選手生活を甘く見てはいないから。そうなれば亮との生活は、同棲と呼ばれるものになるだろう。
 ──ああ、そうか、そうだった。学生時代は逐一そんな理由を付けなくとも、亮と一緒に過ごせていたけれど、これからは話が違うのだ。
 ──卒業した矢先に、恋人と同棲する、というのは、多分。……厳格な父は、その意向に、きっと、良い顔をしないだろうとそう思う。今はまだ実家でもいいだろう、と。──恐らく父にはそう言われるだろうし、私もその通りだとは思う。卒業するとはいえども、お互いにまだ未成年だし、別に恋人同士のままならば、暮らしは別々なのが妥当だろう、と。
 ……ただ、その決断を、アカデミアで亮と一緒に過ごしすぎた私には、快く下せなかったという、只のそれだけで。

 ──結局、私は家族と亮との、その両者を天秤に掛ける気にもなれず、先に承諾したのは父の意見なのだから、と。そのまま実家に戻ることを決めた。
 ──そうして、卒業が間近に迫り、卒業試験も終わり、その結果を待っていた頃。吹雪も交えて三人で、テラス席にて昼食を摂っていた時の事だった。
 ──突然、何か思い出したように制服のポケットを漁りだした亮から、見覚えのない鍵を手渡されたのは。

、これを渡しておく」
「……なに? これって、どこの鍵……?」
「俺の部屋の合鍵だ」
「……は?」
「おお! 亮ったらやるじゃないか! 今から連れ込む気満々なんだね?」
「吹雪、お前は少し黙っていてくれ。今はと大切な話をしているんだ」
「……いや、ちょっと待って、受け取れないわよ。一緒に暮らすわけでもないんだし……亮が鍵を失くしたときに困るんじゃないの?」
「ならばその時に、から受け取るためにも、お前が預かっておいてくれ」

 咄嗟に付き返そうとした、銀色に光る小さなスペアキーを、そのまま亮に押し返されて、思わず言葉に詰まる。
 ……確かに、只預かるだけならば、だとか。それらしい理由を見つけようとしながらも、……何故、合鍵を渡されたのかというその理由が分からないほどに私も幼くはないし、……これを渡しても平気な人間として、亮の内側に私は存在しているのだと思うと、胸に込み上げるものは、確かにあるのだ。
 何よりも、──今後はどうしたって会う機会も減っていくのだろうな、と。そう思っていた亮に気軽に会いに行くだけの口実が、てのひらに乗せられたこの小さな重みの中に詰まっていたから、……口では何を言ったところで私には、実際に返してやろうなんて気は、更々なかった。
 只、亮から渡された言葉への上手い返しが見つけられなかっただけで、生来のプライドの高さと甘え下手すぎる私の性格が、この喜びを表に出すことを許さなかっただけ。
 そして多分、亮も吹雪もそんなことには、とっくに気付いている。失踪期間も長かったが、私と吹雪は親密な友人だし、亮に至っては、丸四年もの間、ずっと一緒だったのだ。──だからこそ私は、亮と離れるのが嫌だ、なんてらしくないことを考えていて、……そしてそれは、亮も同じだったからこそ、新居を決めるときに行き違いが生じたのだし、……今こうして、亮からこれを手渡されているのだろう。

「……言っておくけれど、私は、いちいち夕飯作りに行ったりしてあげるような、健気な女じゃないわよ……」
「ああ、知っている」
「そこは! ちょっとは期待しなさいよ! 腹立つわね……!」
「期待ならしている。……だが、お前が出入りしてくれるだけで俺は十分だ。深いことは気にせず、好きなときに好きなように使ってくれ」

 ──どうして、この男は、こうも素直なのだろうか。いつだって亮は、己と言うものをまるで包み隠そうともしない。亮は何時いかなる時でも、誰に対しても、誠心誠意で対応する男だ。
 ──そしてそれは、今も同じで。私に向かって直球で、亮の意志を伝えてきている。
 ──だからこそ、亮の隣はこんなにも心地がいいのだろうな。けれど、故にこそ亮の真摯な態度は時々反応に困るというところでもある。
 或いは、私も亮のように素直だったら良かったのだけれど、……あの父にしてこの娘あり、とでも言えばいいのだろうか。常に強かに振る舞うのが、私の癖。常に堂々と、強者であれ、と。父の教えは私の精神性にも強く影響を与えているのだ。
 ──だから、こうして誠意を、好意を向けられた時に、私はまるで可愛げのある反応が出来ない。恋人らしくしおらしい反応なんて、出来たものではないのだ。
 今は吹雪が同席している上に、当の吹雪は私と亮のやり取りを前にして、にやにやと楽しげに私を見ているのでそれも尚更のこと。……せめて亮も、少しは場所を選んでくれればいいのに。
 ……それは、まあ、この会話とこのやり取りに、何も悪いことなどはないし、後ろめたいこともなくて、誰かに隠す必要もないと、……そう、亮が判断したのだろうということは分かるし、……結局は、そうして心を許されていることだって、私は嬉しいと感じてしまうのだけれど。

「……まあ、亮って、どんくさいから」
「……そうか……?」
「そうよ、……だから、仕方ないから持っててあげる。……それに、自炊だって、したことないでしょ? 野垂れ死んでたら嫌だし、時々は見に行ってあげるわ」
「! そう、か。……良かった、受け取ってくれるんだな」
「まあ……仕方ないから、ね……」
「またまた、そんなこと言っちゃって〜! ってば頬が緩んでるじゃないか、嬉しそうにしちゃって……もう、仲がいいなあ! きみたちってば!」
「ちょっと吹雪! やめてったら! 揶揄わないで!」
「ふふ、僕も二人のところに時々遊びに行くよ。……寂しくなるなあ、一緒に卒業できないなんて」
「そうだな……吹雪とは尚更、あまり会えなくなるのか」
「だから、会いに行くってば!」
「ああ、待っているぞ、吹雪」
「私もよ、吹雪。……もちろん、プロの世界でも、あなたをずっと待ってる。」
「本当かい!? 僕も頑張らなきゃね、……って、亮……ちょっと、睨まないで貰えるかな……」
「…………」
「何よ亮……あなただって、吹雪にはプロの舞台まで上がって来てほしいでしょ?」
「…………お前と言う奴は……」
「……ああ、そうそう! そんなことよりさ……、当然だけれど、結婚式には僕も呼んでくれるよね? きみたちの友人代表スピーチは僕がするって決めてるから、そのつもりでよろしく!」
「吹雪、急に何を言って……」
「ああ、そうだな。吹雪が適任だろう、その時は頼む」
「亮! あなたまで、馬鹿言ってないで……」
、ブーケは明日香が受け取れるように、上手くコントロールしてあげて欲しいな、頼んだよ!」
「……はあ……まあ、明日香のためなら、仕方ないわね。その時が来るようなら、ね……別に、いいわよ」
「!」

 ──そんなやり取りからまた少し過ぎた頃、モニターに表示された私と亮の卒業試験結果は、最後まで二人並んでの主席だった。
 卒業デュエルの代表に選ばれた私達は、亮が十代を、私が準を、それぞれ対戦相手に指名し、アカデミアでの学園生活、その最後の最後まで、彼らと満足のいくデュエルが出来たし、学生時代最後の亮との公式戦も、どうにか叶った。
 結局、最後まで亮との決着は着かなかったものの、プロリーグで決着を付けることを約束して、最早学園には何も思い残すことも無く、アカデミアを卒業し、無事に童実野町へと帰郷。
 そうして、実家に戻った私は、父様の会社を時々手伝いながらも、選手として、広告塔としてのプロモーション活動、リーグ本部での試合をこなしていった。……そして、私生活での亮との関係も、順調に行っている。
 それぞれに幾らかの苦労はあったものの、まだこの生活には慣れていないのだから仕方がないし、プロ決闘者としては、なかなか好調に活動を続けられていたように思う。
 ──私が目指していたのは、辿り着きたかったのは、ずっと昔から、外の世界だった。アカデミアという隔離された世界で一番になったって、それは私にとって栄光でもなんでもない。父様の誇りで、そして亮の隣にも堂々と立っていられる、強き決闘者。私が目指すものなど其処にしかなかったから、念願叶って辿り着いた──半ば諦めていたプロの世界に上がってからの日々は、今までよりもずっと全力ですべてに打ち込んでいたし、充実していたと思う。
 そうして、選手として順当に勝ち星を稼いでいけば、世間にとって海馬瀬人の娘、という程度の認知でしかなかった私の存在は、海馬、という決闘者として人々に知られるようになってゆく。
 勝利数に応じて、私個人に興味を持つ人間が増え、仕事も増えて行くことは、この上ない達成感だった。──だから、これからまだまだ、幾らでも上を目指さなくては。限界などどこにもない、勝負の世界では、そもそも限界とは突破するために在るのだ。
 そうして、いつか私は頂点に立つのだと、そう心に決めているからこそ、……こんなところで浮かれている暇も、苦戦している暇も私にはない。……そう、私はこれから勝ちも負けも、歓喜も悔しさも、それらをいくらでも覚えて行かなければならないのだ。

「──そういえば昨日の試合、良かったわ。今期の成績なら、亮も世界タイトル、参加するんでしょ?」
「見ていてくれたのか? ……ああ、そうだな、世界タイトルにも勿論出場する予定だが、……それは、も同じだろう?」
「まあ、私は亮と違って無敗の新人ではないけどね……当然、世界タイトル参加権は、もう奪い取ってるわよ」
「そうか……公式戦で、当たれる日は近いかもしれんな」
「そう簡単に言う……? 一応、世界タイトルなのよ? 小さな学園の中での話じゃないんだし……」
「なんだ、らしくないな。自信はないのか?」
「あら? ……何言ってるの? 私は亮の心配をしてあげているのよ?」
「ふ、……そうか、それは良かったな」

 ──安い挑発に対しても、更にその上を狙って打ち返す。とは言え、亮はそれ以上に私を煽ることもないから、やがて話題は世界タイトルの出場選手の話に移っていく。
 そんな風に何気ない会話も、亮と並んで座って、話したり、決闘したり、じゃれあったりしていることも、……その場所が、アカデミアから亮の自宅に変わったこと以外、そこまでの差異は無かったように思う。
 私はそれなりに好調なスタートでプロ選手として励んでいたし、亮に至ってはリーグに上がってから未だ負け無しで、無敗の新人として注目を浴びている程なのだ。……そう思うと、私も、もっと勝たないと、と。……思わずそんな風に、力んでしまうけれど。……それでも、亮がそうして勝ち続けていることを、私はライバルとして誇らしいと思っていた。

 ──だから、気付かなかったのかもしれない。亮は何処までも愚直で、何も隠さない、何も演じない、──そのせいで冷静には見えるけれど、内側には大きな激情を秘めた、案外に単純な人間なのだということを、私はよく知っていた筈なのに。
 故に、強者が集まる場所では、亮は私よりもずっと、相手に翻弄されてしまう可能性もあったのだということに、……私は、気付けなかった。
 ……余りにも真面目すぎる、彼だから。挑発を軽く流しつつもカウンターを打ち返す、なんて。……そんな器用さを、亮は持ち合わせていないって、……私が一番、よく知っていたはずなのにね。

「──勝者、エド・フェニックス!!」

 ──世界タイトルでの初戦、亮が戦った決闘の勝者。
 ──それは、亮ではなく、その対戦相手──先日、私が広告塔としての仕事で同席した、プロリーグの天才少年だった。
 一足先に試合で勝利を収め、控室のモニターでその決闘を観戦していた私は、目の前に表示されている結果に何とも言えない落胆を覚えてから、……そして、そのときに初めて、プロとしての亮の危うさに気付いたのだ。
 ──しっかりと、一本芯が通っているが故の、亮の脆さに、……私は今まで気付いてあげられていなかったのだと、……そのときになって、私はようやく思い知った。


「──あ、さん! 先日ぶりですね、僕の試合、見ていてくれました?」
「あら、エドじゃない。……ええ、それは勿論」
「それは光栄だな、……どうでした? 僕の決闘は」
「そうね……プロなのね、と思ったわ。間違いなくあなたが勝者よ、……残念なことにね」
「はは、酷いことを言ってくれますね」
「そうかしら?」
「ええ、僕が勝てば、さんに興味を持ってもらえるかと思ったんですが。おかしいなあ……」
「とぼけるのも上手いのね、流石だわ」
「……さて、何のことやら……」
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