064
プロリーグへの加盟後、正式にシーズンが始まってからの日々は想像通りに忙しなく、しかし、そんな毎日には確かな充実感があった。
プロの世界では、学園に居た頃は見たことも無かったデッキや戦術を操る決闘者との試合も多かったものの、ひとつひとつの試合に俺は誠意を持って向き合っていたし、一見すれば予想も付かないような戦術であっても、必ず今までに見て学んできた経験がそれらの戦局にヒントを与えてくれた。
──デュエルアカデミアで学んできた日々こそが、確かに今の俺を形作っている。
プロになって以来の俺は十連勝で世界タイトルマッチまでコマを進めており、プロ決闘者としてすべては順調に行っていたし、挫折や苦悩らしいものとは無縁だったと言えるだろう。
俺は俺の信じるリスペクトデュエルを続けていけば、パーフェクトな戦術を展開していけば、今までと同じように皇帝の座に着いて居られた。
──そうだ、今までは、それでも良かったのだ。
「──引っ込め! 金返せ!」
「辞めちまえ! それでもプロかー!?」
「何がカイザーだ! お前なんか最下位ザーだ!」
──長らく座り続けていた玉座が、実は硝子で出来ていたことに気付いたのは、──そのすべてが失われて、マイナーリーグに転落したときのことだった。
世界タイトルマッチにて、エドとの試合に敗北した際、──当初こそは、俺はプロの世界で自分を見失ったが故に負けたのだと、俺は俺自身に負けたのだと、そう思っていた、……そう、思っていたかった。
だが、──間違いなく俺は、他の誰でも自分でもない、エドに敗北したのだ。
俺にとって他者への敗北など、何度も凌ぎを削り合ってきた以外では初めての経験で、──その敗北を、俺はどのように受け止めるべきなのかが、どうしても分からなかった。
この負けを次に活かして、次回以降はまた今まで通りに、俺らしいリスペクトデュエルが出来ていればとそう思ったが、──あの試合で、エドの発動したドレイン・シールドを無効にするため、俺は手札三枚を使ってトラップ・ジャマーを発動したが、──今思えば、その戦術からしてあの決闘での俺は、選択を誤っていたように思う。
ドレイン・シールドでライフを回復されるのは痛手だが、果たしてそれは、手札を三枚も使って封じるほどのことだったのか?
結局はエドがカウンターでトラップ・ジャマーを発動したことで、俺は手札を無為に三枚失っただけに終わり、──更には、エドのリバースカードを警戒せずにパワー・ボンドを発動し、サイバー・ツインでの攻撃を伏せられていたエレメンタル・チャージに阻まれたが、──それとて、先程のターンにトラップ・ジャマーを無駄打ちしていなければ、俺はそのターンでエドに勝利出来ていたかもしれない。
そうだ、……思い起こすほどに、俺はあの試合で、らしくもないプレイングミスを連発していた。
……それは、本当に熱くなり過ぎたからという、只のそれだけか?
それ以前の冷静なうちから俺は、知らず知らずのうちに、──エドのペースに乗せられて、精彩を欠き半端な戦術を取っていたのではないか? ──それは、カイザーと言う名に傲り、無自覚の慢心に陥っていたからこそ──相手を格下だと侮っていたが故の、失策だったのではないか?
その決闘は、──果たして、リスペクトデュエルなどと呼べる代物だったのか?
「──ブルーアイズ・カオス・MAX・ドラゴンで守備モンスターに攻撃! 混沌のマキシマム・バースト!」
「っぐ、あああああ!!」
「決まったー! 海馬、またも格上相手に勝利だー!」
「今年度、期待の新人と言えばやはり海馬ですね、カイザー亮は期待外れでしたが、海馬は今回も素晴らしい決闘を──」
マイナーリーグの殺風景で薄汚れた控室、──モニターの向こうに映っているのは、プロリーグの中継試合で鮮やかに勝利を収めるの姿だった。
──世界タイトルマッチでのは、数回戦まで順調に勝ち残り、──惜しくも優勝は逃したものの、元より新人として注目を集めていた彼女は、世界タイトルマッチ以降は以前にも増して人目を奪う存在となっている。
──或いは、同じく期待の新人としてデビューした俺が、呆気なく表舞台から姿を消したからこそ、尚のこと、彼女は注目されることになったのかもしれない。
倍に膨れ上がった期待と、それから、──俺が失脚したことで、マスコミからは彼女への好奇の目も向いていることを、確かに俺は知っていて、──それでも、戦うステージが違うと言うだけで、俺にはそれらをどうにかしてやることもできない。
以前に吹雪は、「在学中から君たちが付き合っていると噂が流れていれば、恋路を邪魔する者は現れない」と、──そう言っていたが、結局はそのような噂がデビュー直後から俺とに流れていたことで、俺はに余計な負担を強いることになってしまっている。
それでも、きっと、──それらは、俺が表舞台への復帰さえ叶えば、簡単に払拭できてしまうものなのだろう。
──そう、そのはずだと分かっていて、俺とて確かに、このままで終わるわけには行かないとそう思っている筈なのに、──どうしても俺には、自分の信じてきた決闘を一度砕かれたあの日から、己の描いてきた理想を体現することさえも儘ならないのだ。
相手の戦術や考えを尊重し、メタ戦術や妨害などは選ばずに、全力の相手に己の全力で応える、──それが、俺の信じるリスペクトデュエルだった。
だが、突然にも足場がぬかるんでしまってからは、泥のような敗北ばかりが積み重なり、──近頃の俺は、公式戦どころかデッキ調整の相手に名乗り出てくれたとの決闘でさえも、満足のいくプレイングが出来ずにいる。
相手にもミスを繰り返し、彼女のリバースカードを見落とし、見知ったはずのコンボさえも見逃して、呆気ない敗北を繰り返す俺を見て、──は何度も、呆然と俺を見つめては、まるで泣き出してしまいそうなほどに寂しそうな目を、していた。
俺と彼女にとって、今までずっと、決闘こそが何よりのコミュニケーションの手段であり、互いを知る方法だった。
俺達は共に決闘に賭ける美学や信念も違っていたが、──それでも、互いに決闘という行為を愛して、それを通して互いを得難く思っていたからこそ、俺達はずっと決闘をすればそれだけで、互いの考えが手に取るように分かったし、二人で笑って過ごしていられたのだ。
だが、──今の俺は、彼女が決闘を通して俺に伝え、教えてくれたとの日々をまるですべて忘れてしまったかのように、──彼女がくれたものをすべて取り零したかのように、二人の対話も成立しない決闘ばかりを繰り返していたから、──俺が不甲斐ない決闘で彼女からの信頼に傷を入れたからこそ、は本当に心から傷付いたような顔で、何でもない振りをして、──痛々しく、笑っていた。
俺のライバル、海馬は、──今までずっと、俺の前で不敵に笑っている瞬間が一番輝いていたし、綺麗だった。
しかし、今では、──先程の彼女の対戦相手の方が余程、俺よりもの笑顔を引き出せているような、……そんな気がしてならないのだ。
俺の不調が続いている間も、は何かと俺を気にかけてデッキの調整相手や相談相手を買って出てくれたり、家を訪ねてきたりと世話を焼いてくれていたが、──それも、俺がマイナーリーグ落ちを果たしてからは、徐々に疎遠になっている。
それも当然だろう、──同じリーグ本部に出入りしていればまだ、試合の後だとかに声の掛けようもあるだろうが、──練習相手を引き受けたところで、一方的に叩き潰して落ち込ませるのが分かり切っていて、そのためだけに家を訪ねてくるほどに、彼女は薄情じゃない。
ならば、俺の方から声を掛けられたならそれで良いのかと言えば、──そうも簡単な話なら、俺とてモニターの向こう側に向かってこんなにも行き場のない思いを向ける前に、彼女に連絡している。
──せめて、俺から声を掛けるからには、期待に応えられるだけの調子を取り戻してからにしなくてはと、──そう考えるほどに焦燥は募り、目の前のデュエルにやけに苦戦して、戦術は精彩を欠き、視界が妙に曇って、憔悴が纏わりついて、──そうして、俺は、遂には地下デュエルの世界まで、転がり落ちてしまったのだった。
「──あなた、今までに一度でも勝とうと思ったことあるんですか?」
地下デュエルへの招待──モンキー猿山の甘言を受けて誘き出された俺は、そのステージで地下デュエルの洗礼を受けて、──そして、あの男に投げ掛けられた言葉の衝撃に脳天から貫かれたその時、──の決闘を、思い出した。
彼女は、出会った頃からずっと、何時だって虎視眈々と勝利を狙い続けており、俺に負ければ本当に悔しがったし、毎回のように「次は絶対に、私が勝つ!」と不敵に笑って、──そうして、本当に次は勝ってしまう。……は、そんな決闘者なのだ。
の決闘は豪胆で美しく、──それでいて、常に戦術は徹底して非情だった。
相手のリバースカードは問答無用で叩き割り、コンボなどは決して通さずに、ただ自分の信念だけを──勝利だけを見据えて、ブラフでの揺さぶりを掛けどんな手段を使っても、しぶとすぎるほどに足掻き抜いてでも、最後には勝利を掴み取る。
そんなの決闘は、俺のリスペクトデュエルとは相反するもので、意見の相違から俺達は度々対立しては口論に発展することもあったが、──何もは、情け無用な戦術を取るからと言って、彼女自身の人柄も非道で酷薄なのかと言えば、そのようなことは一切なくて、──寧ろ、は心根の優しい奴であることを、俺が一番よく知っていた。
そうだ、──俺はの信じていた勝利への執念を、頭ごなしに“倫理”という武装だけを根拠に否定したが、──しかし、考えてみれば、……は、決闘者として何か間違ったことをしていたか?
確かに、カミューラとの戦いなどでは、勝利だけを見据える彼女に手を焼かされたものの、──それとて、に悪意はなかった。
只、俺の方がずっと、彼女の勝利への渇望の内側を邪推して、──其処に在るものは悪である筈だと、そう思い込んでいたと、──只、それだけの話だったんじゃ、ないのか。
──勝利ばかりを望んではいけない、目の前の相手を軽んじてはいけない、自分を見失ってはいけないと、──そう思っていた俺こそが、本当は。
……己の本心から目を背けて、見て見ぬ振りをして、──行儀よく模範的に、見かけ倒しの“パーフェクト”という絵空事に、踊らされていただけじゃないのか?
……ああ、そうだ。
俺は、……本当は、ずっと前から。
と、本気で勝利を奪い合うだけの決闘が、してみたかった。
倫理や道徳などは投げ捨てて、誰の目も気にせず、彼女と戦ってみたかった。
──だから、学生時代最後の公式戦、──俺は、自分の本心の一番近くに辿り着いて、──それでも、あの時は結局、彼女を叩き潰すことも叶わなかったから、……だからこそ、あと一手届かずに、気付けなかっただけで。
俺は、ずっと昔からきっと、──を壊してみたくて、それと同じくらいに、彼女に壊されてみたかったのだ。
そうでなければ、──あの時確かに、彼女と戦うことが楽しいと、次は俺が勝ちたいと、そう思った理由に説明が付かない。
──ラストバトルと言う最高の切り札を俺以外に使った上、二番煎じの戦術で俺を屠ろうとした彼女を、──怒りに任せて薙ぎ倒してやりたいと強く思ったあの衝動も、……結局は、そういうことだ。
俺は、──本当はずっと勝利を渇望して、──お前にも自分にも気取られぬように、涎を飲み込み、喉を鳴らさぬように努めていたという、只のそれだけだった。
──地下デュエルに転げ落ちてから、既に二週間ほどが経過したが、その間、──俺はに一度も連絡を入れておらず、彼女から電話が掛かってくることもまた、一度たりとも無かった。
それでも、俺は地下街で拠点としているホテルの部屋に帰れば、プロリーグの中継で彼女の姿を確認できたが、──の方では、そんなことも叶わないのだろう。
俺が地下に居ることを、地上のプロリーグの関係者は知る筈もなく、──だが、地下と地上は一切の無縁と言う訳でもないらしい。
プロリーグの薄汚れた部分を大いに知った今となっては、それらも別段に驚くようなことでもないが、……どうやら、極偶に地下から地上に招かれる決闘者と言うものも、存在するようだ。
──確かに、もしも地下デュエルに埋もれさせておくには惜しい人材が居たのならば、──マネジメント側やリーグ関係者も、その方が都合もいいだろうからな。
そんな理由があり、近いうちに俺は、地上のプロリーグ──それもメジャーの舞台へと、復帰することになった。
それはマネージャー──猿山の取ってきた仕事で、碌な手段を使ったのではないと分かり切ってはいたが、……そうだとしても、俺にはその場所に舞い戻る意味がある。地下デュエルで雑魚を相手にしたところで、……最早、俺の渇きは満たせないからだ。
それに、メジャーリーグにはお前が、──が居る。
会えなかったこの期間と、それから、顔を合わせたところですれ違ってばかりいた数ヶ月間もようやく終わると思うと、その日が待ち遠しくも思えるが、──しかし、同時に、現在の俺をはどのように受け止めるだろうかという杞憂もまた、確かにあった。
俺は、己の中にあった本心、動物的な衝動と渇望──勝利への執念を知ったときに、のことを一層理解できたような気がして、俺と彼女は同類なのだとそう思えて、今まで以上に彼女を身近な存在に感じて愛おしく思ったが、──それが、も同じであるとは限らずに、──そして俺には、今までのように彼女に優しく接することなど、……きっと、もう出来ない。
──分かってしまった、俺はを叩き潰して壊したい、泣かせてやりたいのだと。
──それでも、きっと泣かずに食らい付いてきて、獰猛に俺を叩き潰そうとする彼女だからこそ、──こんなにも、心惹かれるのだと。
今の俺を見ればは失望するかもしれないが、──きっと、俺はそうなったとしても、もう素直に彼女の手を離してやることが出来ない。
何が何でも繋ぎ止めて、──それこそ、を地下にでも隠してしまうかもしれない。……もう、倫理や道徳と言う枷では、俺の凶行は止まらないならば、──きっと、今の俺は間違いなく、海馬に相応しくないのだろう。
──だが、それでも、──彼女は俺の物だと、本能は渇望して止まないのだ。
白い封筒に地下デュエルの試合チケットを同封し、宛名にはの名前を、──差出人には、ヘルカイザーと言う今の俺の名を綴り、募るばかりの想いと渇望に耐え切れなくなった俺は、彼女に招待状を送ることにした。
どう転んでも近いうちに、俺は彼女と地上で対面することになるのだ、──ならば、今すぐにでも地下で、お前に会いたい。……家に帰してやれる保証すらも、出来ないと言うのに。
そうも身勝手で独善的なこの恋文を、──果たしてお前は、どのように受け取るのだろうかと考えながらも、結局俺は期待してしまっている。
──俺のライバル・海馬は、きっと俺の期待を裏切りはしないことだろう、──と。
close
プロの世界では、学園に居た頃は見たことも無かったデッキや戦術を操る決闘者との試合も多かったものの、ひとつひとつの試合に俺は誠意を持って向き合っていたし、一見すれば予想も付かないような戦術であっても、必ず今までに見て学んできた経験がそれらの戦局にヒントを与えてくれた。
──デュエルアカデミアで学んできた日々こそが、確かに今の俺を形作っている。
プロになって以来の俺は十連勝で世界タイトルマッチまでコマを進めており、プロ決闘者としてすべては順調に行っていたし、挫折や苦悩らしいものとは無縁だったと言えるだろう。
俺は俺の信じるリスペクトデュエルを続けていけば、パーフェクトな戦術を展開していけば、今までと同じように皇帝の座に着いて居られた。
──そうだ、今までは、それでも良かったのだ。
「──引っ込め! 金返せ!」
「辞めちまえ! それでもプロかー!?」
「何がカイザーだ! お前なんか最下位ザーだ!」
──長らく座り続けていた玉座が、実は硝子で出来ていたことに気付いたのは、──そのすべてが失われて、マイナーリーグに転落したときのことだった。
世界タイトルマッチにて、エドとの試合に敗北した際、──当初こそは、俺はプロの世界で自分を見失ったが故に負けたのだと、俺は俺自身に負けたのだと、そう思っていた、……そう、思っていたかった。
だが、──間違いなく俺は、他の誰でも自分でもない、エドに敗北したのだ。
俺にとって他者への敗北など、何度も凌ぎを削り合ってきた以外では初めての経験で、──その敗北を、俺はどのように受け止めるべきなのかが、どうしても分からなかった。
この負けを次に活かして、次回以降はまた今まで通りに、俺らしいリスペクトデュエルが出来ていればとそう思ったが、──あの試合で、エドの発動したドレイン・シールドを無効にするため、俺は手札三枚を使ってトラップ・ジャマーを発動したが、──今思えば、その戦術からしてあの決闘での俺は、選択を誤っていたように思う。
ドレイン・シールドでライフを回復されるのは痛手だが、果たしてそれは、手札を三枚も使って封じるほどのことだったのか?
結局はエドがカウンターでトラップ・ジャマーを発動したことで、俺は手札を無為に三枚失っただけに終わり、──更には、エドのリバースカードを警戒せずにパワー・ボンドを発動し、サイバー・ツインでの攻撃を伏せられていたエレメンタル・チャージに阻まれたが、──それとて、先程のターンにトラップ・ジャマーを無駄打ちしていなければ、俺はそのターンでエドに勝利出来ていたかもしれない。
そうだ、……思い起こすほどに、俺はあの試合で、らしくもないプレイングミスを連発していた。
……それは、本当に熱くなり過ぎたからという、只のそれだけか?
それ以前の冷静なうちから俺は、知らず知らずのうちに、──エドのペースに乗せられて、精彩を欠き半端な戦術を取っていたのではないか? ──それは、カイザーと言う名に傲り、無自覚の慢心に陥っていたからこそ──相手を格下だと侮っていたが故の、失策だったのではないか?
その決闘は、──果たして、リスペクトデュエルなどと呼べる代物だったのか?
「──ブルーアイズ・カオス・MAX・ドラゴンで守備モンスターに攻撃! 混沌のマキシマム・バースト!」
「っぐ、あああああ!!」
「決まったー! 海馬、またも格上相手に勝利だー!」
「今年度、期待の新人と言えばやはり海馬ですね、カイザー亮は期待外れでしたが、海馬は今回も素晴らしい決闘を──」
マイナーリーグの殺風景で薄汚れた控室、──モニターの向こうに映っているのは、プロリーグの中継試合で鮮やかに勝利を収めるの姿だった。
──世界タイトルマッチでのは、数回戦まで順調に勝ち残り、──惜しくも優勝は逃したものの、元より新人として注目を集めていた彼女は、世界タイトルマッチ以降は以前にも増して人目を奪う存在となっている。
──或いは、同じく期待の新人としてデビューした俺が、呆気なく表舞台から姿を消したからこそ、尚のこと、彼女は注目されることになったのかもしれない。
倍に膨れ上がった期待と、それから、──俺が失脚したことで、マスコミからは彼女への好奇の目も向いていることを、確かに俺は知っていて、──それでも、戦うステージが違うと言うだけで、俺にはそれらをどうにかしてやることもできない。
以前に吹雪は、「在学中から君たちが付き合っていると噂が流れていれば、恋路を邪魔する者は現れない」と、──そう言っていたが、結局はそのような噂がデビュー直後から俺とに流れていたことで、俺はに余計な負担を強いることになってしまっている。
それでも、きっと、──それらは、俺が表舞台への復帰さえ叶えば、簡単に払拭できてしまうものなのだろう。
──そう、そのはずだと分かっていて、俺とて確かに、このままで終わるわけには行かないとそう思っている筈なのに、──どうしても俺には、自分の信じてきた決闘を一度砕かれたあの日から、己の描いてきた理想を体現することさえも儘ならないのだ。
相手の戦術や考えを尊重し、メタ戦術や妨害などは選ばずに、全力の相手に己の全力で応える、──それが、俺の信じるリスペクトデュエルだった。
だが、突然にも足場がぬかるんでしまってからは、泥のような敗北ばかりが積み重なり、──近頃の俺は、公式戦どころかデッキ調整の相手に名乗り出てくれたとの決闘でさえも、満足のいくプレイングが出来ずにいる。
相手にもミスを繰り返し、彼女のリバースカードを見落とし、見知ったはずのコンボさえも見逃して、呆気ない敗北を繰り返す俺を見て、──は何度も、呆然と俺を見つめては、まるで泣き出してしまいそうなほどに寂しそうな目を、していた。
俺と彼女にとって、今までずっと、決闘こそが何よりのコミュニケーションの手段であり、互いを知る方法だった。
俺達は共に決闘に賭ける美学や信念も違っていたが、──それでも、互いに決闘という行為を愛して、それを通して互いを得難く思っていたからこそ、俺達はずっと決闘をすればそれだけで、互いの考えが手に取るように分かったし、二人で笑って過ごしていられたのだ。
だが、──今の俺は、彼女が決闘を通して俺に伝え、教えてくれたとの日々をまるですべて忘れてしまったかのように、──彼女がくれたものをすべて取り零したかのように、二人の対話も成立しない決闘ばかりを繰り返していたから、──俺が不甲斐ない決闘で彼女からの信頼に傷を入れたからこそ、は本当に心から傷付いたような顔で、何でもない振りをして、──痛々しく、笑っていた。
俺のライバル、海馬は、──今までずっと、俺の前で不敵に笑っている瞬間が一番輝いていたし、綺麗だった。
しかし、今では、──先程の彼女の対戦相手の方が余程、俺よりもの笑顔を引き出せているような、……そんな気がしてならないのだ。
俺の不調が続いている間も、は何かと俺を気にかけてデッキの調整相手や相談相手を買って出てくれたり、家を訪ねてきたりと世話を焼いてくれていたが、──それも、俺がマイナーリーグ落ちを果たしてからは、徐々に疎遠になっている。
それも当然だろう、──同じリーグ本部に出入りしていればまだ、試合の後だとかに声の掛けようもあるだろうが、──練習相手を引き受けたところで、一方的に叩き潰して落ち込ませるのが分かり切っていて、そのためだけに家を訪ねてくるほどに、彼女は薄情じゃない。
ならば、俺の方から声を掛けられたならそれで良いのかと言えば、──そうも簡単な話なら、俺とてモニターの向こう側に向かってこんなにも行き場のない思いを向ける前に、彼女に連絡している。
──せめて、俺から声を掛けるからには、期待に応えられるだけの調子を取り戻してからにしなくてはと、──そう考えるほどに焦燥は募り、目の前のデュエルにやけに苦戦して、戦術は精彩を欠き、視界が妙に曇って、憔悴が纏わりついて、──そうして、俺は、遂には地下デュエルの世界まで、転がり落ちてしまったのだった。
「──あなた、今までに一度でも勝とうと思ったことあるんですか?」
地下デュエルへの招待──モンキー猿山の甘言を受けて誘き出された俺は、そのステージで地下デュエルの洗礼を受けて、──そして、あの男に投げ掛けられた言葉の衝撃に脳天から貫かれたその時、──の決闘を、思い出した。
彼女は、出会った頃からずっと、何時だって虎視眈々と勝利を狙い続けており、俺に負ければ本当に悔しがったし、毎回のように「次は絶対に、私が勝つ!」と不敵に笑って、──そうして、本当に次は勝ってしまう。……は、そんな決闘者なのだ。
の決闘は豪胆で美しく、──それでいて、常に戦術は徹底して非情だった。
相手のリバースカードは問答無用で叩き割り、コンボなどは決して通さずに、ただ自分の信念だけを──勝利だけを見据えて、ブラフでの揺さぶりを掛けどんな手段を使っても、しぶとすぎるほどに足掻き抜いてでも、最後には勝利を掴み取る。
そんなの決闘は、俺のリスペクトデュエルとは相反するもので、意見の相違から俺達は度々対立しては口論に発展することもあったが、──何もは、情け無用な戦術を取るからと言って、彼女自身の人柄も非道で酷薄なのかと言えば、そのようなことは一切なくて、──寧ろ、は心根の優しい奴であることを、俺が一番よく知っていた。
そうだ、──俺はの信じていた勝利への執念を、頭ごなしに“倫理”という武装だけを根拠に否定したが、──しかし、考えてみれば、……は、決闘者として何か間違ったことをしていたか?
確かに、カミューラとの戦いなどでは、勝利だけを見据える彼女に手を焼かされたものの、──それとて、に悪意はなかった。
只、俺の方がずっと、彼女の勝利への渇望の内側を邪推して、──其処に在るものは悪である筈だと、そう思い込んでいたと、──只、それだけの話だったんじゃ、ないのか。
──勝利ばかりを望んではいけない、目の前の相手を軽んじてはいけない、自分を見失ってはいけないと、──そう思っていた俺こそが、本当は。
……己の本心から目を背けて、見て見ぬ振りをして、──行儀よく模範的に、見かけ倒しの“パーフェクト”という絵空事に、踊らされていただけじゃないのか?
……ああ、そうだ。
俺は、……本当は、ずっと前から。
と、本気で勝利を奪い合うだけの決闘が、してみたかった。
倫理や道徳などは投げ捨てて、誰の目も気にせず、彼女と戦ってみたかった。
──だから、学生時代最後の公式戦、──俺は、自分の本心の一番近くに辿り着いて、──それでも、あの時は結局、彼女を叩き潰すことも叶わなかったから、……だからこそ、あと一手届かずに、気付けなかっただけで。
俺は、ずっと昔からきっと、──を壊してみたくて、それと同じくらいに、彼女に壊されてみたかったのだ。
そうでなければ、──あの時確かに、彼女と戦うことが楽しいと、次は俺が勝ちたいと、そう思った理由に説明が付かない。
──ラストバトルと言う最高の切り札を俺以外に使った上、二番煎じの戦術で俺を屠ろうとした彼女を、──怒りに任せて薙ぎ倒してやりたいと強く思ったあの衝動も、……結局は、そういうことだ。
俺は、──本当はずっと勝利を渇望して、──お前にも自分にも気取られぬように、涎を飲み込み、喉を鳴らさぬように努めていたという、只のそれだけだった。
──地下デュエルに転げ落ちてから、既に二週間ほどが経過したが、その間、──俺はに一度も連絡を入れておらず、彼女から電話が掛かってくることもまた、一度たりとも無かった。
それでも、俺は地下街で拠点としているホテルの部屋に帰れば、プロリーグの中継で彼女の姿を確認できたが、──の方では、そんなことも叶わないのだろう。
俺が地下に居ることを、地上のプロリーグの関係者は知る筈もなく、──だが、地下と地上は一切の無縁と言う訳でもないらしい。
プロリーグの薄汚れた部分を大いに知った今となっては、それらも別段に驚くようなことでもないが、……どうやら、極偶に地下から地上に招かれる決闘者と言うものも、存在するようだ。
──確かに、もしも地下デュエルに埋もれさせておくには惜しい人材が居たのならば、──マネジメント側やリーグ関係者も、その方が都合もいいだろうからな。
そんな理由があり、近いうちに俺は、地上のプロリーグ──それもメジャーの舞台へと、復帰することになった。
それはマネージャー──猿山の取ってきた仕事で、碌な手段を使ったのではないと分かり切ってはいたが、……そうだとしても、俺にはその場所に舞い戻る意味がある。地下デュエルで雑魚を相手にしたところで、……最早、俺の渇きは満たせないからだ。
それに、メジャーリーグにはお前が、──が居る。
会えなかったこの期間と、それから、顔を合わせたところですれ違ってばかりいた数ヶ月間もようやく終わると思うと、その日が待ち遠しくも思えるが、──しかし、同時に、現在の俺をはどのように受け止めるだろうかという杞憂もまた、確かにあった。
俺は、己の中にあった本心、動物的な衝動と渇望──勝利への執念を知ったときに、のことを一層理解できたような気がして、俺と彼女は同類なのだとそう思えて、今まで以上に彼女を身近な存在に感じて愛おしく思ったが、──それが、も同じであるとは限らずに、──そして俺には、今までのように彼女に優しく接することなど、……きっと、もう出来ない。
──分かってしまった、俺はを叩き潰して壊したい、泣かせてやりたいのだと。
──それでも、きっと泣かずに食らい付いてきて、獰猛に俺を叩き潰そうとする彼女だからこそ、──こんなにも、心惹かれるのだと。
今の俺を見ればは失望するかもしれないが、──きっと、俺はそうなったとしても、もう素直に彼女の手を離してやることが出来ない。
何が何でも繋ぎ止めて、──それこそ、を地下にでも隠してしまうかもしれない。……もう、倫理や道徳と言う枷では、俺の凶行は止まらないならば、──きっと、今の俺は間違いなく、海馬に相応しくないのだろう。
──だが、それでも、──彼女は俺の物だと、本能は渇望して止まないのだ。
白い封筒に地下デュエルの試合チケットを同封し、宛名にはの名前を、──差出人には、ヘルカイザーと言う今の俺の名を綴り、募るばかりの想いと渇望に耐え切れなくなった俺は、彼女に招待状を送ることにした。
どう転んでも近いうちに、俺は彼女と地上で対面することになるのだ、──ならば、今すぐにでも地下で、お前に会いたい。……家に帰してやれる保証すらも、出来ないと言うのに。
そうも身勝手で独善的なこの恋文を、──果たしてお前は、どのように受け取るのだろうかと考えながらも、結局俺は期待してしまっている。
──俺のライバル・海馬は、きっと俺の期待を裏切りはしないことだろう、──と。
close