089

 ──吹雪との決闘を終えた後で、私は吹雪に連れられて、レッド寮を訪れていた。
 思えば、在学中には此処を立ち寄る機会も少なかったから、私がレッド寮の中に入るのはこれが初めてのことで、あまりに簡素な造りや質素そのものの内装に、最初は驚かされはしたものの、まあ、私が元々育った施設だって、設備は似たり寄ったりのものだったし。
 海馬家の令嬢で特待生、という立場だった私は、レッド寮と比べれば随分と絢爛豪華な場所──特待生寮やブルー女子寮で暮らしていたけれど、特にこれと言って、レッド寮を見ても其処まで驚いたりだとかはしなかった。
 ──寧ろ、もしかすると、ブルー寮より落ち着くかもしれない? ……と、そう思いながらも、トメさんが淹れてくれたお茶を飲みながら吹雪とふたり、レッド寮の食堂で話していると、準と十代、──それから、イエローに昇格したと聞いていた翔くん、そして、見慣れぬ新一年生だというこちらもイエロー所属の剣山くんが食堂に集まってきて、──そして、私は彼らから聞いたのだった。……現在、アカデミアで起きている事件、というものを。

「光の結社……名前は聞いていたけれど、そいつらってそんなに好き勝手しているの?」
「ああ、明日香は、すっかり組織の一員になっちまってる。万丈目も、つい最近まで光の結社の一員だったしな」
「おい、十代!」
「準が? 大丈夫だったの?」
「あ、ああ……だが、俺のせいで天上院くんが……」
「ブルー寮は既に、光の結社の総本山さ……女子寮ももうほとんど人が残っていない」
「……それじゃあ、吹雪は今は何処に?」
「僕は、レッド寮の空き部屋にお邪魔させてもらってるんだ、……それで、は……どうする? 滞在中は何処に泊まるか決めていたかい?」

 ──原則的に、今大会で外部から招かれたゲストには、本校舎内にて宿泊用の部屋が割り当てられている。
 とはいえ、私はここの卒業生だし、空き部屋の状況次第ではあるものの、出来ることなら女子寮にお世話になろうと思っていたのだ。
 寮長である鮎川先生にも在学中の感謝を改めて伝えたいと思っていたし、後輩たちに、──何よりも、私は今回の滞在中に、明日香に久々に会えることを心から楽しみにしていた、から。そういう訳で、希望としてはブルー女子寮に、というつもりで、……私は今回、アカデミアにやってきたの、だけれど。

「まあ……一応、校舎内にゲストとして宿泊部屋は用意されている筈だけれど……そうね、明日香のところに行こうとは思ってたわ」
「やはりそうか……きみならそう言うと思ってたよ。……だからこそ、一度ここに連れてきたし、この島で一番に僕が会いに行かなきゃならないと思っていたんだ……」
「……ちょっと待って、それって、まさか……」
「光の結社は、明日香先輩たちを洗脳してるんだドン!」
「優秀な決闘者を、ひたすらかき集めてるっス……だから、もしもさんが何も知らないまま、今の明日香さんに出会ったら……」
「……ああ、そうなの。……そういう、ことなのね……」

 ──現在の明日香が、一体どうなってしまっているのか、私は知らない。
 けれど、何も知らない私がこの島で明日香と最初に出会っていたならば、……恐らく、何も疑わずに私は彼女に着いて行ったことだろう。──光の結社の総本山に、ノコノコと。自らが飛んで火に入る夏の虫であることさえも知らずに。
 光の結社とやらの目的は知らないけれど、翔くんの言う通りに、有力な決闘者を人材として集めているというのなら、プロリーグに在籍する私も、彼らにとっては仲間にするだけの価値がある人間かもしれない。恐らくはその可能性に気付いたからこそ、吹雪が機転を利かせてくれたのだと思う。
 ──けれど、明日香に何かがあったのだと思うと、やはり気が気ではないし、……実兄である吹雪は、私以上に不安に駆られていることだろう。
 私にはきょうだいがいないから、正確には分からないけれど、……きょうだい、というものの持つ絆の強さなら、身近で何度も見てきたから、少しは知っているつもりだ。
 ──しかし、そんなときに吹雪は、亮を助けるため、真意を見出すための決闘まで率先して行ったのだと思うと、……どうしようもなく優しすぎるこの友人に、思わず胸が詰まりそうだった。

「……そうね、なら私もレッド寮でお世話になろうと思うけれど、それでいい?」
「え?」
「は?」
「……? 何? 吹雪は良いのに、私は駄目なの?」
「い、いや……だって、きみは女の子じゃないか、レッド寮は男子寮なんだよ?」
「特待生寮にいた頃だって、似たり寄ったりだったじゃない。今更、何言ってるのよ? 吹雪」
「いや……でも……それは、亮が怒るんじゃ……?」
「どうして、私が亮に怒られなきゃならないのよ? ……ねえ十代、レッド寮ってまだ部屋は空いてる? なければ吹雪が使ってる部屋でもいいのだけれど、私もお邪魔していい?」
「え!? それは絶対ダメだってば!」
「何よ吹雪……そんなに私と同室が嫌なの?」
「そういう問題じゃないってば! そりゃあ、きみと過ごせたら楽しいだろうけどさ、そうじゃなくて……もう、本当にきみも変わらないなあ!」
「うーん、そうだなー……それなら、万丈目に部屋を借りたら良いんじゃないか?」
「は!? おい待て十代! 俺はどうなる!?」
「そうだぞ十代くん、まさか万丈目くんと同室と言う訳にも……」
「万丈目がさんに部屋を貸してやったら良いだろ? お前はその間、俺の部屋に来たらいいじゃんか」
「う、ぐ……仕方ない……俺の部屋を使ってくれ、さん……」
「準、本当に良いの……?」
「ああ……これも俺の罰だ、好きに使ってくれ……」
「そう……? それなら、有難く準の部屋を借りるわね……?」

 ──そうして、頭を抱えている準を横目に、そのままレッド寮へと居座るべく、私は軽い手続きを済ませて、ヘリポートにて待機させていた磯野に連絡してから、滞在中の荷物を準の部屋へと運び込んだのだった。
 吹雪が何を懸念しているのかは知らないが、そんな事情を聞かされた以上、尚のこと無防備なままで校舎内に滞在しているわけにもいかない。……それに、光の結社、とやらの洗脳に屈するつもりは更々ないとはいえども、今、このデュエルアカデミアが危機に瀕しているというのなら、劣勢だという吹雪や十代の傍に居たいというのも、当然のことだろう。
 ──それに、吹雪には、一度は行方不明になった前科だってある訳だし。
 卒業生として、彼らの問題に干渉しすぎてはいけないと思っていたけれど、事態は私が思うよりも遥かに深刻なようだし、既に他人事で居られそうにもない。
 だったら、もしも彼らから助けを求められた際には、すぐにでも駆け付けられる距離に居たい、と思うのも、……何も、悪いことではない筈だ。

「……それで、明日香は今どうしてるの?」

 荷解きを済ませてから、ジェネックスへの招待状に記載された大会ルールを再度確認して。それから、──準の部屋にて、吹雪と向かい合いながら二人分の珈琲を淹れると、私は吹雪へと話を切り出したのだった。
 ……部屋に備え付けられていた器具を勝手に使って、これまた勝手に珈琲を淹れてしまったけれど、……まあ、準ならさして文句は言わないだろう。あの子は何だかんだで優しい子だし。

「そうだね……僕も正直、詳しくは分からないんだ」
「そう、だったの……」

 吹雪から聞いた話によると、光の結社とやらに呼び込まれて以降、明日香は何処か支離滅裂な言動を繰り返しており、光の結社に一度入ってしまった生徒とは、既にまともなコミュニケーションが計れていないということらしい。
 現在、彼らは元ブルー寮である光の結社総本山に居座っていて、明日香は組織の幹部役を務めており、……此方の意志では対話どころか、接触さえもまともに測れないという有様のようだった。

「……兄として、情けなく思うよ。……でも、明日香をこのまま放っておいたりはしないさ」
「吹雪……」
「明日香は僕を、ずっと待ってくれていた。……僕を探していてくれたんだ、きっと帰ってくると信じて、……、きみと亮と共にね」

 ──だから、僕も決して明日香を諦めない、と語る吹雪の目は、いつもの穏やかでおどけた色なんてしていなくて、──意志の強い、兄の瞳をしていた。
 それを見詰める私はというと、こんなときだと言うのにその瞳に何だか安堵してしまい、……そっと吹雪の手を取ると、彼の大きな手をぎゅっと握りしめて、……静かに、語りかける。

「ええ……その通りだわ、吹雪。……それに、私も明日香を放ってなんておけない。……だからこそ、レッド寮に居座ることにしたのよ、吹雪の傍に居るためにもね」
……ありがとう、きみはやっぱり、優しい女の子だなあ……」
「ちょっと……、そうやって茶化さないでよ……」
「はは、茶化してなんて居ないさ。……だけど、そうだなあ、……少し危機感が足りないのも、変わらないみたいだね」
「? 吹雪……? 急に、何の話?」
「だってほら、……友情から恋には発展しない、なんてことは在り得ないのは……きみが一番、よく知っている筈だろう?」

 ──ぎゅ、っと握っていた吹雪の手に指先を解かれて、改めて、指先を絡め取るようにして手を繋ぎ直されて、……そのときの私は、一体、どんな顔をしていたのだろう。
 ──多分きっと、酷く驚いた顔をしている私を、真剣な眼差しで見つめながらも、ふっ、と。吹雪は、優しげに微笑む。
 ──ぴり、と何処か張り詰めたようで、されど甘ったるい空気がいつの間にやらこの空間に生まれ始めて、……私はまるで狼狽することしか、できなかった。

「……なーんて、まあ、冗談だけどね?」
「っ、吹雪! からかわないで!」
「あはは、ごめんごめん。……でもね、、僕が言いたかったのはこういうことさ」
「はぁ……?」
、何があっても僕は、きみと亮の友であり続ける。……けれど、この寮には十代くんたちだっているんだよ? 可愛い後輩とはいえ、あまり信用しすぎるのも、過信しすぎるのもいただけないなあ……男は皆狼だって、きっときみはもう知ってるんだろう?」
「ふ、吹雪! 私はからかわないで、って言ってるの!」
「からかってなんていないさ、……まあ、今回は僕がを護るけどさ、……あんまり亮を嫉妬させると、痛い目を見るのはきみなんじゃないのかい?」

 ──吹雪の言わんとしていることをようやく察して、ぐっと押し黙った私に、脅かし過ぎたね、と少し困った顔をしてまなじりを下げながら吹雪が笑う。
 先程の吹雪から何を咎められていたのかは、よく分かったけれど。……それでも、吹雪のことも明日香のことも心配だったんだから、仕方ないじゃない。……まあ、吹雪が言いたいことは、流石に私にもよく分かったし、……言い分だって尤もだとは、思うけれど。

「……時々、思うのだけれど」
「なんだい? 
「……私、男の子に産まれたかったかも。……もしも、そうだったのなら、吹雪とも亮とも、今よりも近い距離にいられたんじゃないかなって、……それに、こういうときだって、明日香を護れたかもしれないのになって思うのよね……」
「……まさか、冗談だろう? きみが男だったら、だなんて……きみのように素敵な女の子が、そんなこというものじゃないよ、勿体ないなあ!」
「吹雪ったら……またそうやって、馬鹿なことを……」
「馬鹿なのはきみの方だよ、。……きみが男だったなら、きっと亮と恋に落ちることもなかったんだよ? ……きみは、それでいいのかい?」

 ──まあ、そんなことを問われてしまえば、最後。……私には、吹雪が喜ぶような返答しか、出来なかったけれど。


 その日は吹雪と情報を交わしつつ、久々の再会を喜んで、近況報告も兼ねて色々と話をした。
 ──そうして、明けて翌日、本格的にジェネックスへと参戦し、着実にメダルを集めている矢先のことだった。──私が島内で、亮に、遭遇したのは。
 吹雪や翔くんから、既に亮も参戦していることは聞き及んでいたけれど、……きっと、亮の方は、私が既にアカデミアに到着していることを、知らなかったのだと思う。
 島を訪れた昨日、ギリギリまでリーグで試合をこなしていたことは亮も知っているだろうし、考えてみれば尚更、私がいるなんて亮は思いもよらなかったのだろう。──私の姿を見付けると、亮は少しだけ驚いたように目を丸めてから、乱暴な歩みでこちらに近付いてきて、──開口一番に、こう言ったのだった。

「……いつアカデミアに? 既に参戦しているなど、俺は聞いていなかったぞ」
「到着したのは昨日よ。……まあ、どうせすぐに会うだろうと思ってたから、昨日は連絡しなかったけれど……」
「しかし、校舎でも姿を見かけなかったが。お前も、本校舎に部屋を借りているのだろう?」
「いえ、私はレッド寮に居るの」
「……なに?」

 ──ぴり、と、亮の纏う空気が一瞬にして張り詰めたことには、……昨日の今日で吹雪から言い聞かされたばかりだし、まあ、私もすぐに気付いた。
 ……しかし、こうも吹雪の言うとおりに事が進むと、ちょっと怖くなってくる。──どうして、吹雪はいつも、こんなにも私と亮とを深く理解して、行動を先読みしてくるのだろうと思うと、……もう、本当に、本当に息の合った親友なのね、と。
 私と吹雪の関係についても改めてそう思うし、一悶着はあったようだが、──同性の友人として亮を誰よりも理解しているのは、やはり今でも、間違いなく吹雪でしか在り得ないのだろうな、と私は確信めいたものを感じるのだった。

「レッド寮は女子禁制の筈だろう、何故がレッド寮に……?」
「あーもう、まるで吹雪と同じこと言うのね? ……ほんと仲良しなのね、ちょっと妬いちゃうくらい」
「何を……」
「準の厚意で、セキュリティー万全のあの子の部屋を借りてるの、何も問題ないわよ」
「そうか……いや、しかしだな、万丈目の部屋と言うのも、それはそれで……」
「それより、吹雪から聞いたわよ? ……悪気はないんでしょうけれど、もう少し吹雪に優しくしてあげたら?」
「……ほう、今日は随分と、吹雪の肩を持つんだな? 

 むす、っとした顔でそんな風に不満を零す亮を見ていると、なんだか堪らなくおかしく見えてきて、思わず笑ってしまった。……まあ、私のその反応にも、亮は困惑したようだし、相変わらず不満げな顔もしていたけれど。
 ──亮と吹雪が半ば、仲違いに近い状態に陥った、と。……そう、吹雪から聞いたときは、正直なところ私は結構、ショックだったのだ。
 二人とも、意味合いは違えど、私にとっては同じくらいに大切なひとだから、……当然だけれど、彼らには仲良くしていてほしいと、そう思っている。
 とはいえ、あまり仲が良すぎれば、女の私では其処に割って入っていけないような気もして、双方に対し、ある種の嫉妬を覚えてしまうことだってあるけれど、……それでも、やはり、と。……そう、思ってしまうのだ、私は。
 だからこそ、私と吹雪の仲に、変わらず幼い嫉妬を見せる亮を見て、……なんだか、少し安心した。まるで学生の頃に戻ったようだ、とか、私達三人は何も変わってなんていない、とは、……流石に、其処までは言えないけれど、それでも。
 ……きっと、彼らの根本にあるものは、変わっていない。
 私が吹雪に信頼を寄せていることも、亮がその事実を理解しているからこそ、吹雪に嫉妬してしまうことも。──その理由が、私と亮も元々は親友同士だったからだということも、……それを知っているからこそ、吹雪は今でもあれこれと私たちの世話を焼いたり、揶揄ったりだとか、そういうことをしてくるのだということも、……きっと、此処にあるもの自体は何も変わりはしていないのだろう。
 ──だからこそ、今。多少ぎこちない関係に、亮と吹雪が変わってしまっていても、奥底にある二人の信頼関係だけは、きっと変わっていない。
 少ない言葉で真意を伝える亮の態度も、それに全力でぶつかっていく吹雪の態度も。二人が私の前で見せる態度も、それを踏まえた上で、二人が私を通してお互いをどう見るのか、何を感じるのかも、……何一つとして、変わってはいないから。
 今の、この状況は、目に見えるものがほんの少しだけ動いたに過ぎなくて、見えるけれど見えないものは変わらずに此処にあるのだ、と。……少なくとも私にはそう思えたし、今後の彼らが此処から悪転していくとは、然程思えなかったのである。

「……当たり前でしょ? 吹雪は私の一番の親友なのよ?」
「……そうか、それはよかったな」
「だから、……亮と吹雪には喧嘩なんてしてほしくないんじゃない。あなたは私の一番の恋人なんだから、分かるでしょ?」
「……そうか」
「……ほら、そんなことより決闘しないの? それが、この大会のルールなんでしょ?」
「そうだな……いや、今はやめておこう。……今は少し、お前と話がしたい」
「……まあ、別に、私はそれでもいいけど……」

 ──そう呟いた亮に素っ気なく繋がれた手に安堵していることだって、今も昔も変わらない。
 ──この体温と、それと、もうひとり。私にとってその二人こそが、掛け替えの無い相手であるように、きっと二人だって、同じことを思ってくれている、と。
 少しだけ穏やかな横顔を浮かべて佇む亮は、結局のところ、吹雪になら素直に私を預けるのだろう、と。……その態度を見ていれば、私は何故だかそんな風に、自信を持って思えたのだ。


「──しかし何故、お前がレッド寮に……?」
「明日香のこと、聞いてない? なんだか大変らしくてね……ほっとけるわけ、ないじゃない」
「……やはりお前は、相変わらずだな。……昔から何も変わらない、ずっと心根が優しいままだ」
「……そういう亮だって、そんな恰好してるけど何も変わらないわよね、イメチェン失敗なんじゃない?」
「いめ……? 別にそういったつもりはなかったのだが……とにかく、レッド寮にいても何も問題ないんだな? 場合によっては……」
「だから! 平気だって言ってるでしょ! それに吹雪が傍に居るのよ?」
「……それがある意味、一番心配なんだが……」
「なにそれ? ……まさか、吹雪のこと信頼してないとは言わせないわよ」
「信頼しているからこそだろう、俺だって昔はそれなりに自分を信頼していたぞ。……だが俺は結局、のことを……」
「ああもう、その話は終わり! とにかく、何も問題ないから! 私は好きにやるわよ!」
「しかしだな、何度も言っているがお前はもう少し、異性に言い寄られやすいという自覚を……」
「だから! あなたって、どうしてそんなに素直すぎるわけ!?」 inserted by FC2 system

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