091

「──っ、は、はっ、はぁ、は、はぁ……っ」

 ──嗚呼、こんなのって、……本当に、なんて無様なのだろうか。……明日香を助けてみせるなんて言っておいて、結局はこの様だ。
 確かに、途中まで決闘の行方は私が優勢で、私もそれまでは冷静に局面を見極められていたけれど、──明日香との決闘、私の前に立ちはだかった凍てつく氷の白い龍を、前にして。──確かに一瞬、私の思考は、凍り付いてしまった。
 ──私の象徴とも言うべき、白き龍。……それが、あんなにも冷たい刃のように研ぎ澄まされている姿を、見せ付けられて、……心臓が、凍り付くような思いがした。
 ああ、もしかすると、明日香は本当に、……私を目指したからこそ、こうなってしまったのかもしれない。吹雪を悲しませて、十代たちを不安にさせている明日香の豹変も、……すべて、私のせいだったのかも、しれない。
 ──だってあのモンスターは、あのデッキは、まるで過去の私の鏡写しのようだ。
 今の私は既に、青眼に相応しい担い手になれたものだとばかり、思っていたけれど。……そうだ、確かに、過去の私に相応しいのは、あの氷の龍だったことだろう。……あれは確かに、私だった。その龍を従える明日香は、それなら、やっぱり、……あの頃の私の、再現だと言うの?
 ──それに、何故だろうか、明日香との決闘の最中から、ずっと脳内に響く妙な声が私には聞こえていて、お陰でデュエル中も集中力が途切れるどころの話ではなく、……これはまるで、脳を侵略されるような。

『──お前も理解しただろう、理想を、光を、海馬はこうあらねばならんという、運命を』

 ──心の中心を揺さぶって、脳に直接語り掛けてくるかのように、誰もいない耳元で聞こえた、肌が泡立つあの囁き。
 まるで入念な暗示をかけるかのように、何度も何度も唱えられる、私への否定と肯定、──そして、誘惑と拒絶。その不快感でふらつく身体を引きずりながらも、必死に戦局を立て直そうと足掻いたけれど、──結局は、白き龍と白い龍との一騎打ちにより、明日香との決闘は両者の引き分けに終わった。

「──明日香! 待って!」

 私との決闘を終えるや否や、森の奥へ向かって走り出してしまった明日香を追いかけて、必死に茂みを掻き分けて走る。ワンピースの裾から伸びる脚を木の枝や草むらで切ったのかあちこちが痛むけれど、今はそんなことに構っていられるような状況じゃない。
 ──だって、此処で明日香を引き留めないと、何か取り返しが付かなくなるような気がしてならなかったのだ。──必死に彼女を追いかける私を、全力で引き離そうとする明日香。──ねえ、なんで、どうして、あなたに一体、何があったの。……私に、何が起きているの。……一体、私はどうしてしまったの、どうして、……どうして。

「──カイバーマン! 明日香を止めて!」

 ──今までずっと、私にはデュエルモンスターズの精霊の声が聞こえたし、その中でもカイバーマンは、私にとって一番のパートナーだったから、彼の声が聞こえないことなんて、今までに一度だって無かったし、カード誕生の経緯から特別に私と深く結び付いている彼は、その気になれば、私の側でだけ実体化できる。
 ──だからこそ今も、カイバーマンを呼び出すことで、彼に私を抱えて明日香の元まで先回りしてもらおうと思ったのに、……それなのに、カイバーマンのカードが私の呼び声に応える気配は、一切感じられない。
 ──先程の決闘の最中も、ずっとこうだった。耳元に響くあの囁きが強くなるにつれて、どうしてか私には、精霊の声が聞き取れなくなってしまって、……きっと先程の決闘は、デッキとのコンビネーションも何もかもが、最低なものだった。
 ……嗚呼、私は一体、何をしているのだろうか。カイバーマンも青眼も乙女もみんな、私のかけがえの無い相棒なのに、あの子達と繋がっていなかった日なんて、一度もなかったのに、……それに、明日は大事な決闘の約束を、しているのに。
 ……このままでは、こんな私では、こんな私たちでは、……いつもみたいに戦うことすら出来ないんじゃないかって。……今はどうしようもなく、それを想って只々息が苦しくて、……苦しくて、悲しくて、怖くて、──そうして、やがて拓けた土地まで走り切ると、──何故か其処に明日香の姿はなく、……代わりに私の目の前には、見覚えのある白い姿──斎王が立っていた。

「──斎王!」
「お久しぶりです、さん」
「斎王、丁度良かったわ……お願い、手を貸して欲しいの! 私の大切な後輩の様子が可笑しくて、この辺りで見失ってしまって……一緒に探してくれない?」
「天上院明日香ですか? 彼女なら無事です、──此方においでください、ご案内しますよ」
「明日香のこと、何か知っているの? もしかしてあなたも、光の結社と対立して……」
「対立? ……まさか。光の結社は私が立ち上げた組織ですよ」
「……え」

 縋る想いで彼に駆け寄った私に手を差し伸べて、斎王は何処かへと私を導こうとする。
 ──けれど、その声が、先程までずっと脳に響いていた、あの幻聴じみた囁きと酷似していることに気付いたその瞬間に、──彼はたった今、信じられない言葉を口にしていた。
 ──斎王が、光の結社の首魁、ですって?
 ……まさか、そんな。……だって、斎王はエドのマネージャーで、先日の彼は人の良い笑みで笑っていて、──だったら、今目の前に居るのは、一体誰? 私が斎王琢磨だと思っていた彼は、──一体、何者なのだと言うのだろう?
 ぎらぎらと見覚えのない光を湛えたその眼を前に咄嗟に身構えながらも、……いつの間にか、本能的に身体が震えていた。……あ、れ。……なんで、だろう。いつもならばどんな窮地でも、目の前の敵に恐れたりなんてしないのに、……明日香を、人質に取られているから? ……いや、違う。これは、それだけじゃない。……だって、そうだった、今まで私が走り続けられたのは、全部、……全部。

「明日香に……私のデッキに、カイバーマンに、何をしたの!?」

 ──カイバーマン、あなたが私のナイトでいてくれたから、だったのに、──それなのに今、彼は私の傍に居ない。
 ──そうだ、私にとって精霊と繋がっているというその事実は、この上なく大切なものだった。その事実こそが、いつだって私に勇気と力を与えてくれていた。
 カイバーマン──彼が私のナイトで、何時だって私を護ってくれていたから。私をマスターと、ときには女王と、ときにはお姫様と、……そう、呼んでくれたから、いつだって私は、なりたい自分になれた。誇りを抱いて立ち続けていられた、誰にだって立ち向かえた、誰とだって戦えた、……何だって、乗り越えられたのだ。

「私は何もしてはいないさ、天上院明日香は自ら望んで変貌した。光の使徒として、彼女の内に潜んでいた理想を体現したまでのこと……」
「理想……? あなた、一体何を言って……」
「理想。……そうとも、天上院明日香の理想、それはかつての学園の頂点……お前になることだ、海馬
「……馬鹿を、言わないで」

 ──声が、震えていた。……なんということだろう、どうしたって目の前の現実を心は拒んでいる。……だってこんなのって、みっともなくて、情けなくて。……だと言うのに、思わず叫び出してしまいたいくらいに、……私は本能的に、この男との会話に恐怖しているのだ。

「何を言う、あれはまるでお前そのものだろうに……お前は忘れただけだ、牙と翼をもがれ、失墜する前のお前は、まさしくあのような決闘者だった。誰よりも強い白、誰よりも激しい破滅の光の体現者……それが海馬の在るべき姿だと、天上院明日香が、この学園が、運命が、そう望んだのだよ、海馬
「……斎王、悪いけれど、あなたが何を言っているのか、私には……」
「──そして! それはお前のデッキとて同じこと! ……腑抜けてしまった主に失望したからこそ、お前は精霊と心を通わせることが叶わなくなった! ……どうだ、違うと言えるか!?」

 ──男が放ったその言葉に、……どくん、と激しく心臓が跳ねる。足元がふらついて目が霞み、……男の、斎王の、言葉が鼓膜の奥で強く反響している。
 ──嘘だ、そんなこと、あるわけがない、……まさか、私が、デッキに、カイバーマンに失望されたのだと、……斎王は今、そう言ったの……?

「……海馬、お前ほど白に相応しい人間はおるまい。白く在るべき、頂点に在るべき、強者たるべきと祝福された、白き神子よ。……私と共に来い、光の結社が、お前が持ち合わせていた本来の、正しく白い色をお前に与えてやろう。……お前が居るべきは闇の中でも、ましてや地獄でもない。……光の中に、只孤高で、気高くあるべき者よ。……儚くも美しい、白き龍の人よ」

 ──彼は、私の相棒だった。
 カイバーマンがいてくれたからこそ、私は何時だって前を向けた。青眼は父様から受け継いだ私の誇りで、私の命だった。
 それなのに、あの子が、私の魂で居られなくなったと、そう言うのならば。……私の魂は、一体この世界のどこにあると言うの。……この身を離れた私の命は、一体、何処に行ってしまったの。
 もしも私が、白いあの子の理想を打ち砕いて、やがて自分の為だけに変わり果てた私は、……明日香をも、私の身勝手で平穏から突き落としてしまったと、……もしも、そうだと言うのなら。

「……だったら、わたしは……」

 ──私の全てが、打ち崩されようとしていると、そう言うのなら、……その責任が全て、私に在ると言うのなら。……私は、私は、……ああ、だめ、だ。惑わされるな、落ち着け。……本当に、この靄が掛かったような思考は、あの男──斎王の言葉は、正しいの? ……でも、何故だか。次第に視界が曇って頭が回らなくなってきて、……もう、上手く、考えられな、く、なって、きた。
 ……でも、だめよ。立ちなさい、。……だって、約束、したもの。……いけない、ここで、私が、……たら、あいつ、きっと、……ふぶきの、とき、みたいに……ずっ、と、待って、る、から、……だ、め、しっかり、しろ、海馬、……。

「……わ、たし、どうすれ、ば……」
「……簡単なこと。私の元に来るのだ、。……私がお前に、全てを与えてやろう」

 ぐるぐると回る眼は遂に、ふっと光と意識を手放して、──足元からがくりと、彼女はその場に崩れ落ちる。その身を抱き留めながらも、私は内心ほくそ笑む。
 ──やはり、この女には、他の生徒達と比べて洗脳も暗示も掛かりづらく、苦労した。事前にコンタクトを測った際に握手に応じた彼女へと、既に種は撒いていたのだ。
 そうして、事前に入念な仕込みを済ませていたと言うのに、先兵として仕立て上げた明日香でも打ち破り切れずに、洗脳下に置いてもまだ、食らい付いて来ようとはな。
 精霊とやらの干渉を強引に力技で絶ち切った上で、決闘で心理的に揺さぶって精神を弱らせ、意識が飛ぶまで私が語り掛けなければ落とせないとは、……仮にもかつての学園の頂点、そして海馬二世の名を背負うだけのことはある。
 ──だが、これにて駒は揃った。──彼女さえ手に入ったのなら、この白き破滅の体現者が私の手に落ちたならば、……もう、誰も破滅からは逃れることはできない。──今、運命は此処に定まった。──滅びの未来が、この瞬間に決定したのだ。

「──安心するといい、。お前の愛しい精霊達に、きっとお前はすぐに会えるさ」

 ──以前、プロリーグでの彼女の話をエドから聞いたときに、私は確信した。
 故に、私は彼女を手に入れんと、一度接触して縁を結び、更にこの学園に罠を張った上で、彼女を待ち構えていたのだ。
 ──彼女は、海馬は、私の運命に干渉する存在、破滅を加速させる存在。……そんな彼女を、光の結社の象徴として、祀り上げたなら。きっと彼女を慕い続けた生徒達は皆、光の結社こそが正義なのだと、我等への信仰を深めることだろう。
 ──彼女には、すべての引き金になってもらう。起爆剤に、なってもらう。
 ──そうだな、何者かの代役、という役目は……プライドの高い彼女には些か不満かも知れないが、そこは我慢してもらうとして。──この神の子には、我々の巫女役を担ってもらうことにしようか。
 きっとこの学園の生徒達は、彼女を守れという命令に、叛きはしない奉公者ばかりだろうから。──そう、天上院明日香を始めとした、全ての生徒が一丸となって、彼女を守り、──そしてやがては、彼女を殺すのだ。

「お前ほどの魂なら、きっと死後は精霊界へと転生出来ることだろう。……ならばそこで、彼らと再会出来れば、何も問題は無いとは思わないか? 

 ──さあ、役者は揃った。……そして、運命の針は此処に、回り始める。


「……海馬、……?」
「ああ。プロリーグに最近加盟した選手で、アカデミアの卒業生でね」
「で? その女がどうしたのだ、エド」
「変わった奴なんだ、……僕は本来、彼女にとって仇であるはずなのに……」
「なのに、どうした?」
「……僕と話して、僕と決闘して、笑うんだ。おかしなヤツだと、きみもそう思わないか? 斎王」
「ほう、お前はそれが嬉しいという訳か」
「な、別に嬉しくなんて……」
「……エド、お前が友人の話をして笑うのを初めて見たな、……これは面白い」
「だから、彼女は別に友人なんかじゃ、……いや、しかし、」
「どうした?」
「……そうだな、はとても……眩しいヤツだから。縁があれば斎王も一度、彼女と話してみるといい。きっと僕の言いたいことが、分かると思う」
「……ああ、是非、その機会があることを願いたいものだな」


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