094
──初めて彼女と出会った日に、フィールドに立つ彼女の立ち姿を遠くから見たとき、──私は確かに、あのひとのことが、怖いと──そう、思った。
龍の眼は、まるで冷たい氷のよう。荒涼とした風の吹く瞳で対戦相手を見つめる彼女は、息つく間もないほどに怒濤の攻めを展開し、相手の抵抗する気力さえも全て根こそぎ叩き潰した上で、敵を粉砕する。
──そうして、冷たい瞳で敗者を一瞥して、彼女はフィールドから旋風の様に立ち去るのだった。
その決闘はまるで底が知れなくて、洗練された所作は、彼女の立ち振る舞いに畏怖を加えていた。
──彼女が決闘にぶつけるものが何なのか、私には分からなくて、その無機質な衝動は怒りにさえ思えて、……だから私は、あの人が怖かったのだ。──“海馬先輩”のことが、かつての私は、怖くて仕方がなかった。
──アカデミアの頂点の一角を担う紅一点、“海馬先輩”はきっと、ブルー女子の憧れの的だったことだろう。彼女に向かってきゃあきゃあと黄色い声を上げて、あの“海馬先輩”を、様、レジーナ様と呼び慕う級友たちの姿を見かける度に私は毎度ヒヤヒヤしていたし、彼女はそんな級友達への反応にも、飽くまで冷淡な、……言い換えればクールな対応をしていたけれど。
──それでも、彼女達は、ストイックに勝利を掴むあのひとに憧れていたらしい。
……それも当然だと、私もそう思う。このアカデミアに於いて、女生徒にはそもそもブルー寮という選択肢しか存在せず、私達は謂わば、スタート地点から実力ですべてが決まるのこの島では、勝負の世界から一歩置き去りにされている。──そして、それを誰も、屈辱だとは思っていない。──だからこそ、その制度は、変わらない。
私はあの頃、そのハンデが心底気に入らなくて、ちゃんと実力で勝負したくて、その為にこのアカデミアに入った以上は、どうしようもなく悔しくて。だからこそ、いつか誰よりも強くなると心に決めていた。
──けれど、当時から、特待生の“海馬先輩”は女生徒の中で唯一、その実力勝負の中に土足で踏み込んだ存在だったのだ。
──そんな彼女に、女生徒たちが憧れない筈もなく。奇跡の体現のようなあの決闘者を、私達は羨望した。
……そうだ、私だって、そうだった。──あのひとの激しくも洗練された美しい決闘、……あんな決闘を私も出来るようになりたい、あの人と対峙できるだけの決闘者に、私はなりたい。
……けれど、そうだ、……あの眼、だ。──あの瞳に射抜かれることが、見透かされることが。あの頃の私は、……本当に、怖かったのだ。
だからこそ、あのひとが兄の友人だと知ったとき、──心の底から、その事実が意外だった。
……兄さんは、異性の友人なんて滅多に作らない。たとえ兄さんが相手と友人になろうとしても、何時だって相手がそれを望まなかったからだ。
故に兄さんには昔から異性の友人が居なかった、兄さんに寄ってくる女の人はいつも、兄さんの恋人になりたい人ばかりで。……だから、友人と言うからには、“海馬先輩”もきっとそうなのだ、ということだろうとは思ったけれど、……あの人の涼しい眼が兄さんを熱く見つめている様は、……なんだか、上手く想像ができなくて。
「──吹雪! 今の私の決闘見てたでしょ? どう? 何か感想は?」
「うんうん! 良い決闘だったよ! ……、最近楽しそうに決闘をするようになったね、なんだか嬉しいよ」
「ふふ、それは多分あなたたちのお陰よ。光栄に思っていいわ!」
──だから、そう。兄さんと彼女が和やかに笑い合っているのをいざ目の当たりにしたとき、それは、私にとって意外な光景でありながらも、……何処か、腑に落ちるやり取りでもあって。
……本当の“海馬先輩”は、あんな風に笑うひとだったのだと、そう思ったら、……自然と、私の中に渦巻いていたあのひとへの苦手意識などは、簡単に何処かへと吹き飛んで行ってしまった。──そして、私は兄さんの言葉で思い出したのだ。
……ああ、そういえば、確かに。……“海馬先輩”は最近、決闘中に楽しそうな顔をすることが増えたような気がする、と。
──以来、よく気を付けて彼女を見ていると、“海馬先輩”は意外と、人の良さそうな目元で笑うひとなのだと気付いた。
その後も、相変わらず普段は、荒々しく、そして凛々しく立ち振る舞う彼女だったけれど、きっとそのどちらもがあのひとの素顔なのだろう。
学園の頂点としての責任、そして、父の名を背負う重責をも受け止めて、王者たらんと堂々と立ち続ける彼女も、──私と同じ年頃の少女の顔であどけなく笑う彼女も、……きっとそのどちらもが、“海馬先輩”の本当の顔なのだ。
──確かに、私が最初に憧れたのは、強者としての彼女の横顔だった。けれど、そう。……いつの間にか私は、彼女の優しくて柔らかな笑みが好きだなあと思うようになって、……あんな決闘者になれたなら、素敵だ、と。……確かに私は、そう思っていたのだ。
「──明日香。泣かないで、なんて私は言わない。でも、泣きたくなったら私の部屋に来なさい。絶対に、一人で泣かないこと、いい? 夜中でも何時でも構わないから、私を頼りなさい。……今日からあなたは、私と亮を吹雪だと思って、なんでも頼って、どれだけワガママ言ったっていいの、……私は貴女を、自分の妹だと思うから」
──私、妹が欲しかったのよね、と。……そう笑ったあのひとが、私を優しく抱きしめて、背中をそっと叩いてくれたあの日のことを、私はどうしたって忘れられない。
──笑う彼女の声だって微かに震えていたことを、私の知らないところで、彼女が兄の為に泣いていたことを、決して忘れない。
私の姉になると、彼女がそう言ってくれたあの日からずっと、……やがて兄さんが帰ってきて、私と彼女が先輩後輩の関係に戻ってからも変わらずに、あなたは私を護ると言ってくれて、……私の為にいつも怒ってくれたあの優しさを、私、忘れたことなんてなかった。
私の心の奥底にあった真実は、──確かに、彼女の優しさへの憧れでしかなかった、……その筈、なのに。
「……“、さん”……?」
──長い長い、夢を見ていたかのような気分だった。……けれど、残念ながら記憶に残っているそのすべては、決して夢ではない。
──十代との決闘で、光の結社の洗脳から解放された私は、正気を取り戻したことで、私が不在の間に何が起きていたのかを、ようやく理解した。
──そして、さんがまた今回も、私を助けようと戦ってくれたこと、──その結果、彼女が斎王の手に囚われてしまったことも、私は知ったのだ。
「──明日香、きみが自分を責めることを、は絶対に望まないよ」
「兄さん……でも私はさんに……」
「……違う、違うんだよ明日香。もしもすべてきみのせいだ、と言ったなら、例えそれがきみ自身の言葉でも、は酷く怒るだろう。……は、そういう女の子だから」
──さんはいつも、自分の選択に責任を持つ人だった。辿り着いた結果が、自身の望んだ未来では無かったとしても、自分が歩いた道は自分の決断で出来ているのだと、いつでも彼女は、不敵に笑う。
──私にも、それは分かっている。……兄さんの言葉は、本当だ。私への慰めでも何でもなくて、只偽りのない、それこそが本当の彼女なのだ。
「……兄さん、でも私、さんには、……あの二人には、ずっとずっと、助けて貰ってきたの、二人が私の手を引いてくれたのよ……」
──光の結社に祀り上げられて、すっかりと凍てついた眼差しを湛えるようになってしまっていた彼女と対峙した時、──私は、思わず背筋が凍った。
私を助けようとしてくれた彼女を、きっと今度こそは私が助け出そうと、……そう、思ったのに。──あの龍の眼に射抜かれた瞬間、……私の足はすっかり竦んで、その場から動けなくなってしまったのだ。……それでは、いけないのに、──だって、だって。
「……もしも、さんがこのまま帰ってこなかったら、私……」
──私の震える手を握ってくれている兄さんの手も、彼女を想って、冷たく、……かたかたと、少し震えていた。
「……亮になんて、謝ったらいいの……?」
──あの二人は私を、護ってくれたというのに、……一体、私は。
──白、白、白。それは、暴力的なまでに圧倒的な、何よりも強く誇りを湛えた色。光の神殿の中心に広がる真っ白なドレスとヴェールは、まるで高貴なる花弁のようだ。
その選ばれし装束を身に纏う者こそは、我等が正義の象徴。──誰もが神の子と信じてやまない、勝利を約束された、──白き龍の人。
「──我が神子、海馬よ」
──用意された玉座に座り、膝の上で祈るように手を組み、閉じられていた瞳が、私の声に反応してすっと開かれる。……ゆらり、と怪しい影を落ちるその眼こそは、暗示が効きすぎている証拠に他ならない。
──海馬というこの女は、極めて意志と意地の強い決闘者だった。並の人間に対する暗示では大した効果をもたらさず、どうにか彼女の精神をねじ伏せてやろうとして、……力加減を間違えた結果が、これだ。
光の結社本部へと連れて帰った彼女はまともに口も利けず、何もなければ日がな一日、寮の奥で祈りを捧げている。
彼女が我々にもたらした功績は、余りにも大きかった。──仮にも彼女は、かつての学園の頂点の一角。決闘の腕前に加えてその人柄、それに何より、父親譲りの飛び抜けたカリスマ性を持ち合わせて、学園の生徒の羨望を浴び続けた彼女が、光の結社に与している現状は、我等が正義であることを生徒達に知らしめるには、余りにも十分すぎる事実であった。
──まさか、“あの”海馬が選択を間違える筈がないだろう、と。
私の洗脳により攻撃性を強めた彼等はそのように信じ込んで、レジーナの為ならばこの身を賭して戦うと改めて私に誓ってくれた。……物言わぬ人形と成り果てて尚、此処まで力強く周囲を導いてしまえるというのだから、……全く、皮肉な才能もあったものだ。
「──神子よ、せいぜい愉しむといい。……お前が世界を滅ぼす様を、存分にその眼に焼き付けろ」
──例えその魂が罪の元に灼け堕ちても、……その義務も責務も既に、お前にあるのだ、海馬。
──光の結社なる組織が暗躍しているという話については、俺の耳にも入っていた。事前にその存在については、からも聞き及んでいたからだ。だが、俺にとってそんなものはどうでもいい、俺は俺を愉しませてくれる決闘を求めてこの大会に参加したに過ぎん。
……誰がどうなろうと、既に学園を去った俺の知ったことではない。──そもそも、とてもではないが、今はそんなことを気に掛ける気にすらもなれなかった。
「……また、繋がらないか……」
──の携帯に繋がらない、それどころか、どうやらレッド寮にも女子寮にも彼女は帰っていないようで、当然ながら、俺の部屋に来ているなどということもない。
実家に電話してみることも考えたものの、目の前の決闘からが逃げ帰るとは到底思えずに、──俺はと言えば、只、今日もこうして、との決闘の瞬間を望んで、灯台にて彼女を待ち続けている。
退屈凌ぎにと、通りがかった大会参加者に決闘を吹っ掛けたりもしているが、その全てが退屈な試合内容だった。──ようやく、公式戦でと決闘ができる、と。そう、意気込んだ矢先の出来事だったのだ。……彼女と、連絡が付かなくなったのは。との決闘を渇望しており、それが叶わずにいる以上は、誰が相手であろうとも、──到底、俺の渇きが満ちることはないのだろう。
──俺の対戦相手はただ一人、──、お前で無ければならない。
……明日香が光の結社から解放されたと風の噂で聞いた際には、正直なところ、俺も少し安堵していた。……今となっては顔を合わせることもないが、明日香は、俺とにとってある種の特別な存在だったからな。
「──吹雪の妹は、絶対に私たちで護る。……誰にも、渡さない」
そう言って、強い意志の籠った光を宿していたあの日のの瞳は、……ある種の狂気さえも、湛えていたのかもしれない。
──あの頃の俺達は、とにかく必死だった。俺はを失うことが怖かったし、もきっと、それは同じだったことだろう。吹雪も含めて常に三人だった足並みが乱れて、……しかし、共通の目的を持った俺達はそれでも、ふたりでいることを選んだ。
それしか選ぶ気もなかった俺は、それを選んでくれたと、明日香だけは俺達で護ろうと約束して、……だから多分きっと、あの頃、明日香が俺達を繋いでくれたのだ。──かつての吹雪がそうであったように、明日香を助けながらも俺達は明日香の存在に助けられていた、……救われていた。
そんな少女に傷付いてほしいとは、無論、今でも思えない。だから、明日香が無事だという事実には、俺とて安心したのだ。……そう、その事実には、だが。
──近頃、明日香と入れ替わるように、光の結社──その総帥たる斎王という男の隣に、白い服の女が立つようになったという噂を聞いた。
それは白いドレスの良く似合う、美しい眼の神々しい女だという。……この島に存在するというそのような人物に、俺の心当たりは一人しか存在しない。
──神子、と呼ばれるその女の詳細までは、俺も知らない。光の結社とやらには、大した興味もないからだ。だからこそ、もしもその女が、──、お前だったとしても。──それがだと言うのならば、……お前だからこそ。
──俺が地下デュエルに流れ着いたあの頃、は決して俺を追いかけてきたりはしなかった。
……あのとき、俺にとってはその事実こそが、……彼女は変わらずに、その場所で俺を待ち構えて勝ち続けているという事実が、何よりも心強く、有難かった。
その事実そのものが、彼女の元に戻らなければならないという執念を俺に与え、どん底に居た俺を突き動かしてくれたのだ。
「……、俺は……」
──だからこそ、俺も。……光の結社に囚われたお前を、俺のこの手で助け出そうだとか、……そうも陳腐な真似をするつもりは、一切ない。
お前はきっと、自分の敵は自分で倒したいと願うことだろう。……問題ない、俺とて散々お前を待たせたのだ。……だから、そうだ。今度は、俺の番だな。
俺のライバル、海馬は、誰にも負けない。俺の恋人、海馬は、俺にしか倒せない。──だからこそ、俺は。この灯台にて不敗のままに、お前を待つ。
「──主! 我が主よ! ……おい、!」
「……まさか、オレの声が聞こえて、いないのか……!?」
「、! オレの声に応えろ!」
「主よ! ! 貴様はオレの女王だろう! !」
「……いや」
「これは、まさか……」
龍の眼は、まるで冷たい氷のよう。荒涼とした風の吹く瞳で対戦相手を見つめる彼女は、息つく間もないほどに怒濤の攻めを展開し、相手の抵抗する気力さえも全て根こそぎ叩き潰した上で、敵を粉砕する。
──そうして、冷たい瞳で敗者を一瞥して、彼女はフィールドから旋風の様に立ち去るのだった。
その決闘はまるで底が知れなくて、洗練された所作は、彼女の立ち振る舞いに畏怖を加えていた。
──彼女が決闘にぶつけるものが何なのか、私には分からなくて、その無機質な衝動は怒りにさえ思えて、……だから私は、あの人が怖かったのだ。──“海馬先輩”のことが、かつての私は、怖くて仕方がなかった。
──アカデミアの頂点の一角を担う紅一点、“海馬先輩”はきっと、ブルー女子の憧れの的だったことだろう。彼女に向かってきゃあきゃあと黄色い声を上げて、あの“海馬先輩”を、様、レジーナ様と呼び慕う級友たちの姿を見かける度に私は毎度ヒヤヒヤしていたし、彼女はそんな級友達への反応にも、飽くまで冷淡な、……言い換えればクールな対応をしていたけれど。
──それでも、彼女達は、ストイックに勝利を掴むあのひとに憧れていたらしい。
……それも当然だと、私もそう思う。このアカデミアに於いて、女生徒にはそもそもブルー寮という選択肢しか存在せず、私達は謂わば、スタート地点から実力ですべてが決まるのこの島では、勝負の世界から一歩置き去りにされている。──そして、それを誰も、屈辱だとは思っていない。──だからこそ、その制度は、変わらない。
私はあの頃、そのハンデが心底気に入らなくて、ちゃんと実力で勝負したくて、その為にこのアカデミアに入った以上は、どうしようもなく悔しくて。だからこそ、いつか誰よりも強くなると心に決めていた。
──けれど、当時から、特待生の“海馬先輩”は女生徒の中で唯一、その実力勝負の中に土足で踏み込んだ存在だったのだ。
──そんな彼女に、女生徒たちが憧れない筈もなく。奇跡の体現のようなあの決闘者を、私達は羨望した。
……そうだ、私だって、そうだった。──あのひとの激しくも洗練された美しい決闘、……あんな決闘を私も出来るようになりたい、あの人と対峙できるだけの決闘者に、私はなりたい。
……けれど、そうだ、……あの眼、だ。──あの瞳に射抜かれることが、見透かされることが。あの頃の私は、……本当に、怖かったのだ。
だからこそ、あのひとが兄の友人だと知ったとき、──心の底から、その事実が意外だった。
……兄さんは、異性の友人なんて滅多に作らない。たとえ兄さんが相手と友人になろうとしても、何時だって相手がそれを望まなかったからだ。
故に兄さんには昔から異性の友人が居なかった、兄さんに寄ってくる女の人はいつも、兄さんの恋人になりたい人ばかりで。……だから、友人と言うからには、“海馬先輩”もきっとそうなのだ、ということだろうとは思ったけれど、……あの人の涼しい眼が兄さんを熱く見つめている様は、……なんだか、上手く想像ができなくて。
「──吹雪! 今の私の決闘見てたでしょ? どう? 何か感想は?」
「うんうん! 良い決闘だったよ! ……、最近楽しそうに決闘をするようになったね、なんだか嬉しいよ」
「ふふ、それは多分あなたたちのお陰よ。光栄に思っていいわ!」
──だから、そう。兄さんと彼女が和やかに笑い合っているのをいざ目の当たりにしたとき、それは、私にとって意外な光景でありながらも、……何処か、腑に落ちるやり取りでもあって。
……本当の“海馬先輩”は、あんな風に笑うひとだったのだと、そう思ったら、……自然と、私の中に渦巻いていたあのひとへの苦手意識などは、簡単に何処かへと吹き飛んで行ってしまった。──そして、私は兄さんの言葉で思い出したのだ。
……ああ、そういえば、確かに。……“海馬先輩”は最近、決闘中に楽しそうな顔をすることが増えたような気がする、と。
──以来、よく気を付けて彼女を見ていると、“海馬先輩”は意外と、人の良さそうな目元で笑うひとなのだと気付いた。
その後も、相変わらず普段は、荒々しく、そして凛々しく立ち振る舞う彼女だったけれど、きっとそのどちらもがあのひとの素顔なのだろう。
学園の頂点としての責任、そして、父の名を背負う重責をも受け止めて、王者たらんと堂々と立ち続ける彼女も、──私と同じ年頃の少女の顔であどけなく笑う彼女も、……きっとそのどちらもが、“海馬先輩”の本当の顔なのだ。
──確かに、私が最初に憧れたのは、強者としての彼女の横顔だった。けれど、そう。……いつの間にか私は、彼女の優しくて柔らかな笑みが好きだなあと思うようになって、……あんな決闘者になれたなら、素敵だ、と。……確かに私は、そう思っていたのだ。
「──明日香。泣かないで、なんて私は言わない。でも、泣きたくなったら私の部屋に来なさい。絶対に、一人で泣かないこと、いい? 夜中でも何時でも構わないから、私を頼りなさい。……今日からあなたは、私と亮を吹雪だと思って、なんでも頼って、どれだけワガママ言ったっていいの、……私は貴女を、自分の妹だと思うから」
──私、妹が欲しかったのよね、と。……そう笑ったあのひとが、私を優しく抱きしめて、背中をそっと叩いてくれたあの日のことを、私はどうしたって忘れられない。
──笑う彼女の声だって微かに震えていたことを、私の知らないところで、彼女が兄の為に泣いていたことを、決して忘れない。
私の姉になると、彼女がそう言ってくれたあの日からずっと、……やがて兄さんが帰ってきて、私と彼女が先輩後輩の関係に戻ってからも変わらずに、あなたは私を護ると言ってくれて、……私の為にいつも怒ってくれたあの優しさを、私、忘れたことなんてなかった。
私の心の奥底にあった真実は、──確かに、彼女の優しさへの憧れでしかなかった、……その筈、なのに。
「……“、さん”……?」
──長い長い、夢を見ていたかのような気分だった。……けれど、残念ながら記憶に残っているそのすべては、決して夢ではない。
──十代との決闘で、光の結社の洗脳から解放された私は、正気を取り戻したことで、私が不在の間に何が起きていたのかを、ようやく理解した。
──そして、さんがまた今回も、私を助けようと戦ってくれたこと、──その結果、彼女が斎王の手に囚われてしまったことも、私は知ったのだ。
「──明日香、きみが自分を責めることを、は絶対に望まないよ」
「兄さん……でも私はさんに……」
「……違う、違うんだよ明日香。もしもすべてきみのせいだ、と言ったなら、例えそれがきみ自身の言葉でも、は酷く怒るだろう。……は、そういう女の子だから」
──さんはいつも、自分の選択に責任を持つ人だった。辿り着いた結果が、自身の望んだ未来では無かったとしても、自分が歩いた道は自分の決断で出来ているのだと、いつでも彼女は、不敵に笑う。
──私にも、それは分かっている。……兄さんの言葉は、本当だ。私への慰めでも何でもなくて、只偽りのない、それこそが本当の彼女なのだ。
「……兄さん、でも私、さんには、……あの二人には、ずっとずっと、助けて貰ってきたの、二人が私の手を引いてくれたのよ……」
──光の結社に祀り上げられて、すっかりと凍てついた眼差しを湛えるようになってしまっていた彼女と対峙した時、──私は、思わず背筋が凍った。
私を助けようとしてくれた彼女を、きっと今度こそは私が助け出そうと、……そう、思ったのに。──あの龍の眼に射抜かれた瞬間、……私の足はすっかり竦んで、その場から動けなくなってしまったのだ。……それでは、いけないのに、──だって、だって。
「……もしも、さんがこのまま帰ってこなかったら、私……」
──私の震える手を握ってくれている兄さんの手も、彼女を想って、冷たく、……かたかたと、少し震えていた。
「……亮になんて、謝ったらいいの……?」
──あの二人は私を、護ってくれたというのに、……一体、私は。
──白、白、白。それは、暴力的なまでに圧倒的な、何よりも強く誇りを湛えた色。光の神殿の中心に広がる真っ白なドレスとヴェールは、まるで高貴なる花弁のようだ。
その選ばれし装束を身に纏う者こそは、我等が正義の象徴。──誰もが神の子と信じてやまない、勝利を約束された、──白き龍の人。
「──我が神子、海馬よ」
──用意された玉座に座り、膝の上で祈るように手を組み、閉じられていた瞳が、私の声に反応してすっと開かれる。……ゆらり、と怪しい影を落ちるその眼こそは、暗示が効きすぎている証拠に他ならない。
──海馬というこの女は、極めて意志と意地の強い決闘者だった。並の人間に対する暗示では大した効果をもたらさず、どうにか彼女の精神をねじ伏せてやろうとして、……力加減を間違えた結果が、これだ。
光の結社本部へと連れて帰った彼女はまともに口も利けず、何もなければ日がな一日、寮の奥で祈りを捧げている。
彼女が我々にもたらした功績は、余りにも大きかった。──仮にも彼女は、かつての学園の頂点の一角。決闘の腕前に加えてその人柄、それに何より、父親譲りの飛び抜けたカリスマ性を持ち合わせて、学園の生徒の羨望を浴び続けた彼女が、光の結社に与している現状は、我等が正義であることを生徒達に知らしめるには、余りにも十分すぎる事実であった。
──まさか、“あの”海馬が選択を間違える筈がないだろう、と。
私の洗脳により攻撃性を強めた彼等はそのように信じ込んで、レジーナの為ならばこの身を賭して戦うと改めて私に誓ってくれた。……物言わぬ人形と成り果てて尚、此処まで力強く周囲を導いてしまえるというのだから、……全く、皮肉な才能もあったものだ。
「──神子よ、せいぜい愉しむといい。……お前が世界を滅ぼす様を、存分にその眼に焼き付けろ」
──例えその魂が罪の元に灼け堕ちても、……その義務も責務も既に、お前にあるのだ、海馬。
──光の結社なる組織が暗躍しているという話については、俺の耳にも入っていた。事前にその存在については、からも聞き及んでいたからだ。だが、俺にとってそんなものはどうでもいい、俺は俺を愉しませてくれる決闘を求めてこの大会に参加したに過ぎん。
……誰がどうなろうと、既に学園を去った俺の知ったことではない。──そもそも、とてもではないが、今はそんなことを気に掛ける気にすらもなれなかった。
「……また、繋がらないか……」
──の携帯に繋がらない、それどころか、どうやらレッド寮にも女子寮にも彼女は帰っていないようで、当然ながら、俺の部屋に来ているなどということもない。
実家に電話してみることも考えたものの、目の前の決闘からが逃げ帰るとは到底思えずに、──俺はと言えば、只、今日もこうして、との決闘の瞬間を望んで、灯台にて彼女を待ち続けている。
退屈凌ぎにと、通りがかった大会参加者に決闘を吹っ掛けたりもしているが、その全てが退屈な試合内容だった。──ようやく、公式戦でと決闘ができる、と。そう、意気込んだ矢先の出来事だったのだ。……彼女と、連絡が付かなくなったのは。との決闘を渇望しており、それが叶わずにいる以上は、誰が相手であろうとも、──到底、俺の渇きが満ちることはないのだろう。
──俺の対戦相手はただ一人、──、お前で無ければならない。
……明日香が光の結社から解放されたと風の噂で聞いた際には、正直なところ、俺も少し安堵していた。……今となっては顔を合わせることもないが、明日香は、俺とにとってある種の特別な存在だったからな。
「──吹雪の妹は、絶対に私たちで護る。……誰にも、渡さない」
そう言って、強い意志の籠った光を宿していたあの日のの瞳は、……ある種の狂気さえも、湛えていたのかもしれない。
──あの頃の俺達は、とにかく必死だった。俺はを失うことが怖かったし、もきっと、それは同じだったことだろう。吹雪も含めて常に三人だった足並みが乱れて、……しかし、共通の目的を持った俺達はそれでも、ふたりでいることを選んだ。
それしか選ぶ気もなかった俺は、それを選んでくれたと、明日香だけは俺達で護ろうと約束して、……だから多分きっと、あの頃、明日香が俺達を繋いでくれたのだ。──かつての吹雪がそうであったように、明日香を助けながらも俺達は明日香の存在に助けられていた、……救われていた。
そんな少女に傷付いてほしいとは、無論、今でも思えない。だから、明日香が無事だという事実には、俺とて安心したのだ。……そう、その事実には、だが。
──近頃、明日香と入れ替わるように、光の結社──その総帥たる斎王という男の隣に、白い服の女が立つようになったという噂を聞いた。
それは白いドレスの良く似合う、美しい眼の神々しい女だという。……この島に存在するというそのような人物に、俺の心当たりは一人しか存在しない。
──神子、と呼ばれるその女の詳細までは、俺も知らない。光の結社とやらには、大した興味もないからだ。だからこそ、もしもその女が、──、お前だったとしても。──それがだと言うのならば、……お前だからこそ。
──俺が地下デュエルに流れ着いたあの頃、は決して俺を追いかけてきたりはしなかった。
……あのとき、俺にとってはその事実こそが、……彼女は変わらずに、その場所で俺を待ち構えて勝ち続けているという事実が、何よりも心強く、有難かった。
その事実そのものが、彼女の元に戻らなければならないという執念を俺に与え、どん底に居た俺を突き動かしてくれたのだ。
「……、俺は……」
──だからこそ、俺も。……光の結社に囚われたお前を、俺のこの手で助け出そうだとか、……そうも陳腐な真似をするつもりは、一切ない。
お前はきっと、自分の敵は自分で倒したいと願うことだろう。……問題ない、俺とて散々お前を待たせたのだ。……だから、そうだ。今度は、俺の番だな。
俺のライバル、海馬は、誰にも負けない。俺の恋人、海馬は、俺にしか倒せない。──だからこそ、俺は。この灯台にて不敗のままに、お前を待つ。
「──主! 我が主よ! ……おい、!」
「……まさか、オレの声が聞こえて、いないのか……!?」
「、! オレの声に応えろ!」
「主よ! ! 貴様はオレの女王だろう! !」
「……いや」
「これは、まさか……」